妖怪

夜道(ちょうちん小僧)

 うしろを振り返ると、暗闇の中にぼんやり淡い光が見えた。

 あれは提灯の明かりだ。


 田島秀太は思った。

 やっぱり噂は本当だったんだ。


 両側を塀に囲まれた狭い一本道。

 どこまでも続いていそうな、嫌な道だった。


 秀太の背後で怪しく光る提灯が、そっとこっちに近づき始めた。

 来る……。


 秀太はおびえて動けない。

 秀太が持っている提灯がブルブルゆれる。


 秀太の持ってる提灯は、塾で貸し出されたライトだった。

 長方形の箱形で、明かりが透けるプラスチックできている。


 中に電球が入っていて、電池で光る。

 夜遅く塾から帰る子供たちのために、塾が貸し出している物だ。


  ヒタヒタヒタ……


 足音が聞こえて、秀太のうしろから提灯の光が近づいてくる。

 暗く狭い道を、どんどんこっちへやって来る。


 秀太は体を硬くして、じっと身構えていると……

 提灯の光が、秀太の横をそおっと通り過ぎた。


 女の子だ!


 提灯を持っていたのは女の子だった。

 ヒタヒタと走って秀太を追い越して、道の先にある電柱の横でピタリと止まった。


 女の子が、ゆっくりと、こっちをふり返る。

 暗い中で唯一、提灯の光だけが女の子の顔を下から照らす。


 やっぱりウワサどおりだ。

 田島秀太は思った。


 あのウワサ……。

 暗い夜道を、提灯を下げて歩いてくる妖怪がいるんだ。


 うしろからヒタヒタと追ってくる。

 人間が、怖くなって立ち止まって待つと、妖怪は追い抜いていく。

 だけど、しばらく行くと立ち止まって、こっちをふり向いてじっと待つんだ。


 妖怪の名前は「提灯小僧」。


 たしか提灯小僧は、追い抜いてこっちを見るだけで、人間に害はおよぼさない……はずだけど。

 このまま、暗い道で立ちすくんではいられなかった。


 秀太は塾の帰りだ。遅くなったから早く帰らないといけない。

 お父さんとお母さんが待っているんだ。


 秀太は提灯を持って歩きだした。

 道の先には妖怪・提灯小僧がいる。

 女の子なのに提灯小僧って名前も変だけど……。


 秀太はどんどん女の子へ近づいていく。

 もうすぐ、前を通る。


 なにもされませんように、なにもされませんように……。

 目をつぶりながら、秀太は横を通り過ぎた。


 よかった……。

 しばらく歩いてふり向くと、女の子は提灯を持ったまま、こっちを見ていた。


 秀太はまた思い出した。

 提灯小僧は、昔この場所で、悲しい死に方をした子供がなるのだという……。



 次の日の夜。

 秀太はまた、あの道を通る。


 塾からの帰りは、この道しかないんだ。

 昨日と同じように、塾から借りた提灯型のライトを持って、小走りに道を急ぐ。


 一歩、二歩と秀太の足が道を蹴る。

 そのたびに、持った提灯がフラフラゆれる。


 暗い道を照らす明かりもフラフラゆれて、道がうねってるように見えた。

 まるで、海の波の上を歩いていくみたいだ。


 走っていた秀太が、立ち止まった。

 やっぱり、道の向こうの暗がりに、ぼんやりとした提灯の明かりが見える。


 まただ。

 秀太は立ち止まったまま、道の先を見た。

 提灯の明かりと、提灯を持っている女の子の姿が見える。


 昨日と同じ子だ。

 提灯小僧だ。


 秀太は追い抜くしかなかった。

 このまま、ここにはいられない。

 提灯を前に出して、暗闇に明かりを向けて、秀太は歩きだす。


  ヒタ、ヒタ、ヒタ……。


 自分の足音なのに不気味に聞こえる。

 女の子の提灯小僧は、電柱の横でじっと待っている。


 秀太はその横を、通り過ぎた。

 今度は目を開けたままで、勇気を出して少しだけ、女の子の方を見た。


 女の子はおびえるような目で、通り過ぎる秀太を見ていた。

 怖いのはこっちの方だ、と秀太は思う。


 女の子のうしろ、電柱の横の塀に、張り紙があるのが見えた。

 なにが書いてあるのか読む前に、横を通り過ぎる。


 しばらく行ってふり返ると、女の子がこっちに走って来た!

 うわっ! 思わず身構える。


 でも女の子はあっという間に秀太を抜き去って、道を遠くへ遠くへ走っていく。

 秀太は見た。

 女の子が持っていた提灯。

 あれは形は少し違うけど、秀太と同じように、塾が貸してる提灯型のライトだった。


 だって、ライトのすみに塾の名前が入ってる。「北北西進学塾」って。

 どういうことだろう?


 道の先を見ると、提灯の明かりはどんどん小さくなっていき……見えなくなった。

 秀太は道を引き返した。


 暗いし、もう遅い時間だ。

 早く帰りたかったけど、気になることがあった。


 さっき女の子が立っていた電柱まで戻って、塀に貼られた張り紙を見た。

 張り紙は何年も前に貼られたらしく、古くなって、ところどころ破れてる。

 秀太は提灯の明かりを向けた。


「死亡事故発生現場! 塾の帰りだった小学六年生の児童が、夜、車にはねられて亡くなりました。車、歩行者ともに、通行の際は十分注意を!」


 ハッとした。

 さっき、女の子が持っていたのは、秀太とちょっと形は違うけど、塾で貸してる提灯型ライトだ。塾の名前も入ってた。

 じゃあ、ここで車にひかれて死んだ子供っていうのは……。


  キキーッ!


 車のブレーキ音が暗闇に響いた。

 秀太は驚いてあたりを見まわす。


 でも、暗く細い道があるだけで、車なんてどこにもなかった。

 あの音は……。


 どこかで聞いたことがあった。



 また次の日の夜。

 秀太は道で待っている。


 あの女の子が来るのを。

 手には、いつものように提灯を持って。


 でも……。

 と秀太は思った。


 どうして僕は、こうして毎日、ここを歩き続けてるんだろう。

 どうしてここを通る人を、追い抜いたり、立ち止まってふり返ったりしてるんだろう。


 そう言えば、提灯小僧の持っている提灯は、僕の提灯よりも新しく、光も強かったような気がする。

 どうして向こうの提灯の方が新しいんだろう?

 秀太のうしろから、足音が聞こえてきた。


  ヒタ、ヒタ、ヒタ……


 来た。

 秀太がふり向くと、道の先から、だれか歩いてくる。

 でも、ライトの形が今までと違う。


 提灯じゃなく、懐中電灯の光だ。

 それが地面を丸く照らして、どんどんこっちにやって来る。


 子供じゃないのはわかった。背丈は大人だ。

 ライトの光が秀太の足元まできて、遅れて大人が秀太の前までやってきた。


 秀太を追い越していかない。

 提灯小僧なら追い越して、道の先で立ち止まってこっちをふり向くだけだ。


 でもその人は、秀太の前で立ち止まった。

 追い抜かない。

 そこから去らずに、秀太の顔をじっと見つめた。


 あっ、お母さん。


 最後に見たお母さんの顔よりも、ずいぶん疲れて、ずいぶん歳をとっている。

 すごく久しぶりにお母さんに会ったような気がした。


 最後にあったのは……学校に行く前だ。

 秀太が「行ってきます!」と勢いよく駆け出したあの朝以来だ。

 あれは、何年前になるんだろう。


「秀太、もういいんだよ」


 お母さんがやさしく言った。


「お母さん……」


 秀太はつぶやいた。


  キキーッ!


 車のブレーキ音がまた聞こえた。


 そうだ、と秀太は思った。

 僕はあの日、学校へ行って、塾の帰りが遅くなった。

 暗くて狭いこの道を、一人で歩いて帰ってる途中に、車が走ってきて……。


「死亡事故発生!」

 塀の張り紙を思い出した。


 提灯小僧は、昔、悲しい死に方をした子供がなるのだという。

 だから僕はこうして、毎日、暗いこの道にいたんだ。


 秀太は思った。

 あの女の子を、うしろから提灯を持って追い抜いたのは僕で、ふり返って、ただじっと見つめていたのも僕だ。提灯小僧の、僕だ。


 もしかしたらあの女の子が、お母さんに話をしたのかもしれない。

 夜な夜な提灯を持って現れる、悲しい妖怪のことを。


「秀太、帰ろう」


 お母さんが言った。

 体が震える。

 じわじわ中から熱くなって、目から涙がこぼれそうだ。

 心の動きのように、秀太の持つ提灯も、ゆらゆらゆれる。


 秀太も帰りたい。お母さんのところへ。

 お父さんもきっと待ってる。

 家に帰って、温かい布団で、ぐっすり眠りたい。


 もうこんな、暗い道は嫌だった。

 いつまでもここにいるなんて。


 お母さんが、手に持った懐中電灯を地面に置いて、秀太の体に手を回し、ぎゅっと抱きしめてくれた。


「お母さん、ありがとう……」


 そう言って、秀太は消えた。


 悲しみも消えた。

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