第104話氷の女王は

「私と別れて」


その言葉が聞こえた瞬間何もかもが止まったように感じた。


そして、彼女の表情はこんな時に似合わないほど綺麗で、美しく、後ろのお城と相まってそれこそ、一国の姫のようだった。


そんなあまりにも美しく、儚げな表情の彼女を真っ直ぐと見たまま、花火の音と人の会話が、それだけが耳に残って、そしてさっき言われたばかりの言葉はそんな音の中に消えていった。


「悪い冗談だよ……まったく……」

「冗談じゃないわ」

「何言ってるかわかんねぇよ」

「別れようといったの」

「はは、そういうことじゃなくて!……悪い、」


気づけば黒兎は彼女の肩を力いっぱい掴みそして、前にいる彼女は顔をゆがめている。


「……いたいわ」

「ああ、ごめん……」


離すと、彼女後ろを振り返る。


「綺麗ね。すごく綺麗。あなたと来れて幸せよ」

「ならどうして?」


すごく単純な疑問。

幸せならどうして別れなければいけないのか。それだけが知りたい。


「きっと、私はあなたを不幸にするかもしれない」

「何言ってるんだ?俺は雫と居れるだけで幸せだよ」

「そういうことじゃなくてね、私はあなたが好きだからこそ別れたいの」

「それこそ、わかんねぇよ」


ぞろぞろと花火を見終わった客たちが散らばっていく。


「わかるわ。きっと……」


彼女はそう言うと、これ以上は話しかけてくるなという雰囲気をだす。

さすがに、黒兎も長らく一緒に生活していたせいか、簡単にその事が読み取れる。


「黒兎。今日はもう少しあなたといたいわ」


彼女はもう一度黒兎の方を見るとそう言って黒兎の手を取った。


「そんなの、あんまりに卑怯じゃないか」


黒兎はそう言うと出口へ向かった。

黒兎は悔しくてたまらない。

今日1日彼女が1番美しかったのは今なのだから。




「海行きたいわ」


雫が帰りの電車の途中で言った。

黒兎は近くの海を調べ、向かうことにした。

きっと彼女にもなにか考えがあるのだろう。


「行こうか、海」



真っ暗な砂浜に、ただ、波の音だけが聞こえる。

それでも月の光が水面に当たってなんとも言えない光景だった。


「綺麗ね。海」

「そうだな」


そんな酷く静かなこの場所で2人はどうするでもなくゆっくりと砂浜を歩く。


「大きいわね。海」

「そうだな」


彼女はずっと黒兎方を向かず、ただ、海を眺めている。


彼女の意識もここになく、どこか遠くにあるみたいに。


「広いわね。海」

「そうだな」

「この海を渡るとどこへ繋がっているのかしら」

「さぁな」

「もし渡れたら、もし、私一人だけ渡ってしまったら、きっとあなたはずいぶんと遠い存在になるかもしれないわね」

「まぁな、けど、今は電話とかもあるし」

「でも、あなたと会えない」

「そうだな」

「人って思った時が、1番想いが強いそうよ。そうして、時が経つとどんどん弱くなって、薄くなって、そして、残るのはそう想ったという事実だけ、そこにはあの時ほどの情熱も感情の昂りもないのよ」

「そうだな。きっとそうだ」


彼女はそう言うと静かに頷いた。


「私がこの海を渡って、帰ってこないとしたら、あなたは今の想いを死ぬまで、今ほどの情熱で、昂りで、一生を終えられるかしら?」

「無理だな」

「ええ、私も無理よ。そんなのあまりにも現実的で無さすぎる。それこそ、夢物語よ」

「そうだな。そんな話、夢みたいなもんだな」

「ええ、でも、もし、今を夢にできるなら、この今を物語として切り取って、美しいまま、きっとこれから一生大切にできると思わない?。この話を死ぬ時は棺桶に入れれるとしたら、すごく素敵じゃないかしら?」

「それこそ、夢物語じゃないか。結局死ぬまで想ってるじゃないか」

「違いないわね。私は結局、結局、この話は現実的ではなかったのかもしれないわ」

「だから?」



「わたし、来年から海外に行くの、姉さんとね。いつ帰ってくるかも分からない。けれど、後悔はないわ。私も海外で生活してみたいと思っていたし、それに、それに……」


「後悔がないやつは泣かないと思うんだけどなぁ」


彼女の目から涙が零れる。


この結末を予想しなかった訳では無い。

どこかおかしいと思ったのだ。


黒兎は気づいていた。

雫も露も生き急いでいるんだと。

自分のことを好きになったのもきっと、残り少ない日本での生活を充実させようとしたそれだけの道具であって、それこそ、黒兎でなくとも良かったのだ。


けれども、けれども、今こうして泣いている彼女の全てを嘘だと思わないし、それに露の全てを嘘だとも思わない。


彼女たちの涙と過ごした時間はそれほどに、素晴らしいかったのだ。


「だから、だから、あなたとはもう、いれないの。今日で決心できた。あなたが大好きだからこそ、傷が浅いうちに手を打つの。なら、せめて、この今日までの日を美しいままにさせておいてほしい。私をお話の中の、不幸なお姫様で居さしてほしい」


彼女の叫びにならない声が静かな砂浜に抜けていく。


「また、孤独な氷の女王様にもどるのか?また、そうやって一人だけ傷つくのか?初めて会った時は冷たいヤツだと思ったよ。けど、違ったんだよ。優しすぎるんだよ、お前は」


彼女はそれでも、この事は決定事項のようで、涙を止めて、黒兎の方へ向き直る。


「それでも、これ以上傷つかないなら、これで済むのなら私はこの方法を選ぶわ。訂正よ、黒兎。私は優しすぎるんじゃない、酷く自分勝手なだけ」

「そういうのを優しいって言うんだよ」

「優しくない!優しくなんか……ない。きっとあなたの思ってるほど出来た人間じゃない」

「知ってるよ」

「冷たくて!まともに人に関わらない!そんな私が、人のために優しい?そんなことあるわけない!」

「そんなわけあるんだよ」

「なら!……なら、どうして、私の今の判断が優しいなんて言葉を発することになるのよ……」

「だから、そういうところが優しいんだよ。大丈夫。雫の気持ちは分かった。理解した。けど、納得はしてない」

「なら!」

「うん。だから、別れるよ。雫と」


雫は虚をつかれたような表情をしたが、瞬時に元の表情に戻る。


「……ええ、賢い選択よ」

「けれども……」


黒兎はずっーーーと遠くまで広がる海を見て言った。


「もし、雫が帰ってきた時、おかえりって言えた時、互いにこの気持ちがずっーと今と同じくらい熱く思えたら。その時はもう一度付き合ってほしい」

「それこそ、夢物語よ?もし、帰って来れなかったら」

「そんなの分からないさ、これからも俺は普通に生活する。雫が露が居なくなっても、そこで恋をするかもしれない、付き合って、結婚して、子供が出来るかもしれない、雫なんて忘れてるかもしれない。それはお互いにだ。けど、もし、俺が雫をずっと忘れていなかったら、その時は何度だって言うよ『大好きだ』ってね」


雫はクスクスと笑う。


「あなた、意外とロマンチストなのね」

「当たり前だろ?今どき夜の砂浜でこんなこと言うヤツいねぇぜ?」


2人はしばらくそのまま笑っていた。



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