第四十七話 《世界の記録者ソピア》

 王都ロイヤベルクに本部を構える、ソピア商会という名の商会が存在する。


 元々ソピアとは、伝説のハイエルフの吟遊詩人の名である。

 人間には想像も及ばぬほど長い年月を生き、伝承に名を刻むような時代の節々の様々な大事件に関与しているとされている。


 この商会は、その伝説のハイエルフにあやかり、彼女の名前を冠している。

 王国内でも五本の指に入る大規模の商会である。


 ソピア商会の商会長はニルメインという女であった。

 ニルメインは時流や経済の流れを読むことに長けており、彼女は《未来視のニルメイン》の二つ名を有していた。

 ハイエルフの強い血を引くエルフであり、齢百歳近くになるが、童女のような外観を保っている。

 ニルメインは愛らしい外観に反して老獪で厳格、また自尊心が高く不遜な人物であると、彼女を知る者達からは恐れられていた。


 そんなニルメインは、彼女の商会長執務室にて、ある人物と会っていた。

 普段は不遜な態度のニルメインだが、今は床に膝を突いて頭を垂れていた。

 そしてその相手は、ニルメインのものであるはずの椅子へと堂々と座っている。


 長い、水色の髪をした女であった。

 人形のような整った美貌を有しており、体温を感じさせない程に白い肌に、冷たい瞳をしている。

 手には金色に輝く水晶を有していた。


「お久し振りでございます……ソピア様! 貴女様がまたここへ訪れてくださるのを、このニルメイン、深く心よりお待ちしておりました」


 そう、ニルメインが頭を下げている相手は、まさにその伝説のハイエルフ、ソピアに他ならなかった。

 元々ソピア商会とは、この時代における王国内の経済の流れをソピアが制御するために、自身の配下であるニルメインに作らせたものなのだ。

 基本的に運営はニルメインに任せており、裏の顧問としてソピア商会の影に立っていた。

 ニルメインの未来視の正体とはソピアの助言に他ならない。


 ソピアは王国だけに留まらず、他にも世界各地の重要な機関や組織に関与していた。

 《神の見えざる手》の一員として、世界の動きを制御するための活動である。


「ソピア様がこの商会本部を訪れてくださったと言うことは、また何か経済の流れに変革でも? 都市ポロロックのグリード商会が、最近過激な動きを見せていて、少々目に余るという話でしたが」


「実は《神の見えざる手》に、カナタ・カンバラっていう転移者を暗殺しろって命令が出てるのよ」


「《神の見えざる手》が一個人の転移者の暗殺を?」


 ニルメインが眉を顰める。


「ええ、私も驚いたわよ。でも……納得がいったわ。私のこの水晶……《ティアマトの瞳》で観察していたんだけど、暗殺に動いた《空界の支配者》が返り討ちにあったみたいだわ。まさか《五本指》が欠けるなんてね」


 《ティアマトの瞳》とは、ソピアの所有している金の水晶である。

 《叡智竜ティアマト》と称される、別次元に住まうドラゴンの瞳だ。


 この水晶さえあれば、好きなときに好きな座標で起きている様子を確認することができる。

 水晶にはカナタの姿が映り込んでいた。

 丁度カナタが、鎖に縛られた《空界の支配者》と話をしているところであった。


「く、《空界の支配者》が!?」


「ええ、そうよ。カナタ・カンバラはかなりのレベルの持ち主ね。私も正面からじゃ、きっと敵わないわ。私が見たことを《世界王ヴェランタ》に報告して……それから、《第六天魔王ノブナガ》が動くことになるでしょうね。さすがにアイツの妖刀ならカナタ・カンバラを殺せるでしょう」


「そんな大きな事件が起こっていたとは……。しかし、それではもう、事態は収束しそうなのですよね?」


「ただ、気掛かりなことがあるの。どうしてあそこまでカナタ・カンバラのレベルが高くなっているのか、私にさえ見当もつかない。仮に私の情報網にも引っ掛からないような強者が世界のどこかに隠れていて、そいつがカナタ・カンバラを強化したと考えたら、敵は彼だけじゃ済まないかもしれないわね。全く、いつも神託って、曖昧で中途半端なのよ。このロークロアを守るための制約なんでしょうけどね」


「もう一人、敵がいるかもしれない、と。つまりソピア様は、その者に対して保険を打っておきたい……ということですか?」


「ええ、そうよ。私自身も長きに渡って蓄えてきた魔法の知識に、アイテムの数々がある。それなりに戦えるつもりだけど、私の一番の強みは組織力。アナタにも何かあったときに、すぐに動けるように準備しておいてほしいのよ。もしもこれ以上長引くようなら……世界の全てを使って、カナタ・カンバラを追い詰めて謀殺してやるわ」


「承知いたしました、ソピア様。では、何かご指示をいただけましたらすぐに動けるように手配しておきます」


「ありがと、ニルメイン。正直、カナタ・カンバラの背後にいる奴の候補は絞れているのよ。歴史に名を刻むような大物で、ハイエルフかリッチのどちらか、そして行方知らずになった人物。千年前、魔王モラクスと相打ちになった天才死霊魔術師がいたの。もしかしたら、彼女がリッチになって、どこかで隠れて生き延びていたんじゃないかって私は睨んでるわ」


 ソピアは小さな唇を歪め、邪悪な笑みを作った。


「フフ、カナタ・カンバラ、せいぜい《第六天魔王ノブナガ》に、楽に殺されることを祈っておくことね。万が一生き延びようものなら、酷く後悔することになるでしょう。だって、私が世界を少し動かせば、この王国で戦争を引き起こすことも、カナタとその背後にいる人間を大罪人に仕立て上げることも容易なのだもの。全てに裏切られ、全てを失って、絶望の中で死んでいくことになるでしょうね」


 ソピアがそこまで口にしたときだった。

 唐突に執務室の壁が爆ぜ、一面が吹き飛んだ。


 土煙が晴れた先には、黒いローブを纏う少女が立っていた。

 彼女の白い髪は、毛先だけ血に濡れた様に真っ赤な色をしていた。

 右の瞳は碧く、左の瞳は真紅の光を帯びている。


「なっ、何者だ! この妾のソピア商会本部へ、襲撃を仕掛けるとは! 貴様、ただで済むと思うでないぞ!」


 ニルメインが立ち上がり、白髪の少女――ルナエールへと叫んだ。


 ルナエールはニルメインから目線を移し、ソピアへと向ける。


「手荒な真似をして申し訳ございません。ただ、あなたが王都ロイヤベルクの商会にいると聞いて、どうしても会っておきたかったのです。万の年月を生きるハイエルフ……ソピア」

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