ぬいぐるみ、ペット、呪い、その他さまざま
ゆうかんなクマタロ(ぬいぐるみ)
月曜日にひいた風邪は、けっきょく、金曜日になっても治らなかった。
みさきは、早く風邪を治して、学校へいきたかった。
だけど症状は、悪くなるばかりだった。
みさきのママは、部屋に落ちているクマのぬいぐるみを拾った。
「こんなんで遊んでるから、治らないのよ」
「えー、わたしクマタロでなんか遊んでないよ。もう、とっくに卒業したし」
言い終えてみさきは、コホンコホンとせきをした。
そうだ。丸々と太ったクマのぬいぐるみ「クマタロ」とは、もう何年も遊んでない。
三歳の時に買ってもらって、それからずっと一緒にいた。
だけど小学二、三年頃になると、子供っぽいからと、押し入れのおもちゃ箱の中にしまったままになった。
こうしてクマタロを見たのも、前に押し入れを大掃除した時だから……二年ぶりくらいだ。
「だってこのぬいぐるみ、そこに落ちてたんだよ」
と言って、ママは押し入れの前を指さした。
「それに、昨日も一昨日も、出てたのよ」
そういうママに、みさきは言い返そうとしたけど、熱でボンヤリして、うまく言葉が出なかった。
土曜日、みさきは病院にいった。
月曜日にいったときは、風邪という診断で、熱冷ましとせき止めの薬をもらっただけだった。
でも、もう一度診察して、医者は首をひねった。
「おかしいな。風邪じゃないのかな」
そう言ってまた、熱冷ましとせき止めの薬をくれた。
家に帰って、自分の部屋に戻って、みさきは気がついた。
朝は見逃していたけど、また、クマのぬいぐるみのクマタロが落ちている。
今度は、押し入れよりも少し前、ベッドの方に近い。
ぷっくりふくらんだおなかを上に見せて、だらしなく倒れてる。
なんだか、嫌な気持ちがした。
昨日、たしかにお母さんが押し入れにしまったはずなのに。
みさきはクマタロを拾った。
クマタロの胴体から、右腕がボロンと落ちた。
「わあっ」
思わず声をあげてしまった。
腕は、二、三本の細い糸でつながっているだけで、空中で、ブランコのように左右にゆれている。
「なんなの?」
気味が悪くなった。
みさきは、壊れかけのぬいぐるみを、押し入れのおもちゃ箱の中に入れた。
その日の夜、みさきの症状はさらに悪化した。
熱でうなされ、夜中に、気持ちの悪さで何度も起きかけた。
ぼんやりとした意識の中で、みさきが暗闇の中で見たものは、自分におおいかぶさるような、黒い影だった。
朝になると、体調は少し良くなった。
それでも、ベッドの上のみさきは、一週間前とは別人のように痩せてしまっている。
「薬が効いたんじゃない」
ママが、少し安心したように言った。
「うん」
力なく答えたみさきが見たのは、ママが拾い上げたクマタロだった。
右腕がとれている。それに、左目もなくなっている。
床の上に、右腕と左目が落ちていた。
「それ、捨てて……」
みさきは小声で言ったけど、ママには聞こえなかった。
ママはクマタロと右腕を、おもちゃ箱に入れた。
ビー玉みたいな黒い目は、床に落ちたままだった。
その夜が、みさきにとって、最後の夜になるはずだった。
深夜、みんなが寝たあとに、急に容態が悪化した。
黒い影が、寝てるみさきに重くのしかかっている。
苦しくて、必死に助けを呼ぼうとしたけれど、もう、しゃべる力も残っていない。
体中から力がなくなり、命が、失われようとしていた。
「やめろ!」
押し入れのすき間から声がした。
片手で押し入れのドアを開けるのに、時間がかかった。
もう、みさきの命は尽きようとしている。
わずかなすき間に、丸々としたおなかをなんとか通して、片手片眼のぬいぐるみが出てきた。
クマタロだ。
その声に、みさきにおおいかぶさっていた黒い影が、ふり向いた。
カーテンのすき間からもれるあやしい月の光に、顔が照らされた。
するどい目、左右に広がった口、手足は長く、全身真っ黒の服だ。
「またおまえか。こりないヤツだ」
ニヤリと不気味に笑った口元から、するどい牙が何本も見えた。
「悪魔め!」
トトト、とクマタロが、悪魔に向かって走った。
悪魔が、長い腕を釣り竿みたいに、ひゅうひゅうと左右に振った。
クマタロの体が引き裂かれた。
体に傷が走る。
左の足は、いまにももげそうだ。
クマタロは、倒れないように、なんとか、左手で足を押さえる。
「ま、負けるもんか。今日こそおまえを止めるんだ」
そう言ってクマタロは、悪魔の方に進んで行こうとする。
だけど、一歩前に出した左足が、グラグラとゆれる。バランスをくずしたクマタロは、情けなく床に倒れた。
「ケケケ……」
悪魔が笑う。
クマタロには用はなかった。悪魔は、ベッドの上のみさきの方に向いた。
とぎれとぎれの、弱い呼吸が聞こえる。
もうすぐ、みさきの命を吸い終わる。
悪魔は、パックリ割れた大きな口を開いた。
何でも切れそうな、するどい歯が光る。
口を近づけ、歯を、みさきの首に刺そうとした瞬間――
「こんちくしょう!」
ポスンと足に何かが当たる。
「こんちくしょう!」
何度も。
見ると、クマタロが体当たりをしてる。
片腕だけになり、足ももげそうになりながら、必死に、悪魔の足にぶつかる。
「させないぞ! みさきを絶対に守るんだ!」
悪魔は一瞬、とまどった。
何度も家に忍び込み、何人もの命を吸い取ってきた。
たしかに、邪魔されたことは何度もある。
特に、子供たちが大切にしているおもちゃたちだ。
ヤツらは持ち主のために抵抗してくる。
しかし、するどい爪で切りさけば、どいつだって大人しくなった。
それなのに、このぬいぐるみ。
「やああ!」
とまた、クマタロは突っ込んだ。
大きな悪魔の足は、体当たりをしても、びくともしない。
「みさきは大切な友達なんだ! 小さいときから、ずっと一緒だったんだ!」
さらにつづけた体当たりで、クマタロの首に亀裂が入った。
丸い頭が右にかたむく。
「出て行け悪魔!」
自分の体のことなどおかまいなしで、クマタロはみさきを守ろうとする。
だけど、悪魔の力は強大すぎた。
悪魔は足を大きく振りあげ、とがった靴の先で、クマタロを蹴りあげた。
が、クマタロは悪魔の靴に噛みついた。
悪魔が二、三度足をふるが、はなれない。
絶対にみさきを守るという、強い気持ちだ。
悪魔が四度目に足をふったとき、噛みついたクマタロごと、靴がぬげた。
靴とクマタロは放り投げられ、壁に激突して、床に落ちた。
左目と右腕を失い、左足ももげそうだった。
体には裂け目ができて、中の綿が飛び出してる。
斜めに傾いた頭も、あと少しで切れて落ちそうだった。
それでも、クマタロは負けなかった。
「こっちに来い悪魔。僕が相手だぞ。みさきに触れさせるもんか!」
悪魔が、怒りにふるえながら笑った。
「じゃあまずオマエから、命を奪ってやる」
悪魔は、クマタロの方へ歩き始めた。
クマタロは壁を背にして座っている。
左足を押さえて、もう、歩けない。
逃げ場所はなかった。
「ずっと一緒だったんだ……」
クマタロはつぶやいた。
みさきと、もう、何年も一緒に遊んでないことはわかっていた。
あんなに仲良しだったのに、だんだん、はなれていった。
新しいおもちゃの方が魅力的で、僕よりも、かわいくて、人気もあった。
僕は、押し入れの、暗いおもちゃ箱にずっと入れられて、忘れられてきた。
でも、それでも、捨てないでいてくれた。
暗い押し入れの中で、ひとりぼっちでさびしくても、僕はずっと思い出してた。
最初に、みさきが、僕を見てくれたときの顔。
おもちゃ屋のすみの棚で、僕をみつけた時の目の輝き。
絶対に、忘れない。
ずっと一緒だったんだ。
悪魔が、一歩二歩と、近づいてくる。
ぬいぐるみだから、涙は出なかった。
それに、左の目は、もうなかった。
悪魔が歩いてくる、ドスンドスンという音。
それでも、クマタロはあきらめていなかった。
さあ、もう少しだ。
悪魔が、全体重をかけて、次の一歩を踏み出したとき――
「ぎゃああああ」
悪魔が叫んだ。
苦痛に顔がゆがませながら、悪魔が、自分の足に食い込んだ、黒くて丸いものを取ろうとしている。
目だ。
前の日に、するどい爪でえぐりとられたクマタロの目が、ずっとそこに落ちていた。
それを悪魔が、靴の脱げた足で、思いっきり踏んだんだ。
「ざまみろ」
ボロボロのクマタロが、ニヤリと笑った。
そこに自分の目が落ちてることは知っていた。
だから、こっちにおびき寄せたんだ。
クマタロの目は、悪魔の足に食い込んだままはなれない。
苦痛にたえきれず、悪魔が、バランスをくずして倒れた。
もし、クマタロにチャンスがあるとすれば、ここしかなかった。
最後の力をふりしぼって起き上がる。
悪魔の手に飛びついたとき、クマタロの左足がちぎれた。
悪魔の手からのびる長い爪。
それが、クマタロにとって唯一の武器になった。
悪魔の手をとって、倒れてる悪魔の体に突き刺す。
するどい爪が、悪魔の心臓をつらぬいた。
「ぎゃああああああ!」
悪魔の悲鳴が部屋中に響く。
クマタロは、部屋のすみにはじき飛ばされた。
衝撃で、頭と体を結んでいた糸がちぎれて、首がとれた。
悪魔の悲鳴は、いつまでも鳴り止まなかったが、それもいつしか小さくなっていき、最後は耳鳴りみたいな音だけ残して、消えた。
悲鳴が消えると、悪魔の体も消えていた。
クマタロは、丸いおなかを上に向けて、床に倒れたまま、動かない。
頭は、胴体から切りはなされ、唯一残った右目が、じっと、ベッドの方を見ている。
寝ているみさきの方を。
カーテンのすき間から、明るい日差しが差し込んでいる。
パッチリと目覚めたみさきは、自分の体が、すごく良くなっていることに気がついた。
まるで、いま生まれたみたいだなと、思った。
ベッドから起きて、カーテンを勢いよく開ける。
いっぺんに、部屋が明るくなった。
部屋はきれいで、床には何も落ちていなかった。
押し入れの戸も、ピッタリ閉じられてる。
みさきが起きたことに気がついて、ママが部屋に入ってきた。
「わあ! すごい調子いいみたいね」
「うん!」
「じゃあ着替えたら、朝ご飯ね! あ、そうだ……」
ママが、部屋から出ていきながら言った。
「みさきが起きる前に、部屋、掃除しといたからね。いらないもの捨てといたから」
「うん、ありがとう」
窓の外で、大きな車が通る音がした。
見ると、ゴミの収集車だった。
向こうの電柱のそばの、ゴミ置き場に止まって、どんどんゴミ袋を飲み込んでいく。
そこに、パタパタとサンダルをはいたママが、走っていくのが見える。
ゴミ袋を一つ、ゴミ収集のおじさんに渡す。
おじさんが、そのゴミ袋を、収集車の中に投げ入れた。
あっという間だった。
ゴミ収集車は、走り始め、見えなくなった。
みさきの心の中に、何か、ぽっかりと穴が開いていた。
大切な物が、なくなってしまったような。
どうしてだろう?
みさきは部屋を見回した。
きれいに掃除された部屋だ。何も落ちていない。
あっ、と思った。
ない。
部屋中見回しても……ない。
あわてて、押し入れに走る。
戸を開けて、暗い中にあるおもちゃ箱を見つけた。
中を見ると、たくさんのおもちゃの上に、ボロボロになったクマタロがいた。
「クマタロ!」
クマタロは、首や腕がとれて、ぽっこりふくらんだおなかは裂けて、綿が出ている。
涙があふれてきた。
どうしてだろう?
クマタロ、昨日の夜、なにがあったの?
みさきは、クマタロをかき集め、押し入れから出した。
クマタロの体は、左目以外、全部あった。
でも、左目だけは、どこをさがしてもなかった。
その日みさきは、安静にするという理由でもう一日学校を休んだ。
本当は、すぐにでも学校にいけたのに、みさきにはやることがあった。
みさきは、ゆっくり、ていねいに、クマタロの体を縫い合わせた。
長い時間をかけて、クマタロは、ようやく元に戻った。
みさきは、クマタロを見つめて言った。
「ずっと一緒だよ」
強く抱きしめた。
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