第2章 聖ヴェリウスの封剣

第6話 あの日の記憶①

「お父様、お父様!」


 石畳続くセント・ヴェリウスの目抜通りを、細く短い赤髪を揺らして元気に少年は走る。

 父と呼ばれた男はそんな少年を両手を広げて迎え入れ、軽く撫でる。


「お父様、街は楽しいですね! つまづきそうな石畳、暗い細道、どれもお城には無いものです! 民もみな笑顔で……あ、先ほどの道端にのら猫がおりましたよ! それと、それと」

「はっは。そう急くな。セプテム、いずれはお前がこの国をおさめるのだ。みっともない姿を民に見せていては不安がられよう」

「あ…すみません、お父様」

「良い良い。お前がその目で見る幸福を、その輝きを民に見せればまた、我らがこうして街に顔を出す役割も果たせようもの。さ、胸を張って歩くのだ」


 父たる前皇帝陛下は赤い外套を翻すと、豪奢な装飾を纏う樫の杖を片手に道を歩き始める。


 ああ、なんたる幸福。まさに聖ヴェリウスの加護を厚く受けた秩序と友愛の街。けれど、けれど──


 ──セプテムは知っていた。


 路上に平伏する、獣のような異臭を放つ乞食。

 こちらに目もくれず、ただ必死に壁を磨く奴隷。

 道の端にて密かに捕らえられた暗殺未遂者。


 身分、差別、反骨──それらの上に成り立つ、偽りの平等と平和。


 ──何が秩序か、何が友愛か!

 この街の惨状を見てよくもそんなことが言える!


 今すぐに叫んでも良かった。だが、それほど彼は愚かではなかった。


 少年は矛盾を全て飲み込んで、端正な顔立ちに笑顔の仮面を当て込んで、無邪気という鎧を着こんで、日々歯をくいしばって生きている。

 そんなことなど露知らず、父たる皇帝は少年に言った。


「そうだ、何か欲しいものはないか、セプテム?」

「欲しいもの、ですか?」

「そうだ。せっかく街に出たのだ、街でしか手に入らない物もあろう。なんでも良いぞ」


 皇帝の笑顔は純粋な父親の慈愛。それを無下にはしまいと、少年は頭を悩ませた。

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