夢見る男と現実

常盤木雀

雫祭り


「ローナ、父上が決めた君との婚約を、私は破棄したいと思う」


 突然のアルベルトの宣言に、ローナは耳を疑った。

 何故そうなるのか、何故この場で告げられるのか、全く分からなかった。

 ローナは、祭壇の前で声を張り上げた婚約者を、ただ見つめることしかできなかった。




 ローナとアルベルトの婚約は、二人が幼い頃になされた。アルベルトは国王の息子であり、つまり王の決めた婚約であった。


 政略的な婚約であるとはいえ、二人の仲は良好であると見られていた。

 それは、ローナが彼にふさわしくあろうと努力していたからでもあるが、主にアルベルトによるところが大きい。アルベルトは大変なロマンチストで、常々ローナに盛大な贈り物をしていたのだ。


 理由なく花を渡したり。

 揃いのブローチを付けたり。

 “ローナのための曲”を演奏したり。


 愚か者と笑われてもおかしくない行動だったが、意外にも人々には好意的に受け取られている。アルベルトがその他の面では優秀だからだ。

 強く賢く親切な王子が婚約者には冷静さを欠くほど愛を注いでいるという話は、女性たちの憧れとなっている。私もそんなふうに愛されたい、と夢を見ているのだ。


 そんなアルベルトであるから、この日、雫祭りでもローナに愛を捧げるだろうと、誰もが思っていた。



 雫祭り。

 古くは雨乞いの儀式であったという。次第に雨の恵みに感謝する祭典に変わり、今では恵みを喜び誓いを立てる祭りになっている。

 身分のある者たちが集まり、祭壇で祈りを捧げる。その後は、誓いを立てながら指先から雫を落とすと、誓いを果たすことができるよう神の助けがあると言われており、それを行う者が多い。

 一般の民も、祈りはしないものの、誓いを立てて、飲み食いをして騒ぎ遊ぶ日である。




 ローナは信じられない思いのまま、アルベルトの次の言葉を待った。


「……私は、父上が決めたこの婚約が、今までずっと嫌だった。取り消すことができるなら取り消したいと、いつも思っていた」


 同情の目が、いくつも向けられる。

 それと同時に、嘲りの視線も交ざっていることにローナは気付いた。


(こういう立場になってしまえば、あっさり切り捨てられてしまうのね)


 悪意のある視線の元に知り合いも含まれているのを見て、ローナは静かに息を吐き出した。

 嫉妬や悪意には慣れている。しかし、親しくなり納得してもらえたと思っていた相手から、というのは初めてだった。



「私には、心から愛する人がいる」


 アルベルトのさらなる言葉に、どよめきが起きた。


 ローナは、体が冷えていくのを感じていた。


『ローナ、雫祭りは楽しみにしていて。最高のお祭りになるよ』


 そう囁いていたアルベルトは何だったのだろうか。それとも、彼にとって最高だということなのだろうか。

 ローナには理解ができない。

 彼の言葉の意味も、心から愛する人というのが誰であるかも。

 あまりはしゃぎすぎないように、人々に迷惑のかかることはしないようにと心配するだけだったが、実際は自分の身の振り方を考えなければならなかったのだ。



 アルベルトは持っていた杯に指を浸すと、祭壇に雫を落とした。


「私は、彼女に永遠の愛を誓う!」


 人々に向き直り、にっこりと笑みを浮かべる。


「彼女は、誰よりも美しく、誰よりも心優しく、いつでも私を気遣ってくれる」


 私かしら、私かしら、とさざめきが起きる。

 どうしましょう、と嬉しそうに顔を見合わせる令嬢たちもいる。

 一方で、眉をひそめて成り行きを見守っている者も数多くいた。



「ローナ」



 柔らかく甘い声。



「私と結婚してくれないか。父上が決めた婚約ではなく、私から申し込んで、君に受け入れてもらいたかったんだ」



 ローナは、冷えきっていた体が解けていくのを感じた。そしてそれ以上に、燃えていくのも。

 人々が固唾を飲んで見守る中、ローナはアルベルトの前まで歩みを進めた。



「ローナ」


「正直、お断りしたいところですが」



 ローナは、はっきりとは自覚していないものの、怒っていた。


 祭りを私物化したこと。

 人騒がせな言動をしたこと。

 国王の決めた話を一時的とはいえひっくり返したこと。

 意図的でなくとも彼女の気持ちを蔑ろにしたこと。


 しかし、感情に任せてはならないと自制も働いていた。

 従って、お断りという言葉はアルベルトにしか聞こえないほどの小声だった。



「ローナ!」


「けれど、結婚はもちろんさせていただきますわ。国王陛下から賜りました婚約のお話ですもの」


「ローナ……」



 寂しそうなアルベルトを無視してローナが視線を巡らせると、高いところから見ていた国王が頷くのが見えた。隣では、王妃が頭痛を堪えるような表情で、ローナに何かを訴えかけている。

 ローナは二人に会釈すると、アルベルトに向き直った。




「アルベルト様、もしも、の話ですけれど。イアリー織の布が手に入ったら、私、アルベルト様を見直してしまうかもしれません」


 ローナがちらりと見上げると、王妃はそれで良いと言うように微笑みかけた。

 王妃の意図を汲み取れたようで、ローナはほっとした。

 アルベルトに罰として、何かをさせようという考えなのだ。国のためになる何かを。

 アルベルトであればやり遂げるということを、ローナは分かっていた。だからこそ、難しく、成果の大きいものを選んだ。


「ローナ! 手に入れて見せる! だから」


「それから、争って手に入れたような布は、嫌ですわ。平和で友好的な布でなければ、身に付けたくありません」


「野蛮な方法で手に入れたものなど君に贈らない!」


「もしも、のお話ですから、どうかご無理をされませんよう」



 ローナはアルベルトに一礼すると、祭壇に向かった。




 人々は、イアリー国との国交が近いうちに始まるであろうことを察した。

 イアリー織は、イアリー国でのみつくられる上質な織物だ。イアリー織があればどんな国でも冬を越せる、と言われているほどである。しかし、噂はあれど、この国ではイアリー織が持ち込まれたことは一度もなかった。

 イアリー国は排他的な国で、これまでも何度か役人が足を運んでいるが、なかなか外交が進んでいなかった。しかし、これをきっかけに、アルベルトは自身が中心となり、新たな戦略で親交を深めようとするだろう。そして、彼は優秀なのだ、近いうちに成功すると考えられた。


 それから、人々は未来に思いを馳せた。

 能力は高いが、妻のこととなると周りが見えなくなるような親しみやすい王。王の暴走を正しい方向へ修正する王妃。この二人ならば、国は良い未来を迎えるに違いない。

 アルベルトの『心から愛する人』という言葉に浮わついた令嬢たちも、ローナに敵わないことは理解している。一瞬夢見ただけで、それだけの重責を負う自信も覚悟もない。




 ローナは祭壇に雫を落とす。


「国が、アルベルトが、正しく在れるよう、最善を尽くすことを誓います。どうか正しく導けますよう、お助けください」


 小さな呟きは誰にも聞こえない。



 一人の男の企んだ『最高のお祭り』は、

  一人の怒りと、

  二人の心配と、

  人々の未来への希望と、

  国の安泰への神の助けと、

  本人の大きな失意

 をもたらして、その後は例年通り進んでいった。

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