第6話

 お腹を満たした僕らは、定食屋を後にした。

 食事を共にする度に思うのだけど、佐伯さんは実に美味そうに食べる。子供みたいに無邪気な表情で食べ物を頬張るくせに、どことなく品がある── なんて、まったくあべこべなことを言っているようだが、誰が見てもそう感じると思う。

 それについて言及すると、彼女は笑顔で答えるのだった。

「だって美味しいから」

 僕は何も言い返せず、ただただ感心するばかりだった。


「さて、これからどうする?」

「せっかくだし、デートしようよ」

「せっかくの意味解ってる?」

「解ってるよぅ、それくらい」

 不服そうに答えながら、佐伯さんはふらりと歩き出した。

「そうだなあ、どっか、涼しいところが良いな」

「それには賛成だね」

「えーと、えーと。…あ、たしか近くにデパートあったよね?」

「ああ、あるね」

「じゃあ、そこでいいや。行こっか」

 果たして、デパートは徒歩五分ほどのところにあった。なるべく影を追って歩いてきたが、アスファルトからの照り返しは烈しく、僕はうっすらと汗を滲ませる。彼女も洋服の胸元をぱたぱたやりながら「溶ける」を連呼していた。

 なので、自動ドアの向こう側は天国と見紛うほど快適だった。

「ここは天国ですか?」

「いいえ、デパートです」

「こりゃあ良いね。いくらでも居座れそう」

「そうだね。もうちょっと空いてると、なお良いんだけど」

 それから僕らは、小洒落たパン屋の傍にあった自販機で飲み物を買った。カップ入りで、氷が浮かんでいるヤツだ。それを携えて、近くのベンチに座る。

 壁に設置された案内板を眺めて、カップに口をつける。

「いろいろ入ってるね」

「うん。どこ行こうか?」

「そうだねえ…、あ、AIに訊いてみよ」

 彼女はトートバッグから端末を取り出して、話しかける。

「初デートで行くべきは?」

 少し間があって、女性の声が答える。

「現在地を踏まえますと、ゲームセンターなど、よろしいかと」

「まー、それが無難かなあ」彼女が頷く。

「いいんじゃない?」

「ついにデートにはツッコんでくれなくなったね」

「アメフラシだって、突っつき過ぎたら慣れるんだよ?」

 とはいえ一瞬ツッコみそうになった僕は、学習能力においてアメフラシ以下かもしれない。ちょっとヘコむ。

 そんな僕の内心はつゆ知らないような顔で、彼女は人差し指を顎にあてがって何やら考えている。そうして、ポンと手を打って僕を見た。

「私、寄りたいところがあった」

「なに?」

「下着買いに行きたい」

「とんだ痴女だね。今日限りで絶交を宣言するよ」

「嬉しいくせに。君の好きな色を着けてあげてもいいんだよ?」

「君は、また…」

 僕はため息を吐いた。彼女が下ネタを嫌がらないタイプの女の子であることは知っているけれども、そういう冗談は応えにくいのだ。

「ねえ」ふと、彼女が声色を変えた。それから、すこし黙る。

 まっすぐ前を向いたままで、ぼんやり遠くを眺める横顔は、相変わらず何を考えているんだか解らない。けれど、これまでの会話とは属性の違ったことを言うつもりなのだと、疎い僕にも判った。

「神様って、いるのかな?」

「…どうしたの、突然」

「や、ほら、私たちってさ、いっつもAIの言うこと聞いて生きてるじゃない?」

「うん」

「それは、確かに正しいことなのかもしれないよ?でもさ、なんか、違和感があるんだよね」

 機械が人間を支配する。

 それは、ずいぶん昔から議論されてきたらしく、AIが普及し始めた当初もたくさんの偉い人たちが眉間にしわ寄せて話し合っていたことだ。結局、AIは充分に安全だという結論が下され、今ではもう、誰もその存在を疑わない。

 たしかに僕も危険だとは思わない。

 けれど僕も、彼女と同じことを考えていた。

「…どうして、なんだろうね」

 たしかにAIは、神様と違って何でもは知らない。でも、人間には予想が難しい将来を高確率で的中させてしまうのなら、それはもう、ほとんど神様と言っていい。だから、本質的には『神様のお告げ』と『AIのお告げ』に大差はない。

 つまり、僕らは意のままに神様を呼び出す技術を得たのだ。それは、たぶん人類が願ってやまないことだった、はずだ。

 だったら、この違和感はどこからやって来るのだろう?

「たとえば、AIに死ぬべきだって言われたらさ、ほんとに死んだ方がいいのかな」

「そ、れは…解んないね」

「私たちは、AIに逆らえないのかな」

 なんだか悲しげに、彼女は呟いた。

 正確には、AIは人間を支配しない。物理的には何らの強制力も持たない。それでもAIが強力なのは、不可避の未来を人間に教えてしまうからだ。神様よりもはっきりと、具体的に、科学的根拠を伴って。時にそれは、ひどく残酷だ。

 最適な人生が自らの意にそぐわない場合、人間は簡単には受け容れられない。そうして、ある者は足掻き、ある者は諦める。

「…これからの人生に不幸ばかりが待ち受けているって判れば、とても、生きていようとは思えないかもしれないね」

 ここに生まれてしまったという、ただそれだけの故で、出来損なった人生を歩み続ける、その苦痛。惨めさ。

 僕は、それをよく知っている。

 AIが、つまり神様が死ねと言う。それは、これ以上の幸福が存在しないということの暗示だ。

 そんな時、人間は足掻けばいいんだろうか。諦めればいいんだろうか。

 僕は、どうすればよかったのか。

「…人間ってワガママだね」

「また、神様みたいなことを」

「で、君は何色が好きなの?」

「脈絡の概念をどこかで落としてきたみたいだね。一緒に探してあげようか」

「私は黄緑が好きかなあ。ねえ、君は?教えてよ」

「…水色、かな」

「水色ね。おっけー、覚えた」

 僕はカップに口をつける。小学校に上がりたてくらいの男の子が、僕らの前をハイテンションで駆け抜ける。母親らしき女性が後を追う。

 背後の壁に頭を預けて、甘い炭酸を飲み込んだ。一緒に含んでしまった氷を噛み砕いてから、口をひらく。

「もっとマシなことに脳の容量を使うことをオススメするよ」

「えー、大事なことだと思うけどなあ」

「どうして?」

「だって、ほら。友達のこと、よく知らないなんて寂しいでしょ」

「…まあ、うん。そう言われると否定できないな」

 彼女はバカなのか賢いのか、よく判らない。


 それから、僕らは三階にあったゲームセンターへ向かった。当然ながら子供の姿が多く、僕らと同年代とみえる少年少女らの姿も見受けられた。

 それにしても、たくさんの機械が並んでいる。AIが人間をコントロールするようになっても、人間が思いつける娯楽に変化なんて無いらしい。まあ、多少は洗練されてきたらしいのだけど、それを進化と呼べるか否かは、僕には判断できない。

 どれから手をつけるべきか、僕は辺りを見回す。

「さて、どうしよっか」

 って居ないし。

 話しかけた右隣から、彼女の姿が消えていた。一瞬ドキリとして、けれどそれが杞憂であることは、三秒もかからず明らかになった。

 彼女はクレーンゲームの筐体に張り付いて、食い入るように景品を見つめていた。カップルらしき若い男女とすれ違いながら、僕は彼女に歩み寄る。

「なんか見つけた?」

「これ、めちゃめちゃ可愛い!」

 上半身を捻って興奮気味に振り返り、彼女はぬいぐるみの群れを指さした。長さ五十センチ、直径二十センチほどの大きさで、白いぬいぐるみである。『まなてーず』と名付けられており、おそらくマナティーを模したものなのだろう。しかし、妙に顔の部分がリアルだ。

「…可愛い?これ?」

「えー、可愛くない?」

「まあ、うん、可愛い、かもしれない」

 なんというか、微妙である。どうせならもう少しデフォルメすればいいのに。

「ね、これ、取ってみてよ」

「えー、僕がやるの?」

「私、こういうの苦手なんだって」

「そうなの?いや、でもなあ」

「取れたら抱かせてあげるから」

「男子にそれはキツイでしょ」

「あ、抱くなら私の方がよかった?」

「その口を塞げるなら百円くらい惜しくないね!」

 躊躇いなく硬貨を投入する。安っぽい効果音とともに、ゲームが始まった。

 しかし、僕だって得意ではないのだ。正直、どうすれば良いのか判らない。こういうのは重心の位置が重要だと聞いたが、コイツの重心はいったいどこにあるんだろう。

 まあいいか、テキトーで。僕は感覚に頼ってクレーンを操作した。んー、この辺だろうか。二つ目のボタンを離すと、クレーンがスルスルと降下する。

「わ!すごいすごい!」

 隣で彼女が飛び跳ねる。僕の意識に反して、クレーンはがっちりとぬいぐるみを掴んだ。一見すると持ち上がりそうにもない図体は軽々と宙に泳ぎ、難なくゴールへ落下する。

 彼女は透明な蓋を押し開けて取り出し口に右腕を突っ込み、ぬいぐるみを取り上げた。

「…取れちゃった」操作していた僕の方が拍子抜けしてしまった。

「取れちゃったね!すごいよ、綾辻くん!一発だよ!」

「なんか、うん。ありがと」

「はい、約束通り抱かせてあげる」

 そう言って、彼女はぬいぐるみを差し出した。まだ高校生とはいえ、男子がこれを抱くのはちょっと、とか思ったが、意外と抱き心地は悪くなかった。表面の細かい毛が、なんだか気持ちいい。

「…思ったより良いね、これ」

「でしょ?」

 すぐに返すつもりが、僕はしばらくぬいぐるみを抱いたままで、背中を撫でたりなんかしていた。

 顔をあげたはずみに、ふと、近くでゲームに興じていた若い男性と目が合った。ハッとして、慌ててぬいぐるみを返す。それに気づいてかどうか、彼女はニヤニヤしながらぬいぐるみを受け取った。

「照れ屋さん」

「五尺七寸のレイニーにも五分の矜恃があるんだよ」

「こんど殺虫剤かけてみてもいい?」

「なんで殺そうとするのさ」

 五分の魂をなんだと思ってるんだ。

「あらためて、ありがとう」

 相変わらず脈絡を知らない彼女は、思い切りふざけた直後にも関わらず、真剣な顔つきで礼を述べる。それが妙にツボに入ってしまい、僕は噴き出した。

「むー、なんで笑うの」

「や、深い意味は無いんだ」

 不思議なひとだな、と思う。

 それから僕らは、クレーンゲーム以外も見てまわった。意外なことに、彼女が興味を示したのは格闘ゲームだった。レバーとボタンが付いていて、向かい合ったプレイヤー同士が対戦するアレだ。まったく女の子らしくない、なんて言うとまたセクハラを疑われるので言わないが、内心、僕は驚いていた。

「面白そうじゃん。やってみようよ」

 そう言われ、僕は不承不承、彼女の向かい側に座ってレバーを握る。格闘ゲームなんて、小学生の頃、数少ない友人に付き合ってプレイしたことはあるが、それっきりだ。

 だがまあ、初心者という点では彼女も同じだろうから、技術なんて必要なかろう。そんなことで自分を納得させる。

 それが余りにも迂闊な考えだということに気づいたのは、五回連続で完膚なきまでに叩きのめされた後だった。

 立ち上がって、彼女のほうへ向かう。こちらは血相変えて必死の抵抗を試みたというのに、彼女は顔色ひとつ変えず、むしろ横顔に穏やかな微笑みさえ見せながら、椅子に座って画面を見つめていた。

「…なんでそんなに強いの?」

「えー、わかんない。私、これ初めてやったし」

 初めてで、あんな華麗な動きができるものなのか。や、コンボとかホントえげつなかったけど。初めてだっていうのが嘘じゃなければ、彼女はきっと天才だ。ゲームでご飯が食べられるかもしれない。

「綾辻くんが下手なんじゃないの?」

 ちいさな白い手をレバーから離し、口もとにあてがうと、彼女は心底腹立たしい顔で、ぷぷっと笑った。不可解だし不愉快だ。僕は両の拳を体側で握りしめたまま、無理に笑顔をつくった。

「死ぬほど腹立たしいけど、ここは素直に降参するよ」

「えー、つまんない」

「全財産投入しても勝てる気がしないんだよ」

 お世辞でも冗談でもない。もはや怖い。実はケンカも強かったりするんじゃないか。そう思うと、ノースリーブの細腕が凶器にも見えてきた。

「やめて!仮にも女子なんだからそんな目で見ないで!」

「そんな目って?」

「今のは、マスク被った殺人鬼を見る目だよ!」

「ごめん、つい」

「もー。これでも私、体弱いんだからね?」かるく頬を膨らませる。

 それは初耳だ。

「ほんとに?」

「ほんとだよ!心配されたくないから、言わなかったけど」

「病気なの?」

「うん。月に一回は病院で検査してもらわなきゃだし、けっこう大変なんだー」

 平然と言ってのける。なんでもなさそうな口調のわりに、言っていることはかなり深刻に聞こえた。思わず、僕は眉をひそめた。

「大丈夫なの?」

「まあね。悪化しなければ、二十代半ばまでは生きられるみたいだよ」

 めずらしく、僕は他人に興味をもった。

 佐伯さんが僕と同じ運命を背負っているとは、思いもしなかったのである。

「生まれつき?」

「んー、その辺は、ちょっと難しいみたい。病院へ通い始めたのは小学校高学年くらいからだけど、今ほど神経質にならなくてよかったんだ。でも、中学生の時、ちょっといざこざに巻き込まれて、がむしゃらに走ったのが悪かったみたいで」

 がむしゃらに走らなきゃならないような、いざこざ。彼女がそんなものに巻き込まれているのは、ちょっと想像できない。すこし気になったけれど、ブラックな出来事に触れるリスクを冒してまで、訊こうとは思えなかった。

 僕の沈黙を必要以上にネガティブなものに感じたのか、彼女は、からり笑ってみせた。

「ま、べつに、普通に過ごすぶんには平気だからさ。体育とかはできなかったりするけど、それくらいだよ」

「…そっか」

 あまり深刻な雰囲気にしてしまっては可哀相だと思ったので、そこで話題を変える。

「でも、クレーンゲームが下手っていうのは嘘だよね?」

「ホントだって!これは偶然だから!」


 そんなことをしているうちに、時刻は午後三時を過ぎていた。かれこれ、二、三時間も遊んでいたことになる。さすがに遊び疲れた僕らは、デパートを出て、向かいにあったカフェに入った。

 それほど大きな店ではないが、そこそこ繁盛しているらしく、外装も未だ綺麗である。大きなガラスのはめ込まれたドアを押し開けると、頭上でベルが鳴って、深いコーヒーの香りが鼻腔を擽る。店内を見回すと、木を基調とした意図的な古さが気分をリラックスさせてくれる。

 ちょうど、窓際の一席を陣取っていた客が帰ったところで、僕らはそこへ通された。そう言えば昼の定食屋でも待たされなかったし、僕にしては運が良い。佐伯さんが居るからだろうか。

 向かい合わせで座って、間もなくやって来た店員に、僕らはアイスコーヒーを注文した。

 店員が一礼して去っていくと、彼女はテーブルに身を乗り出してきた。

「やー、楽しかったねえ」

「まあ、うん」

「えー、なにその微妙な反応」

「なんだか疲れた…」

 退屈はしなかったけれど、一日じゅう誰かと行動するというのは、けっこう疲れる。彼女のように活発な人なら尚更だ。

「私は、まだまだ遊び足りないんだけどなあ」

「素晴らしい体力だね。素直に尊敬するよ」

「そんな、だって私たち高校生なんだよ?」

「たしかに」

 老いたようなこと言っているのは、間違いなく僕の方なのだろう。しかしながら、僕が異様にくたびれているのには、ちゃんと理由がある。

「いかんせん、友達と遊ぶっていうのが、ずいぶん久しぶりだからさ」

「あ、そうなの?どれくらい?」

「…たぶん、五年ぶりくらいじゃないかな」

「…綾辻くん」

「なんだい?」

「それはダメだよ!青春は一度しかないって、自分で言ってたじゃない!」

 たしかに言った。そして連絡先を奪われた。だからここに居る。不思議なものだ。

 僕は頬杖ついて、窓の外を眺めた。

「たしかに言ったけど…や、解ってるんだよ。君が言いたいことは」

「ほんとに?」

「ほんとほんと。僕自身も問題だと、思ってはいるんだよ?」

「なんか他人事みたいだなあ」

 否定はしない。いや、できない。

 いつだってそんな風だから、AIの言うことも変わらないのかもしれない。

「…佐伯さんは、さ」

「うん?」

「将来、なりたかったモノとか、ある?」

「なりたいモノ、か。うーん。なんだろう」

「じゃあ、AIに訊いてみてよ」

「それはダメ」

 面食らった。

 何気無い提案のつもりだったのだけど、彼女はキッパリと拒否した。いたって真面目な顔で。

 気圧されて、僕はわけも解らず謝る。ちょっと気まずい。

 いったい何が彼女の逆鱗に触れたのか判らないが、たしかに、彼女は怒っているようにみえた。

 咳払いを一つ。ちょうど良いタイミングで、店員がコーヒーを運んできた。僕らはそれぞれに受け取って、シロップやらミルクやらを注ぐ。

 濁った液体をかき混ぜながら、僕は口をひらいた。

「まあ、いいんだ、それは。僕が言いたいのは、要するにね、将来を思うと、何をする気にもなれなくて、だから、無気力に蝕まれてしまうって、そういうことなんだ」

 勢いをくじかれたからか、言っている途中から自分でもワケが解らなくなって、それに、僕の人生の結末を教えたくなくて、まとまりのない日本語を話した。

 言わなきゃよかった。そう思っても、もう遅い。文章と違って書き直すことはできない。

 佐伯さんはもとの調子に戻ったらしく、黙って考える素振りを見せた。落ち着きたくて、僕はコーヒーで喉を湿す。

「ごめん、よく解んない」ややあって、彼女が応える。当然の返答だ。

「いいよ、解らなくて。ほら、前にもこんなことあったでしょう。ときどき、へんなこと口走っちゃうんだよ。癖みたいなもので。忘れてよ」

「んー。そう、なんだ」

 どうやら矛を収めてもらえたようだ。僕は一安心して、ようやく、コーヒーの味を認識した。なかなか美味しい。

「でも、いま何か、大事なことを誤魔化したよね?」

 すこし噎せてしまって、またコーヒーの味が判らなくなる。

 まったく油断していた。彼女は矛を収めた代わりに、脇差しを抜いたのだった。

「や、あのね、そんな、君を悩ませたいわけじゃないから…」

「解りたいの。友達のことだから」

 心底から困惑した。今までに無い体験だった。

 ちゃらんぽらんな彼女は、真っ直ぐに僕を見据えた。どんな嘘をも見透かしてやる、そんな意気込みさえ感じられる眼光に、僕は為す術なくうなだれる。

 ── だって、ほら。友達のこと、よく知らないなんて寂しいでしょ。

 デパートでの言葉を思い出す。本当に、僕と彼女は、根本的なところで正反対のものを持っているように感じる。そして、人間として正しいのが、たぶん彼女の方だということも、なんとなく解る。うまく言葉にできないけれど。

 たとえば今の状況なんか、その一例なんだろう。もし、僕が彼女の立場に在ったとして、彼女の失言を追求したりするだろうか。断じて否である。笑って、頷いて、誤魔化す。これが、僕がすべき事の全てだ。

 同じ運命を背負っているのに、どうして僕らは、こうも違っているのだろう。

 右手を頭の後ろへ遣って、くしゃくしゃ掻く。

 困ったなあ。自分のことに深入りされたことなんて無いから、どうやって誤魔化せばいいのか判らない。

 いつまでも、彼女は視線を外してくれなかった。

「…いつか、ヒマな時にでも、ね」

 答えて、ふいっと顔をそむける。

「わかった」

 彼女はそう応えて、それきり、全部忘れたみたいに、穏やかな口調で言った。

「ところでこの後、下着買いに行くの付き合ってくれる?」

 いろんな意味で言葉が出てこない僕は、しかし、口惜しいことに笑ってしまった。

 やっぱり、彼女はバカだ。

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