第十七話 羽音への来店(side:ウォンツ)

 魔導雑貨店妖精の羽音に訪れる、二人の男の姿があった。


「やー……すいません、お客さんですね。ただ、もう店は、今閉めるところでして。また明日に……」


 店主のメルは店先に出て断りを入れようとして、彼らの顔を見上げて口を噤んだ。


「ウォ……ウォンツさん」


「数日振りだね、メルちゃん。お店の方は賑わっているようで何よりだよ」


 店に現れたのは、ウォンツと、彼の護衛である大男ジュドの二人組であった。


 ウォンツの物腰は未だに柔らかいが、彼は以前顔を合わせた際に、メルに対して既に害意を露にしていた。

 メルは下唇を噛み、ウォンツの顔を見上げる。


「そう睨まないでください。以前は少々、感情的になりすぎました。貴女方を侮っていましたが、まさかここまで成功するなんて思ってもいませんでした。挑発的な言葉を吐きましたが、撤回させていただきます。今回の勝負は、貴女の勝ちですよ」


 ウォンツは疲れたように息を吐いた。


 ウォンツとしては、グリードからの命令もあり、一刻も早く《妖精の羽音》を潰す必要があった。


 ただ、権利関係で難癖を付けて潰そうにも、既に『《妖精の羽音》が異世界転移者を引き入れて斬新なアイテムを造っている』ということは有名になりすぎている。

 都市中の注目も集まっている中でそんなことをすれば、自分達の方が非難の的にされかねない。

 そもそも金銭的な余裕も将来的な利益の見込みも《妖精の羽音》には充分にあるため、以前のように商会に訴え出るぞと脅しを掛けても、反撃に遭うのは目に見えている。

 一度使った手であるため、メルの権利関連の書類もほとんど隙のないものばかりになってしまっており、ここから崩すのは無理があった。


 現状、ウォンツが《妖精の羽音》に手を出せる手段はかなり限られてくる。

 時間を掛けて潰す策はいくつかあるが、それではグリードが納得するかはわからない。

 そもそも今の《妖精の羽音》の勢いでは、都市ポロロックの中から支援者や出資者が現れかねない。


 かといって、派手に動きすぎれば、ウォンツ自身の今後の活動に影を落とす結果になりかねない。


「ウ、ウチの勝ちって……。もう、《妖精の羽音》に手出しはしないってことですか?」


「ジュド、あの書類を」


 ウォンツはメルの問いには答えず、自身の護衛へと声を掛ける。

 ジュドは頷き、預かっていたウォンツの荷物から書類を取り出し、彼へと手渡した。

 ウォンツはそれを一目見て確認してから、メルへと見せる。


「それは……?」


「お金は充分に支払います。この都市ポロロックから出ていって……もう二度と、この地には近づかないでいただきたい。このポロロックは、緻密な計算の上に、効率的に経済を回す商業都市として成り立っている。計算外れの不純物が、一商業区画の中心となるようなことがあってはならないのですよ」


 メルは恐る恐ると書類を受け取り、文章を目で追う。


「それって……思い通りにいかなかったから、自分から喧嘩を仕掛けたけどお金でなかったことにしようって、そういう話ですか?」


 メルの声には憤りと苛立ち、そして困惑があった。

 ウォンツの身勝手なやり口には辟易していたが、それ以上に、彼のあまりの諦めのよさへの不気味さもあった。


「そうです。思い通りにいかなかったので、私はゲームの盤をお金でひっくり返すことにしました。これ以上は、貴女も……そして私も、このポロロックの闇に呑まれることになりますよ」


 ウォンツからしてみれば、グリードが首を突っ込んできた時点で、これ以上メルと小競り合いを続ける気にはなれなかった。

 この都市の人間として、絶対にグリードの不興は買えない。

 金で追い出して、グリードには脅しを掛けて追い払ったとでも伝えておけばいい。


 メルは即答できずに、まじまじと書面を見つめていた。

 ウォンツのことである。

 受ける受けない以前に、またここに罠があるのではないかと思ったのだ。

 

 メルの様子を見て、ウォンツは眉間に皺を寄せた。


「状況がわかっていないようですね。これ以上は、遊戯ではなく殺し合いになるぞと言っているんです。この場でそこにサインしないのであれば、私はもう、一切手段を選ばない……!」


 店の扉が開き、中からロズモンドが顔を覗かせた。


「一向に戻らんから何をしておるのかと思えば、また貴様らか」


 ロズモンドはずんずんとメルの許へと歩み、彼女から書類を奪い取ると、躊躇いなくその場で破ってみせた。

 ウォンツの眉が吊り上がる。


「お、お前……状況がわかっていないのか! この私に楯突くということは、グリード様に刃向かうことにも等しいのだぞ!」


「見る前に破ったから知らんわい。第一、今更貴様のような詐欺師の話を聞くわけがあるまい」


「お前のような馬鹿のせいで、全部台無しだ! 額が納得できなかったのであれば、倍でも三倍でも出してやる! だが、見る前に破かれては話にもならない! お互い損をするとなぜわからない!」


「なぜ貴様のような詐欺師の話を真剣に聞かねばならんのだ。我も多少は勉強したが、貴様が本気で騙しに掛かってくれば判断がつかんからな。そもそも貴様を信用する理由が一切ないわ。馬鹿は貴様である」


 ロズモンドはそこまで言ってから、メルの方を見る。


「メルよ、何を吹き込まれたか知らんが考慮する必要はないぞ。こやつはここ数日、部下を使って我らの店に探りを入れていたようであったからな。何かまた、こちらを潰すために一計案じたのであろう」


「わ、私を本気にさせると、ただでは済まないぞ! これだから商いの素人は困る! お互い退くに退けなくなったら、双方が損をして終わりなんだよ!」


「それは前にも聞いたわい。仮に真剣に交渉しようとしていたのならば、それは相手の価値を見誤って、信用を切り売りしてきた貴様の落ち度であろうに」


「ぐ……うぐ……」


 ウォンツは言葉に詰まり、顔を赤くする。


 今回、ウォンツにメルを引っ掛ける意図はなかった。

 小銭稼ぎよりも、とっととこの騒動を傷が浅い内に終わらせてしまいたかったからだ。

 ただ、情報戦で圧倒的に優位に立つウォンツだからこそ、今更双方に利のある提案だと信用させることが不可能になってしまっていた。


「以前といい、無礼な女め……貴様は口を挟むな!」


 ジュドがロズモンドへと掴み掛かる。

 武力行使に出るつもりではなかったが、脅しを掛けてロズモンドを黙らせようとしたのだ。

 強弁のロズモンドがいれば、纏まる話も纏まらなくなる。

 委縮させようと考えたのだ。


 ロズモンドは軽く迫りくる手を躱し、ジュドを当て身で突き飛ばした。


「うぐっ!」


 ジュドはよろけて、背後にいたウォンツを巻き込む形で地面へと倒れた。

 ウォンツはそのまま、ジュドの巨体に押し潰される。


「ごふぅっ! の、退け、ジュド……! 苦しい……!」


「す、すいません、ウォンツ様!」


 慌ててジュドが立ち上がり、ウォンツに肩を貸して起き上がらせる。


「甘く見てくれたな、我はA級冒険者であるぞ。詐欺師の護衛一人でどうにかなると思ったか?」


 ロズモンドがウォンツを鼻で笑う。

 ウォンツはしばしロズモンドを睨んでいたが、深く息を吐いた後、自身の眉間の皺を緩めた。


「提案を呑んでいただけなかったのは残念ですよ。今後、我々は手段を一切選ばない……せいぜい、後悔してください」


 そう言い残すと、ウォンツはジュドに肩を借りて、《妖精の羽音》の前から去った。




 《妖精の羽音》から離れた後、ウォンツとジュドは、今後について話し合っていた。


「ウォンツ様……これからどうしますか? もう、打てる手はあまり多くないと……」


「仕方がない。こうなった以上、宣言通り、全力で……ルール無用で潰すまでだ。借りを作りたくなかったが……イザベラに頼るか」


「イ、イザベラ様に……」


 イザベラはウォンツと同様にグリード商会の重鎮の一人である。

 ウォンツとはライバル関係にあった。

 商業の流れを読み切り、市場を操ることに長けている。

 思い描いた筋書き通りに界隈を動かすその手腕から、《戯曲作家》の二つ名を持つ大商人である。


「彼女に頼るのは私も怖いが、もはや手段は選ばない。それから、暗黒区の犯罪組織……《血濡れの金貨》を動かす」


 グリードが暗黒区と繋がっているように、ウォンツも汚れ仕事を委託するお得意先を持っていた。


「連中を下手に動かすのはまずいのでは? それに今、あの店に何か問題が起きれば、我々の仕業だと疑いの目が向くのでは?」


「何も表立って襲撃させるわけじゃない。《妖精の羽音》の弱点については、私も既にしっかりと調べているさ。断られなかったときのことを考えていなかったわけじゃない」


 ウォンツが邪悪な笑みを浮かべる。


「つまり……?」


「あの女の協力者である、異世界転移者を潰す。フィリアという、幼い少女を連れているようだ。《血濡れの金貨》を動かし、彼女を誘拐して脅迫させる。連中はこの手のことに慣れている、表沙汰にならないように上手くやるさ」


「なるほど、さすがウォンツ様!」


「もっとも、ここまで来た以上……手を引かせるだけではもう済まさないがね。最後までやれば、この私が勝つのは決まっているのに馬鹿な連中め。私を軽んじてくれた罰は、たっぷりと受けてもらおうか。せっかくの私からの救いの提案を蹴ったことを、地獄で後悔してもらおう」


 ウォンツは大きな声で高笑いをした。

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