猫の一生(猫又)

 朝、灯子とうこは学校にいくのをいやがった。だってタマ吉が心配だ。

 11年もいっしょにいた猫のタマ吉が、病気になって家でブルブルふるえてる。


 タマ吉は、灯子が生まれたときからいっしょだった。灯子が生まれ、病院からはじめて家にやってきた同じ日に、タマ吉ももらわれてきた。灯子と同じ日に生まれた子猫らしい。


 それから灯子とタマ吉はずっといっしょだ。家にいるときも、寝るときもいっしょ。


 灯子はひとりっ子だったから、タマ吉とまるで双子の兄弟のようだった。灯子の誕生日には、タマ吉も、まるで双子の兄弟のように祝った。


 だけど歳は同じだけど、タマ吉の方がはやく老いていく。

 灯子が小学校に入ったとき、タマ吉は大人の猫にで、灯子が6年生になったときにはもう老猫だった。

 そうして病気が見つかった。


 病院にいったときはもう手遅れだと言われ、昨日、タマ吉は病院から家に帰ってきた。



 夜、ふるえるタマ吉の体を、灯子は一晩中さすった。

 病気のせいでふるえているのか、それとも寒さのせいなのか。もしかしたらタマ吉は怖がっているのかもしれない。


 とにかく灯子は、タマ吉の毛布にいっしょに入り、温めようと懸命に体をさすった。

 毛布の中で、タマ吉は何度も何度も鳴き声をあげた。


「どうしたのタマ吉? 大丈夫?」


 灯子が聞いてもタマ吉は鳴くだけだ。

 こんなタマ吉は見たことがない。


 病気のせいなんだ。

 きっと病気のせいで……。


 夜が明けるまで、灯子はタマ吉を温めつづけた。

 そうして今朝、灯子は学校にいかなければならない。


「ずっといっしょにいる!」


 灯子は両親に言った。

 だってタマ吉をおいていけない。


 もしもこのまま学校にいって、離ればなれになってしまったら、その間にタマ吉が死んでしまうかも。学校から帰ってきたら、タマ吉が家にいないんじゃないか。


 灯子の中で、そういういやな思いだけがどんどん強くなった。

 だけどお父さんもお母さんも、灯子に学校にいくように言った。どれだけ灯子が言っても聞いてくれない。


「明日は灯子の誕生日でしょ」なんて、どうでもいいことを言って、灯子をなだめようとする。


 しかたなく灯子は走って学校にいった。別にはやくいっても、はやく帰れるわけじゃないのはわかってる。でも灯子は走った。




 いつもより早く学校につくと、めずらしくノン子が教室にいた。

 たいてい時間ギリギリに学校にくるはずなのに、今日はノン子のまわりに人だかりができている。


「ねー、灯子聞いてよー」


 集団の中にいたノン子が、灯子に気づいて話しかけてくる。


「私んちの猫ちゃんいるでしょー、テレビに出るんだよー」

「すごいね……」


 灯子は元気なく言った。


「そうなんだよー! うちの猫ちゃん長生きでしょー。もう12歳でねー、猫又ねこまたになったんだよー! ねえ灯子ー、猫又って知ってたー?」


「え? 知らない……」


「知らないのー? 猫はねー、長く生きると猫又っていう妖怪になるんだよー。尻尾が2つになって、人間の言葉もしゃべれるようになるんだよー。それでねー、うちの猫ちゃん、尻尾が2つになってさー、見て見てホラ、これこれー!」


 ノン子は写真を、灯子へグイッと突きだした。灯子の目の前に出された写真には、尻尾が2つある猫が写ってる。


 でも、尻尾の1つはいかにも作り物っぽい。きっと、毛糸かヒモを、猫のお尻にくっつけたんだろう。

 なのにノン子はこの写真を、「猫又だ」と言って灯子にグイグイ見せてくる。


「やめて!」


 灯子は写真をたたき落とした。

 教室の空気がハッと止まった。


 どうしたんだろう私。

 灯子はそう思った。


 いつもならノン子のバカみたいに明るいしゃべり方も平気なのに、ちょっと強引なところも許せるのに……。


 だけど今日はいやだった。すごくいやだった。それに猫の話なんて……。

 私のタマ吉……。家で苦しんでるタマ吉のことを思い出して、灯子は涙が出た。


 6年3組のみんなは、泣きだした灯子を不思議そうに見つめるだけだった。だれも灯子の気持ちを理解できない。


「ちょっとー、なによー!」


 ノン子は落ちた写真を拾って、ヘラヘラしながらみんなの方へもどっていく。灯子はひとり、自分の席に座ってふさぎこんだ。


 今日はだれとも話したくない。つらい気持ちをじっと心の中におさめて、学校が終わるのを待つしかない。


 早く学校が終わるのを願うしかない。

 早くタマ吉のところにいってあげたい……。


 でもそういう日にかぎって、灯子はやけに目立った。いつもとちがう態度なので、クラスの中で浮いてしまう。


 クラスメイトからは変な目で見られ、危険物のようにあつかわれる。だれも灯子に話しかけないし、近よりもしない。ただ遠巻きに灯子をながめ、ひそひそとウワサをした。


 もちろん担任の千田ちだ先生も、灯子の様子が変なことに気がついた。

 だから放っておかずに、なにかあるたびに灯子に話しかけ、授業でも積極的に灯子にあてた。


 でも灯子はあてられるたびに「わかりません」と答え、そのたびに教室は白けた。


 もう灯子はがまんできなかった。じっとこのまま教室にいるなんてムリだった。いますぐ家に帰って、タマ吉といっしょにいたい。


 タマ吉を抱きしめたい。だけどそれができないイライラが体の中を支配する。




 給食の時間、灯子は倒れた。


 給食に一口も手をつけないままじっとしていたら、だんだん地面がゆれるような感覚になり、まるで横から引っぱられるみたいに体が傾いて、イスからバタンと床に落ちた。


 灯子が目を開けると、白い部屋にいた。横を見ると、保健室の今日子先生がイスに座っている。灯子は保健室の白いベッドの上だった。


「大丈夫?」


 今日子先生が灯子の顔をのぞきこむ。


「私……」

「だいじょうぶ。寝ていなさい」

「でも!」


 灯子はだまって寝てられなかった。

 寝てるくらいなら、家に帰ってタマ吉のところへいきたい。はやくいかないと!


「私、帰らないと!」


 灯子は思わず声を出して、ベッドの上で体を起こす。


「どうしたの?」


 今日子先生がおどろいた顔で灯子を見た。


「タマ吉が、猫のタマ吉が死にそうなんです……。ずっとふるえて、もう、私のこともわかってないみたいで、夜中も……怖い鳴き方して……私……私……」


 灯子の目から涙がこぼれた。


「帰りなさい」先生が、言ってくれた。「タマ吉、さびしがってるよ。早くいってあげなさい」


 灯子は走った。学校からの帰り道、長いくだり坂を走る。

 足がもつれそうになる。それでも、バタバタともがくように走った。


 タマ吉が死んじゃう……タマ吉が死んじゃう……。心の中で叫んだ。


 ずっといっしょだった。生まれたときからいっしょ。双子の兄弟みたいに、毎日遊んだんだ。楽しいときはいつもタマ吉といっしょだった。悲しいときはタマ吉がなぐさめてくれた。そんなタマ吉が、いま、灯子の家で、病気で、死にそうなんだ……。


 だれか助けて! タマ吉を助けてあげて……。

 ボロボロに泣きながら、灯子は走った。



「タマ吉!」


 灯子は家にかけこんで、タマ吉をさがした。居間のすみで、お母さんが、横になったタマ吉を見ている。

 タマ吉は小さい毛布をかけられて、荒い息を吐きだしていた。


「タマ吉!」


 灯子はかけよった。呼びかけてもタマ吉は目を開けない。ハアハアと息を出すばかりだ。


「朝からだんだん、息がゆっくりになってるの。もう……」


 お母さんが、涙をふいて立ちあがった。

 灯子は毛布の上からタマ吉をなでた。息を吸うときだけ、ほんの少し、タマ吉の体はふくらんだ。



 夜、灯子はタマ吉と同じ毛布にくるまって、居間で横になった。

 夜の間ずっと、灯子はタマ吉の体をさすった。電気の消えた居間で、何時間も、タマ吉のために、一生懸命。


 張りのない毛は、もう昔のタマ吉とちがう。ぷっくりふくらんでかわいかった体も、今は細く、骨ばって硬くなってる。


 タマ吉は、苦しそうに息を繰り返す。横になって、間近で見るタマ吉。暗くてハッキリは見えないけど、苦しんでる。息が、腐った土のような、まるで死者のような臭いがする。


 夜。いったい何時になったんだろう。タマ吉の体温が下がって、どんどん冷たくなっていった。


「ダメだよ」


 タマ吉の命が小さくなっていく。炎が消えていく。


「ダメだよ!」


 灯子はタマ吉の体を何度も何度もさする。

 温かくなってタマ吉! 元気になって! 昔みたいにいっしょに遊ぼう? 私たちはずっといっしょだったじゃない!


 灯子は必死だった。タマ吉のためなら自分の命をけずってもよかった。

 暗い居間の中で、毛布にくるまったタマ吉が、どんどん遠くなっていく。暗闇の中に消えていく。


「いかないで!」


 どうしてもタマ吉をつなぎ止めておきたかった。 タマ吉は生まれてからずっと一緒だった。同じ日に生まれたんだ。双子の兄弟のような、自分自身のような存在だった。


「タマ吉!」


 灯子が叫んだ瞬間、プツリとなにかが切れたような感覚になった。なにも聞こえない。


 音がなくなって、それまで聞こえていた苦しそうなタマ吉の息も聞こえなくなった。とつぜん、宇宙空間に投げだされたような、不思議な感じ。


 なにこれ? どうしたの?


 見ると、灯子の横には、さっきまで寝ていたタマ吉がいない。居間のすみで、いっしょに毛布にくるまっていたはずなのに。


 灯子はゆっくりと起きあがった。

 まだ音のない世界は続いてる。


 まるで、音を消したテレビを見てるみたい。なにも聞こえない暗闇の中で、カーテンのすき間から漏れる月の明かりが見えた。


 そのとき。


 窓の下にタマ吉がいる。

 カーテンの前だ。


 タマ吉は、さっきまでの弱々しいタマ吉ではなく、昔の元気をとりもどしてるようだ。それに、灯子を見つめる目には、力強い命が宿っている。


「タマ吉……」


 そう言った自分の声が、とても遠くから聞こえた。まるで、耳の中に水がつまってるみたい。


「タマ吉、元気になったの?」


 灯子の声は半信半疑だった。声がとどいたのか、タマ吉がコクリとうなずいて、すくっと立ちあがった。


 え?


 タマ吉が、2本足で人間みたいに立ってる。

 うしろ足がのびて、力強い。


 2本のうしろ足の間から、タマ吉の尻尾が見えた。尻尾が2本ある!

 灯子は朝のことを思いだした。たしかノン子が言っていた。


「猫はねー、長く生きると猫又っていう妖怪になるんだよー。尻尾が2つになって、人間の言葉もしゃべれるようになるんだよー」


 そうだ、ノン子はそう言ってた。

 いま、タマ吉の尻尾は2本ある。


「タマ吉、もしかして……」


 タマ吉が、大きな目で灯子を見つめながら、うなずいた。


「灯子、ありがとう」


 タマ吉がしゃべった!


「タマ吉……」


 灯子の目から涙がこぼれた。タマ吉は一歩、うしろへ足を引いて、カーテンに手をかける。


「灯子、今日は僕たちの誕生日なんだよ」


 そうだ、と灯子は思った。日が変わって、私とタマ吉は12歳になったんだ。


「僕のこと、ずっと温めてくれたんだね。灯子のおかげで、僕は12歳まで生きられた。だから――」


 長生きした猫は……12年以上生きた猫は……妖怪になる。尻尾が2本になり、人の言葉をしゃべれるようになり……


 猫又になる。


 タマ吉が、カーテンを強く引いた。サーッとカーテンと窓がいっしょに開く。向こうは昼間みたいに明るくて、輝く大きな月が、部屋を、タマ吉を、灯子を照らした。


 まぶしくて目をつぶり、ふたたび開けたとき、2本足で立つタマ吉の体が、巨大な月と重なって、黒いシルエットになっていた。月に、タマ吉の姿が描かれたみたいだ。


「灯子、また会おうね」


 黒い影にしか見えないタマ吉が言った。


「どこ行くの?」


 灯子は目を細めつつ、影に聞く。


「どこまでも」


 言い終わるか終わらないか、一瞬のうちにタマ吉は外へ飛びだした。開いてる居間の窓から、まるで、風のように。まるで、光のように。


「タマ吉!」


 灯子が言ったのと同時にスルスルとカーテンが閉まり、輝いていた月は隠れて、また居間は、暗闇にもどった。




「タマ吉!」


 言いながら灯子は目を開けた。

 もう朝だった。


 お父さんとお母さんが、寝てる灯子の横にいる。灯子は「わっ!」と起きあがって、あたりを見た。


 いない。横にいたはずのタマ吉はいなかった。毛布がペタリと床に落ちてるだけ。


「タマ吉は?」

「朝起きたら、どこにもいないのよ」


 お母さんはそう言って、不思議そうに首をふる。

 灯子は窓を見た。カーテンがわずかにそよいでる。


 走ってカーテンを開けると、窓は開いていた。


「窓開けた?」

「いや、灯子が開けたんじゃないのか?」


 お父さんが言った。


 灯子は昨日の夜のことを思い出した。明るく輝く月、タマ吉のシルエット、そうして……

 タマ吉は、窓を開けて外に飛びだした。


 そうだ。灯子の中に、明るいなにかが灯った。

 きっとタマ吉は、妖怪になって旅に出たんだ。


 不思議だった。

 灯子はもう、悲しくなった。


 タマ吉を、ちゃんと送り出したんだ。

 長い長い、旅のはじまりに。


 灯子はそっと、つぶやいた。


「どこ行くの?」


 灯子の心の中から、タマ吉の声が聞こえた。


「どこまでも」

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