河童のほこら
藤田の妹が河童に襲われた。
まだ小学1年生で、今年入学したばかりの小さな女の子だ。
朝、僕が学校にいくと、ちょうど藤田がクラスのみんなに話していた。
「みんな聞いてくれ。妹が河童に襲われたんだ!」
藤田は6年3組の中でも目立つタイプで、発言力もあった。
だからみんな、教室の前で熱っぽく話す藤田の言葉を真剣に聞く。
「場所は福田の森、河童の
「どうして河童が?」
女子のだれかが聞く。
福田の森では、河童の目撃情報は前からあった。
でも河童が人を襲うなんてはじめて聞いた。
「きっとムシャクシャしてたんだ。河童は凶暴だぞ! 祠の横に流れる川からとつぜん飛びだして、細い妹の腕をおもいっきりつかんだんだ! 美樹!」
藤田が呼ぶと、廊下から女の子が入ってきた。
藤田の妹の美樹ちゃんだ。
美樹ちゃんはてくてくと藤田の横にやってきて、みんなに左腕を見せた。
Tシャツのすそから、細い二の腕が見える。
あっ!
腕は痛々しいほど赤く腫れていた。
ちょうど河童の指の形をしている。
教室がざわめいた。
「ひどい!」と女子の声も聞こえた。
しくしくと美樹ちゃんは泣きはじめた。
きっと怖かったんだろう。
凶暴な河童に腕をつかまれたんだ。
「俺は妹をつれて、なんとか逃げた。俺だけじゃ河童に勝てない。だからみんなの協力が必要なんだ!」
「協力って、どうしたらいいの?」
僕は藤田に聞く。
「谷口、いいこと聞いてくれた。今日の放課後、みんなで河童を退治にいくぞ!」
藤田の言葉を聞いて、みんなドキッとした。
だって河童を退治するなんて、僕たちにできるんだろうか?
「みんなが怖がる気持ちはわかる」
藤田はみんなをぐるりと見まわす。
「だけど俺たちは友達だろ? 友達がやられてるのに、知らんぷりするのか?」
藤田の言葉には説得力があった。
クラスのみんなも、だんだんその気になってきた。
ひとりひとりは弱くても、みんなで協力すれば、河童に勝てるかもしれない。
「みんな、俺といっしょに戦ってくれ!」
藤田が声をあげた。
「オー!」
とみんな返事をした。
僕もいっしょにに声をあげた。
クラスが一体となって、僕はすがすがしい気分になった。
*
だけど、放課後、みんなで福田の森にいこうとするとき、ひとりだけ「いかない」と言いだした人がいた。
どうしてなんだろう。
こういうとき、必ず集団の輪を乱すヤツがいる。
それは酒井君だった。大人しくてメガネをかけている。
猫背で、細い体を折り曲げて、いつもひとりでなにか考えてる変わった子だ。
「ちぇっ!」
酒井君がいかないと聞いて、藤田は舌うちをした。
「お前が河童に襲われても、俺たちはお前を守らないからな」
そう言って、藤田は教室を出ていく。
僕やほかのみんなも、藤田のあとに従った。
学校を出て、クラスのみんなで福田の森へ向かう。
森は学校の裏にあるんだ。
放課後だけど、まだ太陽の光は強かった。
でも森に入ると、たくさん生えた木にさえぎられて、すずしい空気になった。
藤田と妹の美樹ちゃんが先頭になって、森の中をぐんぐん歩いていくと、だんだん川が流れる音が聞こえてきた。
もうすぐだ。いよいよ河童を退治するんだ。
みんな、ここまで来るとちゅうに、石を拾って武器にしている。
僕らは川にたどりついた。
川は2、3メートルの幅があって意外と流れが速い。
この中に河童がいるんだろうか……。
そのとき、ギシギシと音が聞こえた。
手に持った石を強く握りしめる。
音の方を見ると、川の横に建つ河童の
祠はすごく昔に建てられたらしく、古い木でできていた。
大人の身長くらいの高さで、三角形の屋根。ちょっとした小屋みたいだ。
藤田が力まかせに揺さぶるから、祠はいまにも倒れそうだ。
「出てこい!」藤田は言った。「妹のかたきだ!」
そうして、もう一押しで祠が倒れそうになったとき――
バシャン!
川でなにかが跳ねた!
おどろいて川を見る。
でももう、それは川にはいない。
飛びはねて川から出たんだ。
どこにいったんだ?
「谷口、横!」
だれかが僕に叫んだ。
え?
横を見ると目の前に緑色の妖怪がいた。
皿の載った頭、するどい目、大きな口とギザギザの歯、ヌメヌメ体が光ってる。
か、河童だ……。
ぎぎぎ……
河童が奇妙な音を出して、ぎょろりと僕を見た。
「うわあ!」
僕は手に持った石で河童を叩こうと――
したときにはもういなかった。
河童はいっしゅんで藤田の横に移動して、藤田の腕をつかんでいる。
「いてえ!」
藤田が悲鳴をあげた。
河童は凶暴だ。はやく倒さないと!
河童が体をひねったかと思うと、一瞬で藤田を投げ捨てられ、
「ちくしょう……」
それでも藤田は立ちあがろうとする。
さすがだ。
「み、みんな、助けてくれ!」
藤田が言ったと同時に、だれかが河童に石を投げた。
ガツ! と石が顔にあたって、河童はひるんだ。
みんなも石を河童に投げつける。
ガン! ガン!と河童にあたる。
石が河童の体を痛めつける。
河童は1歩2歩とあとずさりはじめた。
どんどん川の方へ追いたてられていく。
いいぞ!
みんなが協力すれば、強い河童にも勝てるんだ。
河童はまるで泣いてるみたいに、手で顔を覆いながらさがっていく。
「やっちゃえ!」
そう言って、藤田の妹の美樹ちゃんが石を投げた。
その石が、河童の頭にある皿にあたった。
ぎいゃあ!
河童の悲鳴が福田の森にひびく。
河童は頭から緑色の血を流し、川縁まで追いつめられた。
あと一息だ!
みんながそう思ったとき、河童はまるで像が倒れるみたいに、川の中へ落ちていった。
川の流れはとても速かった。
僕たちが川沿いまでいったときにはもう、河童の姿はどこにもなかった。
「勝ったな」と藤田が言った。「正義の勝利だ」
藤田は満足げに河童の
祠はなんの抵抗もなく、メリメリと木の裂ける音を残して倒れた。
それから、僕たち6年3組の絆は強まった。
ただ酒井君だけが、クラスの中で孤立していた。
河童退治に参加しなかったから、とうぜんだった。
藤田や取り巻きたちは、酒井君をからかったり、いじめたりしていた。
河童のウワサも、急になくなった。
それまで、福田の森で河童を見たという話はしょっちゅう聞いていたけど、僕たちが退治してから、河童を見た人はいなくなった。
祠を倒したからだ、とクラスで話題になった。
きっともう、河童はいなくなったんだ。
「人を襲う凶暴な河童は、俺たち6年3組の手によって追放されたんだ」
と藤田は言った。
*
森から河童がいなくなって何週間かしたころ、僕は教室で、酒井君と2人きりになった。
酒井君は1人で、教室の自分の机に座っていた。僕は思わず言った。
「酒井君、河童退治に参加しなかったこと、みんなに謝ったら? 藤田と妹のために、みんなは協力したんだよ。酒井君だけ――」
「谷口君はほんとうのこと知らないんだよ」
「え?」
いきなりそんなことを言われると思ってなかった。
僕はとまどったけど、酒井君の目は真剣だった。
「谷口君だけじゃない、みんなもほんとうのことを知らないんだ」
「ほ、ほんとうのことって?」
「最初に暴力をふるったのは、藤田なんだよ。藤田が河童に手をだしたんだ」
「で、でも、藤田の妹が河童に腕をつかまれたんだよ?」
「その前に、藤田と妹は、おもしろがって河童の
河童はそれを止めようとして、川から出てきた。でも藤田が河童を蹴ったんだ。
そのすきに妹が祠を押して倒そうとしたから、河童は止めるために、妹の腕をつかんだ。
それで、妹が悲鳴をあげて泣いた。それが真相なんだ。
僕はあの森で、見てたんだ。ほら、これが証拠」
そう言って酒井君は携帯を取りだし、写真を見せてくれた。
ほんとうだった。
そこに写っていたのは、祠を壊そうとしている藤田兄妹(きょうだい)だった。
「じゃ、じゃああのとき、この写真を見せてみんなを説得したらよかったのに!」
僕の言葉に酒井君はむなしく首をふった。
「ダメだよ。あのときのこと、思いだしてよ。みんな怒りとか正義感とか、そういうもので頭がいっぱいで、冷静なことなんて考えられなかったよ」
たしかにそうだった。
あのとき僕も、自分が正しいっていう思いで舞いあがってた。
「ごめん……」
僕はうなだれた。
「いいんだよ。谷口君はわかってくれたんだから」
そう言って酒井君は携帯をカバンにしまった。
教室は静かで、僕たち2人しかいなかった。
太陽がゆっくり傾いていくのがわかった。
最初に悪さをしたのは藤田たちだったんだ。
暴力をふるったのも藤田だった。
僕たちは、それを止めようとした河童の行動だけ知らされて、河童が最初に暴力をふるったと思わされてた。
なのに、友達とか正義とか、そういう言葉にだまされて、僕たちは藤田といっしょに河童に暴力をふるった。
石を投げ、河童を痛めつけた。
そうして、河童はいなくなった。
「もう河童はもどってこないよ」
酒井君が静かに言った。
「僕たちが追いだしたんだ……」僕の声はふるえていた。取りかえしのつかないことをしてしまった。「ねえ、どうしよう……。そうだ、先生に言おうよ。そうしたら!」
「ダメだよ。先生たちは、藤田のお父さんの中華料理屋にいってるだろ」
それは僕も知っている。
藤田のお父さんの中華屋は、高級で美味しいと評判だ。
「先生たち、藤田のお父さんに、おごってもらってるんだ。いっしょに美味しいご飯食べて、おごってもらってるから、きっとなにも言えないよ」
そう言って酒井君は、深いため息をもらした。
それは、あきらめみたいな音がした。
「じゃあ……どうすればいいの?」
「谷口君、僕の言ったこと、信じてくれた?」
「うん」
「そういうふうに、伝えていくしかないよ……」
酒井君はカバンを持って、歩いていく。
僕は酒井君のうしろ姿を見るしかなかった。
酒井君が廊下へ出ていこうとしたとき、僕は言った。
「河童の祠、直そうよ」
*
つぎの休みの日、僕たちは家から板や道具を持ちだして、福田の森へいった。
太陽が真上で、さんさんと輝いてた。
汗をぬぐいながら川のそばまでいくと、無残にくずれて、壊されたままになっている祠があった。
僕たちは、祠の木を拾いあつめ、クギを打って直しはじめた。
割れて使えない木は、新しく持ってきた木で代用する。
さいわい、もとの形のまま横に倒れただけだったから、僕たちでも、まるまる半日を使えば、なんとか祠は以前の姿にもどった。
「やった!」
僕は酒井君に言った。
「うん、やればできたね」
気がつくと、真上にあった太陽は斜めに傾いて、赤い夕陽が森を染めていた。
僕たちは川縁(かわべ)に座って、冷たい川の流れに足をひたした。
なぜか今日だけ、川はゆったり流れ、不思議と疲れがとれていく気がした。
「ねえ」僕は酒井君に聞いた。「河童、もどってくるかな」
酒井君はじっと、足を入れた川を見つめていた。
「わからない。だけど、もどってきてほしい」
「うん」
そう言った僕の足に、スルッとなにかがふれた。
え? 川の中を見ると、そこにはなにも、いなかった。
僕は酒井君を見た。
酒井君もおどろいた顔で、川の中の自分の足を見ている。
まさか……。
「ふふふ……」
と僕たちは顔を見あわせて笑った。
次に大きく、「あはは!」と笑った。
森と祠と川縁に、僕たちの笑い声がひびいた。
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