第106話 歪化
「……はぁ……はぁ」
息が荒ぶる。ドクンドクンと心臓の鼓動が強く感じられるのと同時に、腹部から少なくない血が流れ出す。
……でも、フィルトの木のおかげで重傷ではない。
「ライム、お願い」
僕が痛みに耐えながら弱々しい声音でそう言うと、僕の肩にいたライムが下級ポーションを複数使用してくれる。これにより、腹部の傷は完全に消滅した。しかし、失った血は元には戻らないからか、僕の視界が少しだけ霞む。
その姿に、ヴォルデはこちらを蔑むように大きな笑い声を上げる。
「ぐふっ……フラフラじゃないか。やっぱり想像通り、そのステータスじゃ、そのギフトじゃ、魔物頼りな現状じゃ、ワシは倒せない! ナイトにはなれない!」
僕の心を折るようなその言葉に、僕は自嘲するように小さく笑った。
「──似たようなことを別の魔族にも言われたよ。非戦闘職と同じステータスだって、放置でいいって」
ここでいったい何度目か、僕はリリィの言葉を、あの時の情景を思い出す。
──対面する絶望から告げられる残酷な現実と、敵わないんじゃないかと思わせるほどの圧倒的な差。
……普通なら諦めてもおかしくないような状況に何度も遭遇した。
「なら、なぜ諦めず戦おうとするんだ?」
心底疑問とばかりにそう口にするヴォルデに、僕は自嘲とは違う柔らかい笑みを浮かべ、言葉を返す。
「──憧れた背中が教えてくれたんだ。人を救うことの尊さを。諦めないことの強さを。そして僕の目指す先を」
「救う? 諦めない強さ? ……ぐひっ、戯言だな! それは強者にしか許されない代物だ!」
「わかってるよそんなこと。……思っているだけじゃ、単なる努力だけじゃ辿り着けないような、本物の強者だけが目指す先だって」
……別に僕だって力が全てだと思っている訳ではない。力を有していなくても、心で誰かを救うことはできることを、諦めず努力をして得られるなにかがあることを僕は知っている。……でも、それは僕の目指す先ではない。それだけの話だ。
「──僕は彼らのようになりたい。その思いは紛れもなく確かだ」
「ぐふっ……今まで誰も教えてくれなかったんだろう。ならワシが教えてやる。……それは夢物語だ! 小僧にはどう足掻いても目指すことのできない夢物語だ!」
言葉と共に、僕へ醜悪な笑みを向けるヴォルデ。その確信じみた笑みに、僕は言葉を返す。
「夢物語なんかじゃないさ。……同じように悩んで、高みへ登った人が言ってくれた。頭を使えば、僕なら壁を越えられる。楽勝だって」
「子供をあやすための方弁だろう!」
「違うよ。あの目は、真っ直ぐなあの瞳は、確かにできるってそう伝えてくれていた」
そう言った後、僕は一拍空けて再び口を開く。
「だから僕は目標に近づくために、壁を越えるためになにが必要なのかを考えて──ひとつの答えを得た」
ライムが僕の頭上に乗る。
「答え、答えか……どれ見せてみろ小僧!」
未だ僕を侮り余裕を見せるヴォルデに、僕は獰猛な笑みを浮かべ、口を開く。
「ちょうど実験体が欲しかったところなんだ。だからありがとうヴォルデ」
「…………ッ!」
僕の言葉に、ヴォルデがピクリと眉根を顰める。その姿を目にしながら、僕はポツリと呟くように声をあげる。
「いくよ、ライム」
そして言葉の後、僕は意を決してその名を唱えた。
「
──瞬間、ライムがドロリと溶け、僕の全身を覆っていく。
「……ぐふっ! なにかと思えば。……スライムを纏う、それが答えか小僧!?」
嘲笑するヴォルデを無視し、僕は次々と植物を実体化していく。
「フェルトの木、カラミヅル……実体化」
そして実体化して現れたそれを、ライムが瞬時に覆い、体内へ取り込んでいく。
……植物の【吸収】、【分解】完了。あとは──
「これで締めだ! ライム、【融合】!」
僕の言葉を受け、ライムは先程取り込んだ植物と僕、そして自身の【融合】を開始した。と同時に、僕の体表にフィルトの木を主成分とした、漆黒の鎧が現れ出す。
「……なっ! 鎧だと!? 小僧いったいなにを──」
そう言いながら慌ててこちらへ攻撃しようとしてくるヴォルデだが、その行手はガブによって阻まれる。
その隙に、ライムは【融合】を進める。脚、胴、腕と、順々に鎧に覆われていき、右手に中空で円錐台型の大きな装飾がついたところで、僕の強化は完了した。──そう、今までならば。
……これはぶっつけ本番だ。
僕はそう思うと、先ほどネフィラの使用する触手に着想を得たそれを実行しようと、力強く声を上げる。
「ガブ!」
声に反応し、ガブが僕へと顔部分を近づけてくる。そしてついに手が届く範囲まできたところで、僕はガブへ触れて収納。すぐさま僕のすぐ後ろに実体化した。そして──
「【融合】」
僕の言葉と共に、ガブがライムへと取り込まれる。同時に【融合】が開始され──数瞬の後、ガブの姿は僕の背から生えるような形で現れた。
(ご主人たま!)
(ご主人!)
【融合】し、1つになったことで、僕の脳内にそんな声が響き渡る。
最初に声をかけてきた舌ったらずなのがライム、そして僕も初めて聞くが、次に聞こえてきた凛々しい声音がガブのものだろう。……にしても。
(ガブって女の子なの?)
(おう! そうだぜ!)
(……そうだったんだ)
脳内に響く声からまさかと思ったが、どうやら女の子だったらしい。ちなみに以前確認したのだが、どうやらライムも女の子のようだ。
……植物型魔物って難しいな。
そう思い、内心微笑む。
と、そんな念話と呼ぶべきか、ライムとガブとの意思疎通のほどを確認していると、僕の眼前でヴォルデはワナワナと震えていた。
「魔物と【融合】だと!? 小僧、正気か……!?」
「正気……ではないかもね。きっと僕の行動は猟奇的だと思うよ」
──ライムたちと【融合】する。
もちろん正しく元に戻れるという確証があるから実行しているのだが、確かに普通の人間ではこれを試そうとすら思わないだろう。例え確証を得ようと、一度自身の肉体の一部を曖昧にしなければならないのだから。
だからきっと、これは猟奇的な行いなんだろう。
「でも、強くなるために、目標に近づくために僕が出した答えがこれなんだ。……それは誰にも否定させない」
力強い声音と共に、僕はキッとヴォルデを睨みつける。
「……さぁ決着をつけようか、ヴォルデ」
……なんか、いつもより強気になっているような気がする。
言葉と共にそう思った僕は、内心その原因を探る。
……そっか、ガブと融合したからか。
恐らくこれがガブの性格、気質なのだろう。それが【融合】したことで、僕の精神に影響を与えたと、そんなところか。
……これはある意味好都合だね。
緊張して縮こまっていては力を十全に発揮できない。それと比べれば、多少性格が横柄になろうとも、こと戦闘においてはこちらの方がきっと良いだろう。
全身を高揚感が包む。
思わず身を委ねてしまいそうになるそれに、しかし僕は冷静さを忘れずにヴォルデの様子を窺う。
ヴォルデは僕の強気の発言を受けてか、かなり苛ついているように見える。そしてその感情のままに声を上げる。
「ぐふっ……まぁいい! スライムやマンイーターと【融合】し、単に防御力が上がっただけだろう! ならば、なんの問題もない!」
そう言うと、ヴォルデは【身体強化】を発動し、凄まじい速度で僕へと迫る。
そしてその勢いのままに剣で切り付け──僕はそれを紙一重で躱す。
その余裕のある僕の行動を、さらに僕の周りに漂うオーラに、ヴォルデは大きく目を見開く。
「なっ……【身体強化】だと!?」
「ガブの力だよ」
(おう! ようやく使えたぜ!)
そう。実はガブを図鑑に登録した際に記載があったのだが、どうやらガブは【身体強化】のスキルを有しているようであった。
そしてこれはガブのみなのか、マンイーター全てに共通するのかはわからないが、ガブの保有する魔力の少なさから今まで【身体強化】を使用できずにいたのだ。
まさに宝の持ち腐れといったところか。
それが今回【融合】したことで、使用できるようになった。それはつまり【融合】とは僕たちが1つになることであり、故に魔力やステータス、そして様々な固有能力においても、まるで元々1つの個体であったかのように使用できるということである。
……ははっ、これはいいや。
【身体強化】によって強化されたステータスをもろに感じ、改めて戦闘系スキルの強さを実感しつつ、ここで攻撃に転じることにした。
僕は一度右手の円錐台型の飾りを消すと、右手で剣を手に取り、目前のヴォルデへと振り下ろす。
体勢が少し崩れていたヴォルデは受け流さず、それを剣の腹で受ける。
ギリギリギリと金属同士が擦れる音が響く。
……よし、力負けしてない。
内心でガッツポーズをしつつ、僕はさらに力を込めようとし──しかしここでヴォルデがふっと力を緩めたため、僕の体勢が崩れる。
……大丈夫。なんの問題もない。
そんな本来なら窮地となるような場面で、僕の背にいるガブが、特に指示を受けずとも動き出し、ヴォルデへと攻撃を仕掛けた。
「…………チッ」
ヴォルデはガブをいなすと、数歩後退する。
……やっぱり指示をしなくていいのは楽でいいや。
そう、今の攻撃は僕自身なんの指示も出していない。しかし、動き出したガブのそれは、僕の想定通りの行動であった。なぜか。
……簡単なことだ。身体が【融合】し、1つの生物のようになっているということは、つまり思考すらも共有しているということである。それは言い換えれば、僕が指示を出さずともガブは僕の望む行動を理解できるということである。
「……化け物め」
言いながら、ヴォルデは忌々しげにこちらを睨みつけるが、やはり【身体強化】の影響か、それともガブの精神の影響か、これといって威圧感を感じることはない。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「…………ッ!」
ヴォルデが再びこちらへと肉薄する。対し僕も一歩前へ行くと、振り下ろされたヴォルデの剣を受け流す。
頭に血が昇っていたのか、これにより体勢の崩れたヴォルデの懐へ、僕は右手を近づける。同時に先程消した円錐台型の装飾を再び纏わせると、その先端をヴォルデの腹部へと当てる。そして──
「……食らいな」
言葉と同時に、僕は右手にキャノンフラワーを実体化する。それはライムによりすぐさま取り込まれ、その実だけ装飾内部に装填される。と同時にライムが実に衝撃を与え──瞬間、凄まじい轟音と共にキャノンフラワーの種が発射された。
「…………んぐぅ」
種はその勢いのままヴォルデの腹部へと衝突する。
その凄まじい破壊力に、耐えながらもジリジリと後退していくヴォルデ。
そして数瞬の後、キャノンフラワーの種は、身体強化をも破ってその身体を貫通した。
「…………がぁぁぁ」
恐らく腹を焼けるような痛みが走っているのだろう、ヴォルデの顔に玉のような汗が滲んでいる。
……けど、手は休めないよ。
ヴォルデの一番の脅威は、あの謎の自己再生能力である。
そこになにか制限はあるのか、魔力を使っている様子もないことから、その全容が見えない。故にそれは圧倒的な脅威であり、このままではジリ貧が続き、いずれ僕の魔力が尽きてしまう。
「だから……ここでケリをつける」
僕は小さくそう呟くと、腹部を押さえ苦しむヴォルデへと爆裂草をぶつけた後、再びキャノンフラワーの種を射出した。
それはグングンと加速しながらヴォルデへと近づき……しかしぶつかるよりも前に、突然発生した衝撃波により、その威力を殺されてしまった。
「……今度はなんだ!」
慌てて後退し、ヴォルデの様子を窺うと、俯く彼の手に怪しく輝く宝石のようなものがあることに気が付く。
「……ぐ、ぐひっ。本当は使いたくなかったが……致し方ない」
ヴォルデはそう言うと、突如それを飲み込んだ。
「…………ッ!」
瞬間、膨れ上がる魔力。そしてそれを表すかのように、ヴォルデの身体にボコボコと変形をしていく。それはヴォルデの原型がなくなるまで続き、そして数瞬の後、僕の目前にはネフィラの操っていた化け物と同じ姿をとるヴォルデの姿があった。
「……まじかよ」
思わず1人そうごちる。しかしそう呟いても仕方がないほどに、目前のヴォルデは先ほどまでとは威圧感が違っていた。
そして同時に、思わず舌打ちをしたくなる出来事があった。
……くそっ、そろそろ限界か。
それは歪化による弊害──意識の混濁である。というのも、歪化は本来1つでないものを強引に融合させており、それにより複数の意識が僕の脳内に存在しているような、そんな歪な状態なのである。故にそれは現状長時間扱えるようなものではなく、あくまでも一時的な強化という扱いである。
にもかかわらず、今日は今までよりも倍以上の時間この状態をキープしている上に、普段は僕とライム二つの意識であるのに対し、今日はガブも含めた3つの意識が存在している状態である。意識が朦朧としだしても致し方ない状況といえよう。
……それでも、なんとかこの場を乗り切らなきゃ。
たとえ唐突に強化されたヴォルデ相手であろうとも、イヴを救うためにはやるしかないのだ。
「ライム、ガブ、もう少し頑張ろうね」
(わかった!)
(おう!)
心強い声が脳内に響く。その声に僕は小さく微笑むと、フーッと息を吐き、気合いを入れる。
「……ぐ、ぐぶぶ」
目前で、化け物になったヴォルデの口元が円弧を描く。
その不気味さに思わず弱気になりそうになるも、僕はグッと気を張る。
……僕のギフトがハズレではないと証明するために、大好きなあの人たちの背中に追いつくために──なによりも、苦しんでいる1人の少女を救い出すために。
……絶対に乗り越えてみせる。
僕は1人気合いを入れると、力強くグッと地面を蹴った。
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