第59話 麦野と悩みと水着

「ちょっとあんた、聞いてよー!!」


 アイスウィンナーコーヒーに、さらにシロップを入れながらぼやく麦野。

 窓際カウンターで、俺の真隣にどかっと腰を下ろした。

 俺は男扱いされてないのでは?


「どうしたんだ?」


「プライベートビーチさ、舞ちゃんから誘われたんだよね。あんたももちろん行くんでしょ? ってか、あんたと二人きりだと清香さんが絶対許してくれないもんねこれ。だから春菜が呼ばれたのは分かるんだけどー」


「麦野も来るのか……」


「ちょいそこ、呼び捨てー。ま、いいけどさあ。春菜とあんたの仲だし、いまさらー」


「だったら何の話なんだよ」


「それがねえ……。ママがついてくるのよ」


「ええっ」


 麦野ががっくりと顔を伏せた。


「なんか、ノリノリで! パパは仕事で忙しいから来れないって、泣くほど悔しがっててぇー……。そりゃ、米倉のプライベートビーチだよ? だけどなんで夏休み初っ端のイベントが親同伴なのー!」


 小さく手足をばたつかせる麦野。

 そうだよな。公共の場だから人に迷惑かからないようにじたばたしないとな。

 分別がついてて偉い。


「はあー。たまに羽を伸ばせる機会だと思ってたらこれだもん」


「え、なんて? 麦野さん、常に羽を伸ばしてない?」


「はあー!?」


 お、さっきとイントネーションが違う「はあー」だ。


「そんなことないでしょー! 春菜、あれよ。いつも気遣いの人でしょ? その場が和やかな気分になるようにみんなに気を遣って小さく小さくなって生きてるのに」


「割とのびのび生きてるように見える……」


「小さく小さくは言いすぎだったわ。割とのびのびしてる」


 麦野は訂正すると、コーヒーの上の生クリームをストローで掬い、むしゃっと食べた。

 俺はアイスカフェラテなので、ずぞぞっと吸う。


「でも!! 普段のびのびしてても、プライベートビーチでものびのびしちゃだめって決まりはないでしょー!」


「そりゃあない」


 もっともだ。


「ちなみにうちも、両親が来る……。妹も来るけど」


「ええーっ、あんたもそうなの!? 稲垣くんも大変ねえ」


 いきなり他人事みたいになったな。


「ていうか、あんた妹さんいたのねえ。どう、かわいい? 稲垣くんに似てる?」


「今年受験生だから、超ウザくなってる」


「あはははは、かわいー」


 麦野がゲラゲラ笑った。

 もう機嫌が治ったらしい。


「じゃあ春菜、稲垣くんの妹ちゃんに会えるのを楽しみにしようかな。親がまとめて来るなら、きっと固まるでしょ。子どもは子どもで集まって遊ぼ」


「そうだなー。じゃあ、米倉さんと麦野さんと、俺と妹? 四人か」


「そうねえ。旬香さんはどっち側になるのかな? この感じだと絶対清香さん来るでしょ。大人グループにいたら居心地悪いんじゃない?」


「なら、芹沢さんもこっちだな!」


 ここまで言って、ハッと気付いた。

 俺以外みんな女の子じゃないか。

 舞香、麦野、芹沢さん。


 今までもこんな感じだった気がするけど、ここ最近は佃や布田、掛布が混じってたから意識してなかった。

 なんてことだ。

 女子達に囲まれてプライベートビーチなんて、とんでもない環境だ。


 佃には内緒にしておこう。

 あいつは死ぬほど悔しがると思うので。


 麦野と他愛もない話をした後、俺達は分かれた。

 家に戻るのだ。

 今回は無意識に家の近くの店に入ってしまったけど、誰かに見られたりしてただろうか?


 そもそも、俺も麦野も舞香の親衛隊扱いだからいいのか。

 というか、なんであいつはうちの近くの公園でうとうとしてたんだ。

 もしかして家が近いのか。


 いかんいかん。

 麦野のことは今はどうでもいいんだ。

 もうすぐやって来る、プライベートビーチのことを考えないとな。


 ……水着、中学の頃のじゃだめなんじゃないか?

 俺もちゃんとしたのを見繕っておかないと……!!


 春からイベント続きで出費が相次いでいるが、米倉グループへのインターンの後、なぜか清香さんから俺にお小遣いが出ることがちょこちょこあるのだ。

 お陰で余裕はある。

 ……このお金、もしかして法的なものをかいくぐる手段で支払われてるやつだったり?


 まあいいか。

 これはこんな時のためにあったのだろう。


 よし、いっちょ、かっこいい水着でも買いに行こうじゃないか。


 俺は一人、デパートへ行った。

 水着売り場に行くと、大変女性が多い。

 男性用水着なんてちょっとしかない。


 うん、世の中そんなもんだよな。


「うーん、うーん、うぬぬぬぬぬ」


 さっき聞いたばかりの声がする。

 横を見ると、ふわふわ髪の女子が唸り声を上げているではないか。


「またも麦野が……!」


「は? あー! あんた、なんで水着売り場にいるのよー! 春菜の後ついてきた……ってわけじゃないみたいね。へえ、その水着着るの? 黒いやつ? 渋くない?」


「そうかなあ。派手すぎてもよくないんじゃないの?」


「あはは、あんただって、ショーで春菜達、みんな派手派手なスーツ着てたじゃん! いまさらー! どれ、春菜が選んだげる。えっとね、舞ちゃんが好きそうなのはこれ」


「うおー!! 原色ばりばり!! でも、確かにヒーローっぽい」


 赤字にイエローのVラインが入った男性用水着だ。

 これは凄い……。


「稲垣くん鍛えてるんだから、派手めなのも映えると思うよ」


「ありがとう。麦野さんちゃんとそういうとこ考えてるんだなあ」


「そりゃそうよ。春菜はクラスのファッションリーダーなんだもん。だけど、そのリーダーは今迷ってるのよね……。うぬぬぬぬ。ちょっとあんた、一緒に選んでよ」


「はい!? 俺が!?」


「あんた以外に誰がいるのよ! ってか、男性の目って分かんないじゃん? 別に意識はしなくていいんだけど、春菜の考えだけだと好みが偏っちゃうじゃん。別の視点がほしいの」


「なるほどね。じゃあ協力するよ。どれで悩んでるのさ」


「えっとね、これとこれとこれ」


 三点指さされた。

 どれどれ。


「うおっ、紐じゃん!!」


「首と腰で支えてるわよ! 胸とおへそと腰をちょっと隠してるし、露出度低いほうじゃない、これ?」


 チューブトップビキニに、申し訳程度にお腹の中心を通る布。そして超ローライズのアンダー。

 横はリボン状のヒモ。

 露出度が低い……?


 背中とお尻が丸出しでは?

 これを麦野が着る?


「男の子を殺しに来るタイプの水着だ」


「そお……? ママ、いっつもこういうの着てるから普通なんだと思ってた……。じゃあこれは?」


「どれどれ……? うわっ、下着じゃん!」


「レースタイプの水着って可愛くない? え? これもエッチなの? 稲垣って好みがうるさいのねえ。ってか、春菜の胸だと窮屈なのはだめなんだからね。じゃあ、これとか?」


「か、肩紐が無いビキニ!! 麦野、本当に露出度高いの好きだなあ……」


「羽を伸ばすなら生地が少ないほうがいいっしょ」


「そういうものなのか!? ええと、この三つから選ばないとだめ?」


「だめ」


 逃げることは許さない、とばかりに、眼力を込めてくる麦野。

 俺は唸った。

 ぶっちゃけどれもエロい。


 目の前の麦野が着ると考えただけで、凄くムラっとする。

 舞香に悪いが、俺も男なのだ……!

 だが、この中で一番、俺が選んだと言われて無難そうなのは……。


 いや、まてまて!!

 麦野にせっかく選んでくれと言われたんだ。

 ならば、一番彼女がのびのびできるやつを選ぶべきだろう。


 真面目に考えろ俺!

 一番麦野が好きそうなのは……。


「じゃあ最初の紐で」


「おっけー! このなんちゃってワンピースなやつね! やっぱ春菜が好きなやつで合ってたんじゃーん。ちょっと着てくるね!」


「なにっ」


 俺の返答を聞かず、麦野は店員さんに言って更衣室に籠もってしまった。


「彼氏に選んでもらえるなんて、いいですねえ」


 店員のお姉さんがにこやかに話しかけてくるので、俺は半笑いで返した。

 というか俺と麦野の関係ってなんなんだ。


「じゃーん!」


 即着替えて、もったいぶるも何もなく姿を表す麦野。

 もう、大変だった。


 明るいグリーンの生地から胸元は零れ落ちそうだし、くるりと回ると、背中とお尻は丸見えに近い。

 マジか。

 マジかー。


「うん、着心地もいいわ。春菜、即決するタイプだから。じゃあこれくださーい」


 決まってしまった。

 良かったのか、俺よ……!!


 俺は呆然としたまま、赤地にイエローのラインが入った水着を買ってしまった。

 これを選んだ麦野もご満悦である。


 なんてことになってしまったのだ……!


 そんなわけで、プライベートビーチに向かう日がやって来るのである。

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