第三十九話 アーロブルクの洗礼

 門より都市アーロブルクへと入った。


 建物が密集して並んでおり、人通りが多い。

 街壁の外では魔物が沸くため、人口密度が高いのだろう。

 ロヴィスはこの都市を僻地だと口にしていたが、日本で暮らしていた都会よりもずっと騒がしく感じる。


 露店を勝手に開き、衛兵と揉めているらしい人もいる。

 道の端では、黒ローブの連中が壁に魔術式を刻んだり、埋め込んだりしていた。


 魔術式を見るに、結界の効力を高める類のものの様だ。

 都市の外壁全体に魔物が近づきにくいように魔除けの結界を張っているようだったので、その補強工事なのかもしれない。

 ともかく、彼らのせいで、ただでさえ人に溢れた道が、より狭くなっていた。


 人を避けて歩くのが難しい。

 他の都市はもっと人が溢れているのだろうか?

 いや、半端に僻地だからこそ、街壁をあまり大きくすることができなかったのかもしれない。


 冒険者ギルドを捜して歩いていたが、それらしいところは見当たらない。

 ……武器を持った人をよく見かけるようになってきたから、あるとすればこの辺りだと思うのだが。

 少し声を掛けるのが怖いが、人に尋ねて行かないと駄目かもしれない。


「……っと!」


 余所見をしていたら、前から来た大男が大きく横に動いて衝突しそうになった。

 俺は肩で受けつつ、背後に身体を反らして衝撃を殺す。


「すいません、ちょっと場所を探していまして……」


 俺は釈明しながら頭を下げる。

 向こうも明らかに周囲を見ずに歩いていたようだったが、謝っておけば角は立たない。

 そのまま去ろうとしたとき、肩を掴まれた。


「いい度胸だな……ボウズ。この俺様にぶつかって、適当に頭を下げて逃げようとするなんて」


 俺は振り返り、男の顔を見る。

 百九十センチメートル近くはあろうかという図体の、恰幅のいい大男だった。

 顔に大きな傷跡があり、彫りの深い強面をしていた。


 年齢は四十後半ほどだと窺える。

 背に、大きな斧を背負っていた。


 後を付いて、にやけ面の背の低い男が現れた。


「オクタビオさん、そいつどうしたんです?」


「こいつな、俺様にぶつかってきておいて、逃げようとしやがったんだ。痛かったぜ、なあ、ボウズ」


 ここでようやくわかった。

 この大男……オクタビオは、わざと俺にぶつかってきたのだ。 

 周囲の人達は、俺達を避け、見ないようにしながら歩いていた。


「綺麗なローブだなぁ、魔法袋まで持ってやがる。パパに買ってもらったか? 俺様は、お前みたいに苦労なんて知らないって面の奴が、大嫌いで、大嫌いで、ぶっ殺してやりたくなるんだよなあ」


 ……厄介な人間に絡まれた。

 当たり屋だったのだ。


 ……戦えばどうにかなるだろうかと、ふと考えてしまう。

 オクタビオは巨体で、明らかに筋骨が太い。

 しかし、もしかしたら、ロヴィスと大差ないレベルかもしれない。


 そこまで考えて、冷静になる。

 いや、そもそも、戦闘自体避けなければならない。

 俺はこの都市のこと、世界のことをよく知らない。

 変に大事になればここにいられなくなることだって考えられる。

 コストを払って揉め事を回避できるなら、そうするべきだろう。


「すいません……あまり手持ちはないのですが、お金で見逃していただけませんか?」


「物分かりのいい奴は嫌いじゃない、が……」


 オクタビオがにやりと笑う。


「おいてけ、その腰の魔法袋ごとだ。俺様も欲しかったんだよなあ、それがよーお」


 自分の表情が強張るのを感じた。

 この魔法袋の中には、ルナエールからもらったものも入っている。

 《歪界の呪鏡》など危険物は時空魔法で持ち運んでいるが、薬や《アカシアの記憶書》はいつでも取り出せるように、こっちに入れているのだ。

 彼女からもらったものを、想い出の品を、こんな男に易々と渡すわけにはいかない。


 ……走って逃げきれるなら、そうするべきか。

 俺が一歩退き、《ステータスチェック》でオクタビオを確認しようとしたとき、背後から女の声が聞こえて来た。


「えっ、衛兵さん! その、喧嘩です! 片方の人が、刺されたみたいで……!」


 刺されたという声に、周囲からどよめきが上がった。


「なんだ、殺傷事件か! 刺した奴はどこだ!」


 離れた位置にいた、露店を取り締まっていた衛兵二人が向かって来るのが見える。

 刺されたのは何の話かと思ったが、どうやら衛兵を呼びつけるための方便らしいとすぐに気が付いた。


「オ、オクタビオさん、変に大事になるとまずいですよ! 次に問題を起こしたら、ギルド除名にするぞと脅されたところだったのに……!」


 オクタビオについていた小男が慌てる。


「チクリやがったクソがいるな。ぶっ殺してやる……!」


 オクタビオが歯軋りをして、衛兵二人を睨む。


「運がよかったなボウズ、だがこれで済んだと思うんじゃねえぞ!」


 オクタビオが右腕を振り上げ、俺の肩を殴りつけて逃げて行った。


「……安心してください、オクタビオさん。この声は覚えがある、白魔法使いのポメラですよ」


 最後に、付き添いの小男がオクタビオにそう言いながら、群衆を振り返って笑っていた。


 俺は自分の肩を見る。

 手加減されたのか……全く痛くなかった。


 あんな立派な斧を持っているのだし、オクタビオは間違いなく魔物狩りを生業とする人間……冒険者だろう。

 それに、オクタビオは俺と交戦になることも覚悟していたはずだ。

 冒険者相手に喧嘩を売れるほどのレベルを持っていたはずだ。


 オクタビオが見えなくなる前に、《ステータスチェック》で彼を確認した。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

オクタビオ・オーグレイン

種族:ニンゲン

Lv :28

HP :112/129

MP :106/106

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 俺は瞬きした。

 何か、見間違えただろうか。

 他の一般人をチェックしてしまったのかもしれない。


 これだとロヴィスの方がマシだ。いや、最早そういう次元ではない。

 あれで冒険者としてやっていけているとは思えない。


「あの人……もしかして、ただの態度の大きい木こりか?」


 いや、そんな馬鹿なことがあり得るのか。

 しかし、レベル28で冒険者としてやっていけているとは、とても思えない。


 あのロヴィスでさえレベル181もあったのだ。

 あのロヴィスでさえ。

 ロヴィスが実は都市アーロブルク近辺において尋常ではない強者であったとしても、さすがにオクタビオのレベル28はあり得ない。


 俺の中で、ロヴィス再評価説が浮かんだり消えたりしていた。

 後で……冒険者ギルドとやらについたら、他の人のステータスをこっそりと確認してみよう。


 《ステータスチェック》を行っていることは、恐らく気付かれないだろう。

 思考がステータス表示に乗っ取られるので窮地においては大きな隙を晒すことに繋がるし、不信感を持たれかねないが、ギルド内でこっそりと盗み見ている分には何の問題もないはずだ。


 それに盗み見たとしても、恐らくそれが本人に伝わることはない。

 《地獄の穴コキュートス》の魔物も、ロヴィスも、俺の《ステータスチェック》に反応を示すことはなかった。

 ルナエールから聞いたが、この世界の住人が自身のステータスを確認するためには、専用の石板状のアイテムに自分の魔力を流す必要があるのだそうだ。


 俺が考えごとをしていると、衛兵が声を掛けて来た。


「おい、喧嘩をしていたというのはお前か? 血なんてないじゃないか」


 苛立った顔で俺に質問をぶつけて来る。


「恐らく、見間違えたのではないかと……。でも、来ていただいて助かりました」


「チッ! お前のせいで、違法露天商を取り逃がした!」


 衛兵の片割れが唾を吐いて来た。

 俺が咄嗟に身体を反らして避けると、唾を吐いた方の衛兵が舌打ちを鳴らし、二人共その場を去っていった。

 ……この都市アーロブルクには、あまり心に余裕のある人間がいないのだろうか。


 脳裏に、俺のために魔導書に囲まれながら必死に魔法の基礎やコツを簡単に書き直してくれていたルナエールと、それをニヤニヤしながら眺めるノーブルミミックの姿が過ぎった。


「ルナエールさん……俺、《地獄の穴コキュートス》が恋しくなってきましたよ……」


 俺が溜息を吐いていると、ふと群衆の中に、不安げにこちらをちらちらと窺う、小柄な少女の姿が目に映った。

 頭に青のベレー帽を深く被っており、そこからウェーブの掛かったやや短めの金髪が覗いている。

 手にした大きな杖を、不安そうにぎゅっと抱きしめていた。


 彼女が助けてくれたのだろうかと思ったが、目が合うとびくりと身体を上下させ、目を逸らして走って逃げて行った。

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