武蔵品其之肆 血を嫌う刀と血を好む刀 之巻


 俺の名前は武蔵むさし。日本一の剣豪とは俺様のことよ。だがな、剣豪っつったって、ただ斬りゃあいいってぇもんじゃあない。剣の道っていうのは、如何に美しく刀を振るうかっていうこったないんだよ。寧ろ、如何に美しく、勝つかっていう話だ。

「……………………。参った」

「お頭!」

「オメェら! こいつらとは金輪際関わるな。降りるぞ!」

 俺の前で、野党の頭が頭を下げた。怯えた町人たちには何もせず、走って逃げていく。へへん、見たか! これが剣豪の真骨頂よ!

「さすがどすなぁお侍はん、えらい助かったんや。おおきにどした」

「やてもしまた奴らが来やはったらどないしたらええんや。なんで切り殺しいやくれおへんどしたんや。もしまた奴らが来やはったら、今度こそわしたちは殺しはるかもしれへん」

 そう言って町人共が不安がるので、俺は立ち上がって大仰に溜息を吐いた。

「来やしねえよ。奴ら、俺らがこの界隈にいるって、嫌ってほど知ってるからな。この町だけじゃなく城州そのものから出てくさ。……で? おあしは何方がくださんでぇ?」

 町人共は不服そうだったが、渋々、一番綺羅綺羅しい着物を来た娘が麻布に包んで持って来た。まあ、俺、座ってただけだし。多少少なくても文句は言えねえか。

 ん? どう俺が奴らを撃退したかって?

 熊笹っていう兵法の一つだ。抜刀した相手の前で、どっかり腰を据え、刀を持たず、『圧』だけで勝つっていう、究極の剣術。ほれ、よく『剣圧』とか、達人がやるだろ? そいつを極めたのが、この熊笹って訳よ。俺だって、伊達に刀は握ってないって訳。

 …………。まあ、時々失敗するんだけどな。取りあえず俺は、今日一日きっぱり働いたし、せっかく城州に来てんだから、たまにゃぁ蕎麦じゃなくて豆腐屋にでも行って――。

 賑やかな大通りに来た時、ビリリと凄まじい圧を感じた。あまりに凄まじい圧で、思わず身構える。でもその圧は、すぐに消えて無くなって、大通りには夕食の支度をする女将さん達で溢れていた。

 ――気の所為、か? すげぇ寒気だ。圧が無くなったのに、余韻が残ってやがる。宿は出雲いづもが見つけてる筈だから、帰ったら報告しておかねえと。でも俺でも感じるような気を出すような妖異よういだったら、出雲いづもあたりがこの山超えた三里先で血相変えるだろうし、町人共も怖くて堪らねえと思んだがなあ……。


 出雲いづもが設けてくれた宿は、この町唯一の公家の屋敷だった。俺は公家のこたァよくわかんねえが、どうやらかなり小さな公家らしい。俺の印象だと、公家っていうより、武家貴族って感じだけどな。色んな所に、戦のカミさんが祀られてら。……おややん? ありゃ、俺の家にもあったな。ここの武家貴族とあの家、ご先祖さんは同じなのかな?

「まずはこん地域を治めるモンとしいや、礼を尽くそない。さあ、どないぞ召し上がってくやされ」

 ま、今はいっか。公家でも武家貴族でも、由緒ある家には変わらない。そんな家の人間が、旅人と言えど一仕事した人間に、パッパラパーな飯を出す筈がない。旅人を見縊り働きに不相応な対価を与えたと、噂になっちゃあ家名にも傷がつくというもんだ。こういう連中は、どんな辺境地にいたって、自分が武家貴族の血をひいていると言うことを誇りに思ってるもんさ。

と言う訳で、料理は俺が想像した通りの豪華なものばかりだ! まあ、こんな辺境を任されてんだ。たかが知れてるとしても、これが精一杯なのが分かる。

「こん辺りは、昔さかい武者崩れが道場破りと決闘と称どした横暴を堪忍しておりましいやな。当家が召し抱えた武士一人ほな、えらいこって……。過労で倒れて、ないないするまでに増えましいやな。そこへあんさん方が野盗も武者崩れも追い払ってくやさった。いや、こら嬉しや」

 と言っても、俺座ってただけなんだけどね。まあ、裏で日向ひゅうがたちが暴れに暴れてたから、今頃あの頭はビビって小便垂らしてるかもな。暴れに暴れた三人と、唯座ってるだけだった俺が同じ量食ってるのを見て、当主がふと、俺を見つめた。

「……あんさん、失礼どすけど、お名前は?」

「俺か? 俺は武蔵むさし

「お生まれはどちらに?」

「生まれ? うーん……武州じゃないのは確かだけど、覚えてねえや。色んな所旅したし」

「…………」

 当主様は暫く黙った。あー、なんか嫌な予感。すっげえ嫌な予感。当主が手を叩くと、下男がすっと現れた。あー、こりゃ予感的中。間違いねえ。うわー、面倒臭え……。

「カリュウを連れて来なさい。こん方と戦ってもらいき、強いほうを召し抱えたい」

 ほーら始まった。貴族様の考えるこった、古今東西大体決まってるのよ。俺が、旅を続けたいと言おうとしたその瞬間。

 街で感じたあの圧が、再び俺を襲った。他の三人の顔色が変わる。やっぱり、俺だけが感じてたわけじゃないんだな。ここの用心棒が妖異よういなのか? 否、俺が分かるのは人間の圧だけだ。それだけの手練れか、妖刀使い……。確かに競り合ってみてえが……。俺が冷や汗を隠そうとしていると、隣にいた出雲いづもがそっと耳打ちをした。

「気を付けて武蔵むさし……。相手の刀は唯の妖刀じゃない……。少しでも掠ったら、死ぬよ……」

「掠るなんて生ぬるい相手じゃねえよ……。触れたら最後、一気に真っ二つだ」

「お呼びでしょうか、お館様」

 来た! 振り向く事も出来ねえ、凄ぇ圧だ。声からすると、もう還暦間近だな……。さだめし達人の領域を越した超人なんだろう。頼んでもいねえのに、当主が紹介した。

「このお人はうちの用心棒してはります、厳島カリュウ言うもんどす。武蔵むさし殿、是非にいっぺん、剣を交えて頂きたい。こんカリュウは、うちが知る中で最高峰の剣客はんどす」

「…………」

 視線が動いた、な。俺の背中をじっと見つめてやがる……。俺がここで『圧』を返せば、この爺の闘争心に確実に火がつく。前言撤回、競り合いたくねえ。俺みてえなのとは本質的に違う爺だ。なんていうか……圧の質が、改めて浴びて分かったんだが、違うんだ。

 とはいえ、ここで勝負しねえと、当主様は納得しねえだろうなぁ……。面倒臭ぇ。俺はわざと前に崩れ落ちた。

「も、申し訳ねえけど……。俺にはこん人の相手は辛ぇ……。圧だけで寒気が走らあ……」

 視線が外れない。俺が実力を隠していると思ってんのか? でも冗談抜きで、この爺とはやりあいたくねえ。本能がそう言っているんだよ、こいつと戦っちゃいけねえって。

 でも当主は分かってないようだった。俺が謙遜していると言って聞かない。…………しゃあねえな。なら奥の手を使うまでよ。俺は初めて、振り向いて爺を見た。すげえ圧だ。

「……?」

「…………?」

 なんだ? 爺の雰囲気が変わった……? いや、圧の質は変わってねえんだ。一瞬、爺の表情が変わった。いや、表情は変わってねえな……。眼か? それとも心構えか? 何かが変わった。でもだからって、当主はここで俺達が睨み合うのを望んでるわけだし、やるっきゃねえ。俺は情けない悲鳴をあげて、膳を飛び越え日向ひゅうがの後ろに隠れた。

「ひえええっ! なんだこの爺さん! 怖ええええ! 無理無理無理、死ぬ! 絶対ぇ死ぬ! 当主様よう、アンタも若ぇ頃があんなら分かるだろ? 俺はもっといろんな楽しいことがしてえんだ! こんな所でバッサリ斬られちゃそれも出来やしねえ! 俺はここでの悠々自適な暮らしなんか望んでねえんだ! 頼むから堪忍してくれ!」

 当主様はともかく、爺は誤魔化しきれたか分からねえが、取りあえず決闘は避けられた。


 さて、おあしも貰ったことだし、祭りもねえ城州と、あの得体の知れない爺からはさっさと離れるとしようか。俺達はいつもの通り、森の中を進んでいた。通行手形? ふざけんな、んなもん一々とってたら、何処にも行けやしねえ。

「でも武蔵むさし、なんであの決闘、受けなかったの? 旅は続けられるにしても、ご褒美貰えたかもしれないのに」

「あん? だってよ、あの爺、半端ねぇ圧放ってんだもんよ。まともに戦りあう――」

 その時、全員が歩みを止めた。来やがったか……。

武蔵むさし……」

「大丈夫だ出雲いづも、服一枚斬らせねえよ。……お前ら、先に行ってろ、気が散る。武士の真剣勝負だ。――爺さん! 出てこいよ! 話があるなら聞くぜ!」

 圧を弱めないまま、爺が現れる。そしてまた、俺を見て少し雰囲気が変わる。この爺はいつかの耄碌みてえな訳じゃなさそうだな。でもあの屋敷からかなり離れてるこの森の中まで、圧は勿論、枯れ葉一つ破かず追いかけて来たんだ。余程俺に興味があるらしい。

「流石です。その若さで余程の鍛錬を積んでいらっしゃると見える。この厳島カリュウ、身命を賭して、決闘を申し込みたい」

 不安げな三人には目もくれず、俺は肩をすくめた。正直、気が進むか否かっていったら、否だしな。

「爺さん――カリュウさんよ、アンタは一人前どころか達人級の剣客だ。それが俺みたいな若造相手に、しかも、ともすれば関所の人間に誤解を生みかねない場所で、命を懸けるなんて、馬鹿馬鹿しいと思わねえか? そんなことするより、あの当主様をお護りすることの方が、武士の姿勢に適ってると、俺は思うんだがねえ」

「お館様に許可は取りました。……本当を言うと、私は貴方を探していた」

「…………は?」

 思わず四人で顔を合わせた。俺個人? …………まさかな。

「もう会えないと思っておりましたし、何故貴方がここにいるのかも分かりませぬ。しかし――出会ったのならば、私は貴方と是非に、是非に刃を交えたい。……それだけが、今生の心残りであり、私がこの流派を磨いてきた意味なのです」

「…………アンタ、先、長くねえのか」

 カリュウは頷いた。まあ、還暦も過ぎちまったら、誰もがそれを意識し始めるだろうな。況してや武士なんてものは、死に時が分かるってものよ。切り結んだ時なり、出陣の時なり、咄嗟の判断で分かるんだ。ここで俺が死ななくて誰が死ぬんだ、ってな。別に自刃願望とかじゃねえ。ただ生きるか死ぬかの選択肢しかなかった時に、死ぬ方選べば、必然的に恥も無く物事は上手く治まるってことよ。自分の生き死には関係なく、な。

「分かった。俺もアンタみてえな凄まじい圧を放つ奴と戦りあいたくねえと言えば嘘になる。お互いの得物が弾かれたらそれで終わり、それでいいか?」

「いいえ」

 カリュウは首を振った。徐に刀を抜く。錆びてる……。やっぱり妖刀か? 俺達がじっと見ていると、カリュウは目を閉じ、精神修養を始めた。出雲いづも種子島たねがしまが怯えきっている。俺でも分かる。何か、得体の知れないものがあの刀に集まってるんだ。

おん阿毘羅吽欠あびらうんけん蘇婆訶そわか、聞き給え為し給え見届け給え。我はその威に従うもの、我はその威を携えるもの。この身この腕この肉体を贄とし、汝が無念を討ち果たさん。来たれ御魂よ、湧けよ血の泉、上げよ刹那の声を! 鬼を斬り仏を斬り、我等が盟約の内に応えよ!」

 俺が知っている物とは何もかも正反対の言葉だった。刀の錆が見る見るうちに溶けだし、どろどろとヘタクソな武士の刀みてえに血が溢れだしていく。

「どちらかが『喰われる』まで……です」

「…………。成程ね。伝承は正しく伝えなければならない。今ここで雌雄を決するべきか」

「止めや武蔵むさし! あの刀、変じゃ!」

「止めるな日向ひゅうが種子島たねがしま出雲いづももだぞ。……俺はあの勘違い刀に叩きこまなきゃならねえんだ。例え俺が『喰われて』も、絶対復讐しようなんて思うなよ」

「でも!」

「うるせえ! 女子供は黙ってろ! ――来い、雷光丸らいこうまる! 氷点丸ひょうてんまる、『凍刃とうじん』!」

 俺が氷点丸ひょうてんまるを抜くと、真っ直ぐ構えたカリュウが言った。

「その刀は――。では、貴方が我が師を討ち取ったのですね」

「その唯ならねえ刀、妖異よういから貰ったって訳か。こちとらカミさん直々のお出ましだ。簡単に勝てると思うなよ」

「承知。では、参る!」

 とても地面に脚がついてるとは思えねえような音もない摺り足で近づいてくる。雷光丸らいこうまるでカリュウの太刀を受け流そうと触れた時、突然雷光丸らいこうまるが弾け飛んだ。何だ? 今の! 驚いている暇もなく二太刀目が来る。身体を仰向けに反らし、そのまま手を付いて後ろへ飛びのく。一体今のは何だ? だが考える暇もなくカリュウは迫り、斬り上げる。刀を見定めようと氷点丸ひょうてんまるを握ると、何故か氷点丸ひょうてんまるは弾け飛ばず、重たい太刀筋を受け止めた。両手で刀を持ち、ぐっと踏み込んでカリュウを押し戻す。爺とは思えないくらいに足腰がしっかりしてらあ。こりゃ、本当にどっちが勝つか分からねえぞ。死ぬかもしれねえ――この武蔵むさし様が!

 滾るぜ! こいつになら殺されても良い!

「はあああああああ――ァッ!」

 気合を込めると、氷点丸ひょうてんまるが凍り付き、カリュウの刀を喰いにかかった。カリュウはそれに気付いたようだが、刀を離すことはせず、寧ろ凍り付いた刃ごと俺に迫って来た。とんでもない圧。俺が浴びた二度の圧のどれとも違う、恐らく妖刀の圧だ。刀の妖気に当てられちまう。俺は刀を捻り、氷を砕いて一度距離を取ろうとした。だが無駄だった。カリュウが早――。

 否違う! 俺が遅くなってる! まさか、もう体力が尽きたのか? そんな筈はない! なら、多分妖刀の圧の所為だ。あまり近づく事は出来ない。チッ、俺は刀専門なんでね、弓だの槍だのは専門じゃねえんだが―――この際仕方がない。

凍刃とうじん、行け!」

 ビシビシ上下から刀身が伸びる。カリュウはそれをじっと見据えている。俺自身、これが上手く行くか分からねえ。それだけに時間をかけて分析されるのは面倒だ。まだまだ伸びる刀身の長さは、俺の気合一つじゃ調整できそうにない。どんどん成長し続け、俺の手も食いにかかっている。左手の感覚はもう無い。雷光丸らいこうまるが通じない以上、左手にくっついた氷点丸ひょうてんまるで戦うしかない。真ん中で刀身を折り、即興のもう一本の氷点丸ひょうてんまるを作る。折った方は伸びない、唯の氷。だが無いよりはマシだ。何より、今でも氷点丸ひょうてんまるは伸び続けている。

「ミヤモト流奥義、見事なり!」

「ありがとよ!」

 踏み出す速さは一呼吸カリュウの方が早い。『先の先』を読んでもまだ追いつけない程だが、斬られる程じゃない。『起こり』を無くせば、カリュウは呼吸を乱される。これが通じるなら、俺にも手はある! 懐に入り込み、柄を握りしめて刀身を一気に伸ばし、その腕の下から右手の短刀を滑り込ませる。着物は斬れたが、腹は滑っただけだ。本物の刀だったら斬れただろうが。

「いやあああああああっ!」

 カリュウの掛け声に、妖刀の圧がまるで火薬を叩いたかのように噴き出す。グラグラと頭が揺れ、思わず手を付いた。止まれば死を意味する。とにかくその爆炎から離れようと、二転三転とその場を転がると、大樹に背中を取られた。カリュウが突っ込んでくる。避ける暇はない!

 ドンッ!

「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」

「…………見事であった」

 倒れたのは二人同時だった。俺の胸には、浅くだが、妖刀の切っ先が食い込んだ。カリュウの腹は完全に破け、俺の凍り付いた腕ごと貫いていた。やべえ、出雲いづもが言ってた事、守れなかった。この刀、人食い刀か……。自分の命が吸い取られていくのが分かる。俺の命を吸い、カリュウが起き上がったが、その体は最早死体の有様だった。口からも鼻からも大量の血が出て、まるで首が斬られたかのように着物は血塗れ、腹からは動く度に、中身がずるりずるりと落ちて来る。俺の耳を取りに来たのだろう、と、俺が顔を背けると、意外やカリュウは、刀を落として、俺の顔を抱え上げた。自分の臓物を腹の中に仕舞い込み、しげしげと俺を見る。その眼は酷く優しい。憐みとか、そんなものではない。ただ優しいだけだ。

「――」

 何か言おうとして、カリュウは口から舌を吐き出し、俺の頭を抱えたまま倒れた。重たい指で首筋に触れると、死んでいた。討ち果たした武士の耳も殺がず、カリュウは一体何を言おうとしたのか。でもその顔に悔いはないようだった。

俺も正直、悔いはねえ。未練はあるが、最期の相手がこれだけの使い手なら、悪かねえ…………。

 はあ、身体が重いな……。地面に沈んでくような感覚だ。死ってな、こんなに朦朧としたものなんだな…………。


 俺がはたと気が付くと、どうやらそこはあの世のどこかのようだった。森の中だからどこが境界かは分かんねえんだけど。あ、そっか。六文持ってねえから、川、渡らせてもらえねえのか……。やれやれ、また歩かなきゃならねえのかね。全く、難儀なものだな。

「…………?」

 なんだ? カチャカチャと俺が歩く度に何か音がする。俺の刀の音じゃねえな……。どこかの戦で死んだ兵士達でも近くを通ってるのかね。そんな音だ。

「…………」

 その音はどんどん激しくなる。同時に、何故か俺の身体は重く鈍っていく。まさか、こんなあの世とこの世の狭間で、またあの死闘をやれとか言うんじゃねえだろうな。

「…………ぐっ!」

 岸辺が見えた頃、立って入れられなくなり、膝をついて四つん這いになった。岸辺の遥か向こうに、見覚えのある五つ衣の色合い。それから――あそこにいるのは、誰だ?

「…………カリュウ?」

 俺が無様に這いつくばっていると言うのに、カリュウは岸辺の船に乗り込んでいた。あいつは普通にあの世に行けるんだな……。そう思って、何故か俺は少し安心した。が、それも直ぐに吹き飛ぶ。カリュウの身体に何か刺さってる。違う、カリュウの身体が、何かに喰われてる! あの光――間違いねえ、カリュウが使っていた妖刀だ! あの妖刀が、カリュウの身体の中心から蝕んでるんだ。

 ――どちらかが『喰われる』まで……です。

 まさか、『喰われる』ってのはこの事か? 敗けたのは俺の方なのに、何でカリュウが喰われてる? そんな道理に合わねえことがあってたまるかよ!

「カリュウ!」

 呼んでもカリュウは振り向かない。どうっと船の中に倒れると、船頭が船を漕ぎだした。身体を引きずり、水に口が浸かりながらも、船を止め、その上に這い上がる。船頭は何も言わずに見ている。カリュウは――苦しそうだ。今際にカリュウがしたように、カリュウの頭を抱き起こし、頬を叩く。

「おい、おいカリュウ! しっかりしろ! 浄土行く前に身体が無くなっちまうだろ!」

「…………。むさし、どの」

 カリュウが薄らと目を開いた。その表情は優しく、震える指先で、俺の頬を撫で、一筋、涙を流した。どうやらこいつは、本当に『俺』を探していたらしい。やっと会えた、そう表情が語っていた。

「あなたに……よくにた、ぶしを、しってい、ます…………。あのかたに………。わたしが………かてぬまま……いってしまった…………。おゆるしください…………わたしの………わが、ままに……まだ、わかい、あ、な、た、を…………」

「何言ってんだよ! 武士はいつかは死ぬものだ! 刀で死ねるなら本望だ! アンタの会いたかったっていう武士も、そう言うさ!」

 カリュウはそれを聞くと、少し眼を開いた――ような気がした。そんな事より刀だ! この刀をどうにかしねえと――。

 バシィン!

 刀を引き抜こうと右手が柄に触れた途端、右腕が吹き飛ばされた。千切れた所から、血じゃない何か別のものが、ドロドロと流れ出す。何だ、一体何なんだよ! こんな所でも俺は、こんなに志を高く持って死に際を見極めた立派な武士に、無様な死を迎えさせなきゃならねえのかよ!

「助けまほきや?」

 その時、船頭の首が吹き飛ばされ、船が大きく揺れて、ぐるっと回って放り出された。意思を失くしたカリュウの身体を左手で何とか支え、川の上へ浮き上がる。船は巨大な蛟に巻き込まれ壊されてしまった。利き手が無くなった状態で、こんな蛟を相手にしたくねえ。しかし、蛟は俺達に襲い掛からなかった。

「助けまほきや?」

 蛟の頭の方を見ると、影を寄せ集めたかのような禍々しい身体に、釜の中のように燃える眼を持った子供が――あれは!

「六番目――童子!」

「助けまほきや?」

「てめーの相手なんかしてる暇ねえんだよ!」

「答えよ。今生に未練があるや?」

 ん? なんか以前会った時とは様子が違うな……。俺の頼み、聞いてくれんのか?

「あ……ああ、そうだ! この男は本物の武士だ。安らかに逝かなきゃならねえ!」

「なればその腕を伸ばせ」

 俺は咄嗟に、無い筈の右腕を伸ばした。その時気づいた。着物は無いが、俺の右腕がいつの間にか、六番目童子ろくばんめどうじの腕を掴んでいる。

「我は導かん、汝のいるべき世へ。さて送らん、この男の業を燃やし尽くし、蓮華蔵の世へ」

「助けてくれんのか? こいつを!」

「汝は足掻くがよし。魑魅魍魎の跋扈する鬼と蛇の棲む世にて足掻くがよし。させばこの男は蓮華の海を渡り、須弥山しゅみせんを登り、忉利天とうりてんを通り、二十五層へ至らん」

「…………上等! こいつの為なら何度でも!」

 どうしてこの男にそこまで肩入れしたのか、自分でも分からない。だが、六番目童子ろくばんめどうじがカリュウに触れると、カリュウを喰っていた刀は消失し、身体の傷は塞がった。眠っている。安らかに。

「手を離すな。つきて来」

 俺の手から、カリュウの身体が蓮華に包まれて昇って行く。素人でも分かる。善い所に行くんだ。六番目童子ろくばんめどうじは、その影のような世界とは裏腹の真白な光の中を歩き、俺を導く。


「…………武蔵むさし、お帰りや」

 六番目童子ろくばんめどうじの手は、いつの間にか日向ひゅうがの手になっていた。

「…………嗚呼、ただいま」

 起き上がると、俺の隣には、あの世で見た時と同じように安らかな顔をして眠っているカリュウがいた。違うことと言えば、その手に握られていたらしい刀が粉々に砕けていることくらいだ。

「墓、作ってやらねえとな……。こいつは、日本一に達した究極の武士の理想の一人だ」

 種子島たねがしま出雲いづもも頷き、四人で穴を掘り、カリュウを埋めた。卒塔婆代わりに太い枝を折ってきて気付いた。

 俺は、『カリュウ』がどういう字か、知らなかった。でも何となく、『厳島』と書くのは嫌で、俺は『宮下みやもと流師範相当武士』と掘った。

 安らかに眠れよ、カリュウ。

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