第五話 蝦蟇の王ヘケト

 俺は自身の持ち物を確認する。

 謎の林檎……そして、恐らくは治癒能力のあるレッドポーションとやらが三つ、そしてそれらを入れることのできる魔法袋。

 なんだか凄そうな剣は残念ながら持っていけないので放置する。


 そして俺に与えられていたスキル……《ロークロア言語》は、ルナエールとの対話において問題なく機能したようだった。


 それから……《ステータスチェック》は自身に対して使用する際には保有技能から各パラメーターまで観察できるようだったが、どうやら他者に使う分にはレベルとHP、MPまでしか見ることができないようだった。

 命の危険が近すぎてあの時は考察している余裕がなかったが、どうやらあの範囲までの情報を見るのが限界のようだ。

 ざっくりとした敵の強さを推し量るのが限界、ということだ。


「ま……これだけのアイテムがあるんだ、やってやるさ。上手く敵を凌ぎつつアイテムを捜して……俺のレベルに関係なく敵を殺傷できそうな策を探るんだ」


 俺は声に出して考えを纏める。

 ここには色々なアイテムがあるという話だった。

 所有者の力量に拘らず外敵を打ち払う術も何かあるはずだ。

 そして一体でも倒すことができれば……レベルとやらが大幅に上がり、俺も多少は魔物に対しての抵抗ができるようになる。

 

 そんなことができるかどうかはわからない。

 だが、ナイアロトプは、少なくとも俺がルナエールと接触して回復アイテムを得ることができるようになるとは考えていなかったはずだ。

 命を繋ぎ、経験を積めるというのは大きなアドバンテージである。

 やってやる、やるしかないんだ。


 ――五分後、俺はカエルの化け物に捕らえられていた。

 カエルの化け物は青い半透明色をしており、全長は五メートル程あった。

 全身に目玉が浮かんでおり、足は六本、それとは別に触手がうようよと身体の周りから伸びていた。

 背の中央からは、蒼い肌をした女の半身が伸びている。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

種族:ヘケト

Lv :1821

HP :10623/10623

MP :11003/11003

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 俺はカエルの化け物……ヘケトの触手で、天井高くへと掲げられていた。

 俺はヘケトのステータスを確認しながら、ひょっとしてこの数値は9999までしか確認できないのではなかろうかと考えていたのだが、どうやら五桁でも表示できるらしいと気が付いて妙な安堵感を覚えていた。


「恐怖を抱かせてから喰ろうた方が旨いのでな……楽には殺さぬぞ……。腕の端から溶かして、食してやろう……。嬉しかろう、この我と一つになれるのだ」


 女の半身が笑う。

 下についている目玉塗れのカエルが、疣に塗れた太い青白い舌から涎を垂らしていた。


 終わった……俺は、今度こそ本当に死ぬんだ……。

 手足がどろどろに溶けていく。

 痛い。痛いというよりも熱い。

 しかし、そのことを悲鳴を上げて訴えるだけの余力は俺は持っていなかった。


「脆い、脆いのう……だが、我が粘液は強力な酸を帯びていると共に、高位の治癒魔法と同等の力も持っていてな? HPを1未満にまで減らすことは絶対にないのでな。安心するがいい……貴様は脳髄までドロドロに溶けるそのときまで、自我を保ったままいられるのだ。どうだ? より恐ろしくなってきたか?」


 そのとき……俺は溶けていく自身の視界の端から、さっき俺が諦めた長剣を握りしめたルナエールが飛来してくるのが見えた。


「無粋な客人だな……どれ、結界魔法第十六階位|大渦鏡水牢《カリュブディス》」


 ヘケトを中心に魔法陣が展開され、突如現れた水が半球状に辺りを覆った。


「水の流れが、この空間を隔絶させた……。少々魔力は嵩むが、これで何人たりともこの空間へ入り込むことはできやしない。珍しい食事だからな……お前は味わって喰い殺してや……」


 水流に切れ目が走って爆ぜて飛沫を上げる。

 《大渦鏡水牢カリュブディス》が崩壊したのだ。

 その向こう側には、剣を振った状態のルナエールが浮かんでいた。


「あくまでも我を邪魔しようというのか! 容赦せぬぞリッチの小娘……!」


 ヘケトの女人の顔が鬼の様な面へと変わり、ルナエールを振り返った。

 激昂するヘケトを前に、ルナエールは静かに長剣を降ろした。


「何を考えている? 我は気分を害したぞ、今更和解など……」


「もう終わっていますよ」


 ルナエールのその言葉と共に、ヘケトの身体に縦の線が走った。

 間から粘液が漏れ出していく。


「あり得ぬ……まさか、絶対防壁の《大渦鏡水牢カリュブディス》ごと、我が分厚い体表を斬ったというのか? 馬鹿な、数千の時を生きた蝦蟇の女王が、ここで滅びると……!」


 ヘケトの身体がぐらりと揺れ、その場に崩れ落ちた。

 消化液でぐだぐだになっていた俺の身体が地へと落とされる。

 下手したらこの衝撃で死にかねないと思ったが、ルナエールが下に移動してキャッチしてくれた。


 俺を助けたせいで消化液を全身に浴びたルナエールは、俺を抱えたまま無言でしばらく硬直していた。

 ……ルナエールの無表情顔が、少しだけ嫌そうに見えた。


 この後……俺はまたルナエールの魔法である《治癒的逆行レトグレーデ》で身体を再生してもらい、どうにか一命を手に入れることができた。


「度々ありがとうございます……本当に危ないところでした」


 俺は地面にへたり込んだまま頭を下げる。


「ありがとうじゃなくて……何をやっているのですか? 少し様子を見に……苦しんでいるところでも眺めてやろうと思って後を追い掛けてみれば、まさか剣を放り出して蝦蟇おばけに殺されかけているとは思いませんでした。獲物を弄ぶタイプの魔物でなければ、あなたは今頃死んでいましたよ? 馬鹿ですか?」


 ルナエールは早口で言う。

 無表情だが、それでも何となく怒っているのが伝わってくる。


「引き抜けなくて……」


「引き抜けない……軽く突き刺しただけなのですが」


 ルナエールは自分が馬鹿力なのだと理解して欲しい。

 常人にはあのカエル星人を剣一振りで真っ二つにすることなどできないのだ。


「では、なぜ引き抜けそうになかった時点で呼ばなかったのですか? 丸腰でヘケトに勝てる自信があったのですか? それにしては随分と無様なご様子でしたが……」


「引き抜こうとした時点でいなかったもので……。正直もう少し補佐してくれると助かるかな……くらいには思っていたのですが、その、あんまり下手に頼みごとをして機嫌を損ねたら食べられたりしないかなと」


「別にリッチは人間を食べたりはしませんからね。怒りますよ」


「い、いえ、本当にすいません! 俺、何も知らなくて!」


 大分失礼なことを言ってしまったかもしれない……と考えていると、ルナエールは目を瞬かせて、自身の口許に指を触れていた。


「いや、でもそういうのもいますね……」


 や、やっぱり食べるんじゃないか。

 俺が若干身を引くと、ルナエールがぴくりと肩を震わせ、目をやや大きく開いた。


「私は違いますから」


 ……ルナエールは表情の変化が小さいが……少しだけ拾えるようになってきたかもしれない。


「ここまで降りてくることができたのなら、武器とアイテムがあれば充分這い上がって地上に出るくらいはできるでしょう。ふざけていないで、とっとと地上を目指してください」


 ルナエールが俺へと長剣を渡す。

 俺がそれを受け取り、ルナエールが長剣を手放した瞬間……長剣の重さに負け、俺の腕が地面へと叩き落された。

 長剣が地面の上に落ちる。

 俺は肘が砕け、ついでに地面に叩き付けられた際に打った顎が砕けて血塗れになっていた。


 地面に這いつくばる俺を、ルナエールが無表情で見下ろしていた。

 意識が、遠退いていく……。


「《治癒的逆行レトグレーデ》」


 暗くなっていく視界の中、ルナエールが淡々と、三度目の身体を再生させる魔法を発動してくれた声が聞こえて来た。

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