第五十五話 少し振りの再会

「……別に、そうおかしなことですか? 偶然、強い魔物の気配を感知できたので、様子を見に来ただけです。放置していれば、国一つが簡単に滅んでしまってもおかしくはないですからね。元々、時折こうしたことは行っていました。まさか、同時にカナタがここを訪れているとは、思いもよりませんでした」


 ルナエールは淡々とそう口にした。


「い、いえ、でも、以前は全く《地獄の穴コキュートス》から出ていないと……」


 俺と出会ったばかりの頃のルナエールは、人間との接触に対してかなり複雑な感情を抱いている様子だった。

 外に出るようなことは、全くしていないと口にしていたと思うのだが……。


「一部の例外を除いて、です。そこまで厳密に説明する意味はないでしょう」


「でも……」


「ここで会ったのは確かに偶然ではないのかもしれません。未知の魔王の巣に単独で踏み込めるような人間は、あの都市の周辺には私とカナタくらいしかいなかったでしょうからね。しかし、そうだとして、カナタは何をそこまで気にしているのですか?」


 ルナエールはきっぱりと言い切った。


「……そ、そうですか、ですよね。いえ、すいません」


 確かに、言われてみればそんなものかもしれない。

 ルナエールが人間に対して複雑な感情を抱いていたのは間違いない。

 しかし、それでもルナエールは、出会った当初から、縁も何もない俺の身を案じて、高価なアイテムをいくつもくれたり、付きっ切りで修業を行ったりしてくれていたのだ。

 傷つくのを承知でひっそりと魔王の脅威から世界を守っていたとしても、何らおかしくはない。


 俺が一方的に、もしやルナエールが俺の様子を見に《地獄の穴コキュートス》を出て会いに来てくれたのではなかろうかと思い上がって、それを前提にあれこれと考えてしまっていただけなのだ。

 考えてみれば当然のことなのだが、勝手に盛り上がって、勝手に落ち込んでしまった。


「別に、その……わ、私は、カナタに会いたくなかったといえば嘘になりますし……多少は、そういう考えもあったかもしれません」


 ルナエールは俺の様子を見て、毛先の赤い部分を指で弄り、少し顔を逸らしながらそう口にした。


「本当ですか! 嬉しいです! 俺……もう、何年もルナエールさんに会えないんじゃないかと考えていまして……!」


「そ、そうですか、カナタは、私に会えてそんなに嬉しいのですか」


 ルナエールはやや俯いて少し声量を落とし、俺の言葉を噛みしめ、再確認するようにそう言った。

 ちょっと顔が赤くなっている。

 俯いた顔を軽く覗き込もうとすると、ルナエールはさっと顔を逸らした。


「ルナエールさん?」


「それにしても……唐突に、随分と規模の大きな魔王が現れたものです」


 ルナエールは俺から顔を逸らしたまま、彼女の背後の、蜘蛛の魔王マザーの残骸へと目を向けた。

 マザーの肉体はほとんど崩れており、溶けた肉片や体液、骨ばかりが残っていた。

 変色した肉塊の中に、下腹部に埋め込まれていた、大きな翡翠の水晶だけが残っている。


「こんな大きな魔物の巣は、私もほとんど見たことがありません。これまで全く感知されていなかったとなると、短期間に急成長したことになりますが……」


「やっぱり、かなり規模が大きい方なんですか?」


「ええ、レベルは確認しましたか?」


「レベル999でしたね。配下の数は多かったですが、そちらもレベルはそこまで……」


 ルナエールは俺の言葉を聞いて、オッドアイの双眸を細める。


「……そこまででしたか。魔王が、そこまで強大になるまで放置されていたなんて……。何か、妙なことの予兆でなければよいのですが」


「レベル999って、そんなにまずいんですか……?」


 俺が尋ねると、ルナエールが呆れたように息を吐く。


「カナタは《地獄の穴コキュートス》しか知りませんし、外に出てからまだ日が浅いですから、仕方ありませんね……。ただ、レベル1000となると、一つの大きな国が戦力を全て掻き集めて対処に当たって、それでももしかしたら滅ぶかもしれないクラスの魔王です」


「え……」


 俺の脳裏に、フィリアがマザーに土下座させて威張っている図が浮かび上がった。

 レベル1000で最強格の魔王なら、最大でレベル3000にまでなったフィリアは一体なんなんだ……?


「最低クラスの魔王でレベル300からですからね。それでも小さな国だったり、対応を誤ったりすれば、充分一つの国がなくなるかもしれない大災害になります」


「うん?」


 ……確か、ノーツはレベル400近くだったはずだ。

 あの人、ゾロフィリアなしでも小国一つ相手取れるくらい強かったのか……?


「カナタは、変なところに鈍いですね……。《歪界の呪鏡》もありましたから多少は仕方ないかもしれませんが、そこまで感覚がずれ込んでいたなんて。……でも、その……わ、私は、そういうカナタの少し抜けたところも、可愛気があって嫌いではありませんよ」


 混乱してきた。

 確かに、何となく色々なことがおかしいような、そんな気はしていた。

 価値観がずれ込んでいることを意識させられたことも、一度や二度ではなかった。

 しかし、しかし……だとしたら、どうしても決定的に引っ掛かることがある。


「ルナエールさん」


「どうしましたか、カナタ?」


 ルナエールが、くすっと微笑んだ。


「あの……俺がレベル4000以上まで上げたのって、最低限、外で安全に暮らせるようにだったんですよね……?」


 ルナエールは顔から笑みを消し、目を大きく見開いた。


「レベル1000で、大国一つ落とせるレベルなんですか……? あ、あの、今の俺ってどうなってるんですか?」


「ち、ちち、違います……。え、えっと、そ、その……ち、違うんです、本当に……」


 ルナエールは困ったように目を泳がせ、口をぱくぱくとする。


「ほ、本当です、信じてください。不必要に過剰な修練でカナタを潰して、ずっと《地獄の穴コキュートス》に閉じ込めておこうだなんて、本当にそんなこと、全く考えていませんでしたから」


「落ち着いてくださいルナエールさん! そんな恐ろしいこと、誰も疑っていません! ただ、その……認識のズレがあるかもしれなかったので、正しておきたいなと……」


「た、確かにその……カ、カナタと離れるのが寂しくて、少し目標を高めに設定しすぎたかもしれませんが、え、えっと、その……」


 ルナエールは落ち着かない様子で、自分の指を口許に押し当てていた。


「い、います! 結構、レベル4000、5000くらいまでは。レ、レベル1000で大国と渡り合えるのは、言い過ぎたかもしれません」


「ルナエールさん……」


「わ、私も、最大でレベル10000くらいの相手と会ったことがあります」


「本当ですか……?」


「ほ……本当です、よ……?」


 普段無表情なルナエールが、不安気な、必死に俺へと懇願するような表情をしていた。


「な、なるほど……そうなんですね。転移者は狙われやすいみたいですし、注意しますね」


 俺が納得した振りをして頷くと、ルナエールは安堵したように大きく息を漏らした。


「いえ……ま、まぁ、カナタくらいのレベルがあれば、大抵の難事に巻き込まれてもどうにかはなると思います」


 ……こ、このことは、あまり深くルナエールには突っ込まないでおこう。

 本人も永く人慣れしていないと言っていたが、ルナエールには変な方向に極端に拗らせている部分がある。

 本人の中で、色々と折り合いのついていないこともあるのだろう。


 俺はただ、心中でロズモンドへとひっそりと謝罪した。

 今考えれば、彼女が激怒するのもやむなしの言動をかなり繰り返していたように思う。

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