まぼろしの13階段

 6年生最後の日だった。

 卒業式のあと、教室で、担任の千田先生の話を聞いた。


「今日でみなさんともお別れです」

 先生の言葉を聞いて、泣いてる女子もいた。


 帰りの学活が終わっても、みんなほとんど教室に残った。

 別れるのがいやで、いつまでもしゃべりあっている。


 僕はひとり、教室を出た。

 目の前にある階段をおりていく。


 1段1段、噛みしめるように踏みしめる。

 もうこの階段をおりることもないんだ。


「帰るの?」

 うしろで声がした。

 ふり返ると、階段の踊り場に、はら志織しおりがいた。


 長い髪に夕陽があたって、毛糸みたいに赤い。


「帰るよ」

 と僕は見あげながら言った。


「どうして?」

「えっ、だって……」

「この階段、13段になるって知ってた?」

「うわさだろ?」

「学校の七思議なんだよ。いつもは12段なのに、たまに13段になるの。知ってた?」

「だから、うわさだろ?」

「ふふ……」


 志織は笑った。

 見慣れた笑顔だ。


 僕たちは1年生のときからの友達で、6年間で4回おなじクラスになった。6年になっても、おなじ3組だった。


「でもいま何段目かわかんないだろ――」

「1、2、3、4……」


 僕が言いおわる前に、志織は踊り場からおりはじめた。

 階段の数を数えながら。


「5、6、7!」

 僕とおなじ段まできた。


「7は七不思議の7!」

 そう言って志織が笑った。


 面白くないのに、志織が言うと面白く思えるから不思議だ。

 僕はぷっと吹きだした。


 結局、僕は志織につきあって、数を数えながら階段をおりることになった。


「8、9……」

 ふたりでいっしょに段を数える。


 バカみたいだけど、今日でこんな子供っぽいことも終わりだ。

 明日からは中学生らしくしないと。


「10、11……」

 ふたりの声が重なりあう。

 つぎの段まできたときに、あっと思った。


「12」

 ほんとうなら、いま僕たちがいる段が最後で、つぎは1階の廊下になるはずだ。

 なのにその下に、もう1段ある。


「……13」

 僕と志織は、いっしょに13段目の階段におりた。


 ふたりで顔を見あわせる。

 志織は楽しそうな顔だ。


 僕はどんな顔をしてるんだろう。

 自分ではわからない。


 でもちょっと、顔がひきつってると思う。

 だってこれって怖いことだ。

 志織が楽しそうに言う。


「ホントにあったんだね」

「どうしてそんな楽しそうなんだよ」

「だって願いがかなうんだよ」

「え?」

「まぼろしの13段目で願うと、いろんなことがかなうって、知らないの?」

「知らない、はじめて聞いた。だれがそんなこと言ってんの?」

「わたし」

「は?」

「いま作った」


 なんだかあきれた。志織らしい。


「勝手に七不思議を作るなよ」

「いいじゃない、今日で卒業なんだから……」

「なんだから?」

「もうお別れ」


 僕はだまってしまった。

 だって、なにを言えばいいの?


「なにか言って」

 志織が、僕の顔をのぞきこみながら言った。


「なにかって、なに?」

「なにか」

「さようなら」

「冷たい」

「ははっ!」


 僕は笑った。こういうやりとりを、僕たちは1年のときからしてきた。

 6年になってからはあまりしゃべらなかったけど、いまでもこうして息はぴったりあっている。


「じゃあな――」

 と言いかけたとき、僕は志織の様子が変だってことにようやく気がついた。

 目をうるませて、いまにも泣きそうだ。


「なんだよ……」

 僕はこまってしまう。どうしたらいいの?


「今日で、最後なんだよ……」


 僕と志織は別々の中学にいく。

 志織は僕より頭がいいから、しかたがない。


「でも、一生会えなくなるわけじゃないだろ」

「ねえ、いっしょにここでお願いして」


 志織がまじめな顔で言う。


「七不思議。願いがかなうから」

「それって志織がいま作ったんだろ?」

「いいの!」


 どうしてこんなに強く言うのか、僕にはわからない。


「わかったよ。で、なにをお願いすればいいの?」

「もう一度会えますようにって」

「やだよそんな子供っぽい」

「今日まではまだ小学生だからいいの。ね、お願い」


 そう言って僕の目を見つめる。

 志織の瞳はきらきら光ってる。ちぇっ!


「わかったよ……」

「やった! じゃあね、目をつぶって思って、『もう一度、会えますように』って」

「もう一度会えま――」

「口にださなくていいの! 心の中で強く!」


 文句を言おうと隣にいる志織を見ると、とっくに目をつぶっていた。

 光ってた瞳はもう見えなくて、閉じた瞼のあいだから、黒く細いまつ毛が見えた。


「……」

 僕も目をつぶった。

 それから、心の中で思った。


 もう一度、会えますように。


   *


 でも、その願いはかなわなかった。


 あれから20年たって、僕はまたこの学校にやってきた。

 廃校になるので、あのころの6年3組で、最後にもう一度集まろうということだった。


 中学に入ってすぐ、親の仕事で引っ越してしまった僕にとって、20年ぶりの小学校であり、20年ぶりに会う同級生たちだった。


 みんな32歳の大人になっていて、小学校時代の面影はあるけど、結婚したり子供ができたりしていた。

 僕はなんだか、一瞬で未来にタイムスリップした気分だった。


 6年3組の教室で同窓会がはじまっても、僕はずっとそわそわしていた。

 気になることがあった。


「なあ、志織ってこないの?」


 20年ぶりに会えると思って、僕は楽しみだったし、ちょっと緊張もしていた。

 だけど僕の言葉に、教室にいたみんなが固まった。


「お前、知らないのか?」

「なにが?」

「亡くなったんだよ、18歳のとき。ほら、悪いウイルスが流行った年があっただろ、あのとき……」


 だれかが僕に説明してる。

 だけどもう、その話をちゃんと聞いていられなかった。


 志織は10年以上前に死んでいた。

 僕の知らないうちに、知らないところで。


 でも僕は、なにも知らず、ずっと生きていた。

 それで、こうして、学校にもどって……。


 同窓会はつづいていた。

 ひさしぶりの再会が楽しくて、いつまでもしゃべりあってる。


 僕はひとり、教室を出た。

 目の前にある階段をおりていく。


 1段1段、噛みしめるように踏みしめる。

 もうこの階段をおりることもないんだ。


「1、2、3、4……」

 僕は無意識のうちに、踊り場から1階の廊下に向かって、数を数えながらおりていた。


「5、6、7、8……」

 志織とおりた階段だ。

 あの日、学校の七不思議のとおりに、13段目の階段が現れた。

 そうしてふたりで願ったんだ。もう一度会えますように……って。


「9、10、11……12」

 そこで終わっていた。

 12段目が最後、その下は1階の廊下だ。


 やっぱり13段目なんてない。

 だけどどうしてあの日、僕と志織の前に現れたんだろう?


 あの日志織は、踊り場から僕のところまでおりてきた。

 数を数えながら、「7は七不思議の7!」って言って。

 あの日の、明るい詩織の笑顔が目に浮かんだ。


 でも……僕がいたのは本当に7段目だったんだろうか?

 もしも志織の数え方が、まちがっていたら?


 踊り場を「1」と数えてしまって、最初の1段目を「2」と言ったとしたら?

 そしたら最後の12段目は1つ多くなって「13」になる。


 そうだ。

 僕は階段をかけあがる。踊り場にもどって、そこを「1」と数えた。


 最初の段をおりる。本当は1段目なんだけど、数える数は「2」。

 もう1段おりて「3」。


 僕は階段をおりはじめた、あの日のように、


「4、5、6……7」

 20年前、僕と志織が隣り合って立った段。


「8、9、10……」

 おりるたびにだんだん近づいていく。


「11、12」

 本当は11段目なのに、数は12だ。

 その下にもう1段ある。そこが、


「13」

 僕はおりたった。まぼろしの13段目に。


 ここで願うといろんなことがかなう。

 志織がつくった学校の七不思議だ。


 あの日志織は、数えまちがえて13段目を出現させてしまったんだろうか?

 それとも、わざと?


 僕に、ここが13段目だと思わせて、いっしょにお願いさせるため?

 2人で願えばかなうかもしれないから?

 小学校を卒業して離ればなれになっても、いつかまた会えるように?


 あの日とおなじく、夕暮れが校舎の中を照らしていた。

 でも違うのは、20年たってくたびれてしまった校舎と、大人になってしまった自分の姿だ。


 僕は13段目にたったまま目をつぶる。

 そうして思った。


 もう一度、会えますように。

 まぶたを閉じて、強く思った。


 もう一度、志織に会えますように。

 あの日の僕たちの願いが、かないますように。


「もういいよ」

 横で声がした。

 びっくりして目を開ける。


 横を見ると、となりに志織がいた。

 12歳の志織だ。


「志織……」

「ねえ、ちゃんとお願いしてくれた? ずいぶん長かったよ。頭がよくなりますようにとか、お金がほしいとか、たくさんお願いしてたんじゃないの?」


 あたりを見まわす。昔の小学校だ。

 くたびれた感じはない。まだ新しさが残っている校舎だ。


「ど、どうして?」

 そう言った僕の声が若い。

 声変わりする前の声。

 体を見ると、まだ小学生だ。


「志織!」

「なに?」

「いま何年? 何月何日?」

「ハハ!」


 志織はいつものように笑った。

 見慣れた笑顔だ。


「いまはいまでしょ。なに言ってんのもー」


 僕はなにがなんだかわからないまま、ぐるぐるといままでのことを思いだそうとするけど、なんだか長い夢から覚めたような感じがするし、それともまだ夢みたいな感じもするし、とにかくいっそう混乱するばかりだ。


「わたし、もう帰るね」

 志織が1段おりた。

 そこは1階の廊下だ。


「じゃあね」

 たたた、と廊下を走っていく。


 僕も廊下におりて、志織のうしろ姿を見つめる。

 志織がだんだん小さくなっていく。


「待てよ!」

 僕は叫んだ。

 叫んで追いかける。


 おどろいた志織が廊下の途中で待っている。

「なに?」

 僕は志織の目の前まで駆けていった。そして、


「志織、あのな、卒業したら病気に気をつけろよ。悪い病気とかウイルスとか流行るかもしれないし、特に18歳になったら注意しろよ。具合悪くなったらすぐに病院いくんだぞ、いいか? 僕は別の中学にいくし、もしかしたらこのあと引っ越すかもしれないし、そうしたら志織のこと……僕、志織になにもしてあげられないから、だから、だから……」


 言葉につまった。うまく説明できない。

 もどかしさばかりあふれて、気持ちを伝えられない。


「ありがとう」

 志織が言った。

「わたし、うれしかった。だから、もう、目を開けていいよ」

「え!? でも……」


 僕は目を開けてる。

 志織を見てるのに。


「20年前のお願い、かなったね」

 志織が笑う。

 目から涙があふれ出してる。

「さようなら」

「志織!」


 最後に一瞬、志織の顔が見えたけど――

 僕は、目を開けた。


 くたびれた、廃校まぢかの校舎だった。

 僕は32歳で、階段の12段目にたっていた。


 志織はいない。

 ずっと前に死んだんだ。


 僕たちは一瞬、再会した。

 願いがかなって、もう一度だけ会えた。


 階段の上から、にぎやかな笑い声が聞こえてくる。

 僕と志織がいない、6年3組の教室から。

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