Part.4 Prosopagnosia: Why don't you call the name of dearest ?(5)


           5



 がたん。


 椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がったライムは、皆の注目を浴びて立ち尽くした。蒼い眼をこれ以上はないほど開いている。

 わたし達は彼女に声を掛けられなかった。わたしも、ミッキーも、皆川さんも、ルネも。ラグも、ルツさんも、史織も……。

 彼女は両手で顔を覆い、うわ言のように呟いた。


「あ、あたし……あたし。ごめんなさい。ごめんなさい、でも――」

「ライ」


 震える声で早口に言うと、彼女は身を翻した。ルネの声とわたし達の視線を振り切って、ばたばたと隣の部屋に駆け込み、ばたんと扉を閉めてしまった。

 ルネは、ちょっと呆然とわたしを見て、すぐに彼女を追って行った。

 二人が消えたドアの向こうから、少しの間を置いて、泣き声が聞えて来た。


「……おれ」


 聞き慣れない濁った声に振り向くと、ミッキーが片手で顔を覆っていた。苦虫を三ダース呑まされたような表情になっている。口元に手を当て、眼を閉じて首を振ると、彼も立ち上がった。


「ミッキー」

「ごめん。ちょっと……おれも、(吐きそうだ)」


  囁くと、彼も部屋を出て行った。シャワールームの方へ。わたしは彼を追いかけられなかった。

 顧みると、皆川さんは辛そうに眉根を寄せ、ラグは椅子の背にもたれて眼を閉じていた。ルツさんは心細げに項垂れている。

 史織は先刻と同じ姿勢でわたし達を眺めていた。


 そうか……。ゆるゆると、わたしは理解した。やっと実感が湧いて来る。


 そういうこと、だったんだわ。


 にわかに身体を覆った寒気に、ぶるっと身を震わせた。自分で自分の肩を抱く。

 ようやく理解できた。ばらばらだったパズルのピースが、はめ込まれたような気分だった。現れた絵にぞっとする。

 千五百年……かかった時間の重さに眩暈がした。《VENA》 を――ライムを創るだけでは問題は終らなかった。史織や真織君、レナさん達が創られたことだけが問題ではなかった。


 ミッキーの入ったシャワールームのドアを眺め、わたしは、ぼんやり考えた。

 MONSTERモンスター――ターナーの言葉を思い出す。《VENA》 は、決して外へ出してはならないモンスター。

 ラグは――《古老》は、銀河連合が創ったモンスター。


 《VENA》 を、創らせないための、存在。


 どうしてそんなことを……。ああ、実験だったのね。彼等も立場は 《VENA》 と同じ。史織と、レナさんと。なら、責めることは出来ない。

 彼等に罪はない。


 ……本当に?


 彼等の誤算は、千年以上時間を遡ってしまったこと。使命を果たそうとしたこと。


 それが罪? 間違い?


 誰も知る人のいない時代にたどり着いて、仲間とはぐれて、どんなに心細かったろう。辛かったことだろう。それでも生きなければならない。続けなければならなかったのだ。

 地球を救うために。

 罪なのだろうか、それが……。己の使命のために、過去の歴史に眼を閉じてきたことは。

 すべて彼等が背負わなければならないのだろうか。


 ――嘘。だって、わたしは今、責めている。『どうして?』 と、思っている。

 何故、パパを止めてくれなかったの……。


 『知っていたのなら、どうして』 そう思わない人が居るだろうか。彼等と同じ時代に生きていて、戦争が起きると承知していたならば。彼等が止めてくれたら死ななくて済んだ家族がいたとしたら。

 わたしは責めずにいられただろうか。今、ライムの苦しみを、わたし自身の孤独を知っているのに。

 でも。《クイン》 は、《ウィル》 は――《古老》 達は、きっと、もっとずっと孤独だったのだ。

 戦争を止めなかった。数えきれない人々を見殺しにした。VENAプロジェクトを止めなかった。それは、確かに彼等の罪かもしれない。生命でしか贖えない罪……。


 わたしは、何故 《ウィル》 が 《ミッキー》 を残したのか、解るような気がした。彼等は知っているからだ、人と別れる辛さを。愛する人を喪う悲しみを。仲間を喪う苦痛を、絶望を。

 嫌と言うほど……。

 『月うさぎ』に居る彼の家族の為に、《ウィル》 は 《ミッキー》 を残してくれたのだろう。そして、自分の罪を背負って命を絶った。だから、ラグは彼の記憶を戻そうとしないのだ。

 絶対に。

 そして……ああ、因果は巡る。


 VENAプロジェクトがなければ、彼等は過去へ向かうことはなかった。《古老》 達が過去へ行かなければ、彼等の罪はなかった。彼等がVENAプロジェクトを止めてくれたなら、史織も真織君もレナさんも、創られることはなかった。ライムは生まれなかった。パパは殺されなかった。

 でも、《VENA》 が生まれなければ、彼等の苦しみは終らない。

 パパがVENAプロジェクトを始めなければ――。


 廻る輪舞ロンド。廻る、廻る、千年のパラドックス。どこが最初で、どこが終わりで、何が原因なのか、解らない。そして、きっと、誰も無実ではいられない。

 可哀想なライム。――眼を閉じて、わたしは思った。可哀想な 《VENA》。

 可哀想な史織、可哀想な真織君、可哀想なレナさん。

 可哀想なミッキー、可哀想なラグ、可哀想な 《古老》 達。――彼等に見捨てられた、数え切れない人々。

 可哀想なパパ……《VENA》 は素晴らしいのだと信じて、自分の研究が生み出す希望を信じていた。彼女を愛していたパパは、いったい、こんな結末を想像していただろうか。


 待って……。


 そこまで考えて、わたしは気づいた。眼を開ける。

 パパは知らなかったのだろうか? 本当に?

 落ち着け、落ち着くんだ――感情が昂ぶっていることに気づいて、わたしは自分に言い聞かせた。もう一度、よく考えよう。ラグは何と言っていた?


『殺される覚悟をしていたはずだ、教授は。それでも、せずにいられなかった』

『計画を完成させるのは、俺の役目だ。本当は、教授がそれをするはずだった』

『俺達 《古老》 は消えるつもりだった』


 ――なら。知らなかったはずがない……。



「ラグ」


 わたしが声を掛けると、ラグはゆっくりこちらを向いた。長い前髪とサングラスに隠されて、表情は判らない。でも、少し憮然としている雰囲気は伝わった。

 扉が開く音がして、ルネがライムの手を引いて戻って来た。そして、ミッキーも。わたし達は、お互いを見た。

 ルネが、泣きはらした眼をしたライムを抱き寄せ、真っ先に詰問した。


「まだ話は終っていないだろう? おっさん」


 そうだ。――獲物を狙う狼のようなルネの眼差しと、真摯なミッキーの表情を見て、わたしは頷いた。

 話はまだ終っていない。まだピースは揃っていない。判らないことがある。

 何故、パパは殺されてしまったの。《ウィル》 は、いつ消えてしまったの。何故、ラグ一人だけ残ったの。

 そして、《VENA》 はどうすればいいの。わたし達は――。


 ミッキーは、無言でわたしに頷いた。それでわたしは、彼が同じことを考えていると知った。

 皆川さんが、ほっとした声で二人を呼んだ。


「ルネ。ミッキー」

「説明してもらおう」


 ルネはライムの腕を引いて椅子に座りなおすと、挑戦的に唇の隅を吊り上げた。


「今、あんたと鷹弘が話したのは、十六年前の出来事だ。VENAプロジェクトが始まった時の。あんた達が何者で、どういう考えだったのかは判った。だが、ライが産まれたのは九年前だ。連合軍とあんた達が 《VENA》 を封じようとしたのは七年前。倫道教授が殺されたのは、去年。――この間、ずっと指を咥えて過ごしてきたわけじゃないだろう、下衆オヤジ。VENAプロジェクトを始動させてどう責任を取るつもりだったのか、説明してもらうぜ」

「誤解を招くような言い方を、するな」


 ルネったら。

 決してふざけているわけではないのだけれど、ラグはぶすっと言い返し、ライムはぎこちなく微笑んだ。


 そうだ、諦めるのはまだ早い。このラグが、パパが、全てを知っていて手をこまねいているはずがないのだから。

 そうでなければ、ライムにここまで教えるはずがない。


 ――それは希望だと言えた。わたしはラグを信じていた。パパを、ルネを、ミッキーを。

 絶望したくなかっただけかもしれない……。



 三人が席に戻るのを待って、皆川さんが促した。


「ラグ」


 しかし、彼は気だるそうに前髪を掻き上げていて、すぐには話し始めなかった。考えをまとめようとしているのかもしれない。

 わたし達は待った。

 すると、


《オレが、話してやろう》


 あの中性的な声が響いた。

 わたし達は 《彼》 を顧みた。それまでキッチンの片隅でじっと様子をうかがっていた史織シオが、話していた。不思議な反響エコーを伴う、脳髄を直接刺激するような声だ。

 ライムが小声で呼ぶ。


「史織」

《約束だからな。そこから先は、オレが話してやろう。そうすれば、VENAも泣いてはいられなくなる》


 この言葉に、ライムはきゅっと唇を結んだ。涙に濡れた蒼い瞳が輝きを増す。

 史織は唇を歪めて嗤い、ルネが探るように彼を睥睨へいげいした。


「知っているのか」

《ああ。七年前、そこにいる古老と一緒にVENAを封じようとしたのは、オレだからな。当時、生き残っていた古老――モリスとウィルとラグは、オレを含むESPER達の能力を集めてVENAを封じようとした。一時的に能力を使えなくさせて、時間を稼ごうとしたんだ》

「封じるって……?」


 怪訝そうなライムに、史織は皮肉っぽく答えた。


《オレが今回使ったのと同じような手だ。強いエネルギーをぶつければ、そいつはブレーカーが落ちたような状態になる。予定だった》

「…………」

《実際は、反動を喰らってウィルの方が能力を使えなくなった。ボイジャー号が墜落したんだ……。オレは、モリスとルツを異空間に移動させた。ラグは何も出来なかった。オレが邪魔をしたんだから、仕方ないがな》


 ラグはこちらに横顔を向け、黙したままだ。

 わたしはミッキーと顔を見合わせてから、ライムを見た。彼女は史織を見詰めている。

 ルネは意外そうにルツさんを振り向いた。


「あんたも関わっているのか?」


 彼女は躊躇うように首を傾け、答えなかった。

 ルネは皆川さんに視線を向け、皆川さんは当惑気味に相棒を呼んだ。


「おい、ラグ」


 ラグはコンソールに頬杖を突いている。サングラス越しの瞳がじろりとこちらを見たけれど、答えてくれそうな雰囲気ではなかった。すぐに顔を背けてしまう。

 史織が、人の悪い笑声をあげる。


 そうだ――ここへ来た時から、ルツさんとラグは、まるで昔からの知り合いのようだった。史織の言う異空間が、ここなのだとしたら。そして、そのことに、ライムも関わっているのなら……。


「知り合いなんですか? 二人とも」


 わたしが問うと、ラグとルツさんはちらりと視線を交わした。ルツさんは返答に困っている。


「紹介した方がいいのか」


 ラグの低い声は、怒っているように聴こえた。無愛想にルツさんに言う。


「その方が、互いの認識の違いも判るか……」

「そうね」


 二人で勝手に納得したみたいだった。

 ラグは実に面倒そうに話した。わたし達が既に聴かされていたことも含めて。


「ドクター・ルツ・ヨーハン。地球連邦シンク・タンクNo.42の主任研究員、クラーク・ドウエルの弟子、グリフィス・ターナーの元婚約者……。史織と真織とレナ-F56の開発者で、育ての親だ。AクラスのESPERで、精神感応能力者テレパスで、予知能力者。そして、俺の――」

「…………」

「七年前、俺の恋人だった女だ。俺をかばって、史織に異空間へ飛ばされた」


 え?


 わたしは耳を疑った。ミッキーとライムが眼を瞠り、ルネは射るように眼を細める。皆川さんは、辛そうに眉をひそめた。

 そして、わたし達の視線は、ルツさんに集中する。


 ……こいびと? って言った? 今。ええ?

 あのラグが?


 彼は忌々しげに顔を背けている。

 ルツさんは、どうしたらいいか判らない、といった様子で項垂れた。


 史織が、声をあげて嗤いだした。






~Part.5へ~


* 作者より注釈;

 【事象の地平線(面)】=ブラック・ホールの入り口を囲む数学的な境界面。一度そこを通過すると、物質も光も二度と出てくることができなくなる。ワーム・ホールの中間にもこれがある。


 【時空】とは時間と空間を一緒にした概念で、特殊&一般相対論では、時間と空間は『時空』として統一して扱われる。私達が居るのは四次元の『時空』であり、三次元ではない。


 【ワーム・ホール】とは、アインシュタインの相対論方程式から導き出される一つの特殊解で、空間の離れた二点を同時刻で繋ぐ時空構造をしている。これを用いれば、理論上過去への時間旅行が可能とされるが、実際は、通過可能なワーム・ホールは自然界に存在しない。

 ワーム・ホールを使った時間旅行には、光速を超えるスピードが要求され、現実には、光速を超える物体は存在しない。

 また、ワーム・ホールの中間には『事象の地平面』が存在するため、そこを一度超えたものは、戻ることが出来ない。ブラック・ホール内部で物質が特異点へ向けて進むように、一定の時間の方向へ向かうことになる。つまり、時間旅行は一方向性。


 ちなみに、『未来からの観光客が来ていないから、タイム・マシンは建造不可能』と言ったのは、理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士。

 『時間は絶対的には定義されていない』と言ったのは、アルベルト・アインシュタイン。――しかし、これは相対性理論の問題であり、作品中でウィルが「時間は絶対ではない」と言ったのは、これをふまえた別の意味のユーモアです。



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