第八話「のぞみと瞬」
物語好きののぞみとしては、昔は舞台にも興味はあった。
しかし友人に誘われて初めて行った舞台が、子供も知っていて一緒に楽しめる原作なのに対して、その劇団では子供に見せるにはふさわしくない改変がされていた。
原作が好きなのぞみも心底ガッカリして、それ以降舞台を見に行くのに二の足を踏んでいた。
しかし小笠原瞬に誘われた舞台は、劇団オリジナルの演目らしい。それなら安心して見られる。それに大学のサークルで行っている舞台程度なら、一人で見に行っても変ではないだろう。
そうやって軽い気持ちでのぞみは舞台を見に行ったが、それから話は急速に進んでいった。
まずその舞台終わりで打ち上げの飲み会に連れて行かれた。仕方なくついて行ったが、部屋の隅っこで目立たないようにしているつもりだった。それなのに舞台の感想を求められた。やはり団長であり今回の主人公であった瞬の演技は素晴らしかったが、いきなり瞬を褒めるのも気まずかったので、ある一年生の女の子の演技を褒めた。その子が小山真由美だった。褒められた真由美は気分を良くし、自分がいい演技ができたのは小笠原先輩の演技が素晴らしかったからだと熱弁しだす。その場の中心が真由美になったのでのぞみは再び部屋の隅に行ったが、真由美から次の舞台も見に来るように執拗に迫られた。
最初は断ろうとしたが、次の舞台は原作があり、それはのぞみの好きな本だったので興味が湧いた。そのことを何気なく言うと、それなら練習から見に来てアドバイスをして欲しいと瞬から頼まれた。アドバイスなんてできっこないと言ったが、アドバイスじゃなくても客観的な意見が欲しいというのだ。それでも小学校のお遊戯会ですら背景の役だったのぞみに演技のアドバイスなんてできるわけがない。じゃあ練習を見てくれるだけでいい、という瞬の強いお願いに負けて、のぞみもその劇団に出入りするようになった。
その練習見学の帰りに、瞬と数名の劇団員と共に食事をし、その時にアドバイスを求められた。お酒も入っていたからか、アドバイスではないが個人的に思ったことを瞬に話していった。
そんなことが続き、その舞台本番も無事に終了した打ち上げでのぞみはあることを瞬にお願いされた。
「今度の舞台の台本を書いてくれないか?」
のぞみは自分でも物語を書く事に興味はあった。いつも読んでいる素晴らしい物語を自分で描くとしたらどうなるのだろうか。そんなことを頭で考えたりしながら、でも人に見せるものなど書けるとは到底思えなかった。
しかしその機会が巡ってきた。
「全部丸投げすることはしない。俺がずっと考えてきたネタでなかなかうまくまとめられなかったのがあるんだ。それを形にしてみてくれないか。もちろん納得できるものが書けなければ没にしてくれても構わない」
そんな軽い感じてやってみてとうまく言いくるめられるように、のぞみの台本執筆生活は始まった。
そしてそれはある関係の始まりでもあった。
「豊崎先輩って、小笠原先輩と付き合ってるんですか?」
真由美がいきなりこんなことを聞いてきた。
「え!?つ……付き合ってないけど……」
のぞみはいきなりでびっくりしながらも正直に答えた。
のぞみと瞬は付き合ってなどいない。しかしそう思われても仕方がないような行動はしてきた。
瞬に舞台の台本を頼まれてから二人でいることが多かったし、瞬の家に行ったこともあった。しかし瞬は本当に舞台一筋の人で、のぞみが瞬の家に行っても恋愛のような雰囲気には一切ならずに終わった。
でも瞬と一緒にいるのが楽しいと思うのも事実。だから恋人同士になるかどうかは別にしても、のぞみはこの関係が長く続けばいいと思っていた。
しかしそれと同時に、真由美からのこの質問によって、真由美は瞬のことが好きなんだと気づいてしまった。
真由美と長い付き合いの川里健太から少し話を聞いたら、真由美は高校三年の時に今の大学の学園祭で当時大学二年だった瞬の演技を見て一目惚れをしたらしい。そしてこの大学に進学することを決め、瞬を追いかけて劇団に入った。
元々見た目に花があり、本人も目立ちたがり屋で注目されたい真由美にとっては、一番輝ける場所だと健太は言っていた。それが好きな人の傍ならなおさらだ。
そんな真由美にとって、地味なのぞみに瞬を取られたようで面白くないのだろ。
なんにしても、今書いている舞台脚本は書き上げなければならない。瞬との宙ぶらりんな関係はそれから考えようと思った。
もちろん神下茉理にも相談した。いつもなら気さくに提案してくれる茉理も、そのときはかなり考えて、言葉を選んで慎重にアドバイスをくれた。焦って結論を出さないように、後悔のしない決定ができるように励ましてくれた。昔の自分を思い出しているかのようだった。
分かったのは、もう少し時間が欲しいし時間をかけるべきこと。
しかし真由美に言われ、茉理に相談し、瞬のことを考える時間が増えるに従って、のぞみの気持ちはどんどんと恋心に引かれていった。以前よりも台本を各時間が愛おしくなり、その時間を長く持ちたいと思うようになった。
特に期限は決めてないし、のぞみもプロではないので書くのが遅くて当然。
それを言い訳に、瞬とのこの時間を長く続けたかった。
しかしそういう思いを待っていたかのようにある出来事が起きた。
いつものように瞬と台本を書いていた時だ。
「のぞみ。ちょっと話があるんだけど」
のぞみは瞬からいつもとは違う雰囲気を感じた。少し緊張しているような、それでいてちょっと残念なような感じだ。
もしかしたら真由美と付き合うことになったのだろうか。しかし瞬は以前に真由美の告白を断ったという話を聞いたことがある。今になって付き合うことにしたのだろうか。
「舞台の勉強のために、アメリカに留学したいと思ってる」
のぞみは動きが止まり、思考が混乱した。
まったく予想していなかった事だった。
「ずっと前から大学の先生の知り合いを通して話があって、もしやる気ならアメリカの舞台俳優に話を通してやるって言ってくれてたんだ。何人か当たってくれて、でもなかなか難しかったんだけど、今回は面倒を見てくれるって人がいたんだ。たぶんこれを逃したらもうチャンスはない。だからチャレンジしたいんだ」
のぞみは、瞬が海外の舞台の動画を見ているのも知っていたし、英語を勉強していたのも知ってる。それは字幕の無い海外の舞台も見て勉強するためかと思っていた。まさか留学の思いがあるとは思わなかった。
「行ったらできるだけその場で学びたいし、向こうの舞台に立つことも目標にしたい。だからいつまでアメリカにいるかは分からない」
きっと瞬ならその目標を達成できるだろう。
演技力はずっと傍で見てきたし、情熱も共にしてきた。
「そっか。いいんじゃない。瞬くんらしいよ。それで、留学はいつからなの?」
「向こうからはできるだけ早くって言われてる。だから、一旦実家に帰って、そこから出来るだけ早くにと思ってる」
「そっか……」
それじゃあこの台本も書き終えられないし、この関係も終わりだ。
グズグズしてたのぞみが悪い。
でももしのぞみが告白して恋人同士になっていたとしたら、瞬は留学の夢を諦めていたかもしれない。もしそうなら、のぞみがグズグズして留学の話の方が先に進んだのは良かったのかもしれない。
「じゃあこの台本作りも終わりだね。私がもう少し早く書ければよかったけど。力になれなくてごめんね」
そののぞみの言葉に、瞬は黙ったまま。
この状況でのぞみが謝ることは、瞬にとって逆に辛くさせてしまっただろうか。
「のぞみ……。もしのぞみが良ければ、一緒についてきてくれないか?」
その言葉に、のぞみの思考は完全に止まった。
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