幽霊になった僕

 黒板に「うま」という漢字を書けという奇妙な問題に、北尾ケイタのやつが「鹿」と書いた。誰かが「馬と鹿で馬鹿だ!」と言ったのでみんなは笑った。


 教室中が笑いにつつまれたけど、僕、池田カズヤだけは笑わなかった。

 僕の前の席には誰も座ってなくて、花瓶に入れられた花は、しおれはじめている。


 1ヶ月前、田辺マコトは死んだ。雪の降る夜、ひき逃げされたんだ。犯人は捕まったけど、田辺は帰ってこない。席はいまも空いたままだ。


 見ると、僕のとなりの寺田しおりも笑ってる。僕としおりと田辺は、3人でよく遊んでいた。なのにどうして笑えるのだろう。もうみんな、田辺のことを忘れてしまったの?


 僕は笑わず、グッと唇を噛みしめた。

 なにかをするべきだった。みんなが、田辺のことを忘れないように。


  *


 学校が終わって家に帰ると、僕は布団のシーツを半分に切り裂いた。リュックサックにシーツとロウソクとマッチを入れる。それからカイロも忘れずに。


 夜になると気温はグングンさがった。午後9時、こっそり家を出る。外に出るとキーンとした寒さで身が引きしまり、僕は夜の道を学校へ走った。



 真夜中の学校。1階の、図書室の窓の前までいく。見あげると、2階の職員室に明かりがついてる。まだだれか残ってる。


 図書室の窓の、カギが壊れていることを僕は知っていた。田辺としおりと図書室で本を読んでいたとき、発見したんだ。見た目はカギがかかっているように見えるけど、思いきって開けると簡単にはずれる。


 僕は力をこめて窓を開けた。やっぱりカギははずれた。図書室に入ると古い紙の匂いがした。暗い図書室は不気味だ。


 図書室から廊下に出る。緑色のボンヤリとした非常口のライトがついている。廊下を歩き、階段をあがる。気づかれないよう、足音をしのばせて。


 3階の、6年3組の教室に入った。ふだん見なれているはずなのに、こんな時間だと全然違って見える。まるで、幽霊たちが学ぶ教室みたいだ。


 田辺の席を見た。花瓶だけポツンと置いてある。


 僕は教室のうしろの床に座り、リュックからシーツとロウソクとマッチを取り出した。シーツを頭からかぶると、ヒンヤリした感触で体が震える。


 ひゅう。

 廊下を風が吹き抜ける音がして、ガタガタと教室のドアがゆれた。


 僕は首を引っこめ、押しよせる恐怖をじっと我慢する。

 お化けなんか怖くない。今日は僕こそがお化けなんだ。


 2月の寒さが体の芯までとどく。震えが止まらない。リュックからカイロを取り出してグイグイもむと、じんわり温かくなってきた。このまま寒さをがまんして、どのくらい待てるだろう。


 10分がたち、20分が過ぎた。


 あてもなくこんなところで待つことが失敗だったんだ、と思ったとき、物音がした。誰かが階段をあがってくる。


 リュックサックの中をさがす。だけどロウソクとマッチがない。どこにあるんだ。いそいでさがすけど見つからない。あ、と思ってみると、足下に置いてあった。そうだ、さっき出したままだったんだ。


 足音は階段をあがり、廊下を歩いてくる。懐中電灯の明かりが、廊下をいったりきたり照らしている。


 僕はマッチを擦ってロウソクに火をつけた。不気味な明かりが灯る。ロウソクの明かりを手で隠しながら、ドアの前まで歩く。


 シーツを頭からかぶり、顔と全身を覆う。足音が、教室の前までやってくる。僕はそっと、ロウソクの火をドアに近づける。ドアの上にあるガラス窓から、廊下に明かりが漏れるはずだ。


 足音が教室の前で止まった。漏れる明かりに気がついたんだ。ガタ、とドアに手がかかった音がして、ゆっくりドアが開けられた。


 僕は「わあっ!」と言って飛び出した。


 学校中に悲鳴がひびいた。バタバタと足音がして、見ると、宮本竜二先生が廊下を逃げていく。いつもは怖い先生で有名なのに、あんなに臆病おくびょうだなんて。僕は緊張から解放されて、こみあげてくるおかしさを抑えるのに精一杯だった。


  *


 次の日、廊下で宮本先生とすれ違った。いつもと変わらないようだけど、6年3組の前を通るとき、キョロキョロと、なにかをうかがっているようだった。僕はうれしくなった。


 その夜も僕は学校に忍びこんだ。2階の職員室にいき、中をのぞく。いたいた。ドアのすきまから遠藤しのぶ先生が見える。若い先生で、ひとりだ。学校から帰る前にきっと見まわりをするだろう。


 僕は教室にいき、昨日と同じようにシーツをかぶる。寒さはあいかわらずだけど、じっとこらえる。死んだ田辺は、発見されるまでずっと雪の上に倒れていたんだ。いまの僕より、もっともっと寒かったに違いない。誰にも見つけてもらえないままさびしく倒れている田辺を想像すると、僕はすごく悲しくなった。


 そのとき、足音が聞こえる。


 ロウソクに火をつけて、昨日のようにドアの前に立つ。準備はできた。遠藤先生のか弱い足音が近づいてくる。僕はロウソクの火をドアのガラス窓に近づけた。


「あっ」


 遠藤先生の声がした。だけどそのまま、なにも起こらない。先生はドアを開けないみたいだ。だから僕からドアを開けた。深くかぶったシーツで顔をかくし、ドアをゆっくり開けて言う。


「田辺マコトです……」



 大成功だった。次の日、学校にいくとウワサになっていた。6年3組に出る田辺マコトの幽霊。これできっと、みんな田辺のことを忘れないだろう。


「田辺の幽霊が出たんだってよ!」


 教室のすみから聞こえる、幽霊のウワサ。僕はクシュンとくしゃみをした。へへ。幽霊の正体は僕なのだ。


 ところが、くしゃみはウワサのせいじゃなかった。学校から帰ると熱が出て、僕はそのまま寝こんでしまった。2日間、寒い夜の教室にいたせいだ。


 けっきょっく僕は学校を3日休み、4日目にようやく治った。


 ひさしぶりに学校へいくと、幽霊が出たというウワサで持ちきりだった。昨日の夜、校長先生がやられたらしいと。幽霊のウワサを聞いて、先週から校長先生が夜の見まわりをしていたらしい。そこで見てしまったという。田辺マコトの幽霊を。


 そんなはずはなかった。だって僕が幽霊の正体だ。風邪で学校を休み、昨日は学校に忍びこまなかった。なのに幽霊が出た? じゃあ昨日あらわれたのは、もしかして……。


  *


 僕は田辺マコトの幽霊に会うために、夜9時、学校にもどってきた。


 風邪が治ったばかりの体に、冷たい風が吹きつける。外から校舎を見ると、職員室に明かりはなく、先生たちはもう帰ってしまったらしい。


 図書室の窓はいつもよりあっけなく開いて、僕は6年3組の教室にやってきた。


 音のでないようにドアを開けると、教室は真っ暗でほとんどなにも見えない。今日は幽霊のマネをするワケじゃないから、シーツもマッチもロウソクも持ってきていない。せめてマッチくらいは持ってきた方がよかったみたいだ。


 いつものように、教室のうしろにちょこんと座った。あとは田辺マコトを待つだけだ。


 だけど、田辺が出てきたらどうしよう。いまごろになってようやく、僕は幽霊が出たときのことをまったく考えていないことに気がついた。


 うーんと考えはじめたとき、ぽとり、と僕の肩に手がふれた。


 えっ!


 背後に、いた。

 か細く白い手が、僕の肩をつかむ。


 思わず叫びそうになるのをグッとこらえて、恐る恐るふりかえる。

 目の前に、まっ白なものがいた。


 僕が演じた幽霊そっくり。まるでシーツにくるまれた小学6年生みたいなそれが、


「カズヤでしょ」


 そう言った。女の子の声だ。


「そうだけど、だれ?」

「私、寺田しおり」


 白い物体は頭からかぶったシーツを脱いだ。言ったとおり、となりの席のしおりだった。


「し、しおり……こんなとこでなにしてんの?」

「カズヤとおなじ。幽霊のマネ」

「僕が幽霊の正体だって知ってたんだ」

「だって、カズヤが風邪で休んだら幽霊は出なくなるし。だから、カズヤの代わりに私が幽霊になってたの」

「なんだ……そうだったのか」

「みんなに、マコトのことを、おぼえていてほしいから」


 しおりも僕とおなじ気持ちだったんだ。あの日、クラスのみんなが笑ったとき、しおりも笑っているように見えたけど、きっと、心の中では悲しい気持ちを抑えていたんだ。


「でもしおり、今日はもう幽霊のマネしてもムダだぞ」

「どうして?」

「職員室は真っ暗。先生はもう帰ったよ」

「なあんだ、じゃあ今日で幽霊はおしまいだ。明日から警備員が見まわりするんだって」


 僕は真夜中の学校を歩く屈強な警備員の姿を想像した。きっと幽霊なんて信じないだろう。目の前に現れた白い物体なんて、怖がるどころかコテンパンにされてしまう。


「じゃあもう帰ろうか」


 僕が言ったとき、廊下でコツンと足音がした。


 僕としおりは氷のように固まった。耳だけが注意深く廊下をうかがう。


 コツン……コツン……。

 なにが廊下をやってくる。


「だれなの? 先生?」


 僕に聞かれてもわからない。先生はもういないはずだ。


 コツン……コツン……。

 どんどん近づいてくる。


 どうしよう、なにもできない。僕たちふたりは待つだけだ。

 足音は、6年3組の前で止まった。


「だ、だれだ?」

 僕はようやく、声をしぼり出す。


 カラカラカラ、とドアが開き、廊下に田辺マコトが立っていた。


 僕の背後でしおりがハッと息を飲む音が聞こえる。

 田辺の体はこの世のものではなく、淡い光りが体の輪郭を形作ってる。


「田辺……」


 呼びかけると田辺はコックリうなずき、その顔はほのかに笑ってる。


「カズヤ、しおり。ありがとう。みんな、僕のことを忘れないでくれるよね」


 しおりが、僕の手をそっとにぎる。その手は柔らかく、震えている。


「マコト、私、忘れないから」


 僕もしおりの手を強くにぎり返して、


「オレも忘れないからな!」

「ありがとう」


 そう言うと田辺の体はだんだん見えなくなっていく。体の光りが徐々にうすまって、消えていく。


「田辺!」


 近よろうとすると、にぎったままのしおりの手が僕を引き止めた。

 田辺はどんどんうすくなっていく。消えゆく中で最後に言った言葉、


「もう、笑ってもいいからね」


 そう言うと、光りは消えて、田辺マコトはいなくなった。

 廊下はまた暗闇にもどった。


  *


 次の日、田辺の机に新しい花が生けられていた。


 国語の時間、ボンヤリしていると千田先生にあてられた。

 黒板を見ると、「かくほ」という言葉の横に「保」とだけ書いてある。その上に漢字を書けばいいらしい。


 僕は黒板の前までいき、チョークを持つ。

 ふり返ると、田辺の席が見えた。


 僕は黒板に「阿」と書いた。「阿保」

 誰かが「それじゃあアホだろ!」と言った。


 笑いが起きた。千田先生が僕の横に立ち、「保」のにんべんを消した。「阿呆」


「アホはこうでしょ」


 千田先生が言うと、笑いはさらに大きくなった。


 教室中が笑ってる。見ると、しおりも心の底から笑ってる。


 僕もみんなといっしょに笑った。思いっきり笑った。

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