第86話 マンイーター
あの後10分ほど歩いたところで、不意にグラジオラスさんが足を止めた。
そしてスンスンと周囲の匂いを嗅ぎ始める。
「におうな……」
「におい……」
僕も匂いを嗅いでみるが、青々とした草木の匂いは感じられれど、別段おかしな匂いはしない。
「どうやら俺は常人よりも鼻がいいようでな……っと、あっちだ!」
そう言うと、グラジオラスさんはゆっくりと歩き始める。
僕も彼に続いて歩くが、しかし特に景色は変わらない。
本当にこちらにいるのだろうか……そう疑問を抱き始めたところで、これまで緑一色だった世界に、不意に黒いなにかが映った。
グラジオラスさんが足を止める。
「レフト、気付いたか!」
「はい。前方に明らかに禍々しい花が見えます」
花といっても、その大きさはよく見るそれとは一線を画している。
体長は160から170cmほどか、人間の大人と同程度の大きさをしており、全体が禍々しい黒色をしている。
茎はかなりの太さであり、全体を鋭い棘が覆っている。そんな茎の上には、僕の顔の倍以上もある巨大な花が鎮座しており、禍々しいその花の中央には鋭い牙の生えた口が存在している。
……なるほど、確かに雰囲気だけでも食人花とはレベルの違いを感じる。
「あれがマンイーター」
僕は緊張からか、ごくりと喉を鳴らす。
「ここから3歩ほど進むと、もうマンイーターのテリトリーになる」
「茎が伸びて、噛みつきにくるんですね」
「そうだ! 基本的にマンイーターの攻撃はその1つだが、一度噛みつかれてしまうと、毒を流し込まれる恐れがある!」
「毒持ちなんですね」
「ああ! すぐに死に至るような毒ではないが、即効性のある麻痺毒だからな! 噛みつかれれば、こちらが不利になるのは間違いない!」
「つまり、一度も噛みつかれることなく倒し切る必要があると……」
「そうなるな!」
「わかりました。……では、行ってきます!」
「いつも通り、頑張れレフト!」
グラジオラスさんはそう言って、僕の頭にポンっと手をやると、2歩ほど後ろへと下がった。
……たった2歩。
それでもグラジオラスさんが近くにいなくなったからか、マンイーターの威圧感が強まったように感じられる。
……やっぱり、いつの間にか僕は皆さんに依存していたみたいだ。
近くにグラジオラスさんがいるから安心だ。今回も少なからずそんな思いを抱きながら、ここまで歩いてきたのだろう。
……でも、ここからはそれだけではいけない。
これから彼らと共に行動するにしろ、別のパーティーを組むにしろ、いつまでも彼らの存在に安心感を覚えているだけではダメだろう。
……いつか、僕が誰かを安心させられる人になれるように、目標である彼らに追いつけるように。
僕は精神的に自立して、あらゆる困難を自らの手で乗り越えなくてはならない。
ふとそんなことを考えていると、不思議と勇気が湧いてくる。
「よし」
──戦闘開始だ。
僕は両手のひらを天に向ける。そして──
「爆裂草、実体化」
そう呟くと、脳内でその姿をイメージし……次の瞬間、僕の両手のひらには一つずつ爆裂草が握られていた。
……そう。実は公国に向かう道中でギフト『植物図鑑』のレベルが上がっていた。
それにより可能になったことは2つ。
図鑑を召喚せずに植物を実体化すること、そして植物の複数同時実体化である。
「いけっ!」
僕は掛け声と共に、右手の爆裂草をマンイーターへ向かって投げた。
……目には目を、歯には歯を、そして毒には毒を!
そう思いながら投げた爆裂草は、放物線を描きながらマンイーターへと向かっていく。
しかし僕の筋力の問題もあってか、到底マンイーターに届きそうにない。
……でも、おそらく大丈夫。
そんな半ば確信ともいえる思いとともに見守っていると、ここでついにテリトリーに入ったのか、マンイーターはもの凄い速度で茎部分を伸ばし、爆裂草へと噛み付いた。
──瞬間、マンイーターの内部で爆裂草が爆ぜる。
爆発をモロに受け、かつ毒を全身に浴びたマンイーター。
これがゴブリンであれば間違いなく討伐完了しているが……どうやらマンイーターはそう簡単に討伐はできないようだ。
「爆裂草の毒は……効果無さそうか。爆発をモロに食らえば多少はダメージもあるかと思ったけど、この様子だとそんなことは無さそうだ」
目前には僕の姿に気がついたのか、こちらに牙を向けながら平然とした様子のマンイーターがいる。僕の位置は未だマンイーターの活動域の外。故にこちらに攻撃できず、じっと様子を窺っている。
「とりあえずもう一発いっとくか」
僕は追撃用に用意していた左手の爆裂草を右手に持ち替えると、ひとまずマンイーターへ投げてみる。するとマンイーターは、先程爆発したのにもかかわらず、再び爆裂草へと噛み付いた。
「知能はかなり低そうだ。……それで毒や爆発の効果は……うーん、ダメか」
2度ぶつけ、毒の量が増えればもしかしてと思ったが、目前のマンイーターの様子を見るに、一切効果は無さそうである。
「となれば直接攻撃して討伐するのが無難だろうけど……」
マンイーターの知能が低いのは間違いないが、なぜかマンイーターの有効範囲外の敵に対して、無理に攻撃しようとはしてこない。
知能の割に用心深いのか、それとも有効範囲内のものしか知覚できないのか。
「とりあえず検証だな」
僕はマンイーターの攻撃範囲に入らないよう注意しながら、マンイーターを中心に円を描くように歩いてみた。
ガサガサと多少草を踏む音を鳴らしながら移動すると、マンイーターは茎部分を動かすと、その視線を──目はなさそうだが──こちらへと向けてきた。
「なるほど、有効範囲外でも反応はするのか。なら、これならどうかな?」
僕は慎重にマンイーターへと近づく。誤って攻撃範囲に入らないよう注意しつつ歩みを進め……と、ここでマンイーターが僕へと噛みつこうとしてくる。
「……っと危ない」
僕は注意深くその姿を見つめていたため、マンイーターが動き出すのを確認し、反射的に一歩下がる。
──目の前でガチンと歯を鳴らすマンイーター。
「中々迫力が凄いな」
その姿に若干ビビっていると、ここでマンイーターは一度茎を引っ込めた。
「でも……これで有効範囲がわかった」
僕は再びマンイーターへと近づいた。
そして先程攻撃をしてきたギリギリに立つと、小さく右手を伸ばした。そして──
「フィルトの木、実体化」
ポツリとそう呟いたその瞬間、僕の眼前に黒く大きな木が実体化した。
──と同時に、有効範囲に入ったことを知覚したのか、マンイーターが噛みついてくる。
しかし、範囲内にいるのは僕ではなく、頑強なことで有名なフィルトの木である。
──ガキンと、金属音のような甲高い音が鳴る。僕はそこから横に数歩動き、音の鳴った方へと視線を向けると、そこにはフィルトの木に牙を立てたまま動けなくなっているマンイーターの姿があった。
「まさか、フィルトの木より強いとはね」
フィルトの木は下手な金属よりも固く頑強な樹皮を持っている。
そんなフィルトの木に噛みついたのだ。いくら鋭い牙を有するマンイーターといえど、牙が折れるのではないか……そう予想していた僕だったが、結果はマンイーターの牙の勝利であった。
……まぁ、想定外ではあったが、むしろ最高の結果になったのだが。
「これなら安心して討伐できそうだ」
フィルトの木を噛み切ることができず、またその樹皮に挟まれ牙を抜くことすらできない。……つまり今目前にいるのは、噛みつきという唯一にして最強の武器が無くなった、ただの植物である。
僕は帯剣していた片手剣を抜いた。そして警戒することは忘れずにマンイーターへと近づき──
「ごめんね」
と呟いた後、伸びている茎部分に剣を振り下ろした。
瞬間、多少の抵抗感はあったが、さすがにピンと張った状態では耐えきれなかったのか、剣はその繊維を断ち切り──マンイーターはぐったりとした後、その姿を光へと変えた。
「……ふぅ」
マンイーター討伐完了後も警戒を忘れずに周囲を見回し、しかし問題ないことがわかると、僕は小さく息を吐く。
そんな僕の元へ、グラジオラスさんが走り寄ってくる。
「レフト! よくやったな!」
「はい、なんとか討伐できました!」
「さすが、レフトだ! まさかあんな方法で討伐するなんてな!」
言葉のあと「俺には到底思いつかない方法だ!」と続け、グラジオラスさんは豪快に笑う。
「そんな。あれで倒せるとは思っていなかったので、運が良かっただけですよ」
「そんなことはない! 頭を使って、工夫した結果だ。運がよかったで片付けるのはあまりにももったない!」
「そう……ですね、工夫した結果だと誇ることにします!」
「ガハハ! そうだ、それがいい!」
言って気持ちの良い豪快な笑顔を見せるグラジオラスさんに、僕は柔らかい笑顔のままうんと首を縦に振る。
「……あとはこれが登録できれば最高なんですが」
思い出すのは、やはり食人花である。討伐し、魔石を手にとり、しかし残念ながら登録できなかった。
マンイーターが食人花と別種と言われているとはいえ、似た魔物で登録できなかったという事実がある以上、今回も望みは薄いのではないかと、思わずそう思ってしまう。
しかし、絶対に無理とは限らないのであれば、試さない手はない。
僕はそう思うと、グラジオラスさんと共に魔石へと近づいていく。
「Dランクにしては、魔石が大きいですね」
「単純な戦闘力で言えばCランク並みだからな!」
「えっ!? そうなんですか!」
「ガハハ! だがな、レフトが早々に気づいたように、マンイーターは決められた範囲内でしか攻撃ができない! だから遠距離攻撃を持っていれば、討伐はそう難しくないんだ!」
「なるほど、魔物のランクが討伐の難度を表す以上、一概に魔石の大きさで強さは判別できないんですね」
そう言葉にしながら僕はなるほどと頷く。
「そういうことだ! さぁ、そろそろ登録を試してみるか!」
「はい、やってみます」
言って、僕はマンイーターの魔石を手に取った。ずっしりとした重みを感じながら、魔石を抱え続け──経過すること、およそ10秒。ここで不意に魔石が光を発した。
「まさか!」
僕は慌てて図鑑を召喚し──それとほぼ同タイミングで、その光が図鑑へと吸い込まれていく。
そしてついに光が収まると、僕の手にあったはずの魔石は綺麗さっぱりと消えていた。
「登録……できたのか?」
「えっと……」
僕は図鑑をペラペラとめくり──
「あった……登録できてる!」
──図鑑のとある1ページに、マンイーターの名が刻まれていた。
「やったなレフト!」
「はい! ありがとうございます、グラジオラスさん!」
「それにしても、まさかマンイーターを登録できるとはな!」
「えっ、グラジオラスさんも半信半疑だったんですか?!」
「ガハハ! 食人花の前例があったからな! 9割方無理だろうなと思っていたぞ!」
「えぇ……」
「でも1割に賭けたら登録できた! これが結果オーライというやつだな!」
「ふふっ、そうですね」
言って笑った後、僕は首を傾げる。
「──それにしても、なぜ今回は登録できたのでしょう?」
「食人花の時と、同じ手順だったはずだがな」
そう。今回の登録手順は、食人花の時と相違なかった。故に、グラジオラスさんの想定したように、登録できないのが普通のはずだ。
しかし、なぜか今回は登録できた。それも、食人花と姿形がそっくりなマンイーターをだ。
「うーん、もしかしたらなにか僕の知らないルールがあるのかもしれませんね」
それを探りたいところではあるが、正直具体的な方法が思いつかない。
「そうだな! まぁ、それは追々見つければいいだろう! それよりも今は──」
「はい! 毎回恒例の検証……ですね!」
僕は笑顔でそう言うと、道中で様々な植物を登録しつつ、森を抜け、近くの草原へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます