第十八話 地獄の訓練

 魑魅魍魎たちが俺へと駆けて来る。


 レベル3000越えがこんなにいるなんて、冗談じゃない。

 こんなところで俺が何ができるとは思えない。


「し、師匠! 逃げましょう!」


 ルナエールが両腕を掲げる。


結界魔法第二十一階位|愛神の聖域《アモーサンクチュアリ》」


 魔法陣が直径五メートル程度に広がり、その円の外側からピンクの光の壁がせり上がった。


 ルナエールの魔法結界だ。

 異形の悪魔達が、光の壁に遮られる。


「よ、よかった……」


 ほっとしたのも束の間、どんどんグロテスクな悪魔達が光の壁へと張り付いていく。


「ひぃっ!」


「この壁は、外側からの干渉だけを遮ります。内から外へ出ることは可能ですし、こういうこともできます」


 ルナエールは言うなり《異次元袋ディメンションポケット》から剣を取り出し、悪魔達へと向けて投擲した。

 剣が光の壁を擦り抜け、悪魔の身体に穴を開けた。

 悪魔が砕け散り、肉片が周囲の光に吸われるように消えていった。


 な、なるほど、内側に篭ったまま外を攻撃できるということか。

 便利な結界魔法だ。

 これなら安全に、ここでもレベルアップを行うことができるかもしれない。


 ……しかし、レベル3000クラスの悪魔もワンパンか。

 ルナエール自身のレベルは幾つなんだ?

 確認してみたい気もするが、安易に《ステータスチェック》していいものなのか判断に悩む。

 盗み見るのも抵抗があるし、許可を取るのも何となく怖い。


「とにかく、攻撃魔法を撃ち続けてください。少しでもダメージが入れば、私が処分します」


「は、はい!」


 俺は魔法陣を二重に紡ぎながら、悪魔軍勢の第一線より背後に控えている、一番弱そうな、黄色のふわふわした球体へと照準を向ける。


 俺は威力が重視される場面を想定して、一つだけ第九階位の魔法を身に着けていた。

 準備に時間も掛かるし、精度も怪しいが、間違いなく俺の中で最大火力の技だ。


炎魔法第九階位|竜式熱光線《ドラゴレイ》!」


 二つの魔法陣の中心を貫き、赤の熱線が放たれた。

 黄色のふわふわした球体は、突然形状をドーナッツ状に変え、綺麗に俺の《竜式熱光線ドラゴレイ》を中央の穴に通して回避した。

 な、なんでこの大混雑の中で、見てから避けられるんだ!?


「撃ち続けてください」


 ルナエールが淡々と口にする。

 ほ、本当に撃ち続けていれば当たるものなのかこれは?

 というより、当たっても本当に効果はあるのか?


 ふと前を見た時、俺の攻撃を回避した黄色球に、人間の様な憤怒の顔が浮かんでいた。

 五体に分裂した後、その全てが膨れ上がり、全身から筋骨隆々の腕を無数に生やし始めた。

 一番弱そうだと考えた俺が甘かった。

 ここに弱い魔物がいるわけがなかった。


 五体の腕の塊が悪魔達に加勢し、結界を殴り始める。

 結界が大きく揺れ始めた。


「だ、大丈夫ですかこれ!?」


「大丈夫です。《ウロボロスの輪》がありますし、それに私もついています」


「もしかして結界破られることもあるってことですか!?」


 ……と、とにかくルナエールを信じて、今は我武者羅にやるしかないか。

 魔法は当たらないかもしれない。

 悪魔達は結界に張り付いているし、武器を用いての直接攻撃の方がまだチャンスがありそうだ。


 俺はグロテスクな悪魔達へと接近し、結界越しに剣で斬り掛かった。

 狙いは、犬の身体に冠を被った、中年の男の頭部を持った化け物である。

 結界の前で座りながら、舌を伸ばして息を荒げていた。

 近づくのは滅茶苦茶怖かったが、リスクを取らなければリターンは得られない。


 頭部へと剣が当たった。

 よ、よし、これでちょっとでもダメージが通ってくれていれば……!


 ……頭部に当たったところから、剣が全く動かない。

 腕を動かせない。

 どうやら、刃が口で受け止められているようであった。


 《愚者の魔法剣》は、力量不足の俺のステータスを補ってくれる貴重な武器だ。

 おまけに価値も高く、ルナエールから借りているものなのだ。


「か、返せ犬野郎!」


 絶対に手放すわけにはいかない。

 俺は腕に力を入れた。


「すぐに放してください!」


 ルナエールの叫び声が聞こえた。

 男の顔が首を動かすと、俺の身体が地面を引き摺られた。


「うぐっ!」


 身体が地面に擦られ、激痛が走る。

 異様な力の差に、剣を持っていた指があらぬ方向に折られた。


 顔を上げると、王冠を被った男の頭部がすぐ目前にあった。

 そこで俺は、ルナエールの《愛神の聖域アモーサンクチュアリ》を抜けていたことに気が付いた。

 内から外へ出るときに制限はない。

 こいつは俺が外に出した刃を引っ張り、そのまま外へと引き摺り出したのだ。

 考えが甘かった。


 犬の化け物は、嬉しそうに息を荒げながら俺を見下ろす。


「クゥーン、クゥン、クゥーン」


 あ、殺される。

 そう思った瞬間、身体が二つに引き裂かれるのを感じた。

 腹部より下の感覚が消え失せる。


 次の瞬間には、俺は五体満足で地面の上に倒れていた。

 《ウロボロスの輪》による、所有者の魔力を使っての強制蘇生が働いたらしい。


 本当に危なかった、死んだかと思った。

 死の淵から帰ってくるというのは、あまり気分のいいものではなかった。

 頭がぼうっとして、漠然とした不快感が支配していた。

 ……死ぬ前の痛みを含めて、もう二度と味わいたくはない。


「あ……」


 俺の周囲を三体の黄色いムキムキ球が囲んでいた。

 俺が《竜式熱光線ドラゴレイ》を撃った相手だった。

 憤怒顔ではなく、満面の笑みを浮かべていた。


 しかし、俺を歓迎しているわけではないはずだった。

 俺はあまり察しのいい方ではないが、勿論それくらいはわかる。


 目で追えない拳のラッシュが俺へと叩き込まれる。

 腕の残像らしきものが、何重にも重なって俺の目に見えた。


 ……気が付くと俺は、ルナエールの小屋で倒れていた。 

 ゆ、夢だったのか?


 ふと横を見ると、ルナエールが俺の顔をじっと覗いていた。

 目が合うと小さく息を吐いて立ち上がる。


「……い、今から短期間で充分にレベルを上げるには、あそこでのレベル上げを熟す以外に方法がないのですが、なかなか難しそうですね」


 やっぱりあの悪夢は現実だったらしい。


「きょ、今日のところはもう、しっかりと休息を取りましょうか。あなたも辛かったでしょう」


「いえ、もう一度行きましょう。次は、大丈夫です」


 ……正直、もう二度とあの悪夢を味わいたくはない。

 しかし、こんなところで足踏みをしていれば、ルナエールにあまりに申し訳ない。

 今日はまだ何も成し遂げられていないのだ。


 やはり、武器攻撃などするべきではなかった。

 根気よく魔法攻撃で機会を窺うべきだった。

 俺が馬鹿だった。


 ルナエールの顔を見ると、彼女はそっと俺から目を逸らした。


「……そ、その、苦しいのでしたら、あまり無理をしなくてもいいのですよ。あなたには……その、まだ早かったのかもしれませんし、ゆっくりとゴーレム討伐からやり直しても……」


 ルナエールはそう言うが、ゴーレムを何百、何千体倒したところで、俺があの悪魔達に勝てるようになるとは思えない。

 それこそ何年掛かるかわかったものではない。

 その間ずっとルナエールを付き合わせるわけにもいかない。

 そもそも俺は、一緒にいたいと言って振られた身なのだ。


「やってみせます。さっきは、鏡の中の異様な光景に囚われてあまり冷静ではなかったかもしれません。次こそは、きっと……!」


「そ、そうですか……」


 ルナエールが何故か、少しがっかりした様にそう言った。

 俺達の様子をノーブルミミックが、何か言いたげにじっと見ていた。

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