イン・ザ・ダーク
水円 岳
☆
「引き返そう」
リーダーがそう宣言した時。俺らはすでに目的地直前までたどり着いていた。
「ええー? ここまで来てUターンですかあ?」
真昼間の、見晴らしのいい短草ステップ。ここから先は非武装中立エリアで、危険がないことは明白だ。あと1キロほど。ほんの数分車を走らせれば、医療キャンプに薬品や資材を運び込める。みんな、首を長くして俺らの到着を待っているはずだ。それなのに引き返せっていうのか。
リーダー以外、全員不満の表情を浮かべた。俺らの目の前にあるのが激戦地っていうなら別だぜ。ここは安全保障されてるじゃないか。だから、政府軍からも反乱軍からも敵視されずにここまでアクセスできたんだ。引き返すとなれば、俺らは再び敵対や略奪に怯えなければならない。なぜ目前の安全を捨てて、苦難の渦中にUターンするんだ!
でも。俺らの誰もリーダーの撤収宣言に反対できなかった。リーダーは、この地でもっとも長期間医療活動を続けていて、現地の状況や情勢に精通している。その判断を否定できるほど、俺らは優秀でも敏感でもなかったからだ。
肉眼でも確認できる医療キャンプの中立旗を恨めしげに見ながら、俺らはのろのろと車を逆進させた。
◇ ◇ ◇
露営地で眠れなくてテントを出たら、リーダーがLEDトーチの明かりをぎりぎりまで絞って地図をじっと見下ろしていた。俺以外のメンバーは、理不尽なUターンで心がささくれたのか、みんなふて寝している。
「リーダー?」
「ああ、サワダか」
「何見てるんですか?」
「部族の分布図さ」
「部族……ですか」
「そう」
ぱたぱたと地図を畳んだリーダーが、トーチを消した。その途端、俺もリーダーも真っ暗闇の中にずるりと引きずり込まれた。見通しの利かない、どこまでも深い闇。思わずぶるっと体を震わせた。何一つ見えない中、リーダーの低い声だけが俺たちの存在をわずかに示している。
「趨勢が決まりつつある」
「戦闘の、ですか?」
「いやあ、どんぱちはまだまだ続くだろ。そうじゃない。部族間の合従連衡さ」
「……」
「ここでの戦争ってのは、国対国という性質にならないんだ。部族間抗争だよ。その部族に多数派、少数派っていうわかりやすい区切りがあればいいんだが、そんなものはない」
「みんな少数派ってことですね」
「そう。部族間の利害調整のうまいやつがいれば、そいつの属する部族が優位になる。でも、一旦調整をしくじれば立場は瞬時に逆転する」
地面に跳ね返って聞こえていたリーダーの声が、まっすぐ俺の方を向いた。
「俺たちは、いろんな国からの寄せ集めだ」
「ええ」
「でも、国を背負っているわけではないだろ?」
「そうですね。医療チームのメンバーってだけで」
「チームと言ってもあくまでも個人ベースなんだよ。個人であるがゆえに、柔軟に意見調整できる」
「リーダー、何が言いたいんですか?」
回りくどい言い方に苛々して来た。
「部族ってのは厄介だってことさ」
「……厄介?」
「そう。国ほどの大きさはなく、個人ほどの自由さもない。結束力は強いが、単位が小さいから行動理論に芯がなく、先が読めない。何が、どこで、どう転ぶかわからない」
「中立の医療キャンプも安全じゃないってことですか?」
「もちろんだよ。国としては安全保障をしてくれるだろ。でも、今は国の中身が何もないんだ」
ぞっと……した。リーダーの言葉には一片の甘さもない。ここが紛争地の真っ只中であるという現実をどこまでも踏まえていた。
「あの、リーダー。なぜ、あそこでUターンだったんですか?」
闇の中で、リーダーはしばらく沈黙を守った。それから、思いがけない言葉を返して来た。
「あそこがぎりぎりだったからだよ」
「ぎりぎり?」
「そう。俺たちは、今優勢な部族の支配地をずっと通ってあそこまで行った。あそこまでは先が読めるんだ」
「ええ」
「でも趨勢は決まりつつある。ここの支配部族が医療キャンプ地のある地域を併合するだろう。あそこは中立地じゃなくなるんだよ」
「じゃあ、安全になるんじゃないんですか?」
「甘いな」
リーダーの返事は氷のように冷たかった。
「劣勢な側は、中立組織ごと自分サイドに移すそうとするだろう。まさに人間の盾、だ。じゃあ、跡に残るのは何だ?」
「う……」
冷や汗が吹き出してきた。
「あいつらは、キャンプに残っている医師たちを連行する口実を作ろうとするはずだよ。あちこちに地雷を敷設し、キャンプの医師団に俺らの爆死シーンを見せる。それを優勢部族のせいにし、医師たちに中立を破棄させる。そんなシナリオだろう」
「リーダーは、どうしてわかったんですか?」
「もっと前からわかってたさ。でも、君らをあそこまで連れて行かないと、Uターンの意味がないんだ」
「はあっ!?」
素っ頓狂な声を上げてしまって、リーダーにたしなめられた。
「静かに!」
「す、すみません」
闇と静寂がひたひたと戻ってくるのを待って、リーダーが再び口を開いた。
「闇に急かされると判断に恐怖が混じる。今。この暗夜の状況で俺が撤退を宣言したら、君らはどうする?」
「あ……」
そうか。撤退ではなく、恐怖に駆られた逃亡になってしまうんだ。知性が消えて、本能しか残らない。そういうことだったのか……。
「俺が撤退を決めた意味を冷静に考えて欲しい。だから、ぎりぎりあそこまでは行ったんだよ」
じゃりっ。リーダーがゆっくりと体の向きを変えた。
「もう一つ。俺らが姿を見せてから引き返すことで、キャンプの連中にメッセージを送ることができる。安全確保が難しくなっているってね。同時に、俺らを利用しようとしてる優勢、劣勢の部族にも警告を出せる。俺らは、あんたらの手の内をもう読んでいるぞ、と」
そこまで読んでの行動だったのか。絶句してしまった。
低い声が途切れ途切れに闇に溶けていく。
「行動上のUターンは、万全を期す中の選択肢の一つに過ぎない」
「はい」
「それよりも」
きっぱりと、リーダーが言い切った。
「俺らは戦闘員じゃない。あくまでも医師だ。だから人の命を救うために最善を尽くすという意思だけは、絶対にUターンさせちゃだめなんだよ」
【 了 】
イン・ザ・ダーク 水円 岳 @mizomer
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