第二十一話 《血濡れの金貨》(side:フィリア)

 都市ポロロックの裏側……暗黒区。

 その奥地に犯罪組織血濡れの金貨の拠点である建造物がある。


 《血濡れの金貨》の主な仕事は、大商人の命令に従っての後ろ暗い仕事である。

 脅迫、誘拐、暗殺、妨害、何でもありだ。


 頭目のマーダスは、元々はS級冒険者候補とされていたA級冒険者であった。

 冒険者時代から権力者達の仕事を受けて暗殺などを行っていたのだが、そのことが明るみに出て表舞台を追われ、今に至る。

 金の長髪を持つ大男であり、巨大な剣を派手に振り回して武器に戦う。

 その苛烈な戦い振りから《笑う断頭台マーダス》の異名を持っている。


 ……そしてそんな《血濡れの金貨》は、既に壊滅状態に追い込まれていた。

 壁や床は、何か巨大な怪物に引き裂かれたような大きな爪痕が走っており、構成員達が血塗れであちらこちらに転がっている。


 彼らの頭目であるマーダスも、その場に呆然と膝を突いていた。


「何が、何が起きたというのだ……? 何故……? 《血濡れの金貨》が……このマーダスが、たった一人の、こんなガキに敗れたというのか……?」


 《血濡れの金貨》の拠点まで連れて来られたフィリアは、そこで周囲の言動から自分が騙されて連れて来られたのだと気が付き、この場から強引に出て行こうとしたのだ。

 それを止めようとした《血濡れの金貨》の兵達が集まって来たのだが、レベル三千近いフィリアに敵うわけもなく、ついには頭目であるマーダスが出張って来る事態へと陥った。


 マーダスが無様に倒れている部下を一瞥してからフィリアの前へと出てきたところ、彼女が巨大な竜の腕を造り出して周囲をひと薙ぎし、現在へと至る。


 フィリアを誘拐した男女は、崩れた拠点の隅っこで、抱き合ってガタガタ震えている。

 自分達が一体何に手を出してしまったのか、本人達も理解できない状態でいた。


「……おじさん達、結局カナタのこと、知らないんだよね? じゃあ、もうフィリア、行くね」


 フィリアはマーダスへとそう言い、彼に背を向ける。


 マーダスは歯を喰いしばり、強く自身の大剣の柄を握り締める。


 確かに目前の童女は、怪しげな魔法を用いてあっという間に《血濡れの金貨》を壊滅へと追い込んでみせた。

 だが、今の彼女は明らかに隙だらけである。


「余裕振りやがって……!」


 マーダスが地面を蹴り、大剣を構えながらフィリアへと飛び掛かる。


 ウォンツからの依頼は誘拐だったが、殺す気の一撃であった。

 小柄な童女とはいえど、手加減のできる相手ではないことは明らかだった。


 童女相手に組織を壊滅させられ、生きてその場を去られたとなれば、《血濡れの金貨》は完全にお終いである。

 同業者からは舐められ、部下達も去り、後ろ盾であったグリード商会の重鎮達からも切られることになる。


 そして何より、マーダスの頭目としてのプライドが、この場からフィリアが生きて立ち去ることを良しとしなかった。


「この俺様が断頭台と呼ばれる所以、その身体でしかと味わうがいい!」


 マーダスは隙だらけのフィリアの首を背後から斬った……そのはずだった。

 だが、いつの間にかフィリアは振り返り、素手で大きな刃の先端を摘まんでいた。


「な、何故……? 有り得ぬ……いくらなんでも、こんなことは……」


 人間に攻撃した……といった感覚ではまるでなかった。

 たとえるならば、巨大なアダマンタイトの塊か、或いは巨大なドラゴンにでも斬り掛かったような、そんな手応えであった。


 童女が何かしら不可思議な力を得た存在であることは、斬り掛かる前のマーダスにも理解できていた。

 だが、今、ようやく、自分が斬りかかった相手が、何かとんでもない、計り知れない化け物なのだという、今更過ぎる事態に気が付いた。


 フィリアは掴んだ刃を後方へとぶん投げた。

 マーダスの手許から容易く抜き取られた大剣は、遠くの壁へと一直線に飛来して行き、大きな音を立てて壁の一面を綺麗に崩壊させた。

 マーダスは顔の筋肉を硬直させ、崩れていく壁を無言で見つめていた。


「まだフィリアに用があるの、おじさん?」


 崩れた壁から日の光が差し込む。

 フィリアの背を照らしていた。

 先程見せた圧倒的な力と、陽光を背にした彼女の神々しさが合わさり、マーダスの目には、彼女が恐ろしく強大な存在に映っていた。


「あ、ありません……ご失礼を……」


 マーダスは先程の言葉と勢いはどこへやら、か細い声でそう口にし、へたりと地面に崩れ落ちた。


「俺様は……い、いや、俺は、し、知らなかったのです、こんな……! か、神よ……! お許しください……!」


 マーダスがぺたりと、地面に頭を付ける。


「神……?」


 フィリアが目を細めて、マーダスを見下す。


「そ、そうです! 俺はこれほどまでに力を持った存在を、初めて目にしました! 俺は生まれて今より、愚かな無信心ものでしたが、今、神の存在を理解いたしました……! これまでの罪は全て、悔い改めますので……! どうか、お許しを……!」


 次の瞬間、マーダスのすぐ横に、巨大なドラゴンの腕のようなものが叩きつけられた。

 床に大きな爪痕が走り、その亀裂が周囲一帯へ広がっていく。

 ほんの少しズレていれば、マーダスは間違いなくその瞬間に命を落としていた。


「ひぃいいいいいいんっ!」


 マーダスは甲高い悲鳴を上げ、身体を丸めてその場に縮こまる。


「フィリア……そう呼ばれていた頃の記憶はあまり覚えていないけどね、あんまり好きじゃないの」


 フィリアはマーダスへ冷たい声でそう言い放つと、歩いてその場を去っていった。

 誰も彼女の歩みを妨げる者はいなかった。

 その間、マーダスはずっと頭を上げず、身体を丸めていた。



 ――同時刻、《血濡れの金貨》の拠点へと向かう、二人の人影があった。

 先頭に立つ男は、黒の燕尾服に黒帽子と、この裏路地では珍しい気品のある格好をしていた。


 この都市ポロロックの支配者、グリードである。


「闇組織への連絡など、私共に任せてくださればよろしかったのに。グリード様が出てくることはありませんよ。それに、変装もなさった方がよろしかったのでは?」


 グリードの部下であるガインが、彼へと声を掛ける。


「ガイン君よ、吾輩は吾輩の庭を歩いているだけだ。顔を伏せる必要がどこにある?」


「かなりの数の王国騎士が入り込んできているようです。監査だけではなく、直接グリード様を捕らえるつもりでしょう。下手に外で鉢合わせでもすれば、計画に支障が出かねないかと……」


「フフ、王国騎士など、端から吾輩は恐れてはいない。雑兵の数などパフォーマンスにしかならんものだ。厄介なのは危険な個である」


「と……仰ると?」


「例の魔導細工師の小娘……ウォンツ君に発破を掛けて少し遊ぼうか程度に考えていたのだが、妙な噂を耳に挟んだものでな。まさかとは思うが、一応確認しておきたいのだ。ウォンツ君が《血濡れの金貨》を飛び道具に使うつもりのようだったから、計画の前に直接彼らから話を窺っておきた……」


 グリードがその場で突然足を止めた。

 何があったのかと、ガインが彼の視線を追うと……その先に、薄い桃色と黄緑、二色の髪を持つ童女が歩いていた。


「あの風貌……魔導細工師の知人が連れていたという、子供の外見と一致しますね。何故こんな暗黒区に単独で……」


 ガインの言葉を無視し、グリードは変わった風貌の童女……フィリアへとゆっくりと駆け寄っていく。


「そこの可愛いお嬢ちゃん……こんなところで、どうしたのかな? ん? ここは、お嬢ちゃんみたいな子が一人で歩くには、危ないところだよ」


 グリードは目を細めて大きな口の両端を吊り上げ、その丸い顔の満面に不気味な笑みを浮かべると、甘ったるい猫撫で声でそう口にした。

 

「グ、グリード様……?」


 ガインは困惑の声を上げた。

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