フロム・リインカーネイション
人生
神様と少年とケモミミの日
三月二日、夜――〝
「――市内全域に
モニターを監視していた女性は「いかがしますか」と後方に佇む男を振り返る。
「問題ない。事前に申請のあった改変だ」
男は静かな表情で応えるが、その内心はやや苦々しい想いで溢れていた。
「……どうせ、我々が止めようと全ては彼女の意思次第だ。……あとはまあ、彼に頑張ってもらう他ない――」
そして翌日、この世界の命運は一人の少年に託された。
■
三月三日――朝。
少年、
自宅二階、自分の部屋で目を覚ます。
起きたばかりで未だぼんやりした頭のまま、啓詞は一階に降りる。ダイニングには新聞を広げる父と、朝食の用意をする母の姿。啓詞は〝それ〟に気づかないまま両親に声をかけ、そして洗面所へ向かった。
顔を洗い、歯を磨き、ようやく意識がはっきりとしてくる。
目の前の鏡には、自分の顔。自己主張の激しい寝ぐせ。
髪型を整えながらダイニングに戻ると、妹が起きてきたところだった。
そこで、啓詞は〝それ〟に気がついた。
「?」
妹の頭に何かがついている。
それはもふもふとした、耳のような何かであった。
多少気にはなったが、学校の制服に着替えているし、たぶんそういう
しかしふと見れば、真面目な顔で新聞を広げている父も、こちらに背を向けた格好でキッチンに立つ母も……頭に、耳のような何かをつけている。
「…………」
啓詞は自分の目をこする。頬をつねる。家族の頭についたそれは消えない。
朝食の席につき、啓詞は父に声をかけた。
「お父さん」
「ん……?」
顔を上げる父。最近薄くなってきたと悩む父の頭部には、黒々とした毛並みを持つ耳がピンと立っている。
その時、妹がテレビをつけた。何気なく目を向けた番組に、今朝のトピックについて話し合う見慣れた顔ぶれ。そこに当然のように存在するケモミミ。
「…………」
「どうした?」
言葉を失う啓詞少年を、父は不思議そうに見ていた。
■
「――咲木くん、家を出ました。映像、出ます!」
凛花省特別作戦室司令部の部屋一面を覆う巨大なモニタに、一人の少年が映る。
その瞬間、作戦室の職員たちのあいだにかすかなどよめきが起こった。
室長、ツカサ・エーデルワイスはつぶやく。
「……やはり彼には、こんな頭の悪い環境改変の影響もないか」
「各家庭に配備したKEMOMIMIデバイスですが、咲木くんは一切接触していない模様です」
「意識値はどうなっている」
「
「……鈍感なのか――」
「警告!」
モニターを監視していた職員が声を上げる。
「凛花さま接近! 咲木くんとの接触まで、あと三……二……、エンカウント!」
「観測を続けろ。本番はここからだ。――全員、気張っていくぞ」
「はい!」
■
異変が起きている。
家の中だけならともかく、テレビに映るキャスターまでもがケモミミをつけている。
そして外に出れば、道行く人々の頭上にも――
(僕はおかしくなったのか……?)
咲木啓詞は疑問を覚えながらも、とりあえず登校することにした。
(近所の人たちも、みんな頭に……)
ブームなのだろうか? と思っていると、
「咲木くーん……!」
新たなケモミミが現れる。
それは、一人の少女だ。
腰まである色素の薄い茶髪を揺らしながら、勢いよくこちらに向かい走ってくる。
「おはよう
「え? 咲木くんの進行方向であってますよ」
「良かった。また道に迷ったのかと。さすがに僕もそこまで方向音痴じゃないよね」
じゃあどうして彼女はこちらに向かってやってきたのだろう――
「?」
彼女、詩方凛花は何かを待ちわびるように笑顔で啓詞を見つめている。
髪の色と同じ毛並みをした頭上のケモミミもピンと立っていて、スカートから伸びた尻尾もぶんぶん振っている。
(しっぽ……、かわいい)
まるでご飯を前にした犬みたいだ、と思った。
(なんだろう、今日って何か、この街じゃ特別な日なのかな?)
■
「――この現象を『エモーショナルアニマライザー』と命名。凛花さまを中心に影響圏はなおも拡大中!」
「……くっ、何なんだあの尻尾は! 改変作用への緩衝材としてデバイスを用意したというのに、何か得体の知れないものが発生している……!」
凛花省特別作戦室司令部にて、ツカサ・エーデルワイスは歯噛みする。
「どうやら、感情値の上昇に応じて現象が進行する模様です。現在確認できる限りでは、特定感情が物理的に視覚化されるようです!」
「このまま改変が続くと、人類の
次々と上がる報告に、ツカサは頭を抱えたくなる。
「
「室長、どうしますか!」
「判断を!」
「――サクラギを投入しろ。咲木くんへの対処も怠るな」
■
目の前で尻尾を振っている少女を前に、咲木啓詞は困惑していた。
何か求められている。それは分かるのだが、いったい何を望まれているのか。
「咲木くん」
と、横合いから声がかかる。
振り返ると、ほとんど感情のない表情をした少女がやってくるところだった。
「
その顔を見て、その頭上に生えたケモミミに気付いて啓詞は固まる。
似合わないという訳ではないが、彼女までもがそんなアクセサリをつけているこの状況に困惑する。似つかわしくない。どうしたのだろうと思っていると、
「今日は、そういう日なんです。三月三日、ミミの日。国民はみんなケモミミをつけてそれを祝います。お雛様もつけてます」
「お雛様も。」
となると自分もつけるべきではないかと思うのだが、家に引き返していると学校に遅刻してしまう。
「どうですか」
「え?」
「似合ってますか」
「あ、うん――」
■
「凛花さまの感情値が急上昇! これは……やきもちです!」
「サクラギは味方だと伝えていただろう! このままでは――」
「室長! 上層部から通信が入りました! モニタに出しますか?」
「お上からのお叱りか? そんなものに構っている場合では――」
しかし無視も出来ない。モニタに送られてきた映像を映す。
画面いっぱいに現われる、白いベールに包まれた部屋――その奥に、人影が見える。
「これは、
ツカサの指示で職員一同が敬礼し、映像の続きを見守る。
『本日は三月三日、プリンセスデイ――つまり、
聞こえてくるのは、透き通った女性の声。
『しかし案ずるな。それは、たった一言で解決する。つまり、
以上、と――映像は沈黙し、やがて暗転した。
我に返った職員がモニタにとある住宅街の様子を映す。
「やはりこの事態を先代様は予知していたか――、しかし、凛花さまを讃えよ? どういうことだ」
「室長、恐れながら進言します。つまり、咲木くんが凛花さまのことを適切に評価すれば……」
「そうか……、それなら時間の問題だ」
モニタを見つめる。明らかに〝待っている〟様子の少女。ついさっきサクラギに言った言葉をただ彼女に言うだけ――
「なぜだ。私でも分かるぞ、凛花さまは君にあれを言われるのを待っているじゃないか! どうして言わない!?」
「もしかすると……先ほどのサクラギの、これがそういうイベントだという説明が裏目に出たのでは?」
「……なるほど。特殊な格好をしているとはいえ、それに対し常ならざる評価をすることは躊躇われるか。この奥手め……!」
「いかがしますか室長! このままでは――」
「アプローチを変える。サクラギに伝令――お前の思う『可愛い』を表現しろ」
本人に直接言わなくてもいい。ただ少年がその言葉を、詩方凛花に向けているように見えればいい。
モニタの中で、サクラギが詩方凛花の背後に回る。
そして――
『……にゃあ』
ぷつん、と暗転する。
「モニタ停止! 映像通信班ドウガミの感情値パターンに乱れあり! 相当な破壊力があった模様です!」
「何をやっている! 早く映像を戻せ! サクラギは何をした!?」
「サクラギの感情値も更新、これは……羞恥心です!」
「俺たちは何をやっているんだ!」
ついにツカサの本音が漏れたその時である。
『可愛いね』
不意に聞こえた音声に、周囲が静まり返った。
「いったい……何が……」
■
朝からいろいろあって困惑気味だが、咲木啓詞は無口な友人が何かを伝えようとしていることは分かった。
詩方凛花の後ろで、桜木が謎のポーズをとったかと思うと、振り返る凛花を避けながら――スマホの画面を啓詞に向ける。
音声はなかったが、そこには可愛らしい子猫が映っていた。
いわゆる猫動画である。
「可愛いね」
猫は可愛い。いまいちよく分からないが、たぶん今日はそういうケモミミを愛でる日なのかもしれない。
「…………」
「どうしたの、詩方さん。顔赤いよ」
「なんでもないですっ」
尻尾がぶんぶん動いている。何がなんだか分からないが、なんでもないのならそうなのだろう。
■
日付変わって、夜――三月四日。
一日の業務を終えたツカサ・エーデルワイスは最寄りの居酒屋を訪れていた。
そこで見知った顔と遭遇する。
「おう、お前も来たか」
「……バッカスか。あの子はどうした」
「今日……あぁもう昨日か。ひな祭りだったろ? 商店街のイベントに行ってな、その帰りに友達んとこでお泊りだと。……うちは工事の音がな」
「そっちも大変だな――」
ひな祭り――改変が解消され、世間の認識は〝元〟に戻ったらしい――
「というかお前、その頭なんだよ!」
「何……?」
言われ、気付く。
いつの間にか、自分の頭にケモミミを模したデバイスが装着されている――
(くっ――まさか私まで改変の影響を受けていたか)
「最高だなお前! はははは!」
「……うるさい」
フロム・リインカーネイション 人生 @hitoiki
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