第117話いつから君は

雫が電話を切ってから、場になんとも言えない空気が走る。


「なんだったんだよ。で、電話ってさ」


電話の話し声を聞いたせいで、だいたいなんのことか察してしまっているのに聞かずにはいられなかった。


「帰りましょうか」


雫は答えずに言う。


「かえ、帰ろうったって、みんな、こうやって集まってるんだしさ」

「ええ、申し訳なく思うわ」


その返事にどうしても怒りが込上げる。


「なんだよ……。そんなの、あんまりだろ?」

「ええ、あんまりよ」

「だったらっ……!」


そう言いかけた時に、陽が黒兎の肩に手を置いて言った。


「帰ろう。それでいい」


みんなの顔を見れば、表情こそ暗くも納得しているようだった。


「そんな、そんなのってあんまりだろ……」

「ああ、あんまりだ。そんなもんだろ。んで、お前にがっかりしてる」


陽が言う。


「がっかり……?」

「ああ、あんなにケジメだなんだと言っておいて、覚悟もケジメも付けられなかったのはお前の方だったんだな。そろそろ雫離れでもしたら?」

「そんなのいきなり過ぎるだろ」

「その『いきなり』のためのケジメだろ?なんの意味があったんだか。口先だけのカッコつけ野郎だったなんて、がっかりだよ。どうして雫に覚悟ができていてお前はできていないんだか」


ケジメ、覚悟、そんなものは簡単に崩れていく。

電話の話し声が聞こえてきた時、その場で叫びそうになった。



「どうして、冬休み明けなの?それじゃあ、もう、1週間もない。いきなり過ぎる」


「ええ、けど行くわ。約束したもの。それにそれなりの覚悟で言ったわけよ。何も考えなしで言ったんじゃない。」


「ええ、ついて行くわ。姉さんと、母さんに」



彼女は覚悟ができていた。


それは心から黒兎を信用していたからだとも言える。


待ってくれてる。

いつでも帰ってくる場所がある。


そのためのケジメだったし、何よりも、自分になかったものを取り戻すためでもある。


家族、そんなちょっと血の繋がった、繋がってないかもしれない、そんな人間が集まっているだけ。


一人でいるのと何が違う?


大丈夫。私は一人で生きていける。


そう思って暮らした日々。


友達?


必要ない。


どうせすぐ居なくなる。いてもいなくても変わらない。


そう思って過ごした日々。


恋?友達も居ない私が?


ない。人と関わるだけ不幸せになる。


自分も、相手も。


でも、いつからそんな事を考え無くなったのか。


友達がいて、家族がいて、恋人がいる。


帰る場所があって、帰ることができる。


いつからだろうか、作り笑いしかしなくなったのは

いつからだろうか、作り笑いすらしなくなったのは

いつからだろうか、笑わなくなったのは


いつからだろうか、一人で泣くようになったのは

いつからだろうか、涙を堪えたのは

いつからだろうか、涙が出なくなったのは


いつからだろうか、傷が治りにくくなったのは

いつからだろうか、傷に知らぬふりをしたのは

いつからだろうか、傷にすら気づかなくなったのは


いつからだろうか…

一体いつからだろうか……

期待し無くなったのは………

否。

期待することすら諦めたのは…


全てを諦めたのはいつからだろうか。


全てをほおり投げたのはいつからだろうか。


全てから目を背けたのはいつからだろうか。


全て…


全て…


諦めていたハズだった。



諦めて、諦めて、諦めて、諦めて、諦めて。


捨てて、捨てて、捨てて、捨てて、捨てて。


諦めて、捨てて、全て…


そうしたハズだった。


いつからだろうか、諦めたのは

いつからだろうか、全て捨てたのは

いつからだろうか、全てを捨てることすら諦めたのは


いつからだろうか、こんなにも隣にいる人達に救われたのは

いつからだろうか、氷が溶けていったのは

いつからだろうか……いつからだろうか…


月影黒兎。その名で救われるようになったのは


いつからだろうか、明るく、暖かい、お風呂もご飯も、寝るところも……。



ああ、きっとあの時からだ。


たらこスパゲティをビニール袋に入れて、声をかけてきたあの時からだ。


私はあの時から君を、月影黒兎に救われていた。


覚悟はできている。


別に今日死ぬわけでもない。魔王を倒すようなことも無い。世界が終わるわけでも、もう、会えなくなるわけでもない。


でも、どうしてか、どうしてこんなにも胸が痛いのか。


それを覚悟なんて、ケジメなんて、言葉で隠して、そうして言うんだ。



「月影君。もう、私は覚悟なんて、とっくの前にしてるわよ」





彼女は一言そう言うと、陽達にいきなりこんなことになってごめんなさいと謝る。


みんなも仕方ないねと、なぜだか笑ってる。


笑うしかないのだろう。


けど、嫌な顔一つしないで帰ろうかと雫と歩き始める。


歩いてないのは黒兎。たった1人だけ。


みんな前にもう、進んでいるのに、自分だけぽつんと立っている。


歩かないと。

仕方ないことだから。

最初から、わかっていたことだから。


別に今日死ぬわけでもないし、今後会えないなんてことは無い。


覚悟なんて、ケジメなんて言ってるけど、そこまで世界を救うみたいな話でもない。


普通の日、普通の会話、ありふれた展開。


今日も24時間で終わる。

当たり前のように終わる。

でも、明日も当たり前のように始まる。


なら、別に大した覚悟も、何もなくても、彼女が帰って来れるように、部屋の掃除でもして待っていようか。


黒兎は走ってみんなを追いかける。

そして、雫の横に並んでそっと手を握り、歩幅を合わせて、切れ切れの息を無理やり整え言う。


「帰ろうか」

「ええ、帰りましょう。いつでも帰って来れるのよね」

「当たり前だ。いつでも帰ってこいよ」



その日の夜。イツメンのグループで、露と雫転校についてある程度説明があった。


3学期が始まる頃には海の向こうにいるだろう。



正真正銘、少しのあいだのお別れだ。

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