さよなら天狗先生

 天狗てんぐ先生は本当に天狗なのかもしれない。


 そういうウワサが6年3組にひろまっていた。放課後になると、先生は学校の裏にある森の中に消える。もしかしたらそこで、なにかやってるのかもしれない。


 ウワサをたしかめるため、僕は天狗先生のあとをつけることにした。


  *


 放課後、太陽が沈みはじめ、空の色が青からオレンジに変わっていく。僕は学校の玄関を出て、外で天狗先生を待った。


 天狗先生がこの学校に来たのは1ヶ月前だった。6月の終わりに、臨時の英語の先生としてやって来たんだ。顔は赤く、鼻は高かった。なんとかっていう国から来た外国の人なんだけど、僕は名前をおぼえていない。


 国の名前だけじゃない。先生の名前もよくおぼえてない。「天狗先生」っていうピッタリなあだ名のせいで、僕も、クラスのみんなも、忘れてしまったんた。


  *


 あ、出てきた。

 ぼんやりしていると、天狗先生がこっそり玄関から出てきた。大きな体なのに、注意していないと気づかないはやで、スルッと校舎の裏にまわって消えた。


 やっぱり噂どおり森にいくんだ。


 僕もあわててあとを追う。先生は、校舎の裏にある森に入っていく。そこは昔から「福田の森」と呼ばれ、木がうっそうと生い茂り、雑草がヒザの高さくらいまであって、暗く不気味な場所だった。


 森の中で遊ぶ子もいたけれど、えたいの知れない生き物を見たとか、不思議な目撃談も多かったから、怖がりの子はぜったいに近よろうとしない場所だ。


 森の中へ、天狗先生はスルスルと入っていく。いったいこの森に、なにがあるんだろう。


 天狗先生にはいろんなナゾがあった。顔が赤くて鼻が高いのは前にも言ったけど、ほかにも、なにかの羽でできた団扇うちわを持って、いつもパタパタあおいでる。それにきっと、クツは硬い素材なんだろう、廊下を歩くたびにカランコロンと下駄みたいな音がした。


「天狗先生って、ホントに天狗なんじゃないか?」


 だれが最初にそんなことを言ったのかわからない。でも図書室にある『妖怪辞典』を見てみると、辞典に描かれた天狗の絵と、天狗先生の姿はそっくりだった。顔、鼻、うちわ、クツ。先生が毎日着てる黒いベストも、天狗の服にとてもよく似ていた。


 それから急速に、先生が天狗だというウワサはひろまったんだ。


  *


 天狗先生は森の中をわけ入っていく。

 僕も先生を見失わないよう、なんとかついていく。


 でも……と僕は思う。もしこの先に、天狗の里があったらどうしよう? 天狗の住む村に、先生は毎日帰っているのだとしたら。


 僕は天狗の里にいってしまうのだろうか。それとも、つけてることを知っていて、僕を天狗の里に誘いこもうとしてるなら……。


 だんだん怖くなってきた。このまま先生をつけていっていいんだろうか。

 ひとりで来るんじゃなかった。せめて須田すだ大樹だいきも呼べばよかった。



 須田大樹は天狗先生を好きじゃなかった。

 6年3組のみんなも最初はそうだった。みんなが好きだったのは、天狗先生の前の英語の先生、唱子しょうこ先生だった。

 唱子先生は歌うように英語を話した。みんなは先生のしゃべりかたにうっとりして、女子なんかファンクラブを作ったくらいだ。でも唱子先生は赤ちゃんができて、出産のために休みに入った。


 代わりに来たのが天狗先生だ。唱子先生とまったく雰囲気の違う、赤い顔の外国人を、最初はみんな、怖がった。


 でも、天狗先生は面白かった。英語の発音は、僕たちが聞いてもわかるくらいヒドいなまりだけど、聞いてるとだんだん面白くなってくる。


 だから授業の最後の方になると、笑顔になって楽しい気持ちになるんだ。みんなは授業が終わるとすぐに、つぎの英語の授業が待ち遠しくなった。


 それに先生は、休み時間になるとみんなと遊んだ。


 今年の夏はとても暑いから、みんな、太陽がカンカン照りの外よりも、学校の中にいたかった。だけど先生はクラスのみんなを外に出して、聞いたこともない言葉を口の中でつぶやいた。


 英語とは思えない言葉で、僕が先生になんて言っているのか聞こうとした瞬間、どこからともなくさわやかな風が吹きはじめた。


 それは、夏の暑い風ではなく、春のそよ風みたいにおだやかで、どこか秋風のようなさびしい涼しさがあった。


 みんなその風が好きだった。休み時間になると外に出て、風を待った。先生は毎回、口の中でそっと言葉をつぶやいた。


 もしかしたら、そのことを知っていたのは僕だけだったかもしれない。僕は先生のすぐ隣にいて、毎回不思議そうに先生の顔をながめた。赤い顔に高い鼻。不思議な言葉はいったいどういう意味なのか聞こうとすると風が吹きはじめ、僕はそのたびに、聞こうとしてたことを忘れてしまうのだった。


 だけど須田大樹だけ、外に出なかった。


 大樹は唱子先生と仲がよく、どの授業よりも英語が好きだった。だから唱子先生が出産のために休むと知ってガッカリし、新しく来た天狗先生のことをよく思わなかったんだ。


 最初はみんなも大樹とおなじだったけど、いつのまにか天狗先生のことが好きになっていた。もしかしたら大樹は、みんなに裏切られた気持ちだったのかもしれない。だから昼休みの終わりに、天狗先生とみんなが、外から足の不自由な犬をつれてもどってきたとき、あんなことを言ったんじゃないか?



「そんな犬、保健所につれていけよ!」


 大樹はそう言った。ひどい言葉だと僕は思う。みんなも大樹に文句を言った。「犬がかわいそう」とか「あんたには関係ないでしょ」とか。


 でも大樹は言った。


「飼い主のいない犬は保健所につれていって処分するんだ。この犬の飼い主はいるのかよ?」


 いなかった。犬は段ボールに入れられ、ひっそり学校の外に捨てられていた。天狗先生が抱きかかえると、左の前足が動かない。先生は、きっと生まれつき不自由なんだと言った。


 だれかが飼い主にならないと、犬は保健所につれていかれる。でも犬を飼える家はなかった。


 大樹が勝ちほこったような顔をしてると、天狗先生はひょいと犬を抱えた。なにをするんだろう? とみんな思った瞬間、先生は風のように教室から出ていった。ひゅうと音をたてていなくなって、その日はそれからもどってこなかった。


 英語の授業がはじまっても先生が来ないので、ちょっとした問題になったくらいだ。教室がザワザワしはじめて、ようやく隣のクラスの先生が気づいてやって来た。


 結局、代わりの先生が来て自習になったから僕たちはよかったけど、きっと天狗先生は怒られたんじゃないかな。


 翌日、天狗先生はなにくわぬ顔であらわれて、いつものように楽しい授業をした。でもあの日、先生が犬をどうしたのか、だれにもわからなかった。


  *


 裏山をのぼっていた天狗先生が、急に立ち止まった。


 僕は、大樹や犬のことを思い出しながら歩いていたから、先生に気づかずそのままのぼりつづけるところだった。僕はあわてて立ち止まり、先生を見つめた。


 先生は僕の20メートルくらい先でピタリと止まったまま、動かない。


 いったいどうしたんだろう? あたりを見まわした。知らないうちに、森のずいぶん奥に来てしまったみたいだ。高い木がそこら中に生え、夕方の太陽がさえぎられてうす暗い。ヒンヤリとした空気で、7月とは思えなかった。


 ワン!


 そのとき、鳴き声が聞こえて、犬が木と木のあいだを駆けてきた。


 あの犬だ! 学校の外に捨てられていた、片足の不自由な犬だ。天狗先生が教室から抱きかかえていなくなり、それからどうしたのかわからなかった犬。それがいま、学校の裏山で、ひょこひょこ足を引きずりながら走ってくる。


 ワン! ワン!


 うれしそうに鳴きながら、犬は先生の足にからみついた。先生は黒いベストのポケットから、パンをひとつ取り出す。あれは今日の給食だ。先生がかがんで犬に近づけたとたん、犬は勢いよくパクついた。


 モフモフと、美味しそうに食べている。


 そうか、わかった。先生はここで、ナイショで犬を飼っていたんだ。保健所につれていかれないように、みんなに、それから大樹にナイショで飼ってたんだ。


 あっという間にパンを食べ終えた犬が、今度は遊んでほしそうに先生の足にじゃれつく。先生は小学生だけじゃなく、犬にも人気なんだ。


 と、先生が、いつも持ってるうちわをどこからともなく取り出した。そうして、軽くうちわをあおぎながら、モゴモゴと口を動かす。きっと、休み時間のときとおなじように、なにか知らない言葉をしゃべってるんだ。


 どこからともなく、風が起こりはじめる。やっぱりそうだ。でもこの風はいつもと違う。風は四方から吹いてきて、中心にいる犬の下にもぐりこみ、ふわりと犬を持ちあげた。


 ぷかぷかと無重力みたいに浮かんだ犬は、楽しそうにキャンキャン鳴いている。

 僕は木のうしろに隠れながら、目の前の不思議な光景を見つめた。


 やっぱりウワサは本当なんじゃないか。こんなこと、人間ができるわけがない。

 風を自由に操るなんて……。やっぱり先生は、天狗なの?


  *


 次の日学校にいって、僕はみんなに昨日のことを伝えた。

 みんなは驚いた。だけど僕の話を聞いて、ますます天狗先生のことが好きになった。


「天狗先生が犬を助けてくれたんだな!」

「風を自在に操れるなんてカッコいいね!」


 みんな、口々に先生を褒めた。教室中が天狗先生への思いであふれた。


「そんなのウソだ!」


 須田大樹だ。立ちあがって、顔を赤くして言う。


「風を自由に操れるわけないだろ!」


 僕は大樹に言った。


「でも見たんだよ」

「じゃあ証拠を見せろよ」

「え、でも……」


 困った。僕は、犬を風で浮かせた写真や動画を持ってるわけじゃない。


「そんなの、ないよ」

「だったら信じられない! それに、もしあいつが風を自由に操れるなら、ウワサどおり、やっぱり天狗だってことだろ。だったら学校で先生なんかしたらダメだろ!」


 それまでざわついていた教室が、まるで冷凍庫の中みたいにキーンと静かになった。


 僕たちは天狗先生の不思議な能力を喜んでいたけど、そうだ、もし本当に先生が天狗なら、これは大変なことだ。もし天狗ということがほかの先生や大人にバレたら、学校にいられなくなるんじゃないか? 先生はやめさせられるんじゃないか?


 教室の空気が、だんだん、ざわざわと動揺の波になってうごめいたとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴りはじめた。


 みんな反射的に、自分の席にもどる。着席しおえるとチャイムが終わり、教室は静まりかえった。だれもひとことも話さない。次の時間は、天狗先生の英語だ。


 カラン……カラン……。


 廊下から足音が聞こえてきた。下駄のような硬い音。天狗先生の足音だ。

 近づいてくる。みんな、息をのむ。


 足音が教室の前で止まり、ガラガラとドアが開いた。

 赤い顔で高い鼻、天狗先生がいつものようにうちわであおぎながら入ってきた。


「ハロー!」


 陽気な第一声だった。だけど先生はすぐに、教室の雰囲気がいつもと違うことに気がついた。するどい目で、席についた6年3組のみんなを見まわす。


「先生」須田大樹が言う。「先生は天狗なの?」


 みんなハッとした。大樹が聞いてしまった。


 先生は、なにも言わず大樹を見つめる。怒ってるわけでもなく、笑ってるわけでもなかった。悲しい表情に近かったけど、僕には得体の知れない、不思議な表情のように思われた。


「先生が天狗なら、ここで風を起こしてよ」


 大樹がさらに先生に言った。


「ダイキ、教室の中で風が吹いても、ツマラナイよ」


 先生は否定も肯定もしない。自分が天狗なのか、本当に風を起こせるのか、それにはふれない。


 大樹は先生をにらみつけてる。先生はずっと表情を変えず、大樹を見つめる。


「やめなよ!」


 女子のだれかが言った。


「そんなこと、どうでもいいじゃん!」

「そうだそうだ!」と教室のあちこちで声が起こる。


 みんな天狗先生が好きだった。先生を守りたかった。


 だけどそれは逆効果だった。大樹にとっては、みんなが天狗先生の味方をするのが許せなかったんだ。だって1ヶ月前はみんなも大樹と同じように天狗先生のことがきらいで、唱子先生が好きだったはずだ。それなのに……。


 大樹は目に涙をためていた。だけど、ためていたのは悲しみじゃなく怒りだった。


「風を起こせよ! 天狗だってバレちゃえよ! バレて学校やめろよ! そうすれば! そうすれば唱子先生が帰ってくるだろ!」


 大樹は立ちあがり、窓へ走った。机と机のあいだを走って、窓にはりつき、あっというまにカギを開け、窓を開け放った。


 スーッと風が通る。外から一瞬、風が吹きぬけたけど、それはいつもの風だった。大樹が言ってる天狗先生の風は、こんなもんじゃない。


「ダイキ!」


 天狗先生が言った。見ると大樹は窓枠まどわくにのぼって、体を外に投げだそうとしている。


「あぶない!」


 みんなが叫んだ。


「風を起こして、僕を犬みたいに浮かせろよ! 証拠を見せろよ!」


 ダメだ! 僕は思った。そんなことをしたら天狗先生は天狗だってバレちゃう。先生はぜったいやめさせられる!


 でも大樹は、つかんだ窓枠の手を、離した。


「大樹!」


 教室でみんな叫んだ。

 大樹の体が外へ落ちていく。もうダメだ……。


 窓の向こうに、大樹は消えた。


 僕が絶望の思いで天狗先生を見たとき、先生は手に持ったうちわを動かして、口の中で知らない言葉をつぶやいた。


 ダメだよ先生。風を起こしたら先生が……先生が天狗だってバレちゃうよ!

 でも先生は、うちわであおぎながら、呪文のような言葉を口にして……。


 教室で、おどろきと歓声があがった。

 僕は窓を見た。


 大樹がいる。まるで宇宙空間をただようみたいに、フワフワと浮いている。いや、下から吹きあげる風に、押しあげられてるんだ。


 風に持ちあげられた大樹は、まるで海の上の木の破片のようにゆれながら、窓から教室へもどってくる。


 天狗先生はまた、団扇を2、3度ふった。


 浮かんでいた大樹が、窓から教室に入ってきて、自分の席の横に、足からストンと着地した。大樹はぼう然と、どこかをぼんやり見ている。


 そのとき、廊下から声がした。見ると、隣のクラスの先生や、教頭先生たちがいる。大樹とおなじような表情で、ポカンと口を開け、この不思議なできごとをながめていた。


 見つかった。さっきの歓声を聞いてやってきたんだ。


 教頭先生が教室のドアを開ける。あまりにすごい光景を見てしまって、うまく言葉をしゃべれないみたいだけど、ようやくひとことだけ言った。


「お、お前は、なんだ?」


 バレてしまった。もうダメだった。

 天狗先生は教頭先生の問いに答えずに、ぐるっと僕たちを眺めた。


 僕たちも、先生を見つめた。

 先生はなにも言わず、廊下へ歩きだした。


「先生! 行っちゃダメだよ!」


 僕は叫んだ。

 だけど先生は廊下へ歩いて行く。


 僕たちにはわかっていた。もう二度と、先生と会えないことを。ここで別れたら、もう会えない。だから――


「先生!」


 みんなも立ちあがって先生に言った。


「行かないで!」


 先生は赤い顔を僕たちに向けて、ニコッと笑った。だけどその笑顔はすごく悲しそうで、すごくさびしそうだった。


 教室を出ていく前に、先生はひとことだけ、言った。


「サヨナラ」


 次の瞬間、先生は風のように廊下に消えて、僕たちがいっせいに追いかけたけど、廊下にはもう先生の姿はなく、ただほんの少し、風の最後のひと吹きが残ってるだけで、それが僕たちのまわりをふわりと1周して、消えた。



 それが、僕たちが最後に見た天狗先生の姿で、先生はその日以降、学校に来なくなった。


 僕たちの中には、寂しさだけが残った。


 だけど今でもふと、急に風が吹いたときなんかは思い出す。6年生の1ヶ月間だけあらわれた、顔が赤く、鼻の高い、不思議な先生のことを。

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