Part.2 Awareness Confusion: What are you doing now ?(4)



         4



《オレ達など、VENAヴェナにとっては、象の前の蟻と同じだ》

 うそぶく史織シオの声を、ラグはまた聴いたように思った。――



 《AONVARRアンヴァル》号のコクピットにて。《VENA》は、ゆっくり身を起こした。首をすくめ、こわごわ周囲をみまわしたが、人気のない室内は静まりかえっていた。

 彼女は床にぺたんと座りこんだ。艶やかな絹のワンピースの裾が乱れるのも構わず、茫然と考える。

 いったい何があったのだろう? たしか、《アンヴァル》号の試験航行に乗せてもらっていたのだ。鷹弘と別れて、ラグと一緒にコクピットに入ったことは憶えている。あの時、彼は何と言ったか――。

 ラグ?


「…………!」


 《VENA》は息を呑み、急いで首をめぐらせた。そうだ、彼はどうなった? コントロールを外れた彼女のESPが流れ込んだために苦しんでいたさまを思い出し、全身から血の気がひいた。


「ラグ……!」


 通信機のコンソールのそばに倒れている彼を見つけ、駆け寄った。

 白を基調としたコクピットで、普段どおりブラックジーンズと紺のシャツを着た彼は、真夏の影のごとく明瞭だった。途中で、落ちていたサングラスを拾い上げる。長身をながながと横たえたラグが眼を閉じてぴくとも動かないので、彼女は悲鳴を呑んだ。


「ラグ! 眼を開けて!」


 揺さぶっても大丈夫だろうかなどという懸念は、彼女の脳裡に浮かばなかった。幼子が親に救いを求める懸命さで、広い胸にすがりつく。無抵抗な頭が揺れ、床にひろがる銀髪とともに動いた。


「ラグ!」


 前髪の下から苦痛をにじませた顔があらわれ、《VENA》は泣きそうになった。こんな彼を見たことがない。

 彼女にとってラグや鷹弘は、親も同然の存在だ。仰ぐその顔貌かおは、常に英知に満ちあふれたものでなければならない。自分を支え導いてくれる彼の、こんな姿を見たくはなかった。


「ラグ。お願い、気付いて。眼を開けて」


 どうしてこんなことになったのだ? ――抗議をこめて揺さぶりながら、彼女は考えた。どうすればよいか判らない。こんな時、それを教えてくれるのが彼のはずなのに。

 一人では何も出来ない自分が、これほど悔しいとは。

 《VENA》 は片手で涙を拭い、もう片方の手で彼の胸を叩き、しゃくりあげながら訴えた。


「ラグ、起きて頂戴。お願いだから……。教えて。あたしは、どうしたらいいの」


 泣き伏す彼女の背後で、投げ出されていたラグの腕が、かすかに動いた。呻き声とともに持ち上がる。彼女の肩に触れ、そっと、しかし断固として引き離した。


「ラグ?」

「……わかった、Lady. 判ったから、そう叩くな。痛い。ちょっと、待ってくれ……」


 ラグはかたく眼を閉じ、しばらく床の上で唸っていなければならなかった。寝返りをうち、《VENA》に背を向ける。割れそうに頭が痛く、吐き気がする。舌打ちし、口にひろがる苦渋を飲み下した。


「大丈夫?」


 背後で《VENA》の心配する声が聞こえたが、すぐには応えられない。

 しかし、彼女は今度は大人しく待っていた。とりあえず、彼が気付いてくれたのだ。「Lady」と、いつも通りに彼女を呼び、「待っていろ」と言ってくれた。なら、待っていればいいはずだ。彼はそういう男だと、彼女は充分知っていた。


「……それで、」


 何度か深呼吸して息を整え、ようやくラグは身を起こした。まだ口の中が痺れている。床に片脚を投げ出し、もう片方の膝を立て、額にかかる髪を掻きあげた。


「あんたは逃げなかったのか、Lady」

「そんな暇、なかったんだもの」


(嘘をつけ。あんたなら、いくらでも空間転位テレポーテイションが出来ただろう)――思ったが、ラグは言わなかった。あの時、彼女がパニックに陥っていたであろうことは容易に想像できた。

 彼はズキズキする頭痛に顔をしかめつつ、コクピットを見渡した。


「他の連中は、退避できたのか?」

「そうみたい。気付いたら誰もいなかったの。酷いわ、みんな。置いて行っちゃうなんて」


『違う。そう訓練されているからだ』 拗ねる彼女に言いかけ、ラグは言葉を呑んだ。『捨てるべき時に仲間を見捨てて行けないようでは、宇宙飛行士アストロノウツは務まらない。被害が大きくなるだけだ』 と――今後の人間関係を考慮すれば教える必要性を感じたが、説明するのが億劫になるほど頭痛がひどかった。面倒くさい……。

 小さく呻く彼を、《VENA》はのぞきこんだ。


「ほんとに大丈夫? ラグ」

「ああ。心配しなくていい。一時的なものだ」

「ごめんなさい」


 《VENA》がしょんぼり項垂れたので、ラグは片目を開けて彼女を見た。途方に暮れている少女のようだ。


「どうして、あんたが謝るんだ。Lady」

「だって。あたし、でしょ? あたしが悪いんでしょ、ラグ。あたしの力が、貴方に流れこんじゃったから」

「……馬鹿」 


 舌打ちして、ラグは立ち上がった。軽くふらつき、コンソールに片手をついて自分を支える。状況を把握しなければならない。

 《VENA》も立った。長身の彼を支えるようにその背に掌を当てた彼女は――既に、彼にとってはどうでも良いことだったが。――と唇を尖らせた。


「馬鹿とは何よ、馬鹿とは。心配したのに」


 あー、もう。


「そうじゃない……。他人の生体エネルギーを吸収して別の形に変換するのは、俺の能力ちからの特性だ。あんたのせいじゃない」

「え?」


 《VENA》はきょとんと瞬きを繰り返したが、ラグはそれ以上説明するつもりはなかった。手早く 《アンヴァル》 号のエンジンの状態を確認する。

 そうだ。彼女のせいではない。


 誰か――《古老チーフ》 の能力について知っている何者かが、彼の能力に働きかけ、《VENA》 と共鳴を起こさせたのだ。

 りにも選って、《VENA》 と 《古老》 を。

 ラグは、その皮肉さに唇を歪めた。誰だ? ――いったい、彼と 《VENA》 の双方に働きかけられるほど強い能力者が、そうそう居るとは思えない。いるとすれば 《VENA》 自身か他の 《古老》 だが、彼女はラグの能力を知らないし、ミッキーは自分ウィルの能力の使い方を知らない。

 《VENA》のエネルギーを彼に吸収させて、どうしようと言うのだ。



「ラグ?」


 呼びかける 《VENA》 に、ラグは返事をしなかった。黙々と、《アンヴァル》号を元にもどす作業を続ける。アイドリング状態だったエンジンの出力を落とし、消えていたメイン・スクリーンを立ち上げる。エンジン・モニターと航路図を表示させ、通信機に自分達の居場所を入力しようとした。


「…………」


 ラグは鋭く舌打ちした。《VENA》が首を傾げるが、悠長に説明している場合ではない。

 彼は、3Dモニターに映る座標を覗きこんだ。自分が倒れている間に宇宙船ふねの位置が変わったことは予測していたが……。

 空間が、変わっている。

 座標軸を凝視し、念のためコンピューターに計算をやり直させ、結果が同じ事を確認すると、そう結論づけないわけにいかなかった。《アンヴァル》号の位置だけではない。自分達が在る時空そのものが、違っているのだ。


「ラグ?」


 《VENA》が呼ぶ。

 ラグは片手を口元に当てた。いくら座標をたどっても、それが示す事象は変えられない。メイン・スクリーンを仰いで星辰をたしかめ、視界の隅に月をみとめて眼をすがめた。


「…………?」


 《VENA》も、彼の真似をした。

 サブ・スクリーンには、《レッド・ムーン》とその向こうの地球が浮かんでいる。自分達が本来属する世界と、それほど異なる印象はない。


「ねえ、どうしたの? 大丈夫?」


 《VENA》が、しびれを切らせている。だが彼の、《古老》の記憶を探っても、こんな事態は初めてだった。

 否、クイン・グレーヴスが仲間とともに時空を超えた時、以来だ。

(……成る程)

 ようやく、判ってきた。

 ラグは、口に当てた掌の内側で舌打ちをのみこんだ。相手は――どんな奴かは知らないが、(俺に、これをさせたかったわけか)


 かれら《古老》は、四人いなければ時空の壁を超えられない。異空間との壁さえも。しかし、

(こういうやり方があるとは、知らなかったな……)

 《VENA》の能力を利用すれば、確かに造作も無いが、彼女には動機がない。宇宙船ごと異空間へ移動して、何の得がある?

 だが、ラグに彼女の力を吸収させ、方向性を持たせれば容易かった。まして、既に『歪み』が存在する宙域なら――


「…………」


 ラグは、胸底からおもむろにいかりがこみ上げるのを感じた。

 奥歯を噛み、感情を抑制する。こんな事態に陥ったことより、《VENA》と彼の能力を利用されたことより――何者かが、彼等を意のままに掌の上で扱った。そのことに腹が立った。

 こんなことが出来る奴は、一人しかいない。



「ラグ」


 彼の怒りを察知したのだろう。《VENA》は怯え、小声で呼びかけた。それで、ラグは気持ちを切り替えることにした。とりあえず、彼女を安心させなければならない。


「Lady. あのな、」

 吐息まじりに言いかけた。


《グレーヴス》

「…………!」


 鮮明なテレパシーを浴び、《VENA》は眼をみはって耳をおおった。そんなことをしても何も変わらないのだが、要は気持ちの問題だ。

 ラグは舌を鳴らした。


《……史織シオか》

《そうだ。無事、たどり着いたようだな、グレーヴス》

《無事に、だと?》

「きゃっ」


 忌々しげに応える彼の面前で――モニターに黄金の光が走り、《VENA》は両手で口をおさえた。若草色の長髪、白い肌の上半身と巨狼の下半身をもつ《彼》のすがたを目にして、息を呑む。

 ラグは相手が光通信に乗っていることに気づき、テレパシーを肉声に替えた。


「よく言うぜ……どこまで人騒がせなんだ、お前は」

《怒るなよ。ちゃんと時空の壁を超えられるか、これでも心配していたんだぜ。……お前に逢いたかったんだ。お前とVENAに》


 史織を睨むラグの横顔を、《VENA》は訳がわからず見守った。彼女は、史織シオを知らなかった。この不思議な生き物が自分達を知っているのは、不可解だ。

 《VENA》は、おっかなびっくり史織とラグを見比べた。


「ラグ。誰?」


 しかし、ラグは彼女の問いに答えられなかった。

 史織は、混乱する彼女には構わず、淡々と話した。


真織マオが死んだよ、グレーヴス。ここへ来て、すぐに死んでしまった。オレは助けられなかった》


 ラグの彫像のような相貌かおは、動かない。史織は、暗いわらいに頬を歪めた。


《それでね、オレも考えたんだ、いろいろと。今まで誰かを恨んだり腹を立てたりしたことは、無かったんだけどね》

「…………」

《あんた達を、VENAを……恨む気持ちはなかったんだ。ドウエル教授もターナーも、ルツも。だけど、真織が死んで気持ちが変わった。あんたとVENAに、意地悪をしてやりたくなったんだ》

「ほお」


 ラグの片方の眉がひょいと跳ねた。いつもの苦笑を含んだような声だが、新緑色の瞳に笑いなど微塵も含まれていないことを、《VENA》は見てとった。

 史織は口を閉じた。


「意地悪か、これが。史織。言っておくが、俺も 《VENA》 も、苛められてよろこぶ趣味は持ち合わせていないぞ」

《…………》

「ついでに教えておいてやる。今日の俺は久しぶりに機嫌が悪い。こんなに腹が立ったのは六世紀ぶりだ……。冗談も休み休みにしないと、ただでさえ短い寿命を縮めることになるぞ」


 笑いを含んでいない、どころではない。冷たい怒りの響きに、《VENA》は呼吸を止めた。

 史織は平然と、嘲笑わらいすら浮かべて言った。


《そう言うだろうと思ってたよ》

「…………」

《だから、ね、グレーヴス。あんたの為に、面白い趣向を用意したんだ。きっと気に入ると思う》

「何だと?」

《こんなのはどうだい? ……出て来いよ》

「…………!」


 え? と 《VENA》 は思った。史織がモニターの外へ声をかけ、そこから現われた人影を見た途端、ラグの表情が文字どおり凍りついたのだ。切れ長の眼をみひらき、絶句する。

 その人物も、当惑した様子でこちらを見返した。


 《VENA》やリサに比べれば、小柄な女性だった。華奢な身体をラベンダー色のドレスに包んでいる。つややかな真珠色の肌に映える髪は黒……漆黒と言える。頬をふちどり肩から腰へ流れる濡れたような黒髪は、星を散りばめた夜空さながら輝いていた。

 年齢は三十代……ラグと同じか、少し年上かもしれない。長い睫毛を伏せた面差しは、憂いをおびて美しかった。――こんな綺麗な女性ひとを初めて観ると、《VENA》は思った。そんな場合ではないと承知していて、溜め息を呑む。 


 ラグの眼が再びすうっと細くなり、唇が動いた。声は聴こえなかった。横顔は辛そうだ。今日は、みた事のない彼の表情を沢山見せられる……。

 史織は、彼の反応に満足して嗤った。


《気に入ったみたいだね》

「…………」

《来いよ、グレーヴス。あんたがを助けてくれたら、オレもあんた達を助けて元の世界へ送ってやるよ……。VENAも来い。教えてやろう》


 彼か彼女か判らないキメラは、琥珀色の双眸を彼女に向け、挑むように嗤った。凛とした声は、運命を告げる鐘のごとく響いた。


《VENA。グレーヴスは言わないだろう。あんたが、そいつにとって何なのか。オレ達にとって。――自分が何者なのか教えてやるよ。だから、来い。待っている》

「ラグ。どういうこと?」


 ラグは口を固く閉じ、史織を見据えていた。《VENA》は混乱した。

 史織は、わざとらしく唇を歪めた。


《そうそう、忘れるところだった。では、月は連邦政府に対して独立戦争をやっているんだ》

「何だと?」

《だから、銀河連合軍はこの宙域にいない。そういうことには関わらないんだろう? あんた達は》

「…………」

《でも、連中にとっては侵入者だ、あんた達は。無事に来られるよう祈っているよ。それから――あんた達にお客だぜ、グレーヴス》


 そう言って、天井のモニターを指差す。

 史織のすらりと伸びた指先に視線をむけた《VENA》は、一瞬、夜空に紫と白の光が走り、スカーレットの宇宙船が現れるのをみつけた。呆然と呟く。


「《DON SPICERドン・スパイサー》号? ルネ?」


 通信が切れた。

 ラグもコンソールから顔を上げ、苦虫を噛み潰した。

(最悪だ)

 ラグは、口の中で呟いた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る