第6話 あの日の記憶③

 奴隷を連れて往来を歩くわけにもいかない。皇帝は側近に馬車を呼びつけさせ、少年は奴隷の手綱を握ってその馬車に乗り込んで帰ることになった。

 皇帝は身分から、乗り合わせる事すら叶わない。心なしか急ぎ足の馬車の中、少年とその奴隷は2人きりで、初めて言葉を交わした。


「貴様、名は」


 赤髪の美少年は、獣のような少年に声をかける。


「名前は、ない」


 少年は答えた。汚れてこそいるが顔立ちは整っていた。今にも飛び掛かり、人を殺そうと画策しているその目が、セプテムの心を強く打つ。


「なぜ諦めない? この国では奴隷は一生奴隷のままだ。仮に俺を殺しても、何も変わりはしないだろう」


 男はおぼろげな発音でそう発した。


「自由が手に入る」

「自由? 馬鹿な、すぐに捕まり、処刑されるぞ」

「それでも一瞬は自由だッ」


 男は吠えるように、吐き捨てるように言った。野心が灯る昏い瞳、彼ならあるいは……


「わかったわかった。絵空事は胸に秘めて置け。今日から貴様は俺のものだ、名前はそう……今が8月だから、アウグスト。そう名乗れ」


 あるいは、


 この腐りきった国を、制度を、組織ごと破壊してくれるかもしれない。


 ――少年は野心家だった。

 自身が良王になり、全権を掌握する。

 変えられる制度は変える。しかし、それでも変わらないもの、差別や貧困、その類。

 為政者では変えられないものがある事も知っていた。

 聡明であるがゆえに、権力の限界を知っていたのだ。だからこそ、

 自身への毒として、最終兵器となりうる存在を探していた。

 それが、目の前の燃え滾る野心の男に感じられたのだった。


「いいか、アウグスト、これから貴様は剣闘士になるのだ。せいぜい剣を磨け、このセント・ヴェリウス帝国の見世物としてな」


 少年の意思は決まった。以後、セプテムはアウグストを所有物として扱い、剣闘士として適度に育っていくよう敵を宛がって行った。

 アウグストはその名を受け入れ、甘んじて見世物の役割を担った。いずれ、この男を殺し、束の間の自由を手に入れるために。

 二人の少年はすれ違うように成長し、やがて大人になった。皇帝と奴隷の英雄、あの日の記憶を根底に、今日も時間は過ぎていく。

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