第3話 闘技場の魔獣①

 魔獣──それは、太古の昔に栄え、今ではほぼ絶滅したとされる獣の内の一種である。

 人族に人間、エルフ、ドワーフ等々種族があるように、彼らにもまたというものが存在している。

 アウグストは闘技場にて相手を選べず戦う身であった。人間は勿論の事、獣とも何度か殺し合った事はあったが、魔獣と呼ばれる存在と相対するのは今回が初めてとなる。


「いやー、運がいいのか悪いのか。遠回しに死刑宣告ですよね、これ。どう思います? アウグストさん」


 ベッドに腰かけ、軽々に言葉を紡ぐ緑髪のエルフに対し、床でひたすら腕立て伏せをしている男は答えた。


「──いつも通りやるだけだ。生きるときは生きる、死ぬときは、死ぬ」


 97、98、99、100、101……

 アウグストの頬を、顎を、滝のような汗が伝っていく。

 ストイックなまでに体を追い込むことで、鋼の肉体と精神を維持している彼は、例え相手が何者であれ、自分のルーティンワークを変えなかった。

 その様子をもう何年横で寄り添ってみているのだろう。ジュヌは少し考えたが、やがて考えるのが面倒になったのか、上を向き、浮いている足を縦に振って暇をつぶし始めた。


「魔獣とは、魔術が使えるらしいな」

「そうですね。獣と魔獣を分かつ特性の一つが魔術です。人間でも年がかりで修行して身に着けるものですが、彼らは生まれながらにして使いこなしています。まあ、どんな魔族がどんな魔術を使えるのか……なんて、人族の私たちにはわかりませんけどね」

「ああ──警戒しないとな」


 アウグストは剣闘士であり、ここは帝国の秩序ある闘技場ショーステージだ。彼らが下賤の身であるが故に魔法を使えるものが少なく、純粋な肉体のぶつかり合いが殆どだった。

 その分かりやすいルールがあるからこそ、民も安心して見れるというものだ。

 等と、アウグストは思いながら腕立て伏せを続ける。

 133、134、135……試合のない日は200回、ある日は100回。そのルールがあるからこそ、彼も安心して自分を信じて戦えた。


「──唐突なことを聞きますけど、アウグストさんってとか、あるんですか……?」


 不意の疑問をジュヌは口にする。アウグストが困惑して顔を見ると、彼女は赤面しているでも楽しんでいるわけでもなく、少し暗い顔をしてうつむいているようだった。

 その様子を見て、アウグストも真面目に応えるべきか。と判断し、鍛錬を続けたまま話した。


「ある──が、大抵は鍛錬の果てに消える。欲望なんてそんなものだ。体力を使い果たし、充足感を得れば、性欲など無関係だ──だから、お前の事を襲ったことは、一度もないだろう?」

「大した脳筋理論ですねぇ……少々複雑ですがいいです。それじゃあ、?」


 アウグストをじっと見つめてジュヌは聞く。アウグストはちらっとそちらを見て考える。顔に、体に、傷が無い状態のジュヌ。それは白く透き通る聖水のようで、穢れを知らぬ精霊のように美しいのだろう。

 彼は知っていた。ジュヌは人間に襲われないため、自ら胸を切り腹や足を切り、傷が残るよう中途半端に治癒魔術を使ってこの状態を作ったという事実を。戦いからこの檻に帰り、その姿を見た時に酷く驚いたことを覚えている。

 もしその事実が無かったとしたら──それは、彼女が人族としてまっとうに生きる上で、さぞ美しいことだろう。


「考える──と思うが、襲わないだろうな。というか、襲えない。そういったは、俺には不釣り合いだ。第一、お前が拒むだろう」


 ジュヌはその答えを聞いて、少しだけ赤面した。この男をして、、などと呼ばれると、なんだか鼓動が速くなる思いだった。

 拒みませんよ、貴方なら──喉を上って口から出そうになる言葉を何とか飲み下す。それは、エルフという種の誇りからなのか、叶わないという現実を知っているからなのかは定かではなかったが……彼女は少しだけ安心して、アウグストの鍛錬を静かに見守り始めた。


その頃、獣の檻では──

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