幼馴染の君と見た真っ白に沸き立つ入道雲を僕はいつまでも忘れない。

kazuchi

永遠の片想い。

「――もうすぐ、あいちゃんの命日だね」


 電話口の向こう、その言葉に過去の苦い記憶が蘇る……。


「もちろん帰って来るんでしょ、恵一?」


「姉貴、こっちも大学やバイトで結構忙しいんだよ、まだ分からないな……」


「たまには帰ってきて、おばあちゃん達を安心させてよ」


「そうだな、何とか都合付けてみるよ、じゃあね」


 姉貴に色々お説教されそうなので、早々と電話を切った。そのままベットに仰向けになり、狭いワンルームの天井を眺める。


「……もう七回忌か」


 ぼんやりと虚空を見つめ、物思いに耽る。


 僕、香月恵一かつきけいいちは都内の私立大学に通う十九歳だ。自分で言うのも何だが、これまで平凡な人生を歩んできた。小、中、高と出来の良い姉貴が、一学年上にいたお陰で香月の弟と言う呼び名が定着していた。姉貴は成績優秀、スポーツ万能、その上美人と三拍子揃った地元でも有名な才女で、その印象が強かったからか、子供の頃から友達や先生に香月の弟と呼ばれることに、僕は何も疑問を抱かなかった。


 でも彼女だけは違った……。


「恵一君はって呼び名じゃないよ、」


 夕暮れの河原で、彼女は微笑みながら僕に言ってくれた。肩までの真っ直ぐな黒髪、夕陽の反射がコントラストになり、水面の反射と相まって彼女の笑顔がいっそう輝いて見えた……。


 僕の田舎は都心から電車で二時間位、人口九万人の地方都市だ。やっと近所に、コンビニが出来たっておばあちゃんが喜んでいた。そのおばあちゃんにも最近まったく顔を見せていない。東京の大学に進学が決まって一番心配したのもおばあちゃんだった。幼い頃、実の母を亡くした僕達を母親代わりに育ててくれたのもおばあちゃんだから、帰省して安心させてやりたいのが本音だが、気が進まないのはの法事があるからだ……。 心の深いおりの中に突き刺さったままのナイフのように。そのことを思い出すだけで今も胸が痛む。


 あの日、亡くなった二宮藍にのみやあいのことを……。


 藍は僕の幼馴染で、同い年ということもあり幼い頃から姉の未来美も含め、自然と遊び回るようになった。女二人、男一人、多数決でかくれんぼではいつも僕が鬼にされた。定番の遊び場は近くのお稲荷さんのある神社で、その敷地にある地区の集会所が僕らの秘密基地代わりだった。普段使われていない集会所に出入りして、駄菓子を食べたり携帯ゲームをやったり、小学校の帰りに直行していたものだ。いつものように三人でかくれんぼを始め、じゃんけんで負けた姉貴が鬼になり文句を言いながら数を数え始める。僕と藍は急いで隠れ場所を探した。集会場と神社の通路下に、身を隠せるスペースがあることに偶然、気付いた。僕は藍をせかしながらその場所に隠れた。鬼のカウントが終わり、姉貴が大声を上げつつ探し回る気配がする。僕と藍は狭いスペースでお互いの身体を密着させていた。彼女のかすかな息使いまで、こちらに伝わってくる至近距離だ。藍の長い黒髪が僕の頬を撫でる。妙なくすぐったさと同時に、ほのかなシャンプーの甘い香りが鼻腔を突く。


「……!?」


 ――その瞬間だった。僕の中で急に何かが変わった。


 今まで彼女を異性として意識したことはなかった。その真剣な横顔をチラリと盗み見る。僕の顔は耳まで真っ赤だったに違いない。なぜ今まで気がつかなかったんだろう、藍が可愛いと言うことに……。密着する肩口のシャツが妙に汗ばむのが感じられた。慌てて彼女と距離を置こうとして派手に物音を立ててしまった。


「恵一、藍ちゃん、みいつけた!!」


 夏の暑い境内に蝉の声が響いた。


 それから藍を女の子として意識してしまった僕は、放課後、神社の秘密基地に通うのをやめてしまった……。


 思い返すと子供っぽくて微笑ましいが、小学四年生の僕は初恋という未知の感情に戸惑っていたんだろう……。


 藍とも妙に距離を置き、誘われてもぶっきらぼうに断っていた。彼女の寂しそうな表情が今でも忘れられない。大好きの裏返しで学校で色々意地悪もしてしまった。きっと藍に嫌われているに違いない……。勝手に思い込んでいた僕はクラスの男子とつるむようになり、藍と一緒に遊ぶことはめっきり減ってしまった。

 そのまま疎遠になり小学校を卒業して同じ中学に入学した。姉貴は相変わらず美人で優秀で、弟の僕は同じクラスの男子からかなり羨ましがられた物だ。ここでも香月の弟というポジションは定着していった。別にそれでいい、それが楽なんだから……。


 中学生になり、同じクラスになった藍は学校にあまり来なくなった。休む理由は聞かされていなかったが、ある日お隣さんの僕がたまったプリントを藍の家に届ける役目になった。放課後彼女の家に向かい玄関のインターフォンに声を掛ける。暫くした後、寝間着の藍がドアを開けてくれた。


「恵一君?」


 驚いた彼女の顔色は、何だか紙のように白く見えた。


「ああ、先生にプリント頼まれたから……」


 またもやぶっきらぼうに答える。


「ありがとう……」


 戸惑う僕を尻目に彼女は、何故かすごく喜んでくれたみたいだ。


「良かったら上がって!」


 藍が僕の手を握り玄関に招き入れてくれた。柔らかい手の感触にどきまきしてしまう……。久しぶりに上がった藍の家は僕の家とほぼ同じ間取りだった。同じハウスメーカーの建て売り分譲の為だ。彼女の部屋は二階にあり隣に立つ姉貴の部屋に面している。もしこれが漫画やドラマで良くあるように僕の部屋が真向かいで藍の部屋がこちらから見えたら、彼女に恋していた僕は頭がおかしくなってしまったかもしれない。


「お茶を入れるから、部屋で待ってて……」


 部屋のドアを開ける彼女、促されるまま藍の部屋に入る。年頃の女の子の部屋に入るのは姉貴の部屋以外では初めてだ。何だか落ち着かない面持ちで部屋をキョロキョロ見回してしまう。白を基調としたベッドに勉強机、その隣に備え付けのクローゼット。先程まで横になっていたのかベッドの布団が乱れている。何の香水だろうか、そこから柑橘系のいい香りが漂ってきた。


「んっ?」


 ふと、机の上に置かれた写真に視線が止まった。その時、彼女がお茶を運んで部屋に入ってきた。俺の視線に気がついたみたいだ。


「この写真は……」


 その写真は小学生の頃の僕たち三人が写っていた。変顔をする僕の左右には藍と姉貴。


「あの頃は楽しかったよね……」


 ベッドサイドにお茶のトレーを置き、彼女が懐かしそうに答えた。


「ああ、時間だけはたっぷりあって、泥だらけになりながら夢中で遊び回ったっけ……」


 不思議と一瞬であの頃の素直な気持ちに戻れた。何で、今まで彼女を避けていたんだろう……。僕の前に立つ藍はあの頃より成長して綺麗になっていた。肩まである長い黒髪。陶器のような白い肌。その頬にうっすらと赤みが差し、僕に向かって微笑んでくれた。


「恵一君、覚えてる? 携帯ゲームでよく遊んだよね!」


「そうだな、ゲームも面白かったけど、カメラで写真や動画を撮って、お互い交換して遊んだよな……」


 当時小学生の間で、大流行していた国民的な携帯ゲーム機の事だ。本体に二つあるカメラで写真や動画が自由に撮れる。


「恵一君が変顔して、いつも笑わせてくれたよね……」


 お調子者の僕は、昔のアルバムを見ても変顔ばかりで、まともな顔で写真に写っていなかった。それでよく姉貴にも怒られたものだ……。


「そうだ! まだ持っているかも……」


 思い出したように藍がクローゼットを開け、何かを探し始めた。


「あった!」


 嬉しそうに差し出したのは、あの携帯ゲーム機だった。懐かしいな、まだ持ってたんだ……。女の子らしくシールでデコレーションされたピンクの本体、フタを開け、電源を入れようとする藍。


「あれ? 点かないな……」


 長年充電していなかったせいで、どうやら電源は入らないみたいだ。


「残念だな……」


 子供のような表情になり、がっくりと肩を落とす藍。一瞬当時の彼女と面影が重なってみえた。


「確か、家に充電ケーブルあったはずだから貸してみろよ」


「本当に! お願いしてもいいの?」


「姉貴が物持ち良いから、絶対捨ててないと思う……」


「良かった! 嬉しいな……」


 あの頃のように二人で笑いあえた。このゲーム機を動かせれば止まった時計の針が動き出すような気がした。藍とまた二人の時間を刻めるかもしれない……。


 僕はそのまま、上機嫌で家に帰った。ダイニングに居た姉貴に声を掛けられる。


「恵一、何ニヤニヤしてるの、かなりキモいんだけど!」


 そんな姉貴の毒舌にも反論しない位、僕は良い気分だった。あの朝の電話が掛かってくるまでは……


 翌朝、ダイニングで食卓を囲んでいると一本の電話があった。親父が電話を受け、その会話の内容から僕と姉貴は、何かただならぬ雰囲気を感じていた。


「二人とも落ち着いて、お父さんの話を聞いて欲しい」


 親父が絞り出すような声で、僕たちに告げる。


「藍ちゃんが、今朝亡くなった……」


 一瞬、親父が何を言っているのかまったく理解出来なかった……。姉貴が床で泣き崩れるのを視界の隅で捉えた。


「えっ何言ってんの、だって昨日はあんなに元気で……」


 僕は昨日彼女に会ったばかりだ、何かの悪い冗談に違いない。


「一時退院で昨日は家に戻っていたそうだ、だけど夜中に急変して……」


 親父もあまりの事に絶句してしまう。


 その後の事はあまり覚えていない。本当にショックな事があると人は回路を遮断するように、感情を閉ざしてしまうようだ。僕は藍の葬儀にも出ず、家で引きこもっていたんだ……


「藍の七回忌か……」


 現実に引き戻され、狭いアパートの天井が目に入る。藍が亡くなった後、抜け殻のような生活を送る僕を親父と姉貴、そしておばあちゃんは辛抱強く見守ってくれた。その協力のお陰で今の僕がある。やっぱり田舎に帰ろう。決心した僕は急いで部屋を後にした。実家に帰るとおばあちゃんを始め家族が大歓迎してくれた。姉貴は多くを語らず明日の法事に供えて早く休めと言ってくれた。


 久しぶりに自分の部屋に入る、室内はここを出た時のままだ。懐かしさに勉強机に座り、何気なく一段目の引き出しを開ける。


「……!?」


 ピンク色の筐体が目に飛び込んできた、あの携帯ゲーム機だ!! あの日藍と約束したまま、机にしまい込んで忘れていたんだ。慌てて隣の姉貴の部屋に駆け込む。


「何、恵一まだ寝てなかったの……」


 咎める姉貴に構わず、お願いをする。


「この携帯ゲーム機の電源ケーブル持ってる?」


 姉貴はあっけに取られながらも、僕の真剣な表情に押され探してくれる事を快諾してくれた。


「何に使うか分からないけど、きっと藍ちゃんの為なんでしょ?」


 しばらくして姉貴が、部屋に電源ケーブルを届けてくれた。勘の良い姉貴は理解してくれていたようだ……。


「落ち着いたらゆっくり聞かせてね、じゃあ、おやすみ」


「ありがとう、姉貴……」


 早る気持ちを抑えながら、ゲーム機に電源ケーブルを繋ぐ。フタを開け電源を入れる、良かった!バッテリーは生きている。上下の液晶に光が灯りゲーム機が起動した。そのままタッチペンで画面を操作する。カメラアプリの中にデータフォルダがあり、あの頃の日付が残っていた。あの神社で遊んでいた頃のデータに間違いない!


 日付順に画像と動画を確認する、そこにはあの頃の僕たちがいた。変顔をしている僕、それを咎める姉貴の動画。


 そして、その後ろで……。


 藍があの頃のままの微笑みを浮かべていた。そこに彼女は確かに存在していた、少し困ったような笑顔。笑うと僅かに覗く八重歯。白いワンピースの裾がふわりと風に広がった。


 僕の大好きだった藍が、そこに生きていたんだ……。動画は短く、最長でも一分位のファイルだ。


 再生してもすぐに終わってしまう。僕は何かに取り憑かれたように、動画を順番に再生し始めた。ほとんどが秘密基地や野外での動画だった。藍が撮影者なので、僕や姉貴ばかりが写っていた。残されたファイルは、あと僅かになり全部見終えてしまったら、藍の生きた証が無くなってしまうのでは……。そんな気がして、急激に胸が締め付けられた。いよいよ最後の動画だ……。ゆっくりと深呼吸してファイルを再生する。


 あれっ? この動画は撮影場所が野外ではないぞ。どうやら藍の部屋のようだ、彼女のアップで始まった。後ろの壁に当時の制服が掛けられている。机の上にゲーム機を置いて、インカメラで自撮り風に撮ったみたいだ。


「ちゃんと、写ってるかな?」


 ゲーム機本体を左右に動かし、確認しているのが映り込んでいる。


「えっと、これは誰にも見せないつもりで、お父さんやお母さんにも内緒です……」


 少し照れくさそうに、カメラに向かって語り始める彼女。


「もちろん恵一君にも内緒だよ、これは告白の練習、動画のラブレターなんだから……」


 藍から僕にラブレター!?


 驚いて動画の日付けを確認する。おぼろげな記憶をたぐり寄せると、僕が彼女を避け始めた時期と丁度重なる。


「恵一君は最近、藍と遊んでくれません、でも少しホッとしてるんだ。だって恵一くんと一緒にいると私もドキドキしちゃうから」


「恵一君といると、胸の奥がキュッとして心臓が壊れそうになるの……」


 彼女が突然、伏し目がちになり俯いてしまう。


「お部屋の中だけの秘密だから、今日は勇気を出して告白するね。藍、がんばって一生懸命におしゃべりするから!!」


 顔を上げ、意を決したようにカメラに向かう。


「藍は恵一君の事が大好きだよ! 将来お嫁さんにして欲しいけど、私、身体が弱っちいからなれるかなぁ、恵一君のお嫁さん……。お父さんやお母さんにも藍の身体の事で心配掛けてるから。だけど元気になって、もっともっと恵一君と遊びたい。 今は遊べないけど私のこと忘れないで欲しいな。中学、高校、同じ学校に通うの。そして、そしたらね。私の隣には大人になった恵一君がいて一緒に並んで歩くんだ!! 大好きな恵一君に藍の気持ち伝わると嬉しいな……」


 そこで動画は終わった……。


 あの夏の日、藍はどんな気持ちで僕にゲーム機を託したんだろう。動画が入っていたことは忘れていた? それとも……。


 そんな些細なことはどうでもいい。あの頃のまま藍が存在してくれただけでいいんだ……。


 小さな画面に向かって僕はあの頃出来なかった告白をした。上下の液晶スクリーンが涙で滲んで見える。


「藍、ありがとう、確かに気持ち受け取ったよ。あの頃、意地悪ばかりしてゴメンね。もちろん僕も大好きだよ……。あの河原で言ってくれた事、覚えている? 僕はあの言葉で救われたんだ。君は香月の弟じゃなく恵一君だよって……」


 そして最後の言葉を藍に語りかける。


「あの頃からずっと、藍の事が好きだ。僕は一生忘れないよ……」


 画面の中から彼女が微笑みかけてくれた気がした。


 そして僕は静かに携帯ゲーム機のフタを閉じた……。



 永遠の片想い 完



 あの夏の空の下で。藍のモノローグに続く

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