第11話 猿吉の冒険(前半)

 その日、普段より早く目が覚めたのはたまたまだった。


 ベッドの上で微睡んでいると、妙に脇腹のあたりが暖かいのに気づく。

 見るとそこには寝間着ネコグルミ姿のキュイがひっついてた。


――やっぱ子供らしいとこもあるもんだな


 見ると壁にかけられた緑の小鬼面も瞳を閉じたままだった。

 鼻提灯が出てるけど、どんな仕掛けになってるんだコイツ?


 頭が冴えてくると、このまま二度寝という気分は消失する。

 シャツを掴むちっちゃな指を丁寧に離して静かにベッドを出る。


 カーテンをめくるとまだあたりは薄暗い。

 ひとり静かに着替えると俺はこっそり小屋から出た。

 

 

 

 所々に生えた木柱をながめながら、薄暗い草原を目的もなく歩いていく。


 星界樹スターツリー内は気候が穏やかで昼夜の温度変化は緩い。

 だが、まったく変化がないわけでもない。


 いつもより温もりが抜けた空気を肌で味わっていると、不意に風が湿気を運んできた。


 なんとなく風上に向かうとそこで澄んだ小川を見つける。

 中ではチョロチョロと小魚が泳いでいた。


 ゴブメンの話によると、星界樹スターツリーが根から吸い上げた水分を樹内に流れる仕組みを意図的に作っているそうだ。

 でないと中で動植物が育たない。


 陽の光が外から入ってくるのもその一環だけど、星界樹スターツリー自身が光合成をしている為、あまり強くは光らないのだとか。

 その影響で植物の成長はどうしても遅くなるらしい。


「そろそろ戻るか」

 気づくとあたりはだいぶ明るくなっている。


 遅くなって心配をかけちゃいけないと方向転換するが足はそれ以上動かなかった。


 物理的に拘束されてるわけじゃない。

 進むべき方向がわからないのだ。


 右を見ても左を見ても似たような草原。

 ポツポツと木柱が天井を支えてるけど、どれもおなじにしか見えない。


「いやいや、別に迷子っつってもたかがしれてるし」


 大した距離は歩いてないから、いくら広くてもそのうち戻れるだろう。


 それにいざとなったらキュイが魔法で見つけてくれるハズ。

 キュイの魔法ってオモチを産み出すのと、オモチを操ってるのしか見た覚えがないけど……。


 無意識のうちに足が速まり汗が浮かんでくる。


 この階層に魔物はほとんどいないけど、まったくいない訳でもない。

 さらにはそれを制御できる魔女様はただいま可愛い寝顔で就寝中。


 いつもの場所から離れすぎれば、事故は十分に起こりえる。


「そうだ、あの木柱、なんとなくあれに見覚えがある気がしなくもない」


 その記憶に自信があった訳じゃない。

 それでも足をとめたままじゃいられなかった。


 木柱は近づくごとに太く大きくなっていくけど、その分、自分はこれを本当に見たのか自信がゆらいでくる。


 そして、木柱の根元に来たところで、不意に足下の感触がすっぽ抜けた。


 草で覆われていた場所から、まるで落とし穴にでもハマったかのような一瞬の浮遊感に背筋が凍る。


 そして滑り台に乗せられたみたいに暗い場所を滑り落とされていく。

 この感覚には既視感があるけど、問題はそこじゃない。


 落ちる落ちる落ちる落ちる……止まらない!


 ようやく明るい空間に落とされとまるけど、そこは見知らぬ場所だった。


 とっさに落ちてきた方を確認したものの、どこから排出されたのかすらわからない。


――まじゅぅーい!


 体感的にかなりの距離を落下したような気がする。

 流石に下層までは落とされちゃいないだろうけど、五十七階層以外には、気の荒い魔物がいる。


 かつてアライグマと遭遇した時のトラウマが呼吸を鈍くさせる。

 あのときはおっぱいを犠牲に逃げられたけど、いまはまるっきり手ぶらだ。


 不意に近くの草むらが動いた。


「おっぱいにゃいよぉ!?」

「どういう意味?」


 草むらから怪訝な顔を見せたのは、俺と同年代の華奢な男だった。


 薄い茶髪を耳が隠れるくらいに伸ばしている。

 育ちの良さそうな顔つきが女子にモテそうで若干ムカつくけど、言語の通じる相手に出会えたのだから行幸だ。


「たっ、助かった……」

 相手にすがりつく。地獄に仏とはこのことだ。


「え~、なんだか、状況がわからないんだけど……とりあえず離れてくれる? 気持ち悪いから」


 白地に青の柄が入った袴姿。

 その薄手の生地に気づくと俺は鼻水をこすりつけていた。


「すまん。いや、そのなんだ、いきなりだったからな」

「どうしてこんなところに?」


「なんか落とし穴にハマったんだ。

 それで動揺して……知り合いともはぐれちゃったし」


 思いっきり動揺していたけど、それでも魔女の家で居候していることは伏せた。


「落ちたってことは、ここより上の階層からきたんだよね。

 そのわりに軽装すぎない?」


「それはその……」

 鋭い指摘に俺は言いよどむ。


 ここで警戒されれば、折角のチャンスを棒に振ることになりかねない。

 沈黙が長引くだけ、相手の警戒心は増していく。


「俺は、その……信じてもらえないかもしれないけど流民ワンダラーなんだ」


 その発言に相手の目の色がわずかに変わって見えた。

 ただ、それが良い方向なのか、悪い方向なのかは判断できない。


「理由はよくわかんないんだけど、植木鉢プランナーに落ちてきて、ここの人に拾ってもらって一緒にいさせてもらってたんだ。

 それが散歩でちょっと離れた時に……」


「ここまで落ちてきたのかい」

 相手の推測をうなずいて肯定する。


 男は改めて俺を上から下まで観察する。

 するとどこをどう見たのか「なるほど」と納得してくれた。


「でもキミ、それを迂闊に口にするのは辞めた方が良いかもよ」

「なんで?」


流民ワンダラーは基本的に植木鉢プランナーの人たちから好意的に受け入れるけどさ。例外もあるって話」


「好意的ってことはモテるのか?」

「ここは、先に例外を気にするところだろ?」


「自分の主観で勝手に優先順位を決めるな。

 俺にとっては重要なことだ!」


 あわよくば、この世界で運命の出会いを果たすとってのもアリだ。


 異世界ファンタジーと言えば美人の宝庫。

 水花先生に会えなくなるのは断腸の思いだけど、キュイは将来間違いなく美人になるし、ここで巨乳を完備したお姉様と知り合えれば無理に帰還する必要がなくなる気がする。


「はぁ……金銭で女性と交流することをモテると言うんなら、モテるんじゃないかな?

 流民ワンダラーのパトロンになりたがる人間は多いからね」


「そういう生臭い話じゃなくて、こうもっとピュアでトゥルーな感じの……」


「言っている意味がよくわかんないだけれど、自分の発言を振り返ってみたら?」


「つまり大丈夫ってことだな」

「…………」


 俺の確認に何故か沈黙が挟まれた。


「それより例外の話に戻そうか。

 流民ワンダラーの知識は確かに植木鉢プランナーの住民に益になるものが多い。

 それ故に困り事があれば知恵と知識を求められるだろう」


 そのモテ方は微妙かつ面倒だ。


「だけど流民ワンダラーの知識が必ずしも植木鉢プランナーで有効に働くとは限らない。


 昔話になるけど、かつて農作物の収穫の少なさを嘆き、一番目の植木鉢モトキにある村で、農業革命を起こそうとした流民ワンダラーがいたんだ。

 でも、その方法は一番目の植木鉢プランナーにはなじまなかった。


 そればかりか酷い不作を引き起こしたんだ。

 結果、多くの人が飢えて死んだ」


「……その流民ワンダラー、どうなったんだ?」

「人死にまで出したんだから、当然、村人から追われたよ。

 武器も持たずに星界樹スターツリーに逃げ込んだ。噂だとそれっきり見た者はないって」


「それって絶対死んでるだろ!?」


「どの道、昔話だよ。

 それより僕がなにを言いたいかっていうとだね……」


「漏らした情報には責任がついてまわるってことだろ」

「さすがに頭の巡りは早いね」

 そんな忠告されなくても、たいしたこと知らないけどな。


「それで、おまえの方こそなんなんだよ?

 俺とあんまり変わらないじゃないか」


 単純な腕相撲なら俺の方が強そうだ。

 にもかかわらず、軽装でなおかつ武装もしてない。


「ん~、そうだね。

 今日のところは単なる芝刈りと言ったところかな?

 近くで野営してるからさ」


「芝刈り?」

「ああ、十三番目の植木鉢ウルゥの三十六階層は、他の階層よりも光の入りが良くって土地も肥えてる。

 その影響で、変わった植物が生えてたりするんだよ。

 それを集めて調査したり、珍しい木の実や果物を持ち帰って資金にしたりしているんだ」


 そう言って男は袂から木の棒を一本取り出した。

 それは竹刀の柄くらいの長さで、やすりがけしたみたいにツルツルだった。


 背の高い木へと近づいてそれを振ると、枝が一本切り落とされた。

 切れ目は鋭利な刃物で切ったみたいに綺麗だ。


「なにいまの!?」

「ナイショの技」

 技という言い方からして、木の柄だけに細工があるわけじゃないようだ。


 軽装に見えても、こんなんできりゃ魔物だって怖くはないだろうさ。


 男は枝から柿によく似た果物をもぐとそれを俺に手渡す。

 ここは食べるのが礼儀だろうと、かじってみたら、めちゃめちゃ渋かった。


「あははっ、やっぱり駄目だったか」

 悪戯が成功した子供のように笑う。


「たく、これは干し柿にして食うもんだろ」

「干し柿?」


「うちの地方の料理だよ」

「へー、よかったら、教えてくれないかな?」


流民ワンダラーの知識は迂闊に流布しない方がいいんだろ?」

「そういえばそうだった。

 だったら僕は自分が取った果物の対価を要求しよう。『あげる』とは言ってなかったよな?」


「わかったよ。だったら代わりに、上の階層への行き方もつけてくれ」


 そこで交渉のはかりが釣り合ったと、握手を交わす。


「挨拶が遅れたね。僕はソウジ・アレルヤ」

「俺は、彦田猿吉。

 彦田が姓で猿吉が名前だ。猿吉って読んでくれ」


「それじゃ僕もソウジで。よろしくねサルキチくん」

「くんもいらねーよ」


「あまり馴れていないからさ」

 こんなとこに一人でいるくらいだし、やっぱ友達いないのか?


「それより、君は上の階層を目指すつもり?」

 干し柿のレシピをメモしたソウジは確認する。


「ああ、はぐれた相手と合流したいからな」

「下に降りて帰りを待った方が安全だよ。

 早くて簡単だしね」


 なるほど、そういう手もあったか。


「念の為、断っておくと、僕と一緒に住むというのはナシだから」


「安心しろ、俺は男と貧乳ちっぱいにゃ用がないから」


「助けた相手に酷い言いぐさだね」


 さすがに用がないは言い過ぎたか。

 ムッとしているソウジに頭をさげる。


「まぁいいだろ。

 とりあえず、あそこに見える木柱の裏までいってごらん。下に降りる穴があるから」

「聞いたのは下りじゃなくて上りなんだが?」


「緊急用だよ。

 もし途中で魔物に遭遇したら迷わず逃げ込むように。

 死にたくはないだろ?」

「そりゃそうだけど……それで助かるのか?」


「ああ、普通の魔物は穴までは追ってこないから」

「普通じゃない魔物って?」


「オモチはもう見た?」

「ああ」

 毎日見て、揉んでるよ。


「あれは魔物とちがって好んであの穴に入る習性があるんだ。

 おかげで下層でもオモチを食べた獣が魔物化してる。

 そのせいもあって『オモチ道』なんて俗称もあるくらいだ」


 ひょっとして、あの落とし穴……キュイがオモチを中層や下層に届ける為に作ったのか?

 普通に上層から走らせたら時間がかかるし、ほっといたら狩猟能力の高い上層の魔物にオモチが独占されかねない。


 それにこれなら狩人へのトラップ……いや、脱出口にもなる。


「なるほど。それで肝心の上の階層へは?」

「穴をおりずに、しばらく進むと背の高い草むらがある。

 そこを抜けたところののぼり坂が上の階層まで続いてるよ」


 その行程の大変さを強調されたけど、俺は『向こうに見つけてもらうのを期待する』と苦笑いで答えた。


「そういえばさ、さっきモトキとかウルゥとか言ってたのはなんだ?」

「ああ、それはね……」


 ソウジの説明によると、植木鉢プランナーは全部で十三個あるらしい。

 人間によって作り出されたものらしいが……詳しい話は失伝しているとのことだ。


 モトキ、サラギ、メブキ、ウバナ、ササキ、ミナギ、フミキ、ヨウギ、チョキ、ムツギ、シモキ、マツギ、ウルゥで十三だ。

 日本の旧暦に似た名称もあるけど、たまたまだろ。


「いろいろありがとうな」

「こっちこそ、不快だったけど、案外面白かったよ、君との会話」


 俺たちは軽口を交えながらも笑顔で別れた。

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