後輩を振った話

大宮コウ

後輩を振った話と、その後日談

『先輩、こっちに来てるって本当ですか?』


『そうですか』


『明日、パーティしませんか?』


『かわいい後輩の高校卒業記念だと思って』


『決まりですね。十二時に、いつもの場所でいいですか?』


『では』


『先輩、楽しみにしてますね』



 三月三日。十二時まで十分前。

 ビルの隙間にあるカラオケ屋の看板を見て、まず思うことといえば「まだ潰れてなかったのか」ということだった。

 なにせ壁は薄いし、機種は少ないし、ドリンクバーはやたらと薄い。店員の愛想だっていつ来ても最悪だ。利点といえば、安いことくらいだ。しかし多少マシな競合店が近くにできたりしたのなら、直ぐにでも潰れてしまうのではないだろうか。

 かつて通っていた高校の最寄り駅は、そんなに長い間いたわけでもないのに、どこか郷愁を感じる。

 彼女はまだいなかった。昔から、時間にはぴったり動くやつなのだ。念のためと多少、早めに来たはいいものの、カラオケ店以外にはコンビニと本屋、それに文房具屋ぐらいしかまともにない。

 さりとて十二時まであと十分足らず。バイトもひと段落した春休み、新幹線で帰省したのは昨日だが、疲労もまだ尾を引いていた。わざわざどこかに足を運ぶのも億劫だ。

 空を見上げる。都会よりは、いくぶん澄んでいるような気がしたのはひいき目というものか。

 スマートフォンを弄って、その場で暇を潰す。

 ジャスト十二時。

 アイツが来た。

「――先輩、お久しぶりです」


 彼女は先輩と呼んでくるものの。

 俺にとっては幼馴染のようなものだった。

 付き合いは幼稚園まで遡る。同じマンションの隣の部屋の住民で、彼女は一つ年下で。そういった経緯もあり、親同士の仲が良かったことから、俺が彼女の面倒を見ることも少なくなかった。

 小学三年生まで彼女との交流は続き、彼女の親の転勤を期に縁がいったん途切れる。

 最初は悲しかったけれど、マンションに住んでいた他の近い年の友達も次第に転校していって、そういうものなのだと飲み込めた。



 高校に入るまでに二度の転校を経た。

 全く知らない場所の、名前も聞いたことのなかった高校に上がった。

 クラスメイト達はいいやつらだったけど、地元の繋がりの強い土地柄なのか、俺の心はいつまで経っても異邦人だった。

 そんな折、二度目の春に、彼女と再会した。

 そういえば、その時にもこのカラオケで集まったのだった。

 小学生の頃、仲間内で『パーティ』が流行ったのだ。悲しいことがあったとき、嬉しいことがあったとき、みんなで『パーティ』を開くのだ。

 パーティ、といっても盛大なものではなく、誰かの家にお菓子を持ち寄るささやかなものだ。小さなどんちゃん騒ぎのお祭りで、日ごろの鬱憤を晴らしたり、盛大に祝ってやる遊びのようなものだ。

 最後にしたのは――そう、俺の大学合格祝いだったか。

 彼女との連絡は、その日から途絶えていたはずだった。



「先輩、私の方見て、どうしました?」


 照明の暗いカラオケの一室で、彼女に瞳を覗き込まれていた。


「あ、ああ……なんだ、髪、伸ばしたのか?」


 俺の記憶の中で、彼女はずっと、すっきりとしたショートカットにしていた。しかし今では、肩まであるボブヘアーになっている。

 何か心境の変化でもあったのかと思って聞いたのだが――


「いえ、単純に美容院に行く時間が取れなかったからです」


 ――と、ばっさりと切られてしまう。それもそうかと、俺は薄いオレンジジュースを一口啜る。ポテトチップスにも手を付けるが、齧る音が、やたらと響く気がする。


「先輩は、向こうで元気でよろしくやってます?」

「まあ、ほどほどに」

「彼女とか、もうできました?」


 むせた。

 何にも気にした素振りをしてこなかったから、杞憂かと思っていた。

 俺の挙動不審、に彼女は目を見開いていた。


「先輩、まさか自分で振っておいて、まだ気にしてるんですか?」


 返す言葉がなくて、目をそらしてしまう。

 二年前のあの日……俺は、彼女に告白されたのだ。そして、俺は振ったのだった。

「遠距離恋愛は、その、無理だろ」とだけ返して。

 思い返すもあんまりな返事だった。その日以来、彼女からの連絡が途絶えたのも当然だと思っていた。


「まあ、考え方は人それぞれですので否定はしませんが……あの、先輩は私のこと、嫌いじゃ……ないんですよね?」

「当たり前だろ」


 むしろ好きである。受験をしている最中も、彼女の存在は俺の心の支えになっていたといっても過言ではない。

 ただ、遠距離は信じられない。単身赴任をしていた父親の浮気を知って以来、俺の価値観は、いっそ意固地なくらい固まっていた。


 互いに無言になる中で、スマートフォンが鳴る音が響いた。

「すいません、ママから連絡が」と彼女はスマートフォンを開いて、何事かを話し出す。

 その間に、どうしたものかとこの場の打開策を考える。気まずさからの逃避であった。だが、うまいこと思いつくわけもなく、彼女は会話を終えてしまう。

 電話を終えた彼女は、しかしどこか柔和な……喜びを隠しきれないような微笑みをしていた。


「先輩、私も同じです。遠距離で待つなんて、できない人間だったみたいです」


 俺に向けて、彼女は自身のスマートフォンの画面を見せてくる。

 その画面には写真が写っていて、そこには――大学の合格通知の紙が一枚。


「今年もよろしくお願いしますね、先輩」

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