第58話 初日の朝

「うわあーん! 夏期講習行きたくなあーい! 中学三年の夏休みなんて一度しかないんだよ? なのに全部勉強漬けだなんてー!」


 夏休み初日の朝。

 穂波はいつも賑やかだなあ。

 気持ちは分かる。

 去年の俺がそうだった。


「妹よ、これを乗り越えれば来年はまあまあバラ色の学園生活だぞ」


「うえーん! めっちゃバラ色の生活してる穂積くんが言うと説得力あるよー!」


 そうだろうそうだろう……。

 でも、俺の場合は結構なレアケースだと思うけど。


 泣き言を口にしながら、穂波が出かけていった。

 弁当も持っていったから、今日は一日夏期講習なんだろうな。

 受験生は辛い。


 ちなみにうちの学校は中学から大学までの一貫教育。

 俺は高校からの一般入試組。


 うちのクラスは普通科だけど、一般的な進学校なら特別進学クラスくらいのレベルじゃないだろうか。

 そう、つまりそこに入っているということは、佃なんかもああ見えて成績はいいのだ……!


 学力ってのは大体環境で決まる気がする。

 俺は中学の頃、私立に通ってたので周りが勉強できるやつばかりだった。

 そうなると、俺も引っ張られて勉強できるようになるもんなのだ。


 だが、ちょっとは勉強できるぞって俺の鼻っ柱は、城聖学園高等学校でポキっとへし折られた。

 何せ、学年でも真ん中から下だからな。


 今は家庭学習頑張ってるぞ……!


「穂積、ほんとに米倉さんところの人が穂波に勉強教えてくれるの?」


 朝飯の後片付けを終えた母が、映画を垂れ流しながら尋ねてくる。

 この人、朝食が終わると速攻で食器を片す。

 本人曰く、過集中なので一個一個を高速で片付けるのが得意なんだと。


「そうそう。プライベートビーチにご招待だって。母さん達も来る?」


「行く」


 何気なく聞いてみたら、ノータイムで返事が来た。

 俺、固まる。


「マジ?」


「米倉グループのプライベートビーチでしょ。一度拝んでおきたいじゃない。清香さん……舞香ちゃんのママにもメールだけじゃなく挨拶しておきたいし」


 メール!?

 今メールって言ったか!?

 何だ……? 母親同士で何か繋がりがあるのか……?


 夏休み初日から疑念にとらわれる俺だ。


「大丈夫よ、穂積は気にしないでも。私が向こうさんに連絡しとくから」


 本当にどういう繋がりがあるんだ?

 確か、俺が舞香の護衛見習いをやるって時、あらかじめうちには連絡が行ってたようだし……。

 あそこから繋がってたのか……?


 俺は湧き上がる疑念を振り払うため、宿題に手を付けた。

 毎日決まった量をやるスタイルで行くつもりだ。

 これなら一時間もかからずに終わる。


 実際、終わった。


 まだ昼にもなっていない。

 ここは外をぶらぶらしてもいいんじゃないだろうか。


 外に出てみると、真夏の日差しはなかなか強烈だった。

 すぐにでも、エアコンの効いた家の中に戻りたくなる。


「だが待て、俺よ。もうじき舞香のプライベートビーチに遊びに行くだろう。そうなると一日中外だぞ。暑さに慣れろ……!」


 とりあえず小銭を使い、水分補給用のドリンクを買ってぶらつくことにする。

 日陰から日陰を渡るように……。

 一瞬ひなたに出ただけで、アスファルトからの照り返しが容赦なく俺を襲うのだ。


「ふふふ……海に行く前に熱中症で倒れるわけにはいかないのだよ」


 俺は余裕の笑みを浮かべると、駅前に向かって突き進んでいった。

 途中、公園のベンチでしんなりしている見覚えのある人を見つける。


 あの柔らかそうな人は……麦野ではないか。

 おいおい、大丈夫か!?


「麦野ー!」


 近寄ったら、彼女はひんやりした日陰のベンチに腰掛けて、ぐうぐう寝ていた。

 なんたることだ。


「無防備が過ぎる」


「んお?」


 俺の声を聞いて、彼女は目覚めたようだ。

 今日は真っ白な袖なしブラウス姿で、肩まで見えている。

 大変、年頃男子の精神衛生上よろしくない。眼福過ぎる。いや待て俺には舞香が。


「なんだ、稲垣くんじゃん。どうしたの?」


「どうしたのはこっちのセリフだよ。なんで麦野さんがこんなとこで寝てるの」


「宿題終わっちゃって、初日だから散歩するかーって外に出たのよ。そしたら暑いでしょー。たまらず逃げ込んだらもう、ここが涼しくて……」


「お前は俺か」


 俺と同じ行動をする麦野だ。


「あー、目が覚めたらめっちゃ汗かいてる。やばい」


 麦野が胸元をパタパタする。

 あっ、やめるんだ! 見えちゃう見えちゃう見えたっ!


「……」


 俺がすっと真顔になって隣に座ったので、麦野も察したらしい。

 襟元をササッと正す。


「見た? えっち」


「見せたんじゃないか」


「はあ? 春菜はそんな見せる趣味してないですーっ! ああ、もう、稲垣くんだから気を抜いてたあ。昨日の舞ちゃんに声かけてたナンパやろーみたいなのだったら、春菜危なかったよ」


「あ、そうそう! 昨日のあの人な。水田トモロウ。超モテるんで有名だろ?」


「だめよ。見た目はそこそこだけど、中身が残念だもん。米倉に近づくには品格が大事なんだって。一竜さんが言ってたよ」


「一竜さんが言うんじゃ仕方ないよなあ。あの人の前だと、水田先輩も劣化版だもんな……」


 顔とスタイルと頭のキレと、家柄と運動能力とコネクションで一竜さんが勝っているのは確かだ……。

 考えてみればみるほど化け物だな。

 そりゃあ、あの若さで米倉グループの次期当主として認められているような人だもんな。


「そう、それよ! 舞ちゃんにあんなレベルの低い男が言い寄るのが冒涜なの! 育てりゃいいけど、中身は育たないっしょ? 中が腐ってんのはだめよ。あんた、舞ちゃん守んなさいよ?」


「でも米倉さん、見事な一本背負いだったけど」


「そりゃあ旬香さんから習ってるもん。でも女の子だよ? 腕力はどうしようもないって。旬香さんでも無い限り」


 おい待て、その言い方だと芹沢さん、腕力でも男に勝てるというように聞こえるのだが?


「ルールがなければあの人が最強だよ……」


「何を意味深なこと言ってるんだ麦野……!」


 俺達はそんな他愛もない話をした後、流石に外は辛いということで、手近なコーヒーショップに退避することになるのだった。


 ……麦野と二人きりで?

 なんかデジャヴを感じる。

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