百々目鬼/どどめき

 放課後のだれもいない教室に、僕は一人、残った。


 太陽はどんどん沈んでいく。

 教室は、ぐんぐん暗くなっていく。

 僕は一番うしろの机に隠れて、じっと待った。

 妖怪を。 


  *


 僕の消しゴムがなくなったのは、昨日のことだ。

 朝はちゃんとあったのに、昼休み、教室に戻ってきたら、机の中からなくなっていた。


 あれは大事な消しゴムだ。

 人気の「妖怪消しゴム」なんだ。


 消すとノートの上で文字がこすれて、まるで妖怪が現れたみたいな染みになる。

 そんなカッコいい消しゴムがなくなった。


 いや、なくなったんじゃない。

 盗られたんだ。


 ちょっと前から、六年三組の中でウワサになっていた。

 教室から物がなくなるんだ。

 一つずつ、いつの間にか。


「物を盗る妖怪がいるらしい」


 最初にそんなことを言い出したのは佐々部だった。

 佐々部も、お父さんからもらった万年筆を盗られたんだ。


 佐々部が、図書室にある『妖怪図鑑』を調べたら、物を盗る妖怪が見つかった。


 その名も、「百々目鬼(どどめき)」。


 百々目鬼は女の妖怪で、物を一つ盗るたびに、腕に一つ、目が浮き出すらしい。

 六年三組では、一週間で、僕の消しゴムや佐々部の万年筆、そのほか、教科書やノートもなくなってる。


 ってことは、今、百々目鬼の腕には、目がたくさん……。


  コツン……コツン……


 来た!

 廊下から足音が聞こえてきた。


 僕は机のうしろに隠れて、ぎゅっと小さく丸まって身を隠す。

 教室の一番うしろの机だから、妖怪が教室に入ってきても、僕の姿は見えないはずだ。


  コツン……コツン……


 廊下の足音が近づいてくる。 

 もうすぐだ。


 教室のドアの前まで来た。

 心臓がドキドキ鳴る。


 もし本当に、教室から物がなくなるのが妖怪のしわざだったら……。

 恐怖がどんどん膨らんでいく。


 よせばいいのに、どうして妖怪を待ち伏せようなんて思ったんだろう。

 あとさき考えずに行動してしまう。僕の悪いクセだ。


 ガラガラと、ドアが開いた音が聞こえた。


  コツン……コツン……。


 足音が教室の中に入ってくる。

 僕は、隠れてる机の陰から、そっと、のぞいた。


 いた。

 汚いオレンジ色のジャージに、ひょろっとした体。長い黒髪がゆれている。


 あれは高里(たかさと)かなこだ。

 僕と同じ三組の女子だ。


 いつもオレンジ色のジャージを着てて、みんなと仲良くしないから、女子からも距離をおかれてるんだ。

 でも、どうしてこんな時間にいるんだ?


 僕が隠れて見ていると、高里かなこは机の中をのぞきこみはじめた。

 するどい目で、教室の前の方から、机の中を一つずつ順番にのぞいていく。


 なにをしているんだろう?

 そう思ったとき、高里の動きが止まった。


 高里が、机の中に手をのばす。


 あっ!


 僕は心の中で声を出した。

 あやうく、本当に叫びそうになったけど、ぎりぎりで声をおさえた。


 だって、高里ののばした腕が、長袖のすそから見えたんだ。

 そこに目がついてる。高里の腕に目がついてるんだ。


 高里(たかさと)が、机の中にのばした腕を引っこめた。

 手の中にはエンピツがにぎられてる。だれかの忘れ物だ。


 高里は、オレンジ色のジャージのポケットに、エンピツを入れた。

 盗った。

 六年三組から物を盗んでいたのは高里だったんだ。


 それに、腕についてるあの目。

 ということは……。


 高里かなこは、妖怪、百々目鬼(どどめき)だったんだ。

 大変なものを見てしまった。


  ぎぃぃぃ


 僕が隠れている机が音をたてた。

 しまった、よく見ようとして机を押してしまった。


 ドアの開く音がした。

 見ると教室のドアが開いていて、高里が廊下へ逃げだしてる。


「ま、待て!」


 僕は高里のあとを追った。

 教室を出て、廊下を走る。


 玄関をぬけて、学校の外に飛び出すと、先にのびる長い一本道を見た。

 道の向こうを、高里かなこが走っていく。

 長い黒髪が、高里の肩と背中でバサバサおどってる。


 僕も一本道を走りはじめた。足の速さなら負けない。

 それに一本道だから、見失うこともない。


 走りはじめると、すぐに高里に追いついた。

 だけど相手は妖怪だ。用心しないと。


 そうしてあとをつけていくと、灰色の四角い建物が見えてきた。

 団地だ。高里の家だ。


 高里は三つならんだ建物の一番手前、A棟に入っていく。

 どうしよう。

 ここまでついてきて、そのあとどうするか考えてなかった。僕の悪いクセだ。


 僕は思いきって、A棟の裏に行ってみた。

 窓からなにか見えるかもしれない。


 A棟の裏はぽっかり開けていた。

 窓の下は石が敷いてあるけど、その先は花壇や小さな菜園になっている。

 さらにその先は雑草の生えた坂になっていて、坂の上は道路だった。


 坂を五、六歩のぼると、A棟の一階の窓とちょうど同じ高さになった。

 ここから窓までは、教室の端と端くらい離れてるけど、窓の中ははっきり見える。

 僕は坂を右に移動していって、部屋の窓を順々に見ていく。


 いた。

 二つめの部屋だ。


 大きめの窓から高里かなこが見えた。

 高里は居間にいて、自分のカバンから帽子を取りだす。


 あっ、あれは今日、中井さなぎが自慢してた帽子だ。

 白くてフワフワしてるから、かぶると「ウサギみたいでかわいい!」って褒められてた。

 エンピツ以外にも、中井さなぎの帽子も盗ってたんだ。


 高里が帽子を持って、部屋を右に移動した。

 僕も一緒に、坂を右へ歩いていくと、隣の部屋の窓があって、中が見えた。


 ベッドがあって、だれか寝てる。

 高里より小さな女の子。きっと高里の妹だ。

 だけど顔中に、なにかついている。もしかして、目……?


 高里が部屋に入ってきて、ベッドのその子に、白いふわふわの帽子を渡した。

 女の子が喜んで帽子をかぶると、女の子もウサギみたいになった。


 あの子はたぶん、高里の妹なんだろう。

 そんなことを考えてると、窓から見える高里が、こっちの方に歩いてきて、窓を開けて言った。


「つけてきたの?」


 しまった……。

 のんびり眺めてたら高里に見つかった。


  *


 そうして僕は、高里に「部屋に入ってこい」と言われるまま、坂をおりて居間の窓から部屋の中に入った。


 部屋は思ったよりきれいだった。だけど物が少ない。

 テレビもないしソファーもない。


「なに見てんの」


 僕の横に高里が立っていた。


「あ、いや……」と、僕が口ごもっていると、高里のうしろから声が聞こえた。

「お姉ちゃん、だれなの?」


 声は隣の部屋から聞こえた。

 ドアが閉まって見えないけど、やっぱりあの子は高里の妹なんだ。


 でも、妖怪にも妹っているんだろうか。

 高里は「学校の友達」と言って、僕をにらんだ。


「なんでつけてきたの?」

「ぬ、盗んだ物を取りかえしにきたんだよ。僕の妖怪消しゴム返せよ!」

「妖怪消しゴム?」

「教室でみんなの物を盗んでるだろ? 見たんだぞ!」

「教室にいたのは、あんただったんだ」

「なんで盗るんだよ!」

「妹に、あげたくて……」


 高里が下を向いて言った。急に、いつもの強さみたいなものがなくなった。


「なんで妹にあげるんだよ。やっぱ妖怪だからかよ」

「妖怪?」


 高里は本当にキョトンとした表情で僕を見た。


「よ、妖怪、百々目鬼だろ。物を盗んで、盗んだ物の数だけ、腕に目が生えるんだ。お前の腕を見たんだぞ」


 高里の顔が、悲しそうな表情になった。

 あ、マズい。マズいこと言っちゃったみたいだぞ。僕の悪いクセだ。

 高里が、いつも着てるオレンジ色のジャージの袖をめくった。


 あっ! と僕は腕を見た。

 腕には目が!


 いや、この距離でよく見ると、それは目じゃなくて、ザラザラとした肌だった。

 アザのように見えるけど、肌の色がところどころ赤くなっていて、まるで目のように見えるんだ。


「病気なの。妹も」


 僕は、自分で自分の頭を何度も叩きたかった。

 病気の人を妖怪だなんて言って。

 僕はなんてバカなんだ。


「ごめん……」と僕はすぐに謝った。

「いいの。教室から物を盗んでるのは本当なんだから」

「なんで……」

「妹は学校に行ったことないから。だから少しでも、学校の気分を知ってもらいたかったの」

「それでみんなの物、盗ってたのかよ。自分で買えばいいだろ」


 と言ったけど、僕は、物の少ないこの部屋のことをすぐに思い出した。


「ごめん……」とまた僕は謝った。謝ってばかりだ。

「いいの」

「あ、あのさ! 学校の気分なんて別によくないだろ? 僕は好きじゃないな!」

「私は好き」

「え? あ、うーん……」


 そう言えば高里は、一度も学校を休んでない。

 友達もほとんどいなくて、教室で一人でだまって座ってるだけなのに、毎日へいきで学校に来るなんて。僕には考えられなかった。


「お姉ちゃん……」


 隣の部屋から高里の妹の声が聞こえた。


「ぼ、僕もう帰るから」


 そう言って居間の窓から外に出た。

 靴がそこにあるからだ。


 坂をのぼって、上の道路から帰ろうと思った。

 雑草の生える坂をのぼりはじめたとき、よせばいいのに、僕は団地の方をふり返ってしまった。僕の悪いクセだ。


 高里の妹の窓が見えた。

 ベッドに寝てる妹が見えた。


 言われると、妹の顔にあるのはアザのような病気のあとだ。

 妹が、白いふわふわの帽子を脱いで、すまなそうな顔をして、高里に返したのが見えた。


 そうだ、僕と高里の話は全部、隣の部屋に聞こえてたんだ。

 高里の妹は、自分のために、姉が教室から物を盗ってることを知ってしまったんだ。


 だからあの帽子も、盗んだ物だとわかったんだ。

 僕はすごく悲しい気持ちになって、思いっきり坂をのぼった。

 道路に出ても、勢いのまま走った。


 家に帰ると、僕の机の上に妖怪消しゴムが置いてあった。


「え?」


 僕が帰ってきたことに気づいたお母さんが言う。


「服に消しゴム入れっぱなしだったよ! 洗濯するところだったんだから」


 じゃ、じゃあ、妖怪消しゴムは高里が盗ったんじゃなかったんだ。

 ほかの物は高里が盗ったのかもしれないけど、僕の妖怪消しゴムは、違ったんだ……。


 僕のバカ! 早とちり! 僕の悪いクセだ。


  *


 次の日、学校に行くと事件がおきていた。

 高里が謝りながら、盗んだ物をひとりひとりに返していた。


「ごめんなさい……」


 頭を下げて、盗んだ物をさしだしている。

 返された方は、キョトンとした顔で受けとるけど、だんだん、怒りがわいてくる。


 嫌な顔をしたり、文句を言うヤツもいた。

 とくに佐々部なんかは、返してもらった万年筆が壊れて書けなくなってたから、怒りは人より大きかった。


「なんだよアイツ!」


 僕が佐々部の前の席に座ると、佐々部の文句が聞こえた。

 中井さなぎも、うさぎの帽子を返されて怒ってる。


 盗んだ物を全員に返し終わると、高里は教室を出ていき、それっきり、帰ってこなかった。


 高里への怒りや非難や悪口が、次々にみんなの口から出た。

 僕はなにも言えなかった。

 昨日見たこと。高里の妹のこと。


 どうして高里が教室から物を盗っていたのか。

 僕は理由を知ってるのに、みんなの怒りが目の前にあって、なにも言えない。


 その日はずっと、気分が悪かった。

 なんにも手がつかなかった。


 授業で先生に当てられても、なに一つ答えられなかった。

 まあ、それはいつものことなんだけど……。


 学校が終わって家に帰ってるときも、ずっと気持ちが晴れなかった。

 心の中にあるグモグモした気分をどうにかしたかった。

 じゃないと僕は、なんにもできない。


  *


 今日はカーテンが引かれてた。

 僕が窓を叩くと、驚いた顔で高里がカーテンを開けた。

 僕はまた、高里の部屋に来てしまった。


 カラカラと安っぽいサッシの音がして、居間の窓が開いた。

 僕は高里にこぶしを突き出した。


 高里は、わけがわからないまま手を出す。

 僕が手を開くと、妖怪消しゴムが、高里の手のひらに落ちた。


「これ、やるよ」

「消しゴム?」

「妖怪消しゴム。妹にあげて。学校の気分、少し出るだろ?」


 そう言って僕は坂に向かって走り始めた。


「ありがとう」


 うしろから声が聞こえた。

 どうしてこんなことしてしまうんだろう。僕の悪いクセだ。

 でも、少しだけ心が軽くなったような気がした。


  *


 次の日、僕は佐々部に頼んだ。


「壊れた万年筆、僕にくれよ。どうせもう書けないだろ」

「ダメだ。お父さんにもらった万年筆なんだぞ」


 佐々部は万年筆をくれなかった。

 だけど、佐々部の消しゴムを借りたときに、半分切ってやった。


 高里は今日も学校を休んでいたから、僕はまた団地に行って窓を叩いて、高里に半分になった消しゴムをあげた。

 高里は不思議そうな顔をした。


 次の日も、また次の日も、僕は六年三組のだれかから、物をもらった。


 例えばエンピツを忘れたフリをして、借りるんじゃなくもらう。

 あとはいらなくなった物を家から持って来てもらって、エンピツ、シャープペン、定規、コンパスなんかも手に入れた。


 毎日少しずつ、高里の家に持っていった。

 高里は最初、不思議そうな顔をしていたけど、だんだん、うれしそうな顔になっていった。


 別に、僕が妖怪消しゴムで高里を疑ってしまったから、その罪ほろぼしってわけじゃない。

 ただ……なんとなく、そうしたいからやってるだけなんだ。


 僕は、思いついたら考えずに行動してしまう悪いクセがあるから。


  *


 でも一週間後、僕は女子たちに呼び止められた。

 朝、いつものように、だれかに物をくれるように頼んでいたら、


「ねえ、」


 と声がした。ふり返ると、中井さなぎと女子が五人いた。

 さなぎは教室の中なのに、ふわふわの白い帽子をかぶってる。


「なんでそんなことしてるの毎日?」


 さなぎは女子のリーダー的存在だ。

 どうしよう、ウソをつくべきなのか。

 それとも、本当のことを言った方がいい?

 こういうとき僕は、全然違うことをしゃべってしまう。悪いクセだ。


「さなぎ、その帽子ちょうだい」

「なんであげなきゃいけないの? やっぱ関係あるんでしょ高里と」


 女子はどうして勘がするどいんだろう。

 僕は追い詰められて、結局、高里と盗みの話、それから、盗みの理由である妹の病気のことも全部しゃべってしまった。


「バカ!」僕はさなぎに怒られた。「どうして早く言わないのよ!」

「え?」

「そんな理由があるなら、私、あんなに怒らなかったのに高里のこと」


 そう言ってさなぎは、白い帽子を脱いで、僕に渡してきた。


「これ、あげて」


 それがきっかけだった。

 高里の盗みの理由はクラス中に知れわたり、みんなが一つずつ、高里の妹にあげるために、いろんな物を出しあった。


 あっという間に、僕が一週間であつめた数の、何倍も集まった。

 それを段ボールに入れて、僕が代表して高里の家に持っていくことになった。


 でも唯一、佐々部は怒ったままで、なんにも物を出さなかった。

 お父さんの大切な万年筆を壊されたんだから、仕方がないかもしれない。


  *


 放課後、僕は物が詰まった段ボールを持って、高里の部屋の窓をたたいた。


「どうしたのそれ?」


 窓が開いて、高里が、段ボールいっぱいに詰まった文房具を見て驚いてる。

 文房具だけじゃない、女子がくれたのは、オシャレなコスメ道具とかもだ。

 顔に線を引いたり色を塗ったりテカテカ光らせたり、僕にはわからないけど、そういう物らしい。


 でも一番目立つのはやっぱり、さなぎがくれた白い帽子だった。

 僕は段ボールを下に置いて、部屋の中にいる高里に、白い帽子を手渡した。


「これ、さなぎがくれるって。ごめん、高里の妹のこと、みんなにしゃべったんだ」

「いいの、別に」

「でも! そうしたら、こんなたくさんくれたんだよ。高里の妹のためにって! 六年三組の全員がさあ! あ、全員じゃないか、佐々部以外全員がさ!」


 高里が黙ってるから、おかしいなと思って見ると、高里の顔が突然、くしゃっとゆがんだ。


「高里……」


 ポツ、ポツ、と涙が、高里の目から落ちた。


「ありがとう」


 そう言って高里は泣いた。


「高里、みんな待ってるから。明日、学校来いよな」


 高里は、こくりとうなずいた。


「おーい!」


 声が聞こえてふり向くと、佐々部が、坂の上の道にいた。

 自転車に乗って手を振ってる。

 僕は下から見上げて呼びかけた。


「佐々部なにしてんだよ?」

「これ!」


 そう言って佐々部は上からポイと投げた。

 下にいた僕が受けとると、それは佐々部の万年筆だった。


「直したからさ。使えるようにしたから、高里にやるよ!」

「ありがとう……」と涙声で高里が言った。


 佐々部が、自転車にまたがって高里に言った。


「明日、学校来いよ! みんな待ってるから!」

「佐々部、それさっき、僕が言ったから!」

「ちぇっ、なんだよ!」


 そう言って佐々部は自転車を漕いで走っていった。

 僕は高里を見た。

 高里は涙をふいた。


「じゃあな、また明日」


 そう言って僕も坂まで走って、のぼりはじめた。


「あ、そうだ!」


 と言って高里の方をふり返る。


「妖怪消しゴム、使わなかったら、僕に返してもいいからな!」


 高里が笑った。


 言わなくていいことを言ってしまうのが、僕の悪いクセだ。

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