第5話


 魔法陣に乗せられ、下界へと送られることになる数日前の出来事――。




 4月9日。誕生日から数日が過ぎ、俺は公爵家にある離れの建物にいた。

 部屋は毎日の掃除こそしているが、決して公爵の息子が暮らすような場所ではない。


 小さな部屋。テーブルと椅子がおかれている。窓などはなく、外の様子は分からなかった。

 この場にやってくるのは、食事を持ってくる執事だけだ。

 さらには、建物の外では騎士も待機している。


 扱いはまさに囚人そのものであった。

 ……実際、父からすればそうなのだろうと思う。


 俺は自分の立場を改善するために、自分のスキルを偽った。

 ……その罪で、処罰されることになっていた。

 

 恐らくは――下界送りだろうな。

 まだ確定していなかったが、もっとも採用されることの多い罰だ。

 俺がベッドに背中を預けるようにして横になる。


 その時だった。部屋がノックされ、メイドがやってきた。


「失礼します……」


 視線を向けると、俺の世話係を務めるメイドがいた。後ろてで扉を閉めながら、彼女は食事を俺の部屋のテーブルにおいた。

 俺が立ち上がり、そちらに向かうと、メイドがちらと俺を見てきた。


「……クレスト様。私はいつでも、あなたを逃がす準備は整えています。……お声をかけてくだされば、いつでも――」

「気にするなよ。俺は自分を大きく見せようと嘘をついた罪人だぞ?」

「クレスト様はそんなことはされません! 使用人一同は、皆あなたの言葉を信じています!!」

「それ以上口を開くな。食事、ありがとう……頂くぞ」

「クレスト様……失礼いたしました」


 メイドは悔しそうには唇を噛んで、部屋を出ていった。


 俺だって、死にたくはない。下界に送られれば、まず間違いなく……死ぬ。

 ……そうは言ってもな。


 俺が頼めば、屋敷の誰かが協力して俺を逃がしてくれるだろう。

 仮に、屋敷から脱出できたとして、だが……それからどうするというのだろうか?


 俺のスキルは使い物にならない。

 一人で生きていけるかどうか、不明だ。

 そして、俺を逃がしたとなればそれを企てた彼女たちがどうなるか――。

 

 俺の代わりに、誰かが下界送りに、あるいは死刑になるのだけは嫌だった。

 だから俺は……自分への罰を受け入れるつもりだった。


 食事のあと、ベッドでごろりと横になって、目を閉じる。

 それから、数時間ほどが経過したときだった。

 再び部屋がノックされた。


 誰だ? 食事の時間には早い。

 俺が体を起こし、ベッドに座るようにしてそちらを見る。

 と、そちらには……エリスがいた。


「お久しぶりですわ、クレスト」

「……あ、ああ……久しぶりだエリス」


 すっと、エリスが丁寧なお辞儀をし、俺も同じように返す。

 ……といっても、俺は風呂にも入れさせてもらえていないため、随分と体は汚れている。

 騎士を部屋の外に待たせたエリスは、俺のほうへとやってきて、それからすっと近くの椅子に腰かけた。


「酷い部屋ですわね」

「……そりゃあ、そうだろ。今の俺は罪人みたいなものだ。……それより、どうしたんだ?」

「バカですわね、あなたは」


 くすり、とエリスが微笑を片手で隠す。

 

「ば、馬鹿にしに来たのか……?」

「ええ、そうですわね。まさか、神の夢を偽ってまで家での立場をあげようとするだなんて。ああ! どうしてその程度の嘘が見抜かれないと思ってしまいましたのかしら! 昔から、あなたは本当に馬鹿で、グズで、のろまで……どうしようもありませんわね」


 ……そこまではっきりと言われ、俺も色々と腹が立つ。

 ただ、エリスと俺は同じ公爵家だ。エリスが俺を婚約者として指名したおかげで、今の俺の立場は何とか家で存在していたのだ。

 ……なぜ、エリスが俺を婚約者にしたのか。


 それは簡単だ。

 俺のような哀れな人間を婚約者に指名することで、自分の価値が高まる、からだそうだ。

 そして同時に、こうも言っていた。


 『もしも、わたくしの機嫌を損ねた場合、わたくしはあなたに暴行を受けた、と偽りますから。ですから、わたくしの犬としてこれからもずーっと、一緒にいますのよ?』。

 にこにこと、楽しそうに、な。


「悪かったな……」


 普段は、『申し訳ありません』。きっとそれで終わらせていた。

 だが、俺は……強気な言葉を返していた。


 俺の言葉に、エリスがぴくりと眉尻をひくつかせた。

 ……まさか、俺にこう言われるとは思っていなかったのだろう。


「あなた、わたくしがただあなたを罵倒しに来たと思いますの?」

「……なんだよ、他に何か用事があるのか?」

「ええ、もちろんですわ。あなたを、救いに来てあげましたのよ?」


 ……救いに、だと?

 エリスの口からは想像できないような言葉が飛び出し、俺は目を見開いた。


「……どういうことだ?」

「言葉、そのままの意味ですわよ? あなたはわたくしの婚約者……そして、犬でありおもちゃであり、奴隷のような存在ですわ。ですから、わたくしの前から勝手にいなくなってはいけませんわ」


 いつものエリスの暴論が飛び出した。

 ……こいつは、俺のことをどうでもよいと思っているくせに、妙なところで独占欲を出すからな。


「……ああ、そうかよ。それで、どうやって助けるんだ?」

「その前に――」


 エリスはそういって、黒い靴下を脱いでいく。

 ……何がしたいんだ?

 彼女は俺のほうに片足を差し出し、それからどこか恍惚とした幸せそうな笑顔を浮かべる。


「わたくしの足を、舐めなさい。わたくしに、絶対の服従を誓いますのよ。あなたには、わたくししかいませんの。あなたのようなクズのゴミを助けてくれるような人は、ええ、わたくししかいませんわ。ですから――その証をここに示しなさい」


 くいくい、と彼女の綺麗な足先が動いた。


「……」


 エリスの勝ち誇った笑み。

 ただ、俺はその足をじっと見ていた。


 ……これを舐めるだけで。

 エリスにこれからもおもちゃのように使われるだけで、奴隷のようのこき使われるだけで……下界送りが免れるのか?


 俺はエリスの足をじっと見つめる。これを舐めれば――。

 エリスの顔を見る。彼女はにこりと天使のような笑顔とともに微笑んだ。

 そうして、俺の眼前に足を延ばしてくる。誘惑するように揺れる足に、俺は手を伸ばし――そして、叩いた。


「……どういうことですの?」


 不服そうな、驚いたような……そんな表情とともにエリスがこちらを見てきた。

 そこまですべてのプライドを捨てたつもりはない!


「どうしましたの? わたくしに一生の忠誠を誓えば、あなたをこの牢獄から助けてあげますわよ?」


 俺はそのエリスの言葉に――今まで溜まっていた鬱憤を叩きつけた。

 

「うっせぇ! 俺は下界送りでもなんでも受け入れる覚悟はできてんだよ! 俺はお前の道具でもおもちゃでもない!」

「……」

「話がそれだけだっていうのなら、もう出て行ってくれ!」


 エリスが好き勝手に俺のことをいう可能性はある。

 だが、それでも構わない。

 俺はこれまで彼女にぺこぺことしてきた自分との決別の意味を込めて、声をあげた。


「じゃあな、エリス。俺はもう、おまえのわがままには付き合わない!」

「……後悔、しますわよ。あとで、泣きついても知りませんからっ」


 きっと、エリスがこちらを睨み……そして部屋を出ていった。

 静かになった部屋で、俺はベッドに腰掛けなおした。


 下界送りでもなんでもかまわない。

 ここから、俺は自由に生きてやるんだ……っ!

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