第四十話 不死者の追跡録(side:ルナエール)
冒険者ギルドの会議が行われていたのと同時刻頃、魔法都市マナラークの廃教会堂にて。
赤い魔術式の刻まれた黒いローブを纏った少女と、宝飾を纏う宝箱が顔を合わせていた。
《穢れ封じのローブ》を纏う不死者ルナエールと、彼女に仕えるノーブルミミックである。
「ハーフエルフの子と仲良さげに並んで歩いているのを見かけたときには少し驚かされましたが……どうやら、ただの知人であったようです」
ルナエールはいつもの抑揚の薄い話し方であったし、彼女自身感情を抑えようとしている節があったが、しかしそれでは隠しきれない安堵と喜びが滲み出ていた。
「妙に親密だと思いましたが、ハーフエルフの子の方が、カナタに何か恩があるようでした。カナタはとても優しいですからね。そういうこともあるでしょう。ノーブルに脅されて、気を揉んでいたのが今となっては馬鹿らしいです」
「……オレ、脅シタカ?」
ノーブルミミックが不思議そうに箱の身体を捻る。
多少ルナエールをからかった覚えはあったが、大半は彼女が勝手にやきもきして、勝手に騒いでいただけである。
要するに自爆であった。
それを全て自身が煽ったかのように言われても、釈然としないものを感じる。
ルナエールは少しだけ眉間に皺を寄せ、親指を噛んだ。
ノーブルミミックから視線を外し、廃教会堂の中を落ち着きない素振りで歩き始めた。
「ただ、ハーフエルフの子の方は、もしかしたらカナタに邪な感情を向けていたかもしれません。カナタは凄く心の広い……それこそ私に対して、ろくに恐怖も抱かずにあっさりと受け入れてくれてしまうような、そんな人です。ただそれは言い換えれば、それだけ流されやすいということでもあります」
「……マァ、アイツ、流サレ易イカ」
ノーブルミミックが呟くと、ルナエールはジトっとした目で彼を見た。
不安にさせるようなことは言わないでください、とでも言いたげな様子だった。
自分が言い出した手前、さすがにそれを口にすることはなかったが。
どうやら否定してほしかったらしい。
やれ面倒臭いと、ノーブルミミックは箱の隙間からベロリと舌を伸ばした。
ただ、ノーブルミミックから言わせてみれば、カナタの流されやすさは筋金入りである。
ルナエールがカナタを《
あのとき、ルナエールは心の奥ではカナタが挫折することを願っていたはずである。
ただカナタは、皮肉にも恩人ルナエールがやれと言ったからきっとできる範疇なのだと信じてそのまま突き進み、ルナエールの想定をぶっちぎって短期間での圧倒的なレベル上げに成功したのだ。
恐らく彼より流されやすい人間は早々いない。
そこに関して、ノーブルミミックは否定のしようがなかった。
「……もしかしたら、もしかしたら、あのハーフエルフの子に流されて、そのまま恋仲になってしまうようなことがあるかもしれません。カナタは、カナタは……私を好きだと、そう言ってくれたのに」
ルナエールが足を止め、肩を落とす。
ルナエールはカナタがいい加減なことを言う人だとは思っていないが、しかし、人間と人外の壁は厚い。
寄り添ったところで全く異なる世界を生き、違う時間を歩む宿命なのだ。
仮にカナタが将来、老衰を迎えることになったとして、そのときもルナエールは今の若い姿のままなのだ。
そういった点を含めて考え、決して心変わりがないとは、どうしても安心できなかった。
そもそも、ルナエールの方から散々一方的に突き放した結果なのだ。
カナタが外でどうこうしようとも、ルナエールは自分に責める権利があるとも思えなかった。
ルナエールは行ったり来たりを繰り返した後、瓦礫を背に床の上に座り込んで膝を抱えた。
「カナタの寿命が長ければ、あのハーフエルフの子が死ぬまで待てたのに」
「主ヨ、思考、危険ナ方ニ逸レテイルゾ」
ノーブルミミックの指摘を受けて、ルナエールがはっとしたように目を大きく開いた。
「ソモソモ、マダ恋仲デモ、ナンデモナインダロ? ナンデ勝手ニ先々考エテ、勝手ニ絶望シテルンダ」
「そうですね、少し弱気になっていました。他人のことで悩むのも、人里を歩くのも本当に久し振りでしたから、本調子ではないのかもしれません」
「ミタイダナ。マ、良カッタジャネェカ。ヨウヤク、カナタト話モデキタヨウダシ、心配ハイラナイダロ」
ノーブルミミックは箱の間から大きく息を吐いた。
ノーブルミミックからしてみれば、今更ルナエールがそんなことで悩んでいるのがあほらしいくらいであった。
確かにずっと放置していればカナタがどうなるのかはわからなかった。
長らく会っていない人間は、それだけ優先順位が下がるものである。
当初の予定通り、ルナエールが十年、二十年以上カナタの前に姿を現さないつもりであれば、その間心変わりするなというのも酷でしかないだろう。
ただ、直接会って話をしたのであれば、今更そんな心配をする必要性自体あまり感じない。
どういう話の流れになったのかはまだノーブルミミックは聞けていなかったが、《穢れ封じのローブ》だってあるのだから、別に外の世界の旅路にルナエールが付き添うことだってできるはずなのだ。
話せば、カナタも喜んで了承してくれることだろう。
もしかしたら、既にその話は出ているのかもしれない。
「何の話ですか、ノーブル?」
ルナエールは立ち上がり、不思議そうに首を傾げた。
「ダカラ、会ッテ話、シタンダロ?」
「……していませんよ?」
「ア?」
少しの間、両者の間を沈黙が支配した。
「エ? ダッタラ、カナタノ内情、ドウヤッテ知ッタンダ……?」
ルナエールが呆れたように溜め息を吐く。
「貴方は、私を誰だと思っているのですか」
「イヤ、意味ガ、ワカラナイガ……」
ルナエールが腕を掲げる。
「
ルナエールの声と共に巨大な魔法陣が広がる。
彼女の背後に奇怪な姿の精霊が浮かび上がった。
その姿は、布を被った巨大な化け物であった。
真っ白な布の全体に、幾何学模様に瞳を足したような不気味な図形が描かれている。
そして布から突き出るように、非生物的な三対の翼が広がっている。
「メジェドラスは偉大なる不可視の霊鳥王。時空の狭間を行き来して、その姿を完全に隠すことができるんです」
布の奥で、何かが動いた。
「キィ、ギリィッ……」
およそ生物のものとは思えぬ、奇妙な金切り音が中から響く。
ノーブルミミックは茫然とその怪物を眺めていた。
「お座り」
ルナエールの声に、メジェドラスが床に着地する。
「伏せ」
メジェドラスが布の奥で身体を折り曲げ、頭らしきものを低くする。
「いい子ですね」
ルナエールがメジェドラスの頭を撫でる。
「ギュッ、ギュッ、ギュッ」
メジェドラスは、ルナエールの手に頭を擦り付けるように、ぐいぐいと首を動かしていた。
「隠れてみせてください」
ルナエールがそう言うと、すぅっとメジェドラスの姿が薄れて消えていく。
「本気で隠れたメジェドラスは、私にだって見つけることはできません。そこにいながらにして、そこにいないことに等しい状態なのです」
ルナエールがやや得意げにノーブルミミックへと説明した。
「……ソレガ、ドウ繋ガル?」
ノーブルミミックがやや不安げに尋ねる。
薄っすらと答えはわかっていたが、それでも聞かざるを得なかった。
違っていてほしかった。
「はぁ……まだわかりませんか。メジェドラスに隠れてカナタを少し追いかけてもらって、感覚共有したんです」
「タダノ、ストーカージャネェカ!」
ノーブルミミックは舌を伸ばし、床をぶっ叩いた。
廃教会堂の、石造りの床がへこんで砕ける。
「だだ、だって、仕方ないではありませんか! パニックになって
「普通ノ顔シテ出テイケバイイダロウガッ!」
ノーブルミミックはもう一度舌を伸ばして床をぶっ叩いた。
「し、しかし、《
ルナエールが声を張り上げる。
普段あまり感情が表に出ないルナエールには珍しく、顔が真っ赤になっていた。
「ソノ理屈ダト、一生コッチカラ会エナイガ、ソレデイインダナ?」
「そっ、それは、嫌ですが、ですが……」
声が消え入るようにか細くなっていく。
「ソッチノ鳥ハ禁止ダ! 直接声ヲ掛ケロ! 正直ニ不安ニナッテ来タト言エ! ソレデ全部済ムダロウガ!」
「う、うう……し、しかし……その……」
「シカシジャナイ!」
ノーブルミミックは声を荒げる。
ルナエールの瞳には、涙が溜まり始めていた。
ノーブルミミックとて、ここまでルナエールに強く出たのは初めてのことだった。
しかし主を思えばこそ、強く言わざるを得なかった。
このままではルナエールは、十年でも二十年でも、それこそカナタが死ぬまでメジェドラスの不可視の力でこそこそとストーカーして回って終わりかねない。
「ギィイ……」
ノーブルミミックの猛剣幕に、メジェドラスも申し訳なさそうに姿を現し、頭部の位置を深々と下げる。
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