第5話小学生と一緒
「今会社の雰囲気も良いよ、私も以前より仕事がしやすい。給料もまあもらえている方だろう? 君はこれから結婚もするだろうから、この会社を辞めるのはもったいないよ。地元に帰って就職したところで、仕事の関係で、絶対に祭りに参加できるとは限らないだろう? 」
確かにその通りだった。でも本番は土日で、練習期間は三週間だ。地元にいればその何日かは絶対に太鼓を叩くことができる。
「やっぱり太鼓が叩きたいんです、俺が小さい時から叩いてきたリズムの太鼓が」
そう俺が言った後は、もう何も言われなかった。
「七時から二時間練習だから、おにぎりのが力が出るだろうな」
とレジを済ませ、外のベンチに座り、向こうにあるテントを眺めながら食べ始めた。
「先生の太鼓だ」
俺が小さい時から教わって来た、細身のお爺ちゃんだ。軽くたたいているのに音が大きくて、子供心に本当に不思議だった。
「シャープだな、相変わらず、突き抜けてる」
太鼓も打楽器、ピアノと同じだ。叩き方で音が違う。太鼓の場合は叩き方と言うより「体つき」と言った方が良いのかもしれない。ちょっと太めの人は円を描くような柔らかい音がするし、野球をやっていた人間はリストが強いせいなのか、先生と同じく、直線のような感じだ。
体つきが普通の友達は、高校生になると
「お前の太鼓の音は中肉中背よね、魅力がない」
と実の母親に言われていた。ちょっとひどいとは思ったが、幼い頃から彼もほぼ皆勤賞で、今は遠方に就職し、家も持ち、そこでは太鼓を叩いていないという。
「俺は・・・太鼓バカなのかな」
また少し涙が出そうになった。
それは俺が今やっていることを考えると、自然にそうなるのだ。
博多祇園山笠のために人生を変えたという人は実際にいるし、そうするのにふさわしいほどの祭りであるとも思う。でもこの、小さな小さな、日本国中に本当に散りばめられたようにようにある祭りの一つのために、同僚も、職場も変えた自分に本当に後悔がないのか。これから先、そのために待っている苦労に対し「これが自分の選んだ道だから」と凛としてはねのける自信が確固とあるのか。
そう、それが確立できていない情けなさに、涙が出てしまった。
真新しい、初めて使うようなテントの中で、練習を知らせるように正確な太鼓の音が響いている。以前に比べて確かに音は小さくなったけれど、やっぱり懐かしく、いい音だとも思う。
「ああ、このテンポ、この間、先生は俺とは違ってあんまり格好つけて叩かない、本当に音勝負だもんな」
徐々に小さな子たちが集まって来ていた。
「さあ、俺も行こう。会社にはこの期間は出来れば残業はしたくないって申し出た。ちょっと嫌な顔されたけれど、でも、でも、やっぱり俺はこの太鼓が好きだ。さ、まだ人が少ないうちにやろう!! 」
小学生に戻ったような気分で、真新しいテントに向かった。
その三週間後、祭りは滞りなく開かれ、無事に終わった。
多くの人にとっては毎年の恒例行事であったろうけれど、俺にとっては、今までの中で最高に意味のある祭りであったことに間違いはない。その証拠に
「何だか更にいい音になったわね、あっちで練習していたの? 」
息子に辛口のおばさんからも、お褒めの言葉をいただけた。
新しいテント @nakamichiko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます