第105話 レフト vs ヴォルデ

「ぐひっ……ぐひひっ……ついにこの時がきたぞ!」


 ネフィラと火竜の一撃が戦っているその奥、大広間にて、ヴォルデは1人気味の悪い声をあげている。そしてその眼前には、鎖に繋がれ、檻に閉じ込められたイヴの姿があった。


「…………ひっ」


 ここまでの運搬中に目を覚ましたイヴは、自身が檻に入れられるまでなにがあったかは曖昧であったが、しかし今敵の手の中にあることは理解していた。同時に、今檻の前で奇妙な声を上げるヴォルデにより、現在危機的な状況に陥っていることも。


「こ、こないでください」


 怯えながら、イヴは声をあげる。しかし、どうやらそれはヴォルデの嗜虐心を刺激するだけであったようで、ヴォルデはその笑みをより深いものにした。


「ぐふっ……すでにお前の身柄はワシが掌握している。だから大人しくこっちにくるんだ!」


「……やっ」


「ぐふっ……こないなら、無理矢理やるしかないなぁ」


 そう言うと、ヴォルデは手に持っている鎖を力強く引っ張った。

 その鎖はイヴの首元に繋がっており、抵抗をするも筋力で及ばず、イヴの身体は段々とヴォルデへと吸い寄せられていく。

 一歩また一歩とイヴは近づくことになり、そして数瞬の後、ついにヴォルデが触れられる距離まで寄せられてしまう。


「……ぐふっ、檻があるというのは色々と不便だが、これはこれで」


 言ってじゅるりと、ヴォルデは滴り落ちそうになる涎を飲み込む。


「……ひっ」


 その音に、イヴは再び震える。

 ブルブルとわかりやすく怯えるイヴの姿に、ヴォルデは血流が速くなるのを感じる。そして、ここでついに我慢できなくなると、ヴォルデは醜悪な笑みのまま、ゆっくりとイヴへ手を伸ばす。


「……いや……誰か助けて」


 自身へ近づくヴォルデの手の熱を感じ、イヴはそうポツリと呟きながら身体を縮こませる。

 そんな彼女へ、その願いも虚しく、ついにヴォルデの手が触れてしまう──ことはなかった。


「イヴ!」


 突然広間に響き渡る少年の声。同時に、凄まじい勢いのなにかが、ヴォルデへと近づき──そして力強く肩へと噛み付いた。


 ◇


 ……間一髪、なんとか間に合った。


「がぁぁぁぁぁぁ!」


 ガブに噛みつかれ、悲鳴を上げるヴォルデを目にしながら、僕は小さく息を吐く。


 とはいえ、安心はしつつももちろん警戒は解いていない。

 ガブの噛みつきにより血を流しながらも、しかしすぐさま反撃しようと剣を抜こうとするヴォルデの姿を目にした僕は、ガブに「戻れ!」と指示をした。


 ガブがヴォルデから口を離し、茎の部分を縮める。勢いよく伸びていた茎はみるみるうちに縮み、ほんの数秒でガブは元の姿へと戻った。


「ガブ、ナイスだよ」


 ちらとそちらへ目を向けながらそう言うと、ガブから喜色が伝わってくる。

 素直に喜ぶさまは通常とてもかわいらしいのだが……その口元が血まみれであることを考えると、今は単純にそうとは思えなかった。


「……フゥ……フゥ……」


 荒い息遣いを耳にしてすぐさまそちらへ視線を戻すと、ヴォルデは肩から血を流し、血走った目を僕へと向けている。


「……お前は、あの時の小僧ッ!」


 力強い声音でそう言いながら、ヴォルデは一歩二歩とこちらへ前進しつつ、荒い息を吐き続ける。すると──いったいなんの力なのか、抉れていたヴォルデの肩が段々と埋まっていった。


「傷が回復してる……?」


 流石にそれは予想してなかったため、僕は思わず目を見開く。

 そんな僕の眼前で、完全に傷を癒したヴォルデは一度大きく息を吐くと、先程までとは違い余裕のある笑みを浮かべた。


「……ぐ、ぐふっ! やるじゃないか小僧。不意打ちとはいえ、このワシに傷をつけるとはな!」


 言いながら、ヴォルデは片手剣を構えて見せる。その姿は、肥えたその肉体からは考えられないほどに洗練されており、隙が見当たらない。


「ガブ」


「……おっと」


 ガブが攻撃しようとピクリと動く。しかしそれに合わせ、ヴォルデは剣を少しだけ動かし、それを牽制する。


 ……さすがに貴族なだけあるな。


 今はどうかわからないが、この動きはやはり過去に剣術を習っていたのだろう。

 それも貴族として習う剣術となれば、やはり相応の講師が就き、高いレベルで学習してきたはずだ。


 ……やっぱり、普通に攻撃したんじゃ隙はないか。


 そう思いながら、ヴォルデの動きを注視する。すると、その後方でこちらを心配そうに見つめるイヴの姿が目に入った。

 僕は彼女に向け、安心させるように微笑む。


「ぐふっ、ネフィラに簡単にいなされ、低いステータスしか持ち合わせないのに、ナイト気取りか? 小僧」


「ナイトか……たしかに、憧れはするね」


 ヴォルデの煽りともとれるそれを僕は素直に受け止め、ニコリと微笑む。

 それが気に食わなかったのか、ヴォルデはさらに言葉を続けた。


「だが残念だ……先ほどは不意打ちで攻撃できたかもしれんが、あんなものは2度と起こらない。最後に残るのは無惨な小僧の亡骸と、その前でほくそ笑むワシの姿だけだ!」


「それはどうかな……ッ!」


 言葉と共に、僕は一度ガブを収納しつつ、ヴォルデへと接近。そして間合いが狭まったところで、再びガブを実体化する。


「ガブ!」


 単に名前を呼んだだけのそれに、ガブは答えるようにヴォルデへと攻撃を仕掛ける。


「甘いわ!」


 茎を伸ばし、再び噛みつこうと接近するガブを、ヴォルデは剣を器用に扱いながらそれをすべていなす。……しかしそれは僕の想定内だ。

 ガブが2度3度と縦横無尽な攻撃を仕掛けたところで、僕は爆裂草を実体化し、ヴォルデへと投げつける。


「ぐふっ……こんなもの!」


 僕が投げた爆裂草を、ヴォルデは剣の腹で受けると、そのまま衝撃を与えないように後方へと流した。

 隙を見て、ガブはヴォルデへと噛みつこうとするも、簡単な身のこなしにより避けられた上、振り下ろした彼の剣により、花弁に傷をつけられてしまう。

 その間に爆裂草は弧を描いて飛び、ヴォルデより数m後方の地面に落ち、爆ぜた。


 僕とガブは一歩引き、ヴォルデの様子を窺う。


 ……ダメだ、想像以上に隙がない。


 先ほどの攻撃は確かに単調で読みやすい攻撃だった。しかしどちらも無傷で対応するとなると、そう簡単なものではないのは間違いない。

 ……でも、それをヴォルデは簡単にいなしてしまった。


 1人で後方へと退避した以上、ヴォルデ自身がある程度の力を有していることはわかっていた。しかし、それでもここまで高い腕を持っているとは、完全に予想外であった。


 ……ま、どちらにせよなんとかするしかないんだけどね。

 とりあえずなんとか隙をついた攻撃を……ッ!


 僕はそう思いギアを入れると、再びヴォルデへと接近する。


「ぐふっ、単調すぎるぞ!」


 対しヴォルデはそう笑い、しかし冷静に剣を構える。

 その姿を目にし、僕は再び爆裂草を実体化すると、ヴォルデへと投げつけ、同時にガブが攻撃を仕掛けた。


「もうヤケかぁ?」


 ヴォルデは先程同様それらを冷静に対処すると、再び後方へと爆裂草を流す。

 それにより爆裂草は円弧を描きながら地面へと接触……しなかった。


「ライム!」


 僕の呼びかけに応じ、事前に実体化しガブへとくっついていたライムが爆裂草を受け止め、ヴォルデへと投げつけた。


「……ッ! 小癪な!」


 ヴォルデは後方へとちらと視線を向けると、爆裂草を思いっきり切りつけた。そしてそれによって撒き散った毒の粉を吸い込むよりも早く、剣を振り下ろした勢いのまま向きを変えると、剣を持ち替え、それを振り下ろした。


 ……きた!


 僕はこれを好機と、すぐさまとある植物を実体化する。──フィルトの木である。


「…………ッ!」


 突然目の前に木が現れるのは想定外だったのだろう。驚いた様子のヴォルデであるが、しかし一度振り下ろした剣を引くことはできず、思いっきりフィルトの木を切り付けた。──瞬間、響き渡る金属音。


「……ぐっ」


 ……さすがフィルトの木だね。


 思いながら、フィルトの木を切りつけ、手を痺れさせているヴォルデの懐へと入ると、剣を切り上げた。


「……がっ」


 これにより、腹部へ大きな傷が入る。……が、これではまだ終わらない。

 追撃とばかりに、僕の指示を受けたガブは、茎を伸ばすと、すぐさまヴォルデの首元へと噛みつき、そのまま一部を食いちぎった。


「……んぐっ」


 それにより凄まじい痛みが走ったのか、ヴォルデは苦悶の表情を浮かべた後、バタリと地面へと倒れる。傷を負った部分に太い血管でもあったのか、かなりの血が流れ出し、水溜りのように地面を赤く染める。


 その姿を目に収めながら「……ガブ、警戒」と言った後、僕はジッと倒れ伏すヴォルデの姿を見つめた。


 ヴォルデは地へと伏したまま荒い息を吐き──次の瞬間、再び傷が塞がり始めた。


 ……いったいなんのギフトだ?


 なにか魔術を使った様子もなく、まるで制限などないとばかりに瞬時に傷を癒してしまう。少なくとも、僕の知る範囲のギフトにそのような力はない。


 ……いや、とにかく今は。


 カラミヅルを複数実体化し、それをヴォルデの上へ落とす。

 衝撃により、カラミヅルはヴォルデへと絡みつこうとし──しかし、対象が倒れているからか思うように絡みついていかない。


 その間にヴォルデはどんどんと回復していき、ついにはその傷を完全に癒した。

 ぐぐぐっと立ちあがろうとするヴォルデ。しかしその瞬間、中途半端に絡みついていたカラミヅルが、隙間ができたことで、ガッチリとヴォルデへ絡みついた。


 身動きを取ろうともがくヴォルデだったが、そのたびにまた別のカラミヅルが巻きついていき、そして──


「制圧完了……かな?」


 ついには身動きが取れなくなったヴォルデを目にし、僕はそう呟く。


 ……カラミヅル1本では大したことなくても、複数本絡めばCランクの魔物でさえ身動きが取れなくなることは実証済みだ。仮にヴォルデのステータスがそのレベルだとしても、これだけ大量の血を流した状態じゃ、抜け出すことはできないだろう。


 ……あとは警戒しつつ少し様子を見るか。その間に皆さんが来てくれればいいけど。


 と、警戒しつつもそんなことを考えていると、ここで先ほどまで静かだったヴォルデが突然笑い声を上げた。


「……ぐふっ、まさかこうもやられるとは。小僧、中々やるではないか」


「それはどうも」


「だが……ッ!」


 ここで、唐突にヴォルデが力み始めた。それと同時に、彼の周囲に漂うオーラ。


 ……これは!


「【身体強化】!? ……ッ!」


 ぶちぶちと音が鳴り出すカラミヅルに、僕は少し後退し、剣を構え直す。

 目前のヴォルデは段々とカラミヅルの拘束を剥いでいき、数瞬の後、完全に抜け出してしまった。


 ……おいおい、ただでさえあんな【自己再生】するギフトなんてみたことないのに、その上で【身体強化】を使ってくるなんて。


 決して気を抜いていた訳ではなく、単にそんなギフトが存在するなんて予想していなかったのだ。


 ……しかも、あれだけ血を流したのに弱った様子が全くない。自己再生の時にあの一瞬で血すらも回復するのか? 化け物かよ。


 内心そうごちりながら、キッと鋭い視線を向ける。


 ヴォルデはその視線を受けながらも、余裕を見せながら声を上げた。


「ぐふっ……どうだ小僧! 絶望したか!? ワシはまだ本気ではなかったのだ……ッ!」


 言葉と共に、ヴォルデはその肉体からは想像できないスピードで僕へと肉薄し、剣を振り下ろしてくる。


「……ッ、……ッ!」


 僕はそれを幾度となく受け流す。その間に、隙を見てガブが首元に噛みつき、再び噛みちぎる。しかし──


 ……嘘でしょ!? 再生速度も上昇してる!?


 ヴォルデが負った小さくない傷も、先ほどとは比べものにならない速度で回復してしまった。


 ……これはまずい!


 僕は汗をたらりと流しながら、ヴォルデの剣を受けていく。

 しかしやはり防戦一方の状態では全てを受け切ることは難しく、ここでヴォルデの切り上げにより、僕の両腕が打ち上げられた。


 ……しまったッ!


「ぐふっ、これで終わりだ!」


 言葉と共にヴォルデは剣を振り下ろす。


 僕はすぐさま「フィルトの木!」と声を上げると、眼前にフィルトの木を実体化する。しかし──


「舐めるな!」


 ヴォルデは言葉と共に、剣を振り下ろす。それにより、先ほどは剣を弾いたフィルトの木に剣筋が走り、その後方にいた僕含め切り裂かれてしまった。


「レフトくん!」


 今まで静観していたイヴが、ここで悲痛な叫びを上げる。


「……ッ!」


 僕はすぐさまガブに指示を出し遊撃させると、数歩後方へと下がった。

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