第五十四話 次女と長女
「嫌よぉ、嫌よぉっ! こんなのあり得ないわ! せ、世界の意思の加護を受けた、この私が……ああ、あああ……」
マザーの呻き声もどんどんと小さくなっていく。
戦いは終わったと考えてよさそうだ。
《英雄剣ギルガメッシュ》の一撃をまともに受けたため、その魔力によってマザーの身体は蝕まれ、崩壊を始めている。
すぐに死へと至るだろう。
マザーにこれ以上俺へと抗うすべはない。
「……どうやら、これで終わりみたいですね」
俺は安堵の息を吐き、背の鞘へと《英雄剣ギルガメッシュ》を戻した。
「ここ、これで、終わり……? ウフフフ、アハハハハハ! ざ、残念だったわねえ……! 見当外れなのよぉ! まだ、終わってなんていないわ!」
マザーの崩壊は既に首許まで達していたが、か細い声でせいいっぱいに俺を嘲弄する。
「な……何が……」
負け惜しみかとも思ったが、どうやらそういうふうでもないらしい。
マザーは体液塗れの苦悶の顔を更に歪ませ、不気味に笑って見せた。
「アハ……お前、ここまで来たということは、門番をさせていた三女マリーは倒したんでしょうけど……四姉妹の、他の三体はどうしたのかしらねぇ?」
俺は息を呑む。
一体も、会っていない……。
「末女リリーは、既に都市に攻め入っているわ……フフ、今頃都市は、死体の山になっているわ」
「すっ、既に都市に!?」
ということは、今頃ポメラ達とぶつかっているかもしれない。
ポメラ達をマナラークに残したのは、やはり正しかった。
とはいえ……本当に、末女リリーはポメラの撃破できる相手だったのだろうか。
末女リリーのレベルはいくらだろうか?
ポメラはせいぜいレベル200なので、それ以上であるとかなりキツくなる。
三女マリーは俺の振り向き誤射で死んでしまったのでレベルの見当が全くつかないのが痛いところだ。
フィリアがいるので問題ないと思いたいが……。
「次女メリーは狡猾で、長女のドリーは私以上のポテンシャルを秘めているわ。私の大事な、大事な娘達は既に、私の死を察知して、辺境へ逃れているはずよ。あの子らはいずれは私以上に強くなり、国を滅ぼし……お前を殺す。そのときが、お前の最期よ……!」
……厄介なことになった。
マザーの残党を取り逃がしてしまったか。
野放しにしておけば、きっとたくさんの人を殺すだろう。
俺が逃がしたようなものだ。
どうにか見つけ出して、処分しなければ……。
そのとき、天井に大きな亀裂が走った。
すぐさま崩壊して何かが落ちてきた。
周囲に土埃が舞う。
落下してきたのは、ひっくり返った巨大な蜘蛛であった。
マザーよりも更に大きい。全長十メートル程度だろうか。
ただ、人間の上半身はついていない。
純粋な蜘蛛の魔物であった。
巨大蜘蛛はひっくり返ったまま、ゴバァと口から体液を漏れ出させた。
脚は全く動かない。既に絶命しているようだった。
「わっ、私のドリィィィィイイイイ!?」
マザーが、ほとんど頭部しか残っていない状態で叫び声を上げた。
巨大蜘蛛の腹の上には、一人の少女が乗っていた。
滑らかな絹のような白い髪がふわりと重力に乱れる。
血を連想させる毛先の赤が、この地下を照らす鉱石の輝きに当てられて神々しい。
彼女の細い白い指が自身の前髪を掻き分け、マザーの頭部を一瞥する。
その後、何事もなかったかのように、碧と深紅の左右で色の異なる瞳を、俺の方へと向けた。
「ル、ルナエールさん……?」
俺は彼女の名前を呼んだ。
恰好は魔法都市で見かけたときの黒ローブではなく、《
しかし、ルナエールであることは疑いようがない。
そもそも、こんな美しい人は、俺は二人と目にしたことがない。
彼女、ルナエールは俺が名前を呼ぶと軽く瞬きをして、それから手にしていた何かを、どうでもよさそうに放り投げる。
それは巨大蜘蛛の死体の上を転がり、地面へと落ちた。
人間の頭だった。
いや、魔物の頭部だ。
左右対称に、八つの目があった。
「メ、メリィ……あ、ああ、そんな……」
マザーの頭が、がくりと力なく天井を向いた。
頭部が石化したように白くなり、亀裂が入ってバラバラになった。
……どうやら巨大蜘蛛の方が長女ドリーで、この頭は次女メリーのものだったらしい。
愛娘二人の死が、死の間際であったマザーの心に完全に止めを刺したようだ。
もう少し早く死んでいれば、少なくとも二体の死は知らずに死んでいっただろうに、敵ながらマザーも運が悪かった。
これでマザー四姉妹の内、少なくとも三体は片付いていたことが明らかになった。
後は魔法都市に向かったらしい末女リリーさえ討伐されていれば、少なくともマザー四姉妹は滅んでいたことになる。
ルナエールは上の階層で次女メリー、長女ドリーと鉢合わせしたらしい。
それで交戦になって……まぁ、ルナエールの圧勝であったことは想像がつく。
というか、まともに戦いにもならなかったはずだ。
ルナエールは俺よりも遥かに強い。
大将のマザーであの程度だったのだから、四姉妹が束になったとしてもルナエールには傷一つ付けられなかったはずだ。
……しかし、なぜルナエールはこの場に現れたのだろうか。
元々彼女は冥府の穢れがあるため、《
恰好こそ違っていたが、魔法都市マナラークで出会った黒ローブの魔術師も、ルナエールであったに違いない。
なぜあのとき、俺の前に姿を現しておきながら、何も言ってくれなかったのかも気にかかる。
何か、俺にどうしても伝えなければいけないことでも言い忘れていたのだろうか。
だとしてもマナラークでは何も言わず、なぜこんなラーニョの巣の地下深くまで追いかけてきてくれることになったのかもわからない。
ルナエールのおかげでマザー四姉妹の長女と次女が各地に逃走するのを防ぐことはできたが、それは結果論である。
元々それが目的であった、ということはまずないだろう。
まさか偶然、全く同じタイミングでラーニョの巣に用事ができた、というわけでもあるまい。
ここに来る前に、冒険者ギルドの手前で感じた視線も、恐らくルナエールのものであったはずだ。
「ル、ルナエールさん……その、どうしてこんなところに……?」
俺が尋ねると、ルナエールはオッドアイをぱちくりと瞬きさせる。
それからそうっと不安気に唇へと手を触れた。
「ルナエールさん?」
ルナエールは小さく咳払いをして、口を曲げてそっと目を逸らした。
「奇遇ですね、カナタ。まさか……その、こんなところで顔を合わせることになるなんて、思いもしませんでした」
「ぐ、偶然はさすがに無理です、ルナエールさん!」
思わず突っ込んでしまった。
本人が隠し通したいのであれば見逃してあげたいのはやまやまだが、さすがにあまりに苦しすぎる。
ルナエールがびくっと肩を震わせ、恥ずかしそうに白い頬を赤く染めた。
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