第五十六話 不死者との談笑

「カナタの方は、《地獄の穴コキュートス》の外に出てからどうでしたか? こちらの世界の、人里を歩くのは初めてになるのですよね?」


 ルナエールの問いに、俺は頷く。


「はい。ちょっと色々と巻き込まれて大変でしたが……なんとか、楽しくやって行けていると思います」


 俺はルナエールへと苦笑いを返す。


 文化的にあまり躊躇うポイントは、これまで驚くほど少なかったように思う。

 食文化でも、清潔さでも、あまり苦労した覚えはない。

 元々、この世界はナイアロトプや、他の神が色々と手を加えて作った、転移者を招いて見物するための世界だという話だった。

 恐らく、そういった事情が関わっているのだろう。


 厄介な冒険者に目をつけられたり、ゾロフィリア騒動に此度のラーニョ騒動と問題ごとは尽きないが、どうにか楽しくやれている。


「それはよかったです。その……他に、交友関係だとか、人間関係の面はどうでしょうか?」


「え……交友関係、ですか?」


「ひ、久々にカナタに会いましたから、どういった旅をしていたのか、少し聞いてみたいだけです」


「そうですね……少し、濃い人が多くて。一番気になっているのは、ガネットさんですかね」


 この都市での出来事を語るのであれば、ガネットが一番かと思ったのだ。

 何せ、マナラークの心臓部のような人だ。

 俺としても恩人でもあるが、ちょっと怖い相手でもある。

 よく顔を合わせたので、エピソードにも事欠かない。

 

 ルナエールはガネットの名前を聞いて、眉を少し怪訝気に歪めた気がした。

 ……気のせいだろうか?


「このマナラークのギルドマスターと、錬金術師団の《魔銀ミスリルの杖》の幹部を兼任している人なのですが……」


「……他に、もっとよく顔を合わせる相手はいませんか?」


 ルナエールが急かすように口にした。


「え……じゃ、じゃああの、別の都市でフィリアちゃんの話を……」


 ゾロフィリア云々の話は、ルナエールにとっても珍しい話になるかもしれない。


「もしかして、疚しいことがあるから、避けているのですか……?」


 オッドアイの相貌が、ジトっと俺の顔を覗く。


「え……?」


「い、いえ、なんでもありません。そ、そういえばカナタは、エルフを目にしたことがありますか? 耳の長い、精霊魔法に長けた一族なのですが……」


 な、なぜ、唐突にエルフの話を……?

 ルナエールは、俺の反応を窺うように、俺をじっと見ている。


「えっと……もしかして、ポメラさんのことが聞きたいのですか?」


「そ、その方は知りませんが、カナタの冒険者仲間のお話は少し聞いてみたいですね」


「冒険者仲間であることは知ってるんですね……」


 俺がハハハと笑うと、ルナエールは大きく肩を跳ねさせる。


「い、いえ、ただ、消去法でそうかもしれないと……」


「以前、ルナエールさん、ポメラさんやフィリアちゃんは見ていましたもんね。あのとき、どうして声を掛けてくれなかったんですか」


「そ、そ、それはその……いえ、あの……」


 ルナエールが、顔をどんどんと赤く染めていく。

 あわあわと、視線を右へ左へと逸らす。


 ……ルナエールとしては、これもあまり聞かれたくないことであったらしい。

 こうときは深入りせずにさっと流してあげた方が本人が安心することは知っているが……慌てふためいているルナエールも、正直可愛い。


「……わ、私は、そんなことはしていません」


「え……? し、しかし……」


「た、他人の空似でしょう。私には冥府の穢れがありますから、都市の中に入り込もうものなら、大変なことになります。で、ですから、私ではありません。黒いローブにも、こ、心当たりがありません」


 ルナエールは早口でそう言い切った。

 瞳に薄っすら涙さえ溜まっていた。


「えっと……その、ルナエールさん。上手く言えませんけど、俺は、何があったってルナエールさんを嫌いになったりなんてしませんよ。ですから……」


 ルナエールは、俺の言葉に一層、白い頬を赤くして、困ったような顔をする。

 顔を伏せ、そっと裾で隠そうとした。


 ルナエールはちらりと俺の顔を見た後、ぐっと決心したように眉根を寄せる。

 目を瞑って息を整えてから、改めて俺の方へと向き直る。


「じ、実は……その、カナタに言おうと思っていたことがあるんです」


「俺に、ですか?」


「はい、実は、冥府の穢れを抑えるローブ……」


 め、冥府の穢れを抑えるローブ……?

 そんなものがあったのか……いや、もしかしたら、外に出るために造ったのかもしれない。


 そうか、だから都市に出てくることができていたのか。

 あのときに纏っていた黒いローブは、ルナエールの冥府の穢れを抑え込むためのものだったのだ。

 元々ルナエールは外に出ようという気概自体がなかったため、これまでは冥府の穢れを抑え込むアイテムを造ろうという発想自体がなかったのかもしれない。


 だ、だとしたら、今後、ルナエールは外を自由に出歩くことができる……?


「もしかしてルナエールさん、俺と一緒に外を見て回ってくれ……!」


「……ローブには、心当たりがないと言ったところでした」


 ルナエールは額から汗を垂らし、口許を手で押さえてしまったという表情をしていた。


「え……?」 


「……す、すいません、やっぱりその、なんでもありません」


「大丈夫ですよ、ルナエールさん! なんというか……もう、大体察しましたから!」


「ち、違います、わわ、私ではありません! そんな、こそこそと後を付け回した挙句、隠れ見て勝手に動揺して攻撃して逃げるような、そんなことはしていません!」


「あれはそういうことだったんですか!?」


 俺が驚きの声を上げると、ルナエールは顔を青くし、口を固く閉じた。


「きょっ、今日は、偶然とはいえ、カナタとお話できて良かったです。ま、またお会いできるときを楽しみにしていますよ」


 ルナエールはそう言うと、宙に魔法陣を浮かべた。


「ま、待ってください、ルナエールさん! まだまだ話したいことが山ほど……!」


 俺がルナエールを止めようと彼女の腕を掴んで引き留めようとしたが躱され、人差し指でトンッと額を突かれた。


「いたっ」


時空魔法第十階位|転移門《ゲート》」


 ルナエールの身体が光に包まれる。

 俺は抱き着いて止めようとしたが、身体が通り抜けて地面へと倒れてしまった。


 時空魔法の《転移門ゲート》は、使った魔力次第で、いくらでも遠くの場所へと瞬間移動することができる魔法だ。

 数ある魔法の中でも、複雑で発動までかなり時間が掛かるはずだ。

 だというのに、ルナエールは一瞬で発動してしまった。


「……次会ったときには、どうにか引き留めないと」


 俺は地面の上に倒れながら、一人でそう零した。

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