第六話 不死者の弟子

 身体を再生してもらってから、俺はルナエールの前で正座をしていた。


「すいません……これまで説明し損ねていたのですが、その、実は俺……この階層に直接送り込まれたみたいなんです」


「直接送り込まれた……?」


 ルナエールは相変わらず無表情だったが、少し驚いているようだった。

 何となく微細な表情の動きが読み取れるようになってきた気がする。


「それは有り得ませんよ。この《地獄の穴コキュートス》は、凶悪な魔物達を封じ込めるための吐き溜めの様な場所ですから。神代より凶悪な結界が施されていて、魔法で階層を跨ぐようなことはできないのです」


 そんな仕掛けになっていたのか……。

 いや、しかし、ナイアロトプは神そのものだ。

 神代の結界とやらを擦り抜ける魔法を扱えたとしてもおかしくはない。


「実は……俺、別の世界から送り込まれてきたみたいなんです。神を自称する化け物から……」


 信じてもらえるかどうか悩んだが、俺はそう口にすることにした。

 嘘を吐いて誤魔化すにも、俺には情報がなさすぎる。


 邪悪なオーラや無表情、リッチだという事実や、他人嫌いを公言していたことは怖いが、しかし俺にはルナエールが悪い存在だとはとても思えなかった。

 正直に打ち明けて助けを求めるのが一番だろう。


「異世界転移者、ですか。あなたが……直接見たのは私も初めてですね」


 ルナエールは唇に手を当てながらそう呟いた。

 疑っているふうではなかった。

 ナイアロトプも、定期的に行っていると口にしていた。

 ルナエールが不死者で長く生きているのだというのならば、確かにこの話を知っていてもおかしくはない。


「確かに、その変わった格好も、見慣れない顔つきも、魔法袋さえ知らなかったこともそれで説明がつきますね」


 信じてくれそうな流れだった。


「そうなんです! 意味が分からないまま、この世界に送り飛ばされてきて……。なのでここが地下九十階層だなんて知らなかったし……ついでに言うとレベルも1なので、武器があっても魔物と戦うなんて無理なんです……」


「レベル1……?」


 ……ルナエールから冷気が漂ってきた。

 相変わらず表情こそ変わらないものの、強い怒りを感じる。

 というより、表情の動きがあまりになさすぎるので、これがルナエールの怒りの顔なのかもしれない。


 何か……地雷を踏んでしまっただろうか。


「す、すいません! 本当にすいません! あの、でも、俺、よくわからなくて、その……!」


 ルナエールが俺へと歩み寄って来て、ずいと顔を近づけて来た。

 ち、近い……本当に近い。


「なぜレベル1だということを黙っていたのですか? 多少アイテムを持っていたからといって、どうにかなるわけがないではありませんか? そもそも、あなたは何のためにこんなところへ送り飛ばされてきたのですか?」


「す、すいません! 人間嫌いだと言っていたので、あまり助けを求めても逆鱗に触れるかなと!」


「それは……!」


 ルナエールがすっと俺から離れた。


「……私の落ち度ですね。すいません」


 ルナエールが申し訳なさそうに俯いた。

 ……や、やっぱりこの人、滅茶苦茶いい人なのでは……?


「しかし……だとすれば、どうするべきでしょうか。今のままだと、私が何を与えてもあなたはこの階層から出ることさえできないでしょう」


 ルナエールが首を傾げる。


「ずっとここに居座られても私が迷惑なので、出口まで私が連れ添って送り届けてあげてもいいのですが……」


 前後で文脈が噛み合っていない。

 居座られて迷惑なら、放り出して俺が魔物に喰われるのを待っていればいいだけなのでは……?

 リッチというよりも最早聖人なのではなかろうか。

 なぜルナエールがこうも人間嫌いアピールをしているのか、俺には全く理解できない。


「恐らく……道中で何かの拍子で死ぬでしょうね。あれだけあなたが魔物と接触して命を落とさなかったのは、奇跡以外の何でもありませんよ」


 ……九十階層も昇る必要があるのだ。

 あんな魔物との激戦を何度も繰り返されていれば、きっと俺はどこかで死ぬだろう。


 ルナエールが無表情のまま唇に指を当て、首を傾げて思案する。


 ふと……この世界にレベルなるものがあることを思い出した。

 ネットゲームやらではパワーレベリングというものがある。

 強者が弱者を連れて狩りを行い、弱者のレベルを一気に引き上げるテクニックのようなものである。

 この世界でも似たようなことができるのではなかろうか。


「あ、あのう……本当に畏れ多いのですが、修行をつけてもらう……みたいなことは、できたりしないでしょうか?」


「修行……?」


 ルナエールが硬直する。


「あ、や、やっぱり駄目ですよね! い、言ってみただけなんで!」


 ルナエールは沈黙したまま、じっと俺を見つめていた。


「あ、あの、本当に……!」


「あなたは、私が怖くないのですか? ここを無事に抜けられる様になるまで修行するとなると、それなりに長い間、私と時間を共にすることになりますよ?」


「いえ、それは……正直ちょっと怖いですけど、凄く優しい人……リッチなのは伝わってくるので、全然。いや、でも、そんな手間を掛けさせるわけには……!」


 ルナエールはしばらくまた沈黙した。

 それから彼女は探る様に俺をちらちらと見ていたが、やがて何か考えを固めたらしく、咳払いをする仕草を挟んで切り出して来た。


「……仕方ありません。人間などと馴れ合うのは心底嫌なのですが……そうですね、最低限ここから出られる様に修行をつけてあげましょう。それ以外に手段もなさそうですからね」


 あっさりとルナエールから許可が下りた。


「え、ほ、本当にいいんですか?」


「……嫌なのですか?」


「いえ、滅相もない!」


「では決まりましたね。ここをあなたの様な人間に長居されるのは嫌なので、仕方なく修行をつけてあげましょう、仕方なく」


 ルナエールが念押しするように言う。


「え、ええ、わかっています。仕方なくですよね、仕方なく。本当にありがとうございます」


 ……よくわからないが、合わせておこう。


「レベル100程度まで上げれば、流れ弾や事故による死はなくなるでしょう。出るときは私も付き添ってあげますから、それくらいまで上げておけば問題ありませんよ。そのくらいであれば、さほど長くもならないでしょう」


 や、やっぱり優しい……。

 あまり言うと彼女は嫌がりそうなので突っ込みはしないが、この人身体の半分は優しさでできているのではなかろうか。


「では……名前を一応聞いておきます。人間の名前などに興味はありませんが、なければ不便ですからね。アンデッドは名前で呪いを掛けられる者もいますから、教えるのが怖ければ仮名で結構ですよ」


「か、神原カナタです……こっちの世界だと、カナタ・カンバラになるのかな……? 俺の世界では、家名は前だったのですが」


 ステータスで見た時も確か逆になっていた。


「仮名で大丈夫だと言いましたのに。警戒心がないと、この先どんな目に遭うのかわかりませんよ」


「ルナエール師匠は信頼していますよ」


「……だから、私はリッチで、あなたにうろつかれては迷惑なだけで……ルナエール師匠?」


 ルナエールが首を傾げる。


「駄目でしたか……えっと、ルナエールさん……様の方がいいですか?」


「……好きに呼んでください。呼び捨てでも師匠でも結構ですよ、人間からどう呼ばれようとも興味はありませんので」


「は、はい、わかりました」


「では、少しついて来てください。手頃な魔物を狩りつつ、拠点へと戻る予定ですので」


 ルナエールが俺に背を向けて歩き始める。

 ……足取りが軽やかだった。


 この人、顔に出ないだけで結構感情豊かなのではなかろうか。

 師匠呼びが気に入ったのかもしれない。

 次からは師匠で呼んでおこう。

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