Part.4 Prosopagnosia: Why don't you call the name of dearest ?(4)


           4



「俺達は、人間だ」


 ラグの声を聴きながら、ルツはウィルの言葉を思い出していた。


「我われは、人間です」 彼もそう言っていた。


 そうだ。自分達は知っていた。解っていたのだ。

 それなのに。――


               ◇



VENAヴェナプロジェクトを 『なかったこと』 にする」

「ええ。そうです」


 自分で淹れたコーヒーの香りを吸いこんで、ウィルは満足げに微笑んだ。

 《VOYAGERボイジャー》号のリビング・ルームにて。ラグとウィルとルツの三人は、テーブルを囲んで座っていた。ラグは濃いブルーのソファーに寄りかかり、二人の会話を聴いている。

 ルツの声に、驚きと呆れが含まれた。


「そんな、無茶な――」

「そうですか?」


 ウィルは短い銀髪を揺らして首を傾げ、くすくす笑った。小鳥のようだと、またルツは思った。

 ラグは火の点いていない煙草を指先で弄んでいる。今はサングラスをかけていない。


「最初に月へ行った人類も、今から考えればとんでもなく無謀でしたよ」


 ウィルはコーヒーカップをソーサーに乗せ、慎重な仕草でテーブルに戻しながら言った。まるで、いま音を立てないことの方が神経を遣うとでも言うように。


「現代にタイム・マシンが建造出来ないことは、未来からの観光客が来ていないことで証明されています」


 彼女を見返すウィルの瞳は、ゲームの話をしているように明るかった。


「だから、我われが生身で試みることになったのです。目的は、VENAプロジェクトを阻止――或いは、その問題点を修正すること。しかし、要は地球人類テランの科学技術の進め方に問題があったわけですから、かなり根深いです」


 彼は心持ち眼を伏せ、思いめぐらす表情になった。


「物理的に安定なワーム・ホールを発見しても、出口がなければ過去へは行けません。『事象の地平線』を超える移動に、ヒトのニューロン・ネットワーク(神経細胞網)は耐えられない……行っても還ることは在り得ない。高いエネルギーを持つESPERだけが、物理的障害を超えて光速に近いスピードで空間を移動し、生体を再構成テレポーテイションすることが出来ます。その条件で、我われが時間移動に耐えられるかどうかの実験でもありました」


 ラグは天井と壁の交わる一角を見上げて溜め息をついた。その横顔とウィルの顔を交互に眺め、ルツは言葉を探した。


「……それで、良かったの? 貴方達は」


 ラグはじろりと彼女を一瞥した。その眼は不愉快さを表していたので、ルツは身を竦ませたが、ウィルは苦笑しただけだった。


「まず、地球に到着した際、我われはバラバラになりました。《クイン》 と 《ヒルダ》 はヨーロッパに、おれは東アジアに……。《マーク》 は北米大陸に到着したようです」


 ウィルは空になったコーヒー・カップを見下ろし、淡々と続けた。


「単純に時間だけを遡っても、地球は移動(自転と公転)していますからね。その程度の誤差ですんで宇宙空間に出現しなかったのは、好運だったと言えるでしょう。着いた時代も判らなかった。我われは共鳴していますから、漠然とお互いの存在を感じることは出来ましたが、初めはテレパシーも届かなかった……。十二世紀頃らしいと判った時は、愕然としたものです」


 ラグがけっと舌打ちをしたのは、当時を思い出したからだろうか。ウィルは、さらに苦笑を強くした。


「我われは各々の先祖に出会うことを警戒していたのですが、不思議なことにそれはなかった。もしかしたら、我われが過去に出現した所為で、時空のバランスを保つ何らかの機構が働いたのかもしれません。今、おれと 《クイン》――ラグがここに在るということは」

「…………」

「或いは――我われは過去へ行ったつもりでも、この宇宙そのものが我われがもといた宇宙とは異なるのかもしれませんが……。とにかく、『我われが存在している』ことは将来VENAプロジェクトが始まる証明でもあるわけですから、使命は果たさなければなりません」


 ウィルの説明は、ルツが即座に理解するには難解だった。しかし、彼は完全な理解を求めているわけでもなさそうだった。

 彼女が混乱する前に、ウィルは続けた。


「楽な仕事ではありませんでしたよ……。千五百年。純粋なラウリアンなら二、三代でしょうが、地球人との混血の我われでは、せいぜい百年しか生きられない。条件次第では、もっと短くなってしまう。それまでに子孫を残し、記憶を伝え……元いた時代まで続けるわけです。言うのは簡単ですが、実際は苦痛でしかありませんでした」


 ウィルは言葉を切って横を向いた。ルツが彼の話の続きを待っていると、ラグが代わりにソファーから身を起し、試すような視線を彼女に当てた。


「俺達は、人間だ」


 ルツは真っすぐ彼を見詰めた。


「ESPERだろうと異星人との混血ハイブリッドだろうと、人として生きている。怒りもすれば、迷いもする。絶望も……愛情も、無縁なわけじゃない。同じ時代にいた連中と、俺達は共に生きて来た。出会い、恋をして、子供をつくり、育て、別れ、死ぬ……。死に方だって特別なわけじゃない。病気もあれば、事故もあった。天災にも遭ったし、戦場に出向いたこともある。……いつでも、死ぬのは楽な仕事じゃない」


 ラグのこの台詞に、ウィルはフッと哂った。どこか空虚な微笑だった。


「我われは、人間です」


 そう、ウィルは復唱した。


「しかし、人として一生を終えるわけにはいかなかった。記憶を伝えることの苦痛の一つは、それでした。一度でことは終らない。悩んで苦しんで、やっと死ねると思っても、またやり直しなのです」


 あ……と、ルツは思った。そういうことかと理解したのだ。

 相棒の苦悩を察したラグが、しみじみと言った。


けたな、ウィル」


 ウィルは、くっと笑って頷いた。


「ええ。老いました、我われは……。反復するうちに人生の意味は失われ、色褪せました。新鮮なことがないのです。喜びも悲しみも、いつかの繰り返しになってしまう。感動はなくなり、探求の情熱も発見の興奮も消えました。夢も希望も、絶望すらない……ただ生きるだけです」


 ラグはソファーに身を沈め、ウィルは声をひそめた。


「馬鹿なことを始めたと後悔しました。それでも、仲間に再会出来ると思えば耐えられました。苦しいのは自分だけではない。いつか、必ず終わりは来る。しかし、我われは気づいていなかったのです。本当に苦しいのは別のことだと」

「え?」


 ルツは訊き返したが、今度は、二人ともすぐには応えなかった。ラグは彼女に横顔を向け、苦虫を噛み潰している。

 ウィルはコーヒー・カップの底を、そこに答えが書いてあるかのように覗き込んだ。


 どれくらい、そうしていただろう。ウィルは口を開いた。言葉は声にならず、震えるような吐息に紛れた。


「何故、過去へ行ってしまったのでしょう、我われは。未来であれば変えられたのに……」

「《ヒルダ》 が最初に気づいた」


 ラグが苦い声で続けた。ルツは彼の言葉に意識を集中させた。


「俺達は、歴史に干渉することは許されない。だが、起こると知っていることを止めずにいる責任からは逃れられない」

「…………?」

「戦争だ」


 彼女を目だけで顧みて、ラグはぼそりと言った。ルツは息をひそめた。


「自分達が当事者として戦っている間はいい……誰でもいつかは死ぬと判っている。だが、戦争は、人間が起すものだ」


 ラグはまた彼女から目をそらした。ウィルは哀しげに眼を閉じている。


「予知の出来るあんたなら解るだろう。人がひとり死ぬだけでも嫌な気分になるのに、数十万、百万単位で死ぬと知っているのは、いい気分じゃない……。《ヒルダ》 のテレパシーは、ユダヤ人の大虐殺を見たくないと言ってきた。それが最後だ。《ウィル》 は日本にいたから、人類史上最初の原子爆弾が使われた結果を観ただろう。《マーク》 がそれを止めようとしたかどうかは知らないが」


 ラグの新緑色の双眸が観ているものを、ルツは想像したくないと思った。彼は、うすい唇に酷薄な嘲笑を閃かせた。


「人類は、同じことを繰り返す。問題は、俺達は何が起こるかを知っていて、止めようと思えば止められる――その能力を持っていたということだ。止めれば、確実に歴史は変わる。それは俺達には許されない。だが……たった一発のミサイルが百万人を殺すと知っていて見過ごすことは、もっと許されないだろう。とにかく、《ヒルダ》 と 《マーク》 は自分を許せなかった」

「我われは、《VENA》 のための存在です」


 ウィルはゆっくり面を上げ、祈るように囁いた。少女のように優しい顔に宿る沈んだ悲嘆から、ルツは目を離せなくなった。

 ウィルは淋しげに微笑んだ。


「彼女を現在の形で誕生させないため――その使命を果たすために在り続ける存在でした。でも、《クイン》 に逢えなければ、おれはとっくに消えていたでしょう」

「それは俺も同じだ、《ウィル》」


 舌打ち混じりにラグが言った。ルツは、改めて、彼が 《クイン・グレーヴス》=父と同じ記憶を持つことを理解した。

 ラグは長い前髪を掻き上げ、その手で頭を掻き、苛々と呟いた。


「やっていられるか、馬鹿馬鹿しい。俺ひとりなら、とうに止めている。《クイン》 が残ったのは、ひとえにお前と 《ラグ》 が居たからだ。ここで消えたらラグが消える――そう思っていただけだ」

「え?」


 瞬きをするルツを、ラグはちらりと見遣ったが、何も言わなかった。

 ウィルはフッと哂った。


「《クイン》 は混乱しているんです。ヒトの脳は無限に近い記憶容量を持っていますが、彼は既に五十四人分の記憶を持っていますからね。そういう意味でも、我われは限界なのです」

「でも、貴方達は……」


 言いかけて、ルツは迷った。ここまで聴いておきながら『それ』を訊ねてよいものか、咄嗟に判断がつきかねた。しかし、そんな彼女の戸惑いすら彼等は理解していた。

 目顔で互いの意志を確認すると、ラグは再び天井を見上げ、ウィルは視線を落とした。


「人類は、同じことを繰り返す」


 ラグはそっと繰り返した。影のような嘆きと嘲笑が精悍な横顔を過ぎる。

 ルツは、その言葉を胸に刻んだ。


「俺達が観てきたのは、そういうことだ。戦争も平和も、科学も同じだ。遺伝子を解析し、組替え、新しい種を創り、一方で滅ぼして……。人類は絶えず先へ進もうとする。失敗しても、成功しても。産業革命を興し、電気を発明し、大量殺人兵器を造り出す。戦争をしては反省し、そのくせ十年も絶たないうちにまた人殺しを始める。宇宙へ出て、失敗しては舞い戻り、また外へ出る」

「それが悪いと言っているわけではないのです」


 ふと、ウィルは顔を上げた。ラグの口調が苛烈だと感じたのだろう。そこに含まれるやりきれない絶望をなだめるように微笑んだ。


「悪いことではありません。我われも、その延長線上に在る者なのですから。むしろ賞賛されることでしょう。何度失敗しても、人類は諦めない。常に進んで行く。人は 『そういうものだ』 ということです……。二度、繰り返しました」


 ウィルは両手を組み、それをテーブルの上に置いて言った。幼児に読み聴かせる童話のごとく、諦めを含んだ優しさで、ウィルは続けた。


「これまでに、二度……我われは、《VENA》 の誕生に結びつく科学技術を修正しました。我われが邪魔をしなくても、当時の彼等には 《VENA》 を創れなかったでしょう。けれども、人は決して諦めない……遂に今世紀まで来てしまった」

「俺達は、《VENA》 を創らせない為の存在だ」


 ラグが身体ごと彼女に向き直り、言葉を継いだ。煙草をずっと手に持っていたのを咥えたのは、苛々がこうじているのだろう。

 ルツは彼を見詰めた。

 ラグは彼女を見ず、煙草を噛み潰して呻いた。


「既に始まっていたVENAプロジェクトを 『なかったことにする』 為に、時間を遡った。目的を達成すれば、俺達は消えるだろう。それは構わない。そんなことは恐くない」


 唇を歪める。彼の声に含まれるくらい響きに、ルツは気づいた。ウィルは相棒を顧みる。


「もう、生きることには飽きたからな。千五百年続いた馬鹿騒ぎに終止符が打てるなら、本望だ。だが……俺達が恐れたのは、別のことだ」

「人は、同じことを繰り返します」


 今度はウィルが言った。呪文のように、うたのように。その声は、天啓の威厳をもってルツに響いた。

 彼女の魂に。

 ここに居るのは誰だろう――と、ルツは考えた。この二人は 《何》 なのだろう。

 ウィルは、そっと囁いた。


「我われがおそれたのは、そのことです。VENAプロジェクトを阻止して我われが消えれば、それでいい。でも、?」

「…………」

「《VENA》 が完成しなくても、人は諦めないでしょう。なら……?」


 ルツは眼をみひらいた。ウィルの言葉の意味を理解したのだ。

 二人の 《古老》 の瞳に宿るものを見つけ、彼女は言葉を失った。



「俺達は、VENAプロジェクトを――倫道りんどう教授を、止められなかったわけじゃない」


 ラグが呟いた。


んだ……」


 ルツは、全世界の喧騒を意識から閉め出すように、眼を閉じた。唇を噛む。――ああ、そうだ。

 自分は知っていた。理解していたのだ。

 彼等の苦しみも、願いも、全て。

 だから、その罪は大きい。


 最も罪深いのは、私……。






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