たったひとりのともだち(座敷童子)
友達をつくるのはむずかしい。
みんなどうやってるんだろうと
千紗は両親の仕事のつごうで、数年おきに転校を繰りかえしていた。
ひどいときには一週間で転校したこともあった。
もともと人とうまくしゃべれないのに、そんなに早くいなくなるから、千紗はどの学校でも友達ができなかった。
でも今回の学校は、いつもよりも長くいられるはずだった。
だからはじめて一軒家に引っ越した。
「アパートよりも安く借りられたんだ」
とお父さんは言った。
千紗は今回こそ、自分から積極的に話しかけようと思った。
転校した最初の日、帰りの学活が終わると、思い切って楽しそうにしゃべってるグループに声をかけた。
「い、一緒に帰ろう!」
切れた電球みたいに笑いが止まって、みんな困った顔をした。
話しかけるタイミングがおかしかったんだ。
それに、帰る方向が違うグループに声をかけていた。
だから悪いのは私。
友達のつくり方を知らない私が悪いんだ。
たかが友達、と思ったときもある。
友達なんかいなくても、生きていけるんだ。
でもどうしてだろう。友達がいないと学校にいづらい。
教室の中で、どんどん息がつまっていく。
みんなは友達っていう酸素を吸って、楽しそうに教室で生きている。
だけど千紗には友達がいない。酸素がない。息を止めてじっと耐えてるけど、どんどん苦しくなっていく。
毎日がまんしていると、そのうち息がもたなくなる。教室の中で窒息しそうになる。
だから千紗は、いつも、しばらくすると学校にいかなくなる。
今回もそうだった。
* * *
お父さんとお母さんは、毎朝、仕事に出かける。
千紗は学校にいかずに、家でひとりっきりだ。
でも家だと窒息しない。友達がいなくてもいいから、安心して、思いっきり息を吸える。
千紗はリビングでテレビを見ていた。
「ハァ……」
とため息をついたとき、2階でごとり、と音がした。
え? と思って天井を見あげる。いま、たしかに音がした。
でもこの家には私だけだ。聞きまちがいかも。
そう思ったとき、ごとり、とまた音がした。
音が聞こえたのは、千紗の部屋からだ。
どうしよう。見にいった方がいいの?
でも……怖い。
たしかめるだけだ。千紗はゆっくり、階段に向かって歩きはじめた。
さっきの音が空耳だってことをたしかめないと。
だってそうしないと、怖い気持ちのまま、夕方までひとりでいることになる。
お父さんとお母さんが帰ってくるまで、ビクビクした気持ちでいるなんて耐えられない。
千紗は階段をのぼり、2階の廊下をそおっと歩く。
暗い廊下だ。もう物音は聞こえない。やっぱりあれは聞き間違いなんだ。
暗い廊下の突きあたり、自分の部屋の前で立ち止まる。
じっと息をこらして、中から物音が聞こえないか耳をすます。
大丈夫、なにも聞こえない。
千紗はドアノブに手をかけた。
いつもより重く感じるドアノブを回して、ゆっくりドアを開け、中をのぞきこんだ。
* * *
「千紗、いないのか?」
お父さんが心配そうにお母さんに聞いた。
夜、2人がいっしょに帰ってくると、家の電気がついてなかった。
リビングは暗く、カーテンも閉まっていない。
不気味な月明かりだけがリビングを照らしていた。
ごとり、と2階から音がした。
「いるみたい」
お母さんがすこし安心した声で言う。
「みたいだな。でもちょっとオレ、見てくる」
そう言ってお父さんは、階段をあがって千紗の部屋の前まできた。
「千紗? いるのか?」
千紗の部屋の前でお父さんは言った。
「うん……」
中から声がする。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「なんでもない」
「入っていいか?」
お父さんがドアノブに手をのばす。
「ダメ。私、もう寝るから」
「そうか……。じゃあ、おやすみ」
お父さんはそのまま、ドアを開けずに1階にもどっていった。
だけど千紗は、寝ようとなんてしてなかった。
電気が消えた暗い部屋で、じっと一点を見つめていた。
窓から月明かりが差しこんでいる。
その明かりに照らされて、ベッドの前にいる女の子の姿が見える。
それは、千紗とおなじくらいの背丈の女の子だ。
だけど姿は全然違う。
赤い着物を着て、黒いおかっぱ頭。
まっすぐ切りそろえられた前髪の下に、細い目がシュッとのびていた。
昔の人みたい……。
千紗は思った。
「あ、あのね……」
千紗はおびえながら声をかけた。
ずっと話しかけてるけど、一度も返事はない。
昼間、物音を聞いて恐る恐る部屋に入るとこの子がいたんだ。
一目見たときから人間じゃないのはわかった。
だって、一言もしゃべらないで、ベッドの前に立ってるなんて。
幽霊だ。そうに違いない。
でも、どうしたらいいんだろう。
幽霊だとしても、なにかしてくるわけでもない。
何度も話しかけたんだけど、返事をしないし。
「ねえ、なんなの? どうしたらいいの?」
千紗が言ったとき、幽霊がスーッと横を見た。
千紗は、幽霊が見ている方を見た。
押し入れだ。ベッドのすぐ向こう側にある。
千紗は机の引き出しから懐中電灯をとりだし、幽霊を避けるようにしてベッドにあがった。
押し入れになにかあるんだ。
千紗は押し入れを開けて、懐中電灯で中を照らした。
引っ越してきたばかりなので、なにも入ってなかった。
「なにもないよ?」
そう言いながら、千紗はベッドの上から押し入れの中に入る。
中はすごく暗くて古い木の臭いがする。
懐中電灯をすみずみまで向けて、もう一度中を探すけど、やっぱりなにもない。
「なにもないけど……」
と言ってふり返る。
すぐうしろに幽霊がいた。
「うわああ!」
懐中電灯を落としそうになった。
幽霊がいつの間にか押し入れの中にいた。
無表情のまま、じーっと押し入れのすみを見つめてる。
「もう……やめてよ……」
と千紗が泣きそうになったとき、うしろにいる幽霊が、腕をすうーっとのばして、押し入れのすみを指さした。
「え?」
千紗はこわごわ、押し入れのすみに、懐中電灯の光を向ける。
なにか落ちてる。さっき懐中電灯を向けたときには気がつかなかったのに。
すみにいって拾うと、押し花だった。
黄色い小さなタンポポだ。とても軽い。
「かわいい」
思わずそう言ったとき、押し入れの中の気配が、スッと変わったような気がした。
千紗がうしろを見ると、あれ? いない。
さっきまで幽霊がいたはずなのに。
押し入れから出て、ベッドの上に立って部屋を見まわす。
部屋は暗いけど、幽霊はどこにもいない。どこいったんだろ。
千紗はベッドの端に座って、さっき拾ったタンポポの押し花をながめた。
指でつまんで回してみる。タンポポの花が、踊ってるみたいにクルクル回った。
ふふふ……。
千紗は隣に気配を空気を感じた。
横を見ると、いた。
千紗のすぐ真横だ。
千紗が腰かけてるベッドに、幽霊も一緒に座ってる。
わあっ! と心の中で思ったけど、声には出さなかった。
驚いたら、かわいそうな気がした。
どうしよう、隣に座られても……。
千紗は、怖い気持ちはあるけれど、手に持った押し花を幽霊に見せた。
「ねえ、これ、あなたが作ったの?」
幽霊が、そっとうなずいた。
* * *
それから千紗は、部屋にこもるようになった。
朝、1階におりてきて、少し顔を見せるだけで、あとはずっと部屋にいる。
お父さんとお母さんは、だんだん心配しはじめた。
学校を休んで家にいるのは、いつものことだったけど、部屋から出てこないのはおかしかった。
ふたりは1日だけ仕事を休み、家にいることにした。
千紗をひとりきりにしすぎたんだと思った。
一日中家にいて、お父さんとお母さんは気づいた。
千紗の部屋から声が聞こえる。ひとりでなにかしゃべってる。
「千紗、部屋にだれかいるのか?」
お父さんがドアの前から聞くと、
「……ううん、だれもいない」
と部屋の中から千紗の返事が返ってきた。
だけど、お父さんには心あたりがあった。
一軒家を、こんな安い値段で借りられるわけがない。
やっぱりウワサは本当なのかもしれない。
この家には、幽霊が出るというウワサがあった。
千紗は楽しかった。
昼間から、ずっと幽霊といっしょだった。
話しかけても答えてくれないけど、タンポポの押し花を見せると、表情が変化する。
だから幽霊に「ぽぽちゃん」と名前をつけた。
タンポポの押し花を見せても、「ぽぽちゃん」と呼びかけても、幽霊はそっとうれしそうに下を向いて笑う。
きっとこの子、私といっしょにいてうれしいんだ。
夜、「お休み、ぽぽちゃん」と言って千紗はベッドに入った。
明日もいっしょにいよう。
しばらくウトウトしていると、どこからか、
「しくしく、しくしく……」
聞こえてきた。千紗はベッドから出た。部屋のすみにいるぽぽちゃんが、下を向いて顔を押さえてる。
「どうして泣いてるの? 悲しいの?」どうしていいのかわからなかった。「大丈夫だよ、寂しくないよ。私がいるんだから……」
必死に呼びかけると、ぽぽちゃんはコクンとうなずいた。
* * *
千紗はもうほとんど、部屋から出なかった。
朝、食卓に並ぶ朝食の中から、ジャムをぬったパンを一切れだけ食べて2階に帰っていった。
お母さんは心配そうにお父さんを見た。
「あの子、本当に幽霊に……」
「オレ、真鍋さんに相談してみようと思うんだ」
「真鍋さんって?」
「ほら、占いやってて除霊もできる……。たまにテレビとかに出てるだろ」
「すぐ連絡して。このままじゃ千紗が!」
階段の途中で立ち止まって、千紗はふたりの会話を聞いていた。
部屋にもどると、千紗はベッドを動かして、ドアの前に持ってきた。
ドアを開かないようにしよう。
「ねえ、どうしよう。占い師が除霊にくるっていうんだよ……」
せっかくふたりでいっしょにいて楽しかったのに。
それを、大人たちが邪魔しようとしてる。
ぽぽちゃんは表情を変えないまま、じっと千紗の方を見ている。
「大丈夫だからね、私がいるからね」
千紗は、ドアの前に持って来たベッドの端に座った。
1階から物音はしない。まだしばらくは、除霊をする占い師もこない。
千紗は大きくあくびをした。
昨日の夜は、ぽぽちゃんが泣いてて、しっかり寝られなかった。
千紗はドタンとベッドの上に横になった。
「大丈夫だからね……」
そう言って、目をつぶった。
車の止まる音と、玄関のドアが開く音で、千紗は目覚めた。
いつの間にか部屋の中は暗くなってる。
「ぽぽちゃん?」
千紗はベッドから起た。
暗い部屋の中を見回すと、部屋の中に月の明かりが差しこんでる。
ぽぽちゃんは部屋のドアから離れ、窓際に立っている。
悲しそうだ。
玄関で、お父さんとだれかが話してる声がする。
そうして2階にあがってくる。
あわてて千紗はベッドをもう一度ドアの方に押した。
ガタンと音がしてベッドがドアにぶつかった。
これでだれも入ってこられない。
「千紗、ちょっと話があるんだ」
ドアの向こうでお父さんの声がした。
千紗はだまったまま、じっとドアを見つめた。
「千紗? ちょっと会ってほしい人がいるんだ。お父さんの知り合いなんだけど……」
ウソだ。いま会ったばかりのはずだ。
なんとかっていう名前の占い師だ。
ぽぽちゃんを除霊に! 消しにきたんだ!
「聞いてるか? 開けるぞ?」
お父さんの声が大きくなった。ドアノブが回って、ドアが開く。廊下の明かりが部屋に入る。だけどベッドが邪魔して、ドアはガン! と音をたてて止まった。
「千紗、開けなさい!」
お父さんがドアを開けようとするたびに、ドアはベッドに当たってドンドンと音をたてる。
部屋がミシミシゆれる。怖くて泣きそうだ。
「ぽぽちゃん……」
心の中でつぶやいた。
「ねえ千紗ちゃん、ここ開けてくれないか? おじさん、大事な話があるんだよ」
知らない男の人の声がした。きっと占い師だ。
「出てって! ぽぽちゃんを消させないんだから!」
「千紗! いい加減にしない!」
ドン! と千紗の足に強い衝撃があった。
足に痛みが走る。
「いたい!」
千紗はベッドの前で倒れた。
ドアのすき間から廊下の光が入りこんで、千紗を照らす。
もう30センチ以上開いている。お父さんが強引にドアを開けようとしてムリヤリ押した。だからベッドがドアに押されて、千紗の足に当たった。
「千紗!」
お父さんの声が聞こえる。
ドアを見ると、開いたすき間から、知らない2つの目がギロギロとこっちを見てる。
「あ、見えます。娘さんともうひとり。でもあれは……あれは幽霊じゃない。座敷童子ですよ!」
「こないで!」
千紗は痛む足を引きずりながら、ドアを手で押した。
「千紗! あとは真鍋さんにまかせて、はやくこの部屋から出なさい!」
お父さんがドアを押してくる。
「いやだ! ずっとここにいるの! ぽぽちゃんといるの!」
「千紗、こっちにはお父さんやお母さんがいるんだぞ。な? みんな千紗のことを心配してるんだ。学校の先生とか、友達も心配するだろ?」
お父さんはなにもわかってない。学校に友達なんかいない。私はずっとひとりだったんだ。
息を止めて、苦しみながら学校にいってたんだ。私はずっとこの部屋にいるんだ。
だって……だって……
「学校に友達なんていないの! ぽぽちゃんだけが私の友達なの!」
千紗は大きな声で、心の底から、本当の気持ちを吐き出した。
涙があふれる。ようやくできた最初の友達が、消されようとしてる。大事な友達が消されてしまう。
どうしてダメなの。
人間じゃなくても、私たちは楽しい時間をすごしたのに!
「幽霊だって、座敷童子だっていいじゃない! 私の大切な友達なの!」
「ありがとう」
うしろから、声が聞こえた。
はじめて聞く声だった。
ふり返ると、部屋の真ん中に、ぽぽちゃんが立っている。
うしろからの月の光に照らされて、まるで光っているように見える。
「ぽぽちゃん……」
ぽぽちゃんが、1歩、千紗の方に近づいた。
月の光に照らされたぽぽちゃんは、千紗がつけた名前のように、タンポポみたいに黄色く輝いてる。
「千紗ちゃん、私、うれしかった。私、友達がいなかったの。ずっとさびしくて……さびしくて……だから……」
ぽぽちゃんが泣いていた。ぼろぼろと涙をこぼしている。
「千紗ちゃんと友達になれて、楽しかった……」
「ぽぽちゃん……」
千紗も泣いた。おたがい、最初の友達なんだ。
「千紗ちゃん、ありがとう。私……」
ぽぽちゃんの姿が、どんどん薄くなって、消えていく。
「ぽぽちゃん!」
千紗は、ぽぽちゃんのところへ走った。でも足が痛い。
痛いけど、ぽぽちゃんが消えちゃう。私の大切な友達が……。
手をのばして、ぽぽちゃんに触れようとしたとき、ふぅっと長いため息のような音がして、ぽぽちゃんは消えた。
最後に見えたぽぽちゃんの顔は、笑顔だった。
千紗は、泣きながら、消えてしまった友達に言った。
「ぽぽちゃん……ありがとう……」
部屋の真ん中には、ポツンと、黄色いタンポポの押し花が落ちていた。
除霊の次の日に、千紗のお父さんの会社はつぶれた。
突然だった。
真鍋という占い師も、それから一度もテレビに出なくなった。
原因は、わからない。
だけど、千紗がその後、『妖怪辞典』という本を読むと、座敷童子はその家に繁栄をもたらすと書いてあった。逆に、消えると不幸になるとも。
* * *
そうして二十年がたった。
千紗はまた、この町に帰ってきた。夫と、3歳の娘をつれて。
あれからも、何度も転校した。
でも千紗はもう苦しくはなかった。
転校して、友達ができなくて、教室でひとりきりになっても、窒息しそうにはならなかった。ちゃんと空気を吸えた。
だって、千紗はもうひとりじゃなかった。友達がひとりいるんだ。
たったひとりでも、大切な友達だった。
20年ぶりにこの町にもどってきたとき、千紗は偶然とは思わなかった。
だから、前に住んだあの家をさがした。
まさか、残ってるとは思わなかった。
だいぶ古くなったけど、まだあった。
そうしてやっぱり、人は住んでいなかったし、借りるとしたらすごく安く借りられるという話だった。
夫と娘と3人で家に入ると、昔の記憶が鮮明によみがえった。 2階にあがって、昔の自分の部屋にいってみたけど、ガランとした部屋があるだけだった。
1階におりると、3歳の娘がはしゃいでた。
タンポポの押し花を手に持って、リビングを走ってる。
あれは、千紗がぽぽちゃんにもらった押し花だ。
千紗がいつまでも大事に持っていたんだ。
あれのおかげで、千紗はさびしくなかった。
と、娘が立ち止まった。
だれもいない部屋のすみに向かって、押し花をさしだした。
「これ、あげる」
と言って。
大人になった千紗には、もう見えなかった。
でも、娘には見えるんだ。
千紗は心の中で思った。
ぽぽちゃん、私、帰ってきたよ。
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