第十八話 《戯曲作家イザベラ》(side:ウォンツ)

 《妖精の羽音》にてロズモンドから追い返されたウォンツは、都市ポロロックの重鎮の一人、女商人イザベラの許へと訪れていた。

 イザベラは世の動きを読み切り、自身の筋書き通りに市場を操ることから《戯曲作家》と称されている。


「あらあら、ウォンツ。面白いことをしていたのは知っていたけれど、ワタクシのところに正面からやってくるだなんて、相当お困りなのねぇ」


 イザベラが口許を右の手で隠し、クスクスと笑う。


 グリード商会の長であるグリードは、領主としての役割や、暗黒区の犯罪組織を裏側から支配することに専念している。

 そのためここ数年は、グリード商会を実質的に牛耳っているのはイザベラだといわれることもある。


 ウォンツからしてみれば半歩先を行って利益を掻っ攫うイザベラの存在は不愉快な目の上の瘤であったが、今は緊急事態である。

 《妖精の羽音》の躍進を放置していれば、店主であるメルを潰しに掛かっていた自身の立場が悪くなる。

 そればかりか、この件で都市ポロロックの主であるグリードの不興を買い始めていた。

 イザベラに貸しを作ってでも、確実に《妖精の羽音》とメルを潰す必要があった。


 ウォンツは疲れ切った様子を隠そうともせず、溜め息を吐いた。


「返す言葉もない。君のことだ、もう概ね事態は掴んでいるのだろう? このまま《妖精の羽音》が大きくなれば、グリード商会とメルの結んだ契約の歪さが、都市の住人全員の目に、わかりやすく明らかになってしまう。メルはグリード商会に恨みも持っていることだろうし、いつの間にかとんでもないバックが付いていたせいで下手に手出しもできない。今後本格的に攻撃してくるとなれば、相当厄介なことになる。グリード様も、手綱の取れない部外者がグリード商会で幅を利かせることを良く思っていない」


「それでワタクシに泣きついて来たのね、フフ。でもこの件……ワタクシがわざわざ手札を切って、メルって娘を苛める得があるのかしら? ワタクシ、貴方のことも甘く見てはいなくってよ? 彼女を攻撃させて、ワタクシの隙を突く策を既に練っているのではなくって?」


「この期に及んで、そんなことをするものか! 人間不信の女狐め!」


「ウォンツ、元々貴方の不始末でしょう?」


 イザベラがそう口にして、意味深に艶やかな笑みを浮かべる。

 ウォンツは苛立ったように唇を噛んだ。


「私にどうしろというのだ? ここで腹を探り合っているような余裕はない。グリード様が、この件に注目しているのだ!」


「わかっているわよ。知恵は貸してあげるし、ワタクシも動くわよ。ただし、ウォンツ、貴方の手札は共有してもらうわよ。店だけじゃなくて、別名義で抱えている利権や、圧力で動かせる範囲、飼ってる犯罪組織も教えてもらう。そうすれば最小限の動きでその子の店は潰せるし、しばらくは貴方がワタクシの隙を突いて噛みついてくることもできないでしょうからね」


「なっ……!」


 手札を全て透かされてしまえば、今後ウォンツのイザベラへの下剋上はまず果たせない。

 今後の競争でも後れを取り続けることになるだろう。

 下手を打てば、数年の内に自身がイザベラの傘下に組み込まれてもおかしくはない。


「嫌ならいいのよ、ウォンツ。メルって娘については、元々貴方の責任でしょう? 貴方が不意を突いてくるリスクを潰すために、これ以外の条件は呑まない。もし言葉に嘘がありそうだと判断すれば、ワタクシは絶対に貴方に手を貸さない。貴方のヘマの尻拭いをしてあげるのだから、むしろ優しいくらいだと思うけれど?」


「わかった……その条件を呑む」


 ウォンツが力なくそう口にする。


 ここ数日の内に、ただの多少腕に覚えのある田舎商人程度だったはずのメルが、急速に力を付けてきている。

 異界の文明を知る異世界転移者のカナタに、魔法都市マナラークのA級冒険者ロズモンド。


 特にロズモンドにはウォンツの護衛であるジュドが手も足も出なかったのだ。

 暗黒区のゴロツキが闇討ちしてどうにかなる相手ではない。


 そしてメル自身も、明らかにメキメキと魔導細工師としての腕を伸ばしている。

 スランプを抜けたとか、成長したとか、そんな次元ではない。

 ウォンツからしてみれば、本当にもう勘弁してくれと言いたくなる事態のオンパレードであった。


 挙げ句、彼らはマナラークの大物である《魔銀ミスリルの杖》の長ガネットとも繋がりがあるらしい、という噂があった。

 最悪の場合、他都市の重鎮が商業都市ポロロックの形態を問題視する切っ掛けになりかねない。


 こんな凶悪なコネの塊だと知っていれば、ウォンツも絶対に手を出さなかった。

 このままメルの快進撃を許せば、この切っ掛けを作った戦犯として、自分がグリードから命を狙われる立場になりかねない。

 そうなれば出世争いどころではない。


「……君の提示した条件は全て呑もう。だが、だが、その代わり……確実に《妖精の羽音》を潰してくれよ?」


「わかっているわよ。《戯曲作家》と呼ばれるワタクシの手腕……貴方が一番よく知っているでしょう、ウォンツ? ワタクシは常に、二手先を読んで動く。敵としてワタクシの手腕をあれだけ警戒していたのだから、同じだけ信頼もして欲しいものね」


 イザベラはそう言って、妖艶に微笑む。


「ふっ、高い買い物になったが、それだけの価値はあったと信じているよ、イザベラ。ようやくこれで胸のつっかえも取れて、安心して眠れるというものだよ」





「――ということがあったのよ、メルちゃん」


「は、はぁ……」


 突然妖精の羽音に押しかけて来た女商人イザベラの言葉に、メルはパチパチと瞬きを繰り返していたようだ。

 状況が呑み込めていないのだろう。

 それは俺も同じ気持ちだった。


 イザベラはどうやらこの都市で高名な女商人らしく、彼女のことはメルも知っているようであった。

 急に護衛を連れて来訪してきて半ば強引に店の奥に入り込んできたと思えば、ウォンツからメルを潰して欲しいと頼み込まれたという話を、聞いてもいないのに一方的に暴露して来てくれたのだ。

 それはありがたいのだが、狙いが全くわからない。


「それで……イザベラさん、ですよね。なんでそれを正直に教えてくれたんですか? 降伏しろってことですか?」


 メルが呆気に取られたまま言葉を発せないでいる様子だったので、俺から切り出すことにした。


「なんでって……本気でわからないのかしら?」


 イザベラは呆れている、というより驚いた様子でそう答える。


「すみません、こういうことには疎くて……遠回りに言われても……」


「だから、ワタクシは勝ち馬に乗ることにしたのよ。センスも技術も異界の知識も持ってて、店の勢いもあって、他都市とのコネまである商人、躍起になって潰す意味ないもの。出資したら確実に勝てるじゃない」


 イザベラはあっさりとそう口にする。

 ほ、本気なのか、この人……?

 いや、罠……ということも考えられる。


「契約で縛って、潰す気なんじゃ……」


「それでワタクシに何か得ある? 借金漬けにして潰すより、どう考えても好条件で協力関係築いて精力的に活動してもらった方が得だけど? 別にワタクシ、貴方達から恨み買った覚えもないから台頭されたって不都合じゃないし、ウォンツはわざと混合してワタクシに話してたけど、グリード様が怒っていらっしゃるのもウォンツが田舎娘に対して敗北したことだから、ワタクシは別に何も悪くないし」


「な、なるほど」


 イザベラの言葉に嘘があるとは、とても思えなかった。

 明け透けに全てを話し過ぎている。

 そもそも彼女は、ここを駆け引きの場だと考えていないのだ。

 出資と協力契約を成立させることを第一として動いている。

 下手な小細工をして、疑いを招いて台無しになった方が遥かに損だと、本気でそう考えているのだろう。


「じゃ、じゃあ、なんであのゲロ……じゃなくて、ウォンツさんに協力するって言ったんですか!」


 メルがイザベラへと問う。

 イザベラは大きく頷く。


「ウォンツの手札は把握できているから、ワタクシに頼ってくれさえすれば、向こうの動きは封殺できるわよ。犯罪組織への対抗策は時間が掛かるから、店をしっかり守って、メルちゃんはなるべく出歩かない、くらいしか手が打てないけれど」


 こ、心強すぎる……。

 ……確かに嘘は吐いていなさそうだが、この人を本当に頼っていいのだろうか?

 市場を綺麗に操ることから《戯曲作家》の異名を持つとは聞いていたが、その理由が分かった気がする。

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