1章‐2 高橋茉莉花
1章‐2高橋 茉莉花
昼頃は混雑していた喫茶店KEy。しかし、18時を過ぎると客も来ず、"高橋茉莉花"はフロアの床にモップを掛けながらオーナーの帰りを待っていた。
その度に彼女の栗色のポニーテールは揺れ、落ち着いた黒色のエプロンに付いるプラスチックの乳白色のネームプレートは、店内のオレンジ色の間接照明に動く度に反射していた。
「よし!床は綺麗になったぞ!それにしても美留さん、裕太君まだかなぁ…」
茉莉花がいつもマナーモードにしていた携帯電話のバイヴのモーター音がエプロンのポケットの中で鳴る。そして、彼女は長いモップの柄を肩に掛け、携帯電話に手を取ると、"ー着信ー彼氏"と表示されていたディスプレイを眺め一回ため息をつきながら通話ボタンを押した。
(お…巡りさん…ヒックッ…お勤…めご…くろう様っ…す)
(…君…上番中に電話は…禁止…終わっ…てから…しなさい!)
「すみません…今、もしもし、茉莉花?お、怒ってる?」
電話越しにはガヤガヤと騒がしい声が聞こえていた。
「もしもしー!別に怒ってないよ!だって明日イヴなのに勤務なんでしょ?"おまわりさん"だからしょうがないよ!でも何なのよ!また酔っぱらいの相手!?」
(おい…君も…押さえるの…てつ…だって!)
「はい!す、すみません!ま、茉莉花!あとでメールする!埋め合わせは必ず!」
(お…お巡…りさんの…彼女っ…すかー?)
「ちょっ!話し聞いてる?」
二人の通話は空しく切れた。茉莉花はため息を付いてカウンターの椅子に座り、うなだれていた。
時間が気になり、携帯電話のディスプレイ時間を見ると18:30と表示されている。
「ふう…もう。こんな時間かぁ…」
茉莉花がディスプレイを見ながら呟くと、来店を知らせる鐘の音が店内に響いた。
「お客さん…本日は閉てん…ってオーナー!お帰りなさい!それと裕太君も!」
茉莉花は音に反応してドアの方を見る。そこには、美留と裕太が居た。裕太はスーパーの袋を両手で重そうに持っていた。美留は茉莉花に申し訳なさそうに。
「茉莉花ちゃん、ただいま!本当にごめんね。こんな遅くかかっちゃって、 "教員採用試験"の勉強もしなきゃいけないのに!」
「いえ!いえ!いいんです!試験は来年ですから…ポイントも押さえてるんで大丈夫です!」
「茉莉花お姉さん、こんばんは!」
「裕太くーん、こんばんは!ん、でもなんで裕太君、お母さんのコート着ているの?」
茉莉花は、裕太が"何故"母親である美留のコートを着ているのかが疑問に思った。しかし、その答えはすぐに見つかった。
「クシュン…。」
茉莉花は裕太や美留が発した事が無い、女の子のくしゃみを聞いた。音のする方へ視線を向けると、美留の背後に隠れて男の子用のジャンバーを羽織っている薄着の少女が居た。
「あのー…美留さん?こちらの女の子は?」
「それがね…茉莉花ちゃん、実は…この子独りで暗くなった公園で遊んでて、お家に届けたんだけどお母さんが明日のお昼まで帰らないんだって。可愛そうだから、この子を泊めさせてあげたくて…。」
少女は美留の裾をきゅっとつかみ、美留の背後に顔を隠した。
「茉莉花ちゃん、"えりな"ちゃん独りで可愛そうだったから、ご飯たべさせてあげたい。」
その光景を見た裕太は茉莉花を見て言った。
よいしょと、茉莉花は裕太と同じ視線になるように両膝を床につけると、裕太の頭をなでながら笑顔で答えた。
「よし!裕太君。ふっふっふー、この前のテストの点数何点だった?」
裕太は苦笑いしながら茉莉花を見た。すると茉莉花は微笑みながら裕太に話を続けた。
「そうだなー?裕太君は"えりな"ちゃんがお風呂に入っている間、ご飯出が来るまで私が宿題見てあげるね!」
「う…宿題。茉莉花ちゃん、わ、わかった!お母さーん、このスーパーの袋、イスの上に置いてくねー!えりなちゃん行こう!」
「あっ……。まって…」
突然の事に声にもならない少女。
裕太は両手に持っていたスーパーの袋をカウンターの椅子の上に置き、えりなの左手を牽きながら店の奥にある家の中に入って行った。
「こら待て少年たちー!」
茉莉花は笑顔でパタパタと走ってく裕太とえりなに呼び掛け見送ると、彼女はポンポンと膝を払って立ち上がり、二人が入っていくドアが閉まるのを確認した。店内にふたりきりになると、美留は茉莉花に頭を下げた。
「茉莉花ちゃん、ごめんね…。」
「いえ!いえ!美留さんに申し訳ないです…。だって、私が高校生の時からこのお店と美留さんに憧れてバイトして…誰より一番!"美留"さんの優しさ知っていますので!それに、久しぶりに美留さんのオムライス食べたいです!私に出来る事があったら手伝いますよー!」
彼女は笑顔で美留に向き合った。
「茉莉花ちゃん!ありがとう…。よし!今夜はいっぱい作るぞー!茉莉花ちゃんも食べてって!」
美留は両腕をあげ、茉莉花と見つめるとふたりきりになった店内で笑いあった。
そして、美留は店のドアノブに「close」と書かれた木札を掛け、裕太が置いて行ったスーパーの袋を持ち、店内の照明を消した。
美留は家のドアを開ける。彼女は美留の背中が汚れているのを見ると、さっきまでの"彼氏"との口論の電話が嘘だったみたいに和らぐのを感じた。
家の部屋の中に入るとリビングで裕太があぐらをかいて、携帯ゲームをしている姿があった。隣ではえりなが四つん這いになって一緒に眺めていた。
「えりなちゃん?モンスターポケット灰色バージョンって知ってるー?」
えりなは首を横に振った。
「モンポケって言ってモンスターを"モンスターbox"に入れて、モンスターを集めてたたかわせるんだよー!それの灰色バージョン!」
「もんすたーぼっくす?」
「そうだなー…ごはんたべ終わったら良いものあげる!」
その二人を見た茉莉花は裕太に向かって注意した。
「こらー!裕太君!宿題!あと、えりなちゃんはお風呂に入ろう?お姉さんと一緒だから大丈夫。彼女をお風呂入れてあげたら、宿題見てあげるからね!」
えりなはきょとんとした感じで茉莉花を眺めた。
彼女は裕太には強く言い、えりなには笑顔で言った。続けて美留も裕太に注意した。
「裕太ぁー茉莉花ちゃんの言うこと聞きなさい!」
「は、はい!宿題します…。」
大人二人に注意された裕太はそそくさと二階の自分の部屋に入った。
「よーし!えりなちゃん、お風呂行こう!」
美留と茉莉花はお互いに目配りさせ、茉莉花はえりなの背中に右手を添えて、面所へ連れて行った 。
洗面所には綺麗に整頓された洗面台、えりなの身長を越える洗濯機が置いてあった。
「美留さーん?洗濯機かりますー!」
ドア越しに茉莉花は美留に向かって言うと美留はドアを開けてきた。
「茉莉花ちゃん、この洗剤使ってね?あと…このバスタオル使っていいからね!茉莉花ちゃんも入ってく?」
「美留さん、お風呂は大丈夫です!まぁずはこの子を綺麗にしてあげます!」
美留は微笑みながら頷くとキッチンに向かい、
洗面所にはえりなと茉莉花の二人っきりになった。
「よーし、えりなちゃん!ばんざいして?」
えりなは一瞬躊躇したが、茉莉花の声のトーンに心を許したのか両腕を挙げた。
「えりなちゃん、ありがとう!よいしょっと…」
「ん……。」
えりなの髪が少し引っ掛かったが、スルっと汚れたワンピースは脱げた。そのワンピースを洗濯機に"閉じ込め"洗濯機のスイッチを押した。
茉莉花は、現になったえりなの裸を見ない様に湯気が立ち込める浴室へ入っていった。
茉莉花は微笑むと、えりなの冷たくなった肩に優しく手を添え、右手の指を揃えて風呂の椅子にえりなを座らせた。
「どうぞ!"えりなさん"こちらのお椅子にお座りください。」
「……。」
えりなは鏡に向かってちょこんと椅子に座る。
鏡に映った自分。その右隣には茉莉花が映る。
茉莉花は鏡に映ったえりなを見ながら、
「えりなちゃんは良い子だよ…。お姉さん、えりなちゃんの気持ちわかるから…。」
「まりかおねいさん…?」
「よし!えりなちゃん!最初にお頭さんを洗いましょー!」
茉莉花は慣れた様な手つきでセーターの袖を腕までまくりし、手の平でお湯の温度を確めた。
そして、茉莉花はえりなの手の指先にシャワーのお湯をかける。
「えりなちゃん?熱いかな…?」
「……うん、うん…だいじょうぶ。」
えりなは首をゆっくり横に振ると背中から首筋後頭部にかけてゆっくりシャワーのお湯が当たるのを感じた。
えりながお湯の温度に驚かない様子を茉莉花は見て安堵した。
茉莉花はシャンプー液を手につけると、えりなのロングヘアーの先から揉みほぐす。徐々に泡が立ち込める。
「お客さーん、痒いところはありませんかー?なんちゃって!」
「クスッ…」
湯気で曇った鏡で表情は見れなかったが、茉莉花はえりなが少し笑ったのを感じた。
「えりなちゃん?お目に入らない?大丈夫かな。」
「まりかおねいさん…だいじょうぶ。」
「はーい!それじゃあ流しますよー!」
コクリとえりなは頷くと、温かいお湯が小さな頭に流れ落ちる。茉莉花がえりなの濡れた前髪を優しくかきあげてあげた。シャワーを使い鏡に着いた湯気を落とす。
(ー!?)
「え、えりなちゃん!?」
「……まりかおねいさん?」
鏡越しに髪をかき揚げられた"美少女"を見て、茉莉花は目を皿にした。
鏡に映ったえりなの瞳は澄んでいて、少し頬は痩けていたが、茉莉花がテレビや雑誌を見ても今までにない"美少女"が居た。
「えりなちゃん!すごくかわいいじゃなーい!」
「………でも、えりなは"よごれてる"。」
「ううん。えりなちゃんは綺麗だよ。」
茉莉花は首をゆっくり横に降り、鏡に映ったえりなの瞳を、まっすぐ見つめた。
「裕太君見たらビックリするんだろうなぁー、もしかして美留さんも!」
「そうなの……?」
茉莉花がしたり顔をしてるのをえりなはきょとんとしたした顔で眺めていた。
「それじゃあ!今度はお身体を洗いますよー」
「……うん。」
ごしごしとえりなの身体を洗ってる茉莉花。最後に背中を流すと、茉莉花がえりなを後ろから包み込む様に抱き締めた。
「ん…まりかおねいさん…?」
「………。」
洗ったばかりのえりなの髪の上に暖かい雫が降ってきた。
「えりなちゃん…。よく頑張ったね…。よく我慢したね…。う…ん。」
茉莉花の頬に雫が滴る。そっと抱き締めていた腕を離すと茉莉花の瞳にえりなの背中が写る。
小さな背中は"誰"からか叩かれたのか痣だらけであった。
えりなは背中から茉莉花の腕が離れるのを目で追った。
「まりかおねいさんのおうで…えりなといっしょ。」
茉莉花は、顔をあげると瞳が濡れていたが笑顔を作って頷いた。
バスルームの湯気が二人を包み隠した。
「お姉さん、えりなちゃんの気持ち解るよ…。辛いこともあるけど、私を大切にしてくれてる人が居るし、居てくれるから幸せ。ちょっと、"アイツ"は不器用かもだけど。大丈夫。えりなちゃんも!必ず、幸せになるよ?」
「…うん。まりかおねいさん。」
彼女は微笑みながらえりなの頭を撫でた。浴室の向こうでは洗濯機が音を立てながら鳴っていた。その音に重なって、美留と裕太の声がした。
「裕太ー!ごはんだよー!おりてきなぁー!」
「はーい!今いくー。」
パタパタと美留のスリッパの音が浴室に向かって聞こえてきた。
「茉莉花ちゃん、えりなちゃん。夕御飯そろそろ出来あがるからおいでー!」
美留の声を聞いて、茉莉花は笑顔になってえりなと目を合わせ、同時に「はーい!」と浴室のドアに向かって返事をした。
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