第四十八話 世界の記録者VS不死者

 ルナエールに対し、敵意を剥き出しにするニルメイン。

 ソピアはニルメインを手で制し、彼女の前に立った。


「ニルメイン、アナタは下がっていなさい」


「し、しかしソピア様……! 妾でも……」


「盾にもならないって言ってるのよ。わからない子ね」


 ソピアは溜め息を吐き、ルナエールを睨み付けた。


「よく私の居場所がわかったわね、ルナエール。それで、この襲撃は何の真似かしら? 私程度なら容易く倒せると思っているのなら、随分と舐められたものね」


「噂通り博識なのですね、ソピア。あなたは随分と多忙なようでしたので、こうするしかなかったのですよ。まさか、商会に面会を頼んではいどうぞとなるわけがありませんし、その間にあなたは別の場所へ向かってしまう。手段を選んでいる場合でもありませんでしたので」


「面白い皮肉ね、ルナエール。でも……確かに私達を相手取るに当たって、アナタの行動は限りなく正解に近いわ」


 ソピアの所属する《神の見えざる手》。

 組織を根幹から支える世界を陰から動かす政治力と、世界の重要な情報を集めて管理する能力は、その大半をソピア個人にほぼ依存している。

 ソピアは自身が生きてさえいれば、別に直接戦闘を仕掛けなくてもその影響力を用いていくらでもカナタを貶めることができる上に、カナタの情報は常に一方的に筒抜けとなる。


 ソピアの監視対象から外れていたルナエールが、ソピアの情報を集めて本人を直接叩きに来るのは、カナタが《神の見えざる手》と戦う上で必要なことであったといえる。


「もっともそれも、アナタが私に勝てるなら、の話だけどね!」


 ソピアはそう言って、自身の目の下を指で押さえた。

 彼女の目が赤く輝く。


 真実の悪魔の心眼、《イデアアイ》。

 彼女の瞳は高位悪魔のそれを移植して白魔法で強引に適合させたものであった。


 その双眸はあらゆる虚構を破り、真実を映す。

 相手の性格や簡単な思考、そしてレベルを見抜くことができるのだ。

 ルナエールが《穢れ封じのローブ》で冥府の穢れを誤魔化していようとも、それさえ看過することができる。


 ぷつんと、何かの切れた音がした。

 ソピアの眼球がぐりんと上を向いて白眼を晒し、浮かんだ血管から血の涙が溢れた。


「う”おえぇぇぇええええっ!」


 ソピアはその場に崩れ落ちて床を這い、嘔吐して自身の衣服を汚した。

 彼女の手にしていた黄金に輝く水晶、《ティアマトの瞳》が投げ出されて床を転がる。


「ソ、ソピア様!? しっかりなさってください、ソピア様! いったい、奴に何をされたのですか!」


 ニルメインが倒れたソピアを抱き起こす。


 ルナエールは何もしていない。

 単にルナエールのレベルが、ソピアの《イデアアイ》の計測可能範囲を大幅に超えていたのである。


 それによって眼球が溶ける程の熱を持ち、同時に圧倒的なレベル所有者を目前にした事実をこれでもかと突き付けられたことによる生命の危機への恐怖を感じ、極めつけには心眼によって看過した濃密な冥府の穢れによって極度のストレスに晒された。

 それらが一瞬の内にして行われたため、鈍器でソピアの精神を殴りつける形になったのだ。


「どうしたのですか?」


 当のルナエールは、不思議そうな目でソピアを見つめている。


「ソ、ソピア様、逃げてください! このままでは殺されます! ルナエールは、妾が足止めしてみせます! その隙に、アイテムで転移を!」


 ニルメインはソピアを床に優しく寝かせると、前へと飛び出した。

 ルナエールはなお不思議そうな顔をしている。


「あの……何の話ですか? 殺されるだとか、相手取るだとか」


「えっ」


 ニルメインはルナエールの意図が全く分からず、眉を顰めた。


「ああ……すいません、ソピア商会に差し向けられた暗殺者か何かだと、そう勘違いされたのですね。そういった用件で来たわけではありません。訪問が強引であったことは謝罪しますが、さっきも言った通り、他にあなたに会う手立てがなかったのです」


 ルナエールはそう言うと、懐から指輪を取り出し、近くの机へとそれを置いた。

 指輪に嵌められた鉱石は虹色の輝きを帯びている。


「これはお詫びの品です。あまり手放したいものではなかったのですが、どうしてもあなたに時間を作っていただきたかったので。私がこれまで見た中でも、最も濃密な魔力の結晶です」


「ア、アナタ……私を殺しにきたんじゃないの?」


 ソピアが眼球を押さえながら立ち上がり、恐る恐るとそう口にした。


「はい、別にあなたとは戦う理由も、恨む理由もありませんので」


「じゃ、じゃあ、どうして私の許に……?」


「捜している相手がいるのです。そのために王国各地を回っていたのですが、全く手掛かりの追えない連中で。方針を切り替えるか、別の国に向かうべきかと考えていた頃に、偶然長い年月を生きる博識なハイエルフの話を聞いて、知識を借りられないものかと思ってこうして訪ねてきたのです」


 ソピアはルナエールの言葉に混乱した。

 どうやらルナエールは偶然王国内で情報収集をしている内に、王国内で暗躍する物知りなハイエルフの存在を知り、こうして知恵を借りるために訪れてきただけなのだという。


 確かにソピアは多忙な身で一ヵ所には留まらない。

 どうしても話をしたければ、こういった形で襲撃でも仕掛けるしかない。

 腑に落ちないが、別にカナタ・カンバラと敵対している自分に向かって乗り込んできたわけではないのだという。


「そ、そうか……ソピア様を狙ったわけではなかったのか……」


 ニルメインが安堵の言葉を零す。


 ソピアも安心していたが、同時に奇妙なものを感じていた。

 こんなタイミングよく、カナタ・カンバラの協力者ではないかと疑っていた人物が、自分に知恵を借りるために姿を現すものだろうか。

 何か偶然では説明のつかないものを感じる。


 だが、ルナエールの様子を見るに、彼女の言葉は嘘だとは思えなかった。

 ひとまずソピアは自身の命が危険に晒されているわけではないらしいと安堵し、自身の衣服を汚している嘔吐物を手で掃った。

 頭を押さえて頭痛に耐えながら、ルナエールの顔へと目を向ける。


「……アナタが商会狙いの暗殺者じゃなくてよかったわ。ところでその……確認しておきたいんだけど、アナタが確認しておきたいことって何なの?」


「ええ、アナタ程の人物ならば知っているはずです。この世界を裏から支配する勢力……《神の見えざる手》について、何か知っていることはありませんか?」


 ソピアの顔から再び色が失せた。


「実は連中がこの王国にも何らかの干渉を行っていると考えて、王家や各地の貴族、名高い商人に力ずく……いえ、穏便に話を通して協力してもらっていたのです。ただ、余程巧妙に存在を隠しているのか、何も手掛かりがなく……。その代わりにあなたのことを知ることができましたので、こうして話を聞かせに来させていただき……どうしましたか? やはり、体調があまりよくない様子ですね」


 ソピアの顔色に気づいたルナエールが声を掛ける。

 ソピアはふらりとその場に倒れそうになり、ニルメインに身体を支えられた。


「し、しっかりなさってください、ソピア様!」


 ロークロア世界の各国の動向の制御や操作は、元々神の見えざる手がというより、ソピアが中心に行っていた。

 調べて組織より先に彼女の存在が真っ先に暴かれるのは、当然といえば当然のことであった。

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