第3話 柔らかな契約

 目覚めて最初に見たのは木目の天井だった。


 斜めに張られた天井は、そのまま屋根を兼ねていて隙間から光が射し込んでいる。

 こんなんじゃ雨漏りするじゃね?


「気がついたようじゃの」

 耳に届いたダミ声がおぼろげだった意識を覚醒させる。


 そうだ、俺はアライグマから逃げて力尽きたんだ。

 天国にしちゃずいぶんショボイけど……ひょっとして助かったのか?


 とりあえず身体を起こそうとするけど上手くいかない。

 確認すると小さなベッドに寝かされ、両腕が縄でくくりつけられていた。


「なっ!?」

「生憎と儂は臆病でな」

 狼狽する俺に声ダミ声の主が説明する。


 視線を向けると、そこには昨晩遭遇したヤツがいた。

 緑の肌は見間違いじゃなく、明かりの下で見ても不気味な色と顔つきをしている。


「儂の名はゴブメン、おヌシは?」

「…………彦田猿吉」

 緊張しつつも名乗り返す。


 胡散臭い相手だし、待遇も酷いけど、ここが何処で自分がどうなっているのか知るには唯一の遭遇者コイツと話さにゃはじまらない。


「さて、なにから話したものか……彦田よ、おヌシはここがどこだかわかっておるか?」

「それは……」

 学校にいた自分がこの不条理な世界までやってきた経緯を話す。


 自分でも半信半疑の体験談だったけど、ゴブメンはそれを疑わずに聞いていた。

 テーブルに広げられた財布と紙幣が話の信憑性に力を貸しているのだろうか。


「ある程度はわかっておるようじゃな」

 そう告げると、ゴブメンは説明をはじめた。


「まずおヌシが見たシャボンに包まれた鉢というのは植木鉢プランターじゃ。

 人の住む浮島とでも考えてもらえばよい。

 そして植木鉢プランターの中心に生えておる巨大な樹木が星界樹スターツリー

 植木鉢プランターに住む者はみなこの星界樹の恵みを頼りに生活を営んでおる。

 そして、ここは数十階層にもおよぶ星界樹スターツリーの上層にあたる場所じゃ」


「木の中にしちゃ明かりが……それに地面だって…………」


星界樹スターツリーが取り込んだ光を内部まで通しておるのじゃ。

 故に昼夜は外とおなじ。

 地面は床の上に土が敷き詰められとるだけじゃ。

 いくらか掘ればすぐに床が出てくる」


 逃げてた時は実感できなかったけど、やっぱり木の中なのか。


「そして、おヌシのように別の世界より流れてきた者は流民ワンダラーと呼ばれておる」


「俺の話、信じるのか?」

「小僧っ子の話が嘘か真かなど聞けばわかる。

 珍しい存在ではあるが皆無という訳でもなし、何者かが紛れ込んだとも聞いておったからのう」


 ちなみに洗いざらい話した訳じゃなく、おっぱいを作った話はちょっぴり恥ずかしかったので伏せてある。


「しかしおヌシのいた世界にオモチがいたとはのう……」

「いや、餅じゃなくて、こう白くてモニュっとした……目がついた生き物で……」


「ソレをここではオモチと呼ぶのじゃ。

 なんでも大昔に現れた流民ワンダラーが名付けたらしい」


 誰だソレ、ややこしいことしやがって。


「オモチは星界樹スターツリーで生産されるエネルギー……これを魔力と呼ぶが、それを結晶化させたものじゃ」


「魔力って……魔法とかあるのか?」

「ある……が、使える者は少数じゃ。

 素質があったとしても訓練は必要じゃぞ?」


「それでどんなことができるんだ?」


「魔法についてはあとじゃ。先に本題を済ませるぞ」


――きたか


 わざわざ助けて、説明までしたってことは、なにかさせたいことがあるんだろう。

 そこまでは予想通り。

 ただ、その内容まではわからない。


「そう緊張する必要はない。

 確認するが彦田よ、おヌシは元の世界への帰還を希望するか?」


「いますぐ帰してくれぇーーーー!!」

 両手が括りつけられてるのも忘れジタバタする。


 いろいろあって失念してたけど、水花先生のところに一秒でも早く戻らなきゃ。

 でないと約束が破棄されるぅーーーー!!!!


「すぐには無理じゃな」


何故なぜ、なんで、何故なにゆえに!?」


「話を聞く限り、おヌシはここよりも上位の世界より『落ちて』きたのじゃ。

 それを元の世界まで『持ち上げる』には相応の力が必要となる。それを集めるのは容易ではない」


「そこをなんとか……頼む!」


「無理じゃ。

 すでに前例があるからいずれは可能という程度の話じゃ。

 もっとも別世界へ行って戻ってきた者はおらんから、本当に成功したのか真相は闇の中じゃがのう」


「くそっ……」

 他に手がかりがない以上、とりあえずは信じるしかないのか?


「それでゴブメン、あんたは俺になにをさせたいんだ?」

「たいしたことではない。

 ワシは自由が利く身ではなくての。

 日々の雑用もままならぬほどじゃ。それをおヌシに頼みたい」


「雑用ねぇ」

 確かにたいしたことないけど、たいしたことなさすぎるんじゃないか?

 元の世界に戻るのが本当に大変ならこの要求は逆に小さすぎる。


「不服なら出ていってくれてもかまわんぞ」

 そう言われたってこんなとこで生きていく術なんか持っちゃいない。

 向こうも承知で形だけの選択をさせるんだろう。くそっ。


「わかった。

 けど、なんでも従うって訳じゃないからな」

 乗り気でないことを主張しながらも、提案を受け入れる。


「よろしい、ならば契約じゃ。

 これから言うことを一字一句間違わずに復唱せよ。

 内容に不服があれば拒否してもかまわん。もっともその場合は……わかっておるな?」


 確認はされるが返答は求められない。

 ゴブメンは杖を置くと粛々と準備に移った。


 そして、一度俺を見下ろしてから、ガラリと変わった声質で呪文を唱えはじめる。


「我、ヒコタサルキチは、球中に浮かぶ星々――植木鉢プランターに根ざす星界樹スターツリーを……」


 それは薄いガラスを弾いたようなとても澄んだ声だった。

 しばし、その音色に聞き惚れるけど、濁った瞳に促されあわてて復唱を開始する。


「我、彦田猿吉は、球中に浮かぶ星々、プランターに根ざすスターツリーを……」


「統べし魔女の僕とし、自らの理を外れん限り、ここに忠誠を誓う……」

「統べし魔女のボクとし、自らの理を外れん限り、ここに忠誠を誓う……」


――ゴブメンって実は女なのか?

――それとも男でも魔女になれる?


 単語のところどころに疑問を覚えるがそのまま復唱を続けた。


 それが終わるとゴブメンは外套のフードを外し、肩にかからぬ程度に伸ばされた髪を解放する。

 その色は日光を浴びた木々の葉の色をしていた。

 そして、自らのアゴの下に手を入れると、異貌の面を持ちあげる。隠されていた素顔に俺は言葉を失った。


 緑の双眸を宿した素顔は幼かったけど、精巧な美術品のように整っている。


――雪の結晶みたいだ。


 触れれば溶け崩れそうな彫像が音もなく近づく。

 小さな手が額にかかる髪をどけると、柔らかな唇をいだ。


 そこからなにか暖かなものが流れ込んで来るのがわかったけど、ソレがなんなのかまではわからない。


「…………契約、成立」

 呆然とする俺をよそに、緑宝の髪と瞳を持つ少女は無感動に告げた。

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