現代

父は力で知恵を潰す

 生まれてきてから今までに、見た夢を何個覚えているだろうか。はっきりと覚えている夢ならいいが、起きた瞬間は把握しているけど、気付いたら内容が分からなくなっている夢。見たことすら忘れている夢。それらは見たときにとても空しくなる。だが今日はどうだろう。夢を見たことだけしか覚えてないのに、あのなんとも言えない悲しさではなく、悔しさが胸に込み上げてきた。しかも、涙が出ている。

 この悔しさは何なのだろうか。悩んでいても仕方ないのでぼくは起き上がり、朝食を作る為に台所に立った。

 フライパンに油を注いでいると、「ふざけんじゃねえ!」「どいつもこいつも俺を騙しやがって!」父の怒鳴り声が聞こえた。それぐらいは日常茶飯事なので、ぼくは平然と卵を割る。父の好きな半熟を作る為には、かなり集中しないといけない。そんな、呑気なことを考えていた。

 急にバランスを崩して仰向けに倒れたと思うと、ぼくがハムを刻んでいた包丁を手にした父が馬乗りになっていた。

「おまえ!さえ!いなければ!」ぼくの肉を引き裂く感覚と父の戯言を交互に感じる。小学生に男の大人をどかす力などないので、されるがままでいた。視界が赤い。

 数年前からぼくを見ると、なりふり構わず暴行にいそしんでいた父から逃げようとしなかったぼくが望んでいたことなのだろう、このシチュエーションは。視界が赤い。

 でも、今更ながら、生きたかった。そう思うと、涙が出てきた。視界が赤い。今朝も同じような涙を流したっけ。視界が赤い。

 全身の感覚がどんどん薄れてきた。視界が赤い。普通なら死の恐怖があるのだが、一昨日、父がぼくの視界が赤い。ことを、何者かに取り憑かれたように殴ったので、それと似たようなもの視界が赤い。だった。視界が赤い。そんなぼくが怖かった。視界が…

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