第4話

 佐伯さんに絡まれるようになって、二週間が過ぎた。もうすぐ六月が終わる。水泳の授業が行われて、夏休みが近づく。ついでに期末テストも近づき、教室の空気はなんとも言えず間延びしている。

 そんな日々が、だらだらと流れていく。

 今が青春と呼ばれる時期であることくらい、僕だって知っていて、だから毎日をしっかり生きていくべきだと、思わないではない。しかし相も変わらず、僕は冴えない生活を続けていた。

 佐伯さんを除いては、何も変わったところはなかった。そう、彼女を除けば。

 依然として、彼女は僕に構い続ける。理由はまったく不明だ。

 はじめは僕の方でも、彼女を拒むことは考えなかった。率直に、どうでもいい、と思った。

 僕は、何事にも頓着できない。感情が鈍いのだ。人並みに嬉しいとか悲しいとか、そんなのはあるけれど、それを大事にしてやれない。だから彼女のことも、害を為さなければそれでいいと考えていた。

 僕はもとより、その他に生きる方針をもっていなかった。

 しかしながら、彼女があんまりにも親しく接してくるのを見るにつれ、僕は、胸の内に何かがわだかまるのを感じた。それは恋のように激しいものではなく、むしろ困惑に近い。

 ── 君の死因に、なってもいいですか?

 彼女は、いったい何を考えている?

 それが気になり始めていた。よからぬ事を企んでいるようにもみえないが、かといって、彼女のような『陽キャ』が僕なんかに構うのは、やはり不自然であるように思われるのである。

 しかし、直截に訊くのは躊躇われるし、なにより僕自身に、彼女を突き放すに十分な気力が無かった。

 よって僕らは、活発な女の子にからかわれる根暗な男の子という構図を保っていたのだった── が、しかし、そのわだかまりは、思わぬときに思わぬ形で、この僕の口からまろび出ることとなる。

 ある日の放課後のことである。

 学校の玄関に靴を投げ置いたところで、背後から佐伯さんの声がした。

「ハローレイニー」

「グッバイサニー」さっさと靴を履いて歩き出す。

「ちょっと待って、置いてかないで、一緒に帰ろーよぉ」

 玄関を抜けて足早に歩く僕に、佐伯さんは小走りで追いついてきた。

「いきなり煽ったのは悪かったって」

「許してあげよう」

 歩調を緩めると、彼女はご満悦の様子で僕と肩を並べた。

「やさしいねえ」

「もっと褒めてもいいんだよ?」

「なんか最近、AIの調子が悪くてさ」

「事故不可避の唐突さだね。で、調子が悪いってのは?」

「質問に答えてくんないの」

 AIというのは、正式名称をAIコンサルタントといって、現在、ほとんどの日本国民が利用していると言われる『人生最適化アプリ』だ。詳しい仕組みなんて僕に解るはずもないが、サービスの内容はシンプルにしてエレガント。ずばり、人生を最適化するのだ。周囲の環境やヒト個体としての生物学的データといった情報を用いて、その人間に合った人生の構築をサポートする。いわば、科学的な『神様のお告げ』である。

 かつては精度も大したことなかったそうだが、現在ではほとんど未来予知と言ってもいいくらいに進化している。だから僕たちは、基本的にAIの言うことばかりを聞いて生きている。

「どんな質問をしたの?」

「えっとねえ」

 彼女は少しだけ頬を赤らめて、躊躇った。めずらしい。

「私が君と結婚した時、生まれてくる子供の性別と、将来の年収」

「生まれて初めてAIに同情したよ。君は天才かもしれない」

 そんなの、答えられるわけがない。どれだけの確率を踏まえてると思ってるんだ。てか、ちょっと恥じらうなら最初から訊くなよ。

「えー、気になるじゃん」

「なんでさ。そもそも結婚しないでしょ?」

「ひどい!私とは遊びだったのね!」

「なるほど、それが言いたかっただけか」

「あ、バレた?」

「バレました」

 痛くない程度に肩を小突いてやると、彼女は楽しげに笑った。

 ホントに、何考えてるんだか。ちゃらんぽらんで、いつもテキトーなことばかり言って。

「あんまり、女の子がそういうこと言うもんじゃないよ?」

「セクハラですか」

「よくも棚に背が届いたね。三十秒前の自分を思い出してごらんよ」

「だって、君が寂しいこと言うから」

「寂しい?」

「男とか女とかさ。ほら、別にエッチな女の子が居たっていいでしょ?」

「や、そういうことではなくてだね…」

 つい、立ち止まる。つられて彼女も足を止めた。

「綾辻くん?」

「君は、僕なんかに構ってていいの?」

 それは、あるいは僕の、部分が言わせたことなのかもしれない。逆接的に許しを求めるようなことだと、自分でも解っていた。

「どういうこと?」

 僕は再び歩き出した。そろそろと緩い坂に差し掛かる。これを登りきったら、僕たちはバイバイをしなくちゃならない。

「君は、明るくて人気者だ。僕は、根暗で空気だ。そして、青春は一度しかない。そういうことだよ」

 僕自身も、自らの耳を疑ってしまうような発言だった。そんなことを言うつもりではなかったのに。

 突き放すような言葉に、彼女は黙り込む。しばらく、二人の足音だけが仲良く寄り添っていた。

「…別に」

「ん?」

「誰彼かまわず、こんなこと言ってるんじゃないよ。私は、君と仲良くしたいだけ」

 答になっていない。二の句を継ごうとして、しかし、僕は口を噤んだ── あるいは、僕の防衛本能が、数十秒前の失言を雪ごうとした。

 落ち着け。

 あるいは、初めから答えようのないことなのかもしれない。

 僕は人間関係に疎い。けれども、それは科学と違って、全ての物事に名前や理由を要求しないことくらい、知っていた。だから、拒絶する勇気も気力もない僕に、こんなことを言う資格は無いのかもしれない。

 相手の行動に理由を求めることは、それを拒絶あるいは受容の材料にすることだから。受容しか知らない者には、判断材料なんて必要ない。訊くまでもなく、答は決まっているのだから。

 だとすると、僕は先刻さっき、まったく良識の無いことを問うたに過ぎない。

「…ごめん、バカなことを、言った」

「ダメ、許しません」

「え?」

 ちょうど、坂の頂上に到達した。立ち止まった僕を通り越して、彼女は二、三歩前に出ると、スカートをふわり膨らませて、くるり振り返った。そうして、目を細める。西陽が眩しいのだろう。

「連絡先教えてくれたら、許してあげる」

 言って、彼女は右手を差し伸べてきた。

「友達になろう。そしたら、君もそんなこと考えずに済むでしょう?」

 なんだか根本的なことを違えているように思われたけれど、おおむね彼女が正しいことに違いはないので、僕は素直に端末を差し出した。彼女はひったくるようにして受け取ると、慣れた手つきで操作して、すぐに返してくれた。

 表示された画面は連絡先一覧になっていて、新規追加の欄に『佐伯陽花』の名前があった。

「じゃあ、今日からよろしく」

「だいぶ遅いよろしくだね」

「これでいつでも話せるね!」

「言い忘れてたけど、僕、実はヴァンパイアなんだ。君とは生活リズムが合わないから、通話はできないかもしれない」

「日焼け止めでも塗ってるの?」

「ミュータントヴァンパイアなのさ」

 彼女は呆れ顔で僕の胸を小突いた。心外だ。彼女にバカ扱いされている。

「バイバイ」

 と言ってから、彼女は歩きだした。僕も帰宅を再開する。

 すこし歩いたところで、端末が振動する。振り返ると、右手を耳へ遣って、手を振る彼女が見えた。仕方なく、僕は通話に応じる。

「もしもし?」

「言い忘れてた、また明日ね」

「…うん、また明日」

 やっぱり、彼女はバカなのかもしれないと思った。

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